『宇治拾遺物語』校訂本文 〔宇治拾遺物語序〕 △世に、宇治大納言物語といふ物あり。此大納言は、隆國といふ人なり。西宮 殿の孫、俊賢大納言の第二の男也。年たかうなりては、あつさをわびて、いと まを申て、五月より八月までは、平等院一切經藏の南の山ぎはに、南泉房とい ふ所に、こもりゐられけり。さて宇治大納言とは聞えけり。 △もとゞりをゆひわげて、〔をかしげなる姿にて〕、莚をいたにしきて、〔すゞ みゐはべりて〕、大なる打輪を〔もてあふがせなどして、往來の者〕、上下をい はず、〔よびあつめ〕、昔物語をせさせて、我は内にそひふして、かたるにした がひて、おほきなるさうしに書かれけり。 △天竺の事もあり、大唐の事もあり、日本の事もあり。それがうちに、貴き事 もあり、〔をかしき事もあり、おそろしき事もあり〕、哀なる事もあり、きたな き事もあり、少々は、空物語もあり、利口なる事もあり、樣々やう++なり。 △世の人、是を興じ見る。十四帖也。その正本は、傳はりて、侍從俊貞といひ し人のもとにぞ有ける。いかに成にけるにか。後に、さかしき人々書いれたる あひだ、物語多くなれり。大納言より後の事書き入たる本もあるにこそ。 △さる程に、今の世に、又物語書入たる出來れり。大納言の物語にもれたるを ひろひ集め、又その後の事など、書き集めたるなるべし。名を宇治拾遺物がた りと云。宇治にのこれるをひろふとつけたるにや。又、侍從を拾遺といへば、 宇治拾遺物がたりといへるにや。差別しりがたし。おぼつかなし。 宇治拾遺物語 宇治拾遺物語 一 道命於和泉式部許讀經五條道祖神聽聞事△卷一ノ一 △今はむかし、道命阿闍梨とて、傅殿の子に、色にふけりたる僧ありけり。和 泉式部に通けり。經を目出く讀みけり。それが和泉式部がり行て臥たりけるに、 めざめて、經を心をすまして讀みける程に、八卷讀はてて、曉にまどろまんと する程に、人のけはひのしければ、「あれはたれぞ」と問ければ、「おのれは五 條西洞院の邊に候翁に候」と答ければ、「こはなに事ぞ」と道命いひければ、 「此御經をこよひ承ぬる事の、生々世々、忘れがたく候」といひければ、 道命「法華經を讀み奉る事はつねの事也。など、こよひしもいはるゝぞ」とい ひければ、五條の齋いはく、「清くて讀み參らせ給時は、梵天、帝釋をはじめ奉 りて、聽聞せさせ給へば、翁などは、ちかづき參りて、うけたまはるに及び候 はず。こよひは、御行水も候はで讀み奉らせ給へば、梵天、帝釋も御聽聞候は ぬひまにて、翁參りよりて、うけたまはりてさぶらひぬる事の忘がたく候也」 とのたまひけり。 △されば、はかなくさい讀み奉るとも、清くて讀み奉るべき事なり。「念佛、讀 經、四威儀をやぶる事なかれ」と、惠心の御房も戒給ふにこそ。 二 丹波國篠村平茸生事△卷一ノ二 △是も今は昔、丹波國篠村と云所に、年比、平茸やるかたもなくおほかりけり。 里村の者、是をとりて、人にも心ざし、又われも食ひなどして、年比過る程に、 その里にとりてむねとあるものの夢に、かしらをつかみなる法師どもの、二三 十人ばかり出できて、「申べき事」といひければ、「いかなる人ぞ」と問ふに、 「此法師ばらは、此年比も、宮仕ひよくして候つるが、此里の縁盡きて、い まはよそへまかり候なんずる事の、かつはあはれにも候。又、事のよしを申さ ではと思ひて、このよしを申なり」といふと見て、うちおどろきて、「こは何 事ぞ」と、妻や子やなどにかたる程に、又、その里の人の夢にも、此定に見え たりとて、あまた同樣に語れば、心もえで年も暮ぬ。 △さて、つぐの年の九十月にもなりぬるに、さき※※出でくるほどなれば、山 に入て茸をもとむるに、すべて、蔬、おほかた見えず。いかなる事にかと、里 國の者思ひてすぐる程に、故仲胤僧都とて、説法ならびなき人いましけり。此 事をきゝて、「こはいかに。不淨説法する法師、平茸に生まるといふことのある ものを」とのたまひてけり。 △されば、いかにも+ 、平茸は食はざらんにことかくまじきものとぞ。 三 鬼に とらるゝ事△卷一ノ三 △これも昔、右の顏に大なる ある翁ありけり。大かう〔じの程なり。人にま じるに及ばねば、薪をとりて世をすぐるほどに〕山へ行ぬ。雨風はしたなくて、 かへるに及ばで、山の中に、心にもあらずとまりぬ。又木こりもなかりけり。 おそろしさ、すべきかたなし。木のうつほのありけるにはひ入て、目もあはず、 かゞまり居たるほどに、はるかより人の音おほくして、とゞめき來る音す。い かにも山の中に只ひとりゐたるに、人のけはひのしければ、すこしいき出るこ ゝちして、見いだしければ、大かた、やう++さま※※なるものども、あかき いろには青き物をき、くろきいろには赤き物をたふさぎにかき、大かた、目 一ある者あり、口なき者など、大かた、いかにも言ふべきにあらぬ者ども、百 人ばかりひしめきあつまりて、火をてんのめのごとくにともして、我ゐたるう つほ木のまへに、ゐまはりぬ。大かた、いとゞ物おぼえず。 △むねとあると見ゆる鬼、横座にゐたり。うらうへに二ならびに居なみたる鬼、 かずをしらず。そのすがた、おの++いひつくしがたし。酒參らせ、あそぶあ りさま、この世の人のする定なり。たび++かはらけ始まりて、むねとの鬼、 殊の外にゑひたる樣也。末より、若き鬼一人立て、折敷をかざして、何と云に か、くどき、くせゝることをいひて、横座の鬼の前にねり出て、くどくめり。 横座の鬼、盃を左の手にもちて、ゑみこだれたるさま、たゞ、この世の人のご とし。舞うて入ぬ。しだいに下より舞ふ。あしく、よく舞ふもあり。あさまし と見るほどに、横座にゐたる鬼のいふやう、「こよひの御あそびこそ、いつにも すぐれたれ。たゞし、さもめづらしからん奏でを見ばや」などいふに、此翁、 物のつきたりけるにや、又しかるべく神佛のおもはせ給ひけるにや、あはれ、 走出て舞はばやと思ふを、一どは思ひかへしつ。それに、なにとなく、鬼ども がうちあげたる拍子のよげにきこえければ、さもあれ、たゞはしり出て舞ひて ん、死なばさてありなんと思ひとりて、木のうつほより、烏帽子は鼻にたれか けたる翁の、こしによきといふ木きる物さして、横座の鬼のゐたる前にをどり 出たり。この鬼ども、をどりあがりて、「こはなにぞ」とさわぎあへり。翁、の びあがり、かがまりて、舞ふべきかぎり、すぢりもぢり、ゑい聲をいだして、 一庭をはしりまはり舞ふ。横座の鬼よりはじめて、あつまりゐたる鬼ども、あ さみ興ず。 △横座の鬼のいはく、「おほくの年比、この遊をしつれども、いまだ、かゝるも のにこそあはざりつれ。いまより、此翁、かやうの御あそびに、かならず參れ」 といふ。翁申やう、「沙汰に及び候はず、參り候べし。此たび、俄にて、納 めの手も、わすれ候にたり。かやうに御らんにかなひ候はば、しづかにつか うまつり候はん」といふ。横座の鬼「いみじく申たり、かならず參るべきな り」といふ。奧の座の三番にゐたる鬼「この翁はかくは申候へども、參ら ぬ事も候はんずらん〔と〕おぼえ候〔に〕、質をやとらるべく候らん」といふ。 横座の鬼「しかるべし+ 」といひて、「なにをかとるべき」と、おの++い ひ沙汰するに、横座の鬼のいふやう、「かの翁がつらにある をやとるべき。 は、福のものなれば、それをや惜み思ふらん」といふに、翁がいふやう、「只、 目鼻をばめすとも、此 はゆるし給候はん。年比もちて候物を故なくめされ 〔候はば〕、ずちなきことに候なん」といへば、横座の鬼「かう惜み申物也。た ゞそれを取べし」といへば、鬼、よりて、「さはとるぞ」とて、ねぢてひくに、大 かたいたき事なし。さて、「かならずこのたびの御遊に參るべし」とて、曉に鳥 などなきぬれば、鬼共かへりぬ。翁顏をさぐるに年比ありし 、あとなく、か いのごひたるやうに、つや++なかりければ、木こらんことも忘れて、家にか へりぬ。妻のうば「こはいかなりつる事ぞ」と問へば、しか※※とかたる。「あ さましき事や」といふ。 △隣にある翁、左のかほに大なる ありけるが、此翁、 の失せたるを見て、 「こはいかにして、 は失せ給たるぞ。いづこなる醫師の取申たるぞ。我につ たへ給へ。この とらん」と云ければ、「是は、くすしの取たるにもあらず。 しか※※のことありて、鬼のとりたるなり」といひければ、「我、其定にして とらん」とて、ことの次第をこまかに問ひければ、教へつ。 △此翁、いふまゝにして、その木のうつほに入て待ちければ、まことに、きく やうにして、鬼どもいできたり。居まはりて、酒のみあそびて、「いづら、翁 は參りたるか」といひければ、この翁、おそろしと思ひながら、ゆるぎ出たれ ば、鬼ども、「こゝに翁參りて候」と申せば、横座の鬼「こち參れ。とく舞へ」 といへば、さきの翁よりは、天骨もなく、おろ++かなでたりければ、横座の 鬼「このたびはわろく舞うたり。返々わろし。そのとりたりし質の 返した べ」といひければ、末つかたより鬼いできて、「質の かへしたぶぞ」とて、 いまかた方の顏に投げつけたりければ、うらうへに つきたる翁にこそなりた りけれ。 △ものうらやみはせまじきことなりとか。 四 伴大納言事△卷一ノ四 △是も今は昔、伴の大納言善男は佐渡國郡司が從者也。彼國にて、善男夢に 見るやう、西大寺と東大寺とをまたげて立たりと見て、妻の女にこのよしを語 る。妻のいはく、「そこのまたこそ、さかれんずらめ」とあはするに、善男、お どろきて、よしなき事を語てけるかなとおそれ思て、主の郡司が家へ行むかふ 所に、郡司きはめたる相人也けるが、日比はさもせぬに、殊外に饗應して、わ らうだとりいで、對ひて召しのぼせければ、善男あやしみをなして、我をすか し上せて、妻のいひつるやうに、またなどさかんずるやらんと恐思程に、郡 司がいはく、「汝やんごとなき高相の夢見てけり。それに、よしなき人に語り てけり。かならず大位にはいたるとも、事いできて、つみをかぶらんぞ」とい ふ。しかるあひだ、善男、縁につきて、京上して大納言にいたる。されども犯 罪をかうぶる。郡司が言葉にたがはず。 五 隨求陀羅尼篭額法師事△卷一ノ五 △これも今はむかし、人のもとに、ゆゝしくこと※※しく、をひをの、ほらか い腰につけ、錫杖つきなどしたる山臥の、こと※※しげなる入きて、侍の立 蔀の内の小庭に立けるを、侍「あれはいかなる御坊ぞ」と問ひければ、「これ は日比白山に侍つるが、みたけへ參りて、いま二千日候はんと仕候つるが、 齋料つきて侍り。まかりあづからんと申あげ給へ」といひて立てり。 △みれば額まゆの間の程に、髮際によりて二寸ばかりきずあり。いまだなまい えにてあかみたり。侍問ふていふやう、「その額のきずはいかなる事ぞ」と問 ふ。山臥、いとたうと+ しく、こゑをなしていふやう、「是は隨求陀羅尼をこ めたるぞ」とこたふ。侍の者ども、「ゆゝしきことにこそ侍れ。足手の指など きりたるは、あまた見ゆれども、額破りて陀羅尼こめたるこそ見るともおぼ えね」と、いひあひたるほどに、十七八ばかりなる小侍の、ふと走りいでて、 うち見て、「あな、かたはらいたの法師や。なんでう隨求陀羅尼をこめんずるぞ。 あれは七條まちに江冠者が家の、おほ東にある鑄物師が妻を、みそか+ に入 ふし+ せし程に、去年の夏入ふしたりけるに、男の鑄物師かへりあひたり ければ、とる物もとりあへず、逃て西へはしる。冠者が家のまへ程にて追ひつ められて、さいづへして額をうち破れたりしぞかし。冠者も見しは」といふ を、あさましと人共きゝて、山臥が顏を見れば、すこしも事と思たるけしきも せず、すこしのまのししたるやうにて、「そのついでにこめたるぞ」と、つれな ういひたるときに、あつまれる人共、一どに、「は」と笑ひたるまぎれに、逃 ていにけり。 六 中納言師時法師の玉くき檢知の事△卷一ノ六 △是も今は昔、中納言師時といふ人おはしけり。その御もとに、ことのほか に色黒き墨ぞめの衣のみじかきに、不動袈裟といふ袈裟かけて、木練子の念珠 の大なるくりさげたる聖法師、入きてたてり。中納言「あれは何する僧ぞ」と 尋らるゝに、ことのほかにこゑをあはれげになして、「假の世にはかなく候を、 しのびがたくて、無始よりこのかた生死に流轉するは、せんずる所、煩惱にひ かへられて、いまにかくてうき世を出やらぬにこそ。これを無益なりと思とり て、煩惱をきりすてて、ひとへにこのたび生死のさかひを出でなんと思とりた る聖人に候」といふ。中納言「さて煩惱をきりすつとはいかに」と問給へば、 「くは、これを御覽ぜよ」といひて、衣の前をかきあけて見すれば、誠にまめ やかのはなくて、ひげばかりあり。 △「こはふしぎのことかな」と見給程に、しもにさがりたるふくろの、ことの ほかに覺て、「人やある」とよび給へば、侍二三人出きたり。中納言「その法 師ひきはれ」とのたまへば、聖まのしをして、あみだ佛申て、「とく++、い かにもし給へ」といひて、あはれげなる顏げしきをして、あしをうちひろげて、 おろねぶりたるを、中納言「あしを引きひろげよ」とのたまへば、二三人より て、引ひろげつ。さて小侍の十二三ばかりなるがあるをめし出て、「あの法師の またのうへを、手をひろげて、あげおろしさすれ」とのたまへば、そのまゝに ふくらかなる手して、あげおろしさする。とばかりある程に、此聖、まのし をして、「今はさておはせ」といひけるを、中納言「よげになりにたり。唯さ すれ、それ++」とありければ、聖「さまあしく候。今はさて」といふを、あ やにくにさすりふせける程に、毛の中より松茸の大きやかなる物の、ふら++ と出できて、腹にすは++とうちつけたり。中納言をはじめて、そこらつどひ たる者ども、諸聲に笑ふ。聖も、手をうちて、臥まろび笑ひけり。はやう、ま めやか物を下のふくろへひねりいれて、續飯にて毛をとりつけて、さりげなく して人をはかりて物を乞はんとしたりける也。 △狂惑の法師にてありける。 七 龍門聖鹿にかはらんとす〔る事〕△卷一ノ七 △大和國に龍門といふ所に、聖ありけり。住ける所を名にて、龍門の聖とぞい ひける。その聖の親しくしりたりける男の、明暮鹿をころしけるに、照射と いふことをしける比、いみじうくらかりける夜、照射にいでにけり。 △鹿をもとめありく程に、目をあはせたりければ、「鹿有けり」とて、おしま はし+ するに、たしかに目をあはせたり。矢比にまはし取て、ほぐしに引か けて、矢をはげて射むとて、弓ふりたて見るに、此鹿の目の間の、例の鹿の目 のあはひよりも近くて、目の色もかはりたりければ、あやしと思て、弓を引さ して能見けるに、猶あやしかりければ、箭をはづして、火とりて見るに、鹿の 目にはあらぬ也けりと見て、おきばおきよと思て、近くまはしよせて見れば、 身は一ぢやうの皮にてあり。「なほ鹿なり」とて、又射むとするに、なほ目のあ らざりければ、只打に打ちよせて見るに、法師の頭にみなしつ。こはいかにと 見て、おり走て火打吹て、しひをりとて見れば、此聖目打たゝきて、鹿のかは を引かづきてそひふし給へり。 △「こはいかに、かくてはおはしますぞ」といへば、ほろ++と泣きて、「わ ぬしがせいする事をきかず、いたく此鹿をころす。我鹿にかはりてころされな ば、さりともすこしはとゞまりなんと思へば、かくて射られんとして居るなり。 口惜しう射ざりつ」とのたまふに、この男、ふしまろび泣きて、「かくまでおぼ しけることを、あながちにし侍ける事」とて、そこにて、刀をぬきて、弓たち きり、やなぐひみな折りくだきて、もとゞりきりて、やがて聖に具して法師に なりて、聖のおはしけるがかぎり、聖につかはれて、聖失せ給ければ、又そ こにぞおこなひてゐたりけるとなん。 八 易の占金取出事△卷一ノ八 △旅人のやどもとめけるに、大きやかなる家のあばれたるがありけるに、「や」 とよりて、「こゝこにやどし給てんや」といへば、女ごゑにて、「よき事。やどり 給へ」といへば、みなおり居にけり。屋おほきなれども、人のありげもなし。 たゞ女一人ぞあるけはひしける。 △かくて夜明にければ、物食ひしたゝめて、出てゆくを、この家にある女、出 できて、「え出でおはせじ。とゞまり給へ」といふ。「こはいかに」と問へば、 「おのれが金千兩を負ひ給へり。其わきまへしてこそ出で給はめ」といへば、 この旅人從者ども、笑ひて、「あらじや、讒なめり」といへば、此旅人「しば し」と云て、又おりゐて、皮子をこひよせて、幕引めぐらして、しばしばかり 有て、この女をよびければ、出できにけり。 △旅人問ふやうは、「この親は、もし易のうらといふ事やせられし」と問へば、 「いさ、さ侍けん。そのし給やうなる事はし給き」といへば、「さるなる」と いひて、「さても何事にて、千兩の金負ひたる、其わきまへせよとは云ぞ」と 問へば、「おのれが親の失侍し折に、世中にあるべき程の物などえさせ置きて、 申しやう、「いまなん十年ありて、その月に、爰に旅人來てやどらんとす。そ の人は、我金を千兩負ひたる人なり。それにその金をこひて、たへがたから む折は、賣りてすぎよ」と申かば、今までは、親のえさせて侍し物を、すこ しづゝも賣り使ひて、ことしとなりては、賣るべき物も侍らぬまゝに、いつし か、我親のいひし月日の、とく來かしと待侍つるに、けふにあたりて、おはし てやどり給へれば、金負ひ給へる人なりと思て申なり」といへば、「金の事は まことなり。さることあるらん」とて、女をかたすみに引てゆきて、人にも知 らせで、柱をたゝかすれば、うつほなる聲のする所を、「くは、これが中に、 のたまふ金はあるぞ。あけて、すこしづゝとり出でて、つかひ給へ」と教へて、 出でていにけり。 △この女の親の、易のうらの上手にて、この女のありさまを勘けるに、いま十 年ありて、まづしくならむとす、その月日、易のうらなひする男來て、やどら むずると勘へて、かゝる金あるとつげては、まだしきに取出て、使ひうしなひ ては、貧ならむ程に、使ふ物なくてまどひなむと思て、しかいひ教へ、死ける 後にも、この家をも賣りうしなはずして、けふをまちつけて、この人をかくせ めければ、是も易のうらなひする者にて、心をえて、うらなひ出だして教へ出 ていにけるなりけり。 △易のうらは、ゆくすゑを、掌の中のやうにさして、知る事にてありけるなり。 九 宇治殿倒れさせ給て實相房僧正驗者に召事△卷一ノ九 △是も今は昔、高陽院つくらるゝ間、宇治殿、御騎馬にてわたらせ給あひだ、 倒れさせ給て、心ちたがはせ給。心譽僧正に祈られむとて、召につかはす程に、 いまだ參らざるさきに、女房のつぼねなる女に、物つきて申ていはく、「別のこ とにあらず。きと、目見いれ奉るによりて、かくおはしますなり。僧正參〔ら〕 れざるさきに、護法さきだちて參りて、追ひはらひさぶらへば、逃をはりぬ」 とこそ申けれ。則、よくならせ給にけり。 △心譽僧正いみじかりぬること。 一〇 秦兼久向通俊卿許悪口事△卷一ノ一〇 △今は昔、治部卿通俊卿、後拾遺をえらばれけるとき、秦兼久、ゆきむかひて、 おのづから歌などや入ると思て、うかゞひけるに、治部卿、出でゐて物語して 「いかなる歌か詠みたる」といはれければ、「はか※※しき候はず。後三條院 かくれさせ給てのち、圓宗寺に參りて候しに、花の匂ひはむかしにもかはらず 侍しかば、つかうまつりて候しなり」とて、 △△「こぞ見しに色もかはらずさきにけり花こそ物はおもはざりけれ とこそ、仕うまつりて候しか」といひければ、通俊の卿、「よろしく詠みたり。 ただし、けれ、けり、けるなどいふ事は、いとしもなきことばなり。それはさ ることにて、花こそといふ文字こそ、女のわらはなどの名にしつべけれ」とて、 いともほめられざりければ、言葉すくなにて立ちて、侍共ありける所に、「此 殿は、大かた歌の有さま知り給はぬにこそ。かゝる人の、撰集承りておはする は、あさましき事かな。四條大納言歌に、 △△春きてぞ人もとひける山里は花こそやどのあるじなりけれ と詠み給へるは、めでたき歌とて、世の人口にのりて申めるは。その歌に、人 もとひけるとあり、又、やどのあるじなりけれ、とあめるは。花こそといひた るは、それにはおなじさまなるに、いかなれば、四條大納言のはめでたく、兼 久がはわろかるべきぞ。かゝる人の撰集うけたまはりてえらび給、あさましき 事なり」といひて、出でにけり。 △侍、通俊のもとへゆきて、「兼久こそ、かう++申て出でぬれ」と語ければ、 治部卿、うちうなづきて、「さりけり++。物ないひそ」といはれけり。 一一 源大納言雅俊一生不犯金打せたる事△卷一ノ一一 △是も今は昔、京極の源大納言雅俊といふ人おはしけり。佛事をせられけるに、 佛前にて僧に鐘を打せて、一生不犯なるをえらびて、講を行はれけるに、ある 僧の、禮盤にのぼりて、すこしかほげしき違ひたるやうになりて、鐘木をとり てふりまはして、打ちもやらで、しばしばかりありければ、大納言、いかにと 思はれける程に、やゝ久しくものもいはで有ければ、人どもおぼつかなく思け る程に、この僧、わなゝきたるこゑにて、「かはつるみはいかゞ候べき」とい ひたるに、諸人、おとがひをはなちてわらひたるに、一人の侍有て、「かはつ るみは、いくつばかりにてさぶらひしぞ」と問ひたるに、この僧、首をひねり て、「きと、よべもしてさぶらひき」と云に、大かたどよみあへり。そのまぎ れに、はやう逃にけりとぞ。 一二 兒のかいもちするに空寢したる事△卷一ノ一二 △是も今は昔、比叡の山に兒ありけり。僧たち、宵のつれ※※に、「いざ、かい もちひせん」といひけるを、此兒、心よせに聞きけり。さりとて、し出ださん を待ちて寢ざらんもわろかりなんと思て、片方によりて、寢たるよしにて、出 でくるを待ちけるに、すでにし出だしたるさまにて、ひしめきあひたり。 △この兒、定ておどろかさむずらんと、待ちゐたるに、僧の、「もの申さぶらは ん。おどろかせ給へ」といふを、うれしとは思へども、たゞ一度にいらへんも、 待ちけるかともぞ思ふとて、いま一こゑよばれていらへんと、念じて寢たる程 に、「や、なおこし奉りそ。をさなき人は、寢いり給にけり」といふこゑのし ければ、あな、わびしと思ひて、今一度おこせかしと、思ひ寢に聞けば、ひし ++と、たゞ食ひに食ふ音のしければ、すべなくて、無期ののちに、「えい」 といらへたりければ、僧達笑ふ事かぎりなし。 一三 田舍兒櫻散〔を〕みて泣事△卷一ノ一三 △是も今は昔、田舍の兒の比叡の山へ登りたりけるが、櫻のめでたくさきたり けるに、風のはげしく吹けるをみて、この兒さめ※※と泣きけるをみて、僧の やはらよりて、「などかうは泣かせ給ふぞ。此花の散を惜しうおぼえさせ給か。 櫻ははかなき物にて、かく程なくうつろひ候なり。されども、さのみぞさぶら ふ」となぐさめければ、「櫻の散らむは、あながちにいかゞせん、くるしから ず。我父の作たるむぎの花の散りて、みのいらざらん思ふがわびしき」とい ひて、さくりあげて、よゝと泣きければ、うたてしやな。 一四 小藤太聟におどさる〔る事〕△卷一ノ一四 △これも今は昔、源大納言定房といひける人のもとに、小藤太と云侍ありけり。 やがて女にあひ具してぞありける。むすめも女にて仕れけり。この小藤太は、 殿の沙汰をしければ、三とほり四とほりに、ゐひろげてぞありける。此女の女 房に、なまりやうけしの通ける有けり。宵に忍びて局へいりにけり。曉より 雨ふりて、え歸らで臥したりけり。 △此女の女房は、うへへのぼりにけり。この聟の君、屏風を立まはしてねたり ける。春雨いつとなくふりて、歸べきやうもなく臥したりけるに、此しうとの 小藤太、此聟の君つれ※※にておはすらん〔とて〕、さかな折敷にすゑて持て、 今かた手に提に酒を入て、縁より入らんは人見つべしと思ひて、おくの方より、 さりげなくてもてゆくに、此聟の君は、きぬを引かづきて、のけざまに臥した りけり。この女房のとくおりよかしと、つれ※※に思て臥たりける程に、奧の かたより遣戸を明ければ、うたがひなく、この女房のうへよりおるゝぞと思て、 きぬをば顏にかづきながら、あの物をかき出して、腹をそらして、けし++と おこしければ、小藤太、おびえて、なけされかへりける程に、さかなも打ちら し、酒もさながら打こぼして、大鬚をさゝげて、のけざまに臥して倒れたり。 かしらをあらう打ちて、まくれ入りて臥せりけりとか。 一五 大童子鮭ぬすみたる事△卷一ノ一五 △是も今は昔、越後國より鮭を馬におふせて、廿駄斗、粟田口より京へ追ひい れけり。それに粟口の鍛冶がゐたる程に、いたゞきはげたる大童子の、まみ しぐれて、ものむつかしう、おもらかにも見えぬが、此鮭の馬の中に走りいり にけり。道はせばくて、馬何かとひしめきけるあひだ、此大童子、走りそひて、 鮭を二つひきぬきて、ふところへひきいれてんげり。さてさりげなくて走りさ き立けるを、此鮭に具したる男見てけり。走りさき立ちて、童のたてくびをと りて、ひきとゞめて云樣、「わ先生は、いかで此鮭をぬすむぞ」といひければ、 大童子「さることなし。何を證據にて、かうはのたまふぞ。わ主がとりて此童 におふするなり」と云。かくひしめく程に、のぼりくだるもの、市をなして、 ゆきもやらで見あひたり。さる程に、此鮭の綱丁「まさしく、わ先生とりて、 ふところに引いれつ」といふ。大童子は又、「わ主こそ、ぬすみつれ」といふ 時に、此鮭につきたる男「せむずる所、我も人もふところを見ん」と云。大童 子「さまでやはあるべき」などいふ程に、この男、袴をぬぎて、ふところをひ ろげて、「くは、見給へ」といひて、ひし++とす。 △さてこの男、大童子につかみつきて、「和先生、はや物ぬぎ給へ」といへば、 童「さまあしとよ。さまであるべき事か」と云を、この男、たゞぬがせにぬ がせて、前をひき明たるに、腰に鮭を二つ、腹にそへてさしたり。男、「くは ++」といひて、引出したるときに、此大童子、打見て、「あはれ、もつたいな き主哉。こがやうに、はだかになしてあさらんには、いかなる女御、后なり とも、腰に鮭の一二尺なきやうはありなんや」といひければ、そこらたちどま りて見ける者共、一度に「はつ」と笑ひけるとか。 一六 尼地藏見奉る事△卷一ノ一六 △今は昔、丹後國に老尼ありけり。地藏菩薩は曉ごとに歩き給ふといふことを、 ほのかにきゝて、曉ごとに、地藏見奉らんとて、ひと世界まどひありくに、博 打の打ほうけてゐたるが見て、「尼君は、寒きになにわざし給ぞ」といへば、 「地藏菩薩の曉にありき給なるに、あひ參らせんとて、かくありくなり」とい へば、「地藏のありかせ給ふみちは、我こそ知りたれば、いざ給へ、あはせ參 らせん」といへば、「あはれ、うれしき事哉。地藏のありかせ給はむ所へ、わ れを率ておはせよ」といへば、「われに物をえさせ給へ。やがて率て奉らん」と 云ければ、「此着たるきぬ奉らん」といへば、「いざ給へ」とて、隣なる所へ 率てゆく。 △尼悦ていそぎゆくに、そこの子に、ぢざうと云童ありけるを、それが親を 知りたりけるによりて、「ぢざうは」と問ひければ、親「あそびにいぬ。いま 来なん」といへば、「くは、こゝなり。ぢざうのおはします所は」といへば、 尼、うれしくて、つむぎのきぬを、ぬぎてとらすれば、博打は、いそぎてとり ていぬ。 △尼は、地藏見參らせんとてゐたれば、親共は、心得ず、など此童を見むと思 ふらんと思ふ程に、十斗なる童の来るを、「くは、ぢざう」といへば、尼、見る まゝに是非もしらず、臥まろびて、おがみ入て、つちにうつぶしたり。童、ず はえをもてあそびけるまゝに、来たりけるが、そのずはえして、手すさびのや うに、額をかけば、額よりかほのうへまでさけぬ。さけたる中より、えもいは ずめでたき地藏の御顏見え給。尼おがみ入て、うち見あげたれば、かくてたち 給へれば、涙をながしておがみ入參らせて、やがて極樂へ參りけり。 △されば心にだにもふかく念じつれば、佛も見え給なりけりと信ずべし。 一七 修行者百鬼夜行にあふ事△卷一ノ一七 今は昔、修行者のありけるが、津の國までいきたりけるに、日暮て、りうせ ん寺とて、大なる寺のふりたるが、人もなきありけり。これは人やどらぬとこ ろといへども、そのあたりに、又やどるべき所なかりければ、いかゞせんと思 ひて、笈打おろして、内に入てけり。 △不動の咒をとなへてゐたるに、夜中斗にやなりぬらんと思ふほどに、人々の 聲あまたして來る音す也。見れば、手ごとに火をともして、百人ばかり、此堂 の内に來集ひたり。ちかくて見れば、目一つきたりなどさま※※なり。人にも あらず、あさましき物どもなりけり。あるひは角おひたり。頭もえもいはずお そろしげなる者ども也。おそろしと思へども、すべきやうもなくてゐたれば、 おの++みなゐぬ。ひとりぞ、又所もなくて、えゐずして、火を打ふりて、わ れをつら++と見て云やう、「我ゐるべき座に、あたらしき不動尊こそ居給たれ。 今夜ばかりは外におはせ」とて、片手して、われを引さげて、堂のえんの下に 据ゑつ。さる程に、「曉になりぬ」とて、此人々のゝしりて歸ぬ。 △誠にあさましくおそろしかりける所かな、とく夜の明よかし、いなんと思ふ に、からうじて夜明たり。打見まはしたれば、ありし寺もなし。はる※※とあ る野の來し方も見えず。人のふみわけたる道も見えず。行べきかたもなければ、 淺ましと思てゐたる程に、まれ++、馬に乘たる人どもの、人あまた具して出で きたり。 △いとうれしくて、「こゝはいづくとか申候」と問へば、「などかくは問給ぞ。 肥前國ぞかし」といへば、あさましきわざかなと思て、ことのさま、くはしく いへば、この馬なる人も、「いと希有の事かな。肥前の國にとりても、これは奧 の郡なり。これは御館へ參るなり」といへば、修行者、悦て、「道も知り候は ぬに、さらば道までも參らん」といひていきければ、これより京へ行べき道な ど教へければ、ふね尋て京へのぼりにけり。 △さて人どもに、「かゝるあさましき事こそありしか。津の國の、りうせんじ と云寺にやどりたりしを、鬼どもの來て、「所せばし」とて、「あたらしき不動 尊、しばし雨だりにおはしませ」といひて、かきいだきて、雨だりについ据ゆ と思しに、肥前の國の奧の郡にこそ居たりしか。かゝるあさましき事にこそあ ひたりしか」とぞ、京に來てかたりけるとぞ。 一八 利仁芋粥事△卷一ノ一八 △今は昔、利仁の將軍のわかゝりけるとき、其時の一の人の御もとに恪勤して 候けるに、正月に大饗せられけるに、そのかみは、大饗はてて、とりばみと云 ものを、拂ひて入れずして、大饗のおろし米とて、給仕したる恪勤の者どもの 食けるなり。その所に、年比になりて、きうじたる者の中にはところえたる五 位ありけり。そのおろし米の座にて、芋粥すすりて、舌打ちをして、「あはれ、 いかで芋粥にあかむ」と云ければ、利仁、これを聞きて、「大夫殿、いまだ芋 粥にあかせ給はずや」と問ふ。五位「いまだあき侍らず」といへば、「あかせ 奉りてんかし」といへば、「かしこく侍らん」とてやみぬ。 △さて四五日ばかりありて、曹司住みにてありけるところへ、利仁きていふや う、「いざさせ給へ、湯あみに。大夫殿」といへば、「いとかしこき事かな。こ よひ身のかゆく侍つるに。乘物こそは侍らね」といへば、「こゝにあやしの馬 具してはべり」といへば、「あなうれし+ 」といひて、うすわたのきぬ二ば かりに、青鈍の指貫のすそ破れたるに、おなじ色の狩衣の、肩すこしおちたる に、したの袴も着ず。鼻だかなるものの、さきはあかみて、あなのあたりぬれ ばみたるは、すゝ鼻をのごはぬなめりと見ゆ。狩衣のうしろは、おびに引ゆが められたるまゝに、ひきもつくろはねば、いみじう見ぐるし。をかしけれども、 先にたてて、われも人も馬に乘て、川原ざまに打いでぬ。五位の供には、あや しの童だになし。利仁が供には、調度懸、舍人、雜色ひとりぞありける。川原 うちすぎて、粟田口にかゝるに、「いづくへぞ」と問へば、たゞ、「こゝぞ+ 」 とて、山科も過ぬ。「こはいかに、こゝぞ+ とて、山科も過しつるは」とい へば、「あしこ+ 」とて、關山も過ぎぬ。「爰ぞ+ 」とて、三井寺に、しり たる僧のもとにいきたれば、こゝに湯わかすかと思ふだにも、物ぐるほしう遠 かりけりと思に、こゝにも、湯ありげもなし。「いづら、湯は」といへば、「ま ことは、敦賀へ、率て奉る也」といへば、「物ぐるほしうおはしける。京にて、 さとのたまはましかば、下人なども、具すべかりけるを」といへば、利仁、あ ざわらひて、「利仁ひとり侍らば、千人とおぼせ」といふ。かくて、物など食て、 いそぎいでぬ。そこにて、利仁やなぐひとりて負ひける。 △かくてゆく程に、みつの濱に、狐の一、はしり出でたるを見て、「よき使出來 たり」とて、利仁、狐をおしかくれば、狐、身をなげて逃れども、追ひせめら れて、え逃げず。おちかかりて、狐の後足をとりて引あげつ。乘たる馬、いと かしこしとも見えざりつれども、いみじき逸物にてありければ、いくばくもの ばさずして、とらへたる所に、この五位走らせて行つきたれば、狐を引あげて、 云やうは、「わ狐、こよひのうちに、利仁が家の敦賀にまかりていはむやうは、 「俄に客人を具し奉りてくだる也。あすの巳のときに、高嶋邊に、をのこども、 むかへに、馬に鞍おきて二ひき具して、まうで來」といへ。もしいはぬ物なら ば、わ狐、たゞ試よ。狐は變化あるものなれば、けふの内に行つきていへ」と て、はなてば、「荒涼の使かな」と云。「よし御らんぜよ。まからでは世にあら じ」といふに、はやく狐、見返し+ して、前に走り行。「よくまかるめり」 と云にあはせて、走先立てうせぬ。 △かくて、其夜は道にとまりて、つとめてとく出て行程に、まことに、巳の時 斗に、三十騎ばかりよりてくるあり。何にかあらんと見るに、「をのこどもま うで來たり」といへば、「不定のことかな」といふ程に、唯近に近くなりて、は ら++とおるゝ程に、「これ見よ。誠におはしたるは」といへば、利仁、うち ほゝゑみて、「何事ぞ」と問ふ。おとなしき郎等、すゝみ來て、「希有の事の候 つるなり」といふ。まづ、「馬はありや」といへば、「二ひきさぶらふ」といふ。 食物などして來ければ、そのほどにおりゐて、食ふついでに、おとなしき郎等 のいふやう、「夜部、希有のことのさぶらひし也。戌の時ばかりに、臺盤所の、 胸をきりにきりてやませ給しかば、いかなることにかとて、俄に僧めさむなど、 さわがせ給し程に、てづから仰せさぶらふやう、「何かさわがせ給。をのれは 狐也。べちのことなし。この五日、みつの濱にて、殿のくだらせ給つるにあひ 奉りたりつるに、逃げつれど、え逃げで、とらへられ奉たりつるに、「けふのう ちに、わが家に行きつきて、客人具し奉りてなんくだる。あす、巳の時に、馬 二に鞍置きて具して、をのこども高嶋の津に參りあへといへ。もしけふのうち に行きつきていはずば、からきめ見せむずるぞ」と仰られつるなり、をのこど も、とく++出立て參れ。おそく參らば、われは勘當蒙なん」と、おぢさわ がせ給つれば、をのこ共に召仰さぶらひつれば、例ざまにならせ給にき。其の ち鳥とともに參りさぶらひつる也」といへば、利仁、うちゑみて、五位に見 合すれば、五位あさましと思たり。物など食ひはてて、いそぎたちて、くら ※※に行つきぬ。「これ見よ。誠なりけり」と、あさみあひたり。 △五位は馬よりおりて、家のさまを見るに、にぎははしくめでたきこと、物に もにず。もときたる衣二がうへに、利仁が宿衣をきせたれども、身の中しすき たるべければ、いみじう寒げに思たるに、ながすびつに火を多うおこしたり。 疊あつらかにしきて、くだ物食物しまうけて、たのしくおぼゆるに、「道の程、 寒くおはしつらん」とて、ねり色の衣の、綿あつらかなる、三ひきかさねても てきて、うちおほひたるに、たのしとはおろかなり。物食ひなどして、ことし づまりたるに、しうとの有仁、出きていふやう、「こはいかで、かくはわたらせ 給へるに、これにあはせて、御使のさま物ぐるほしうて、うへ、俄にやませ奉 り給ふ、希有の事也」といへば、利仁、うち笑ひて、「物の心みんと思ひてした りつる事を、誠にまうできて、つげて侍るにこそあなれ」といへば、しうとも 笑ひて、「希有の事也」といふ。「具し奉らせ給つらん人は、このおはします殿 の御事か」といへば、「さに侍り。「芋粥にいまだ飽かず」と仰らるれば、飽か せたてまつらんとて、率てたてまつりにたる」といへば、「やすきものにも、 え飽かせ給はざりけるかな」とて、たはぶるれば、五位「東山に湯わかしたり とて、人をはかり出で、かくのたまふなり」など、いひたはぶれて、夜すこし ふけぬれば、しうとも入りぬ。 △寢所とおぼしき所に、五位入てねんとするに、綿四五寸斗ある宿衣あり。わ がもとの薄綿は、むつかしう、何のあるにか、かゆき所もいでくる衣なればぬ ぎ置きて、ねり色の衣三がうへに、このとのゐ物ひき着ては臥したる心、いま だならはぬに氣もあげつべし。あせ水にて臥たるに、又かたはらに人のはたら けば、「たそ」と問へば、「「御あし給へ」と候へば參りつるなり」といふ。け はひにくからねば、かきふせて、風のすく所に臥せたり。 △かゝる程に、物たかくいふ聲す。何事ぞと聞けば、をのこのさけびていふや う、「この邊の下人うけたまはれ。あすの卯のときに、きりくち三寸、ながさ五 尺の芋、おの++一すぢづゝもて參れ」といふなりけり。あさましうおほのか にもいふものかなと、聞きてねいりぬ。 △曉がたに聞けば、庭に莚しく音のするを、なにわざするにかあらんと聞くに、 こやたうばんよりはじめて、起たちてゐたるほどに、蔀明たるに、見れば長 むしろをぞ四五枚しきたる。何の料にかあらんと見るほどに、げす男の、木の やうなる物を、肩にうちかけてきて、一すぢ置きていぬ。その後、うち續きも てきつゝ置くを見れば、誠にくち三寸ばかりなるを、一すぢづゝもてきて置く とすれど、巳のときまで置きければ、ゐたる屋とひとしく置きなしつ。夜部さ けびしは、はやうその邊にある下人の限りに物いひきかすとて、人よびの岡と てある塚のうへにていふなりけり。たゞその聲の及ぶかぎりのめぐりの下人の かぎりもて來るにだに、さばかりおほかり。まして、たちのきたる從者共のお ほさを思ひやるべし。あさましと見たる程に、五石なはの釜を五六舁きもてき て、庭にくひどもうちて、据ゑわたしたり。何の料ぞと見るほどに、しぼぎぬ のあをといふ物着て、帶して、わかやかにきたなげなき女共の、しろくあたら しき桶に水をいれて、此釜どもにさく++と入る。なにぞ、湯わかすかと見れ ば、この水と見るは、みせんなりけり。わかきをのこどもの、たもとより手い だしたる、うすらかなる刀の、ながやかなるもたるが、十餘人ばかりいできて、 此芋をむきつゝ、すきぎりにきれば、はやく芋粥煮るなりけりと見るに、食ふ べき心地もせず。かへりてはうとましくなりにけり。 △さら++とかへらかして、「芋粥いでまうできにたり」と云。「參らせよ」と て、先、大なるかはらけ具して、かねの提の一斗ばかり入りぬべきに、三四に 入て、「かつ」とてもてきたるに、飽きて一もりをだにえ食はず。「飽きにたり」 といへば、いみじう笑ひて、あつまりてゐて、「まらうど殿の御徳に芋粥食ひ つ」といひあへり。かやうにする程に、むかひの長屋ののきに、狐のさしのぞ きてゐたるを、利仁見つけて、「かれ御らんぜよ。候し狐の見參するを」とて、 「かれに物食はせよ」といひければ、食はするに、うち食ひてけり。 △かくてよろづのこと、たのもしといへばおろかなり。一月ばかりありてのぼ りけるに、けおさめの裝束どもあまたくだり、又たゞの八丈、綿、きぬなど、 皮子共にいれてとらせ、はじめの夜のとのゐ物、はたさらなり。馬にくら置き ながらとらせてこそ送りけれ。 △きう者なれども、所につけて年比になりてゆるされたる者は、さる者のおの づから有也けり。 一九 清徳聖奇特の事△卷二ノ一 △今は昔、せいとく聖と云聖のありけるが、母の死したりければ、ひつぎにう ちいれて、たゞひとり愛宕の山にもて行て、大なる石を四のすみに置きて、そ のうへに此ひつぎをうち置きて、千手陀羅尼を片時やすむときもなく、打寢る こともせず、物も食はず、湯水も飮まで、聲絶えもせず誦し奉りて、此ひつぎ をめぐること三年になりぬ。 △其としの春、夢となくうつゝともなく、ほのかに母の聲にて「此陀羅尼を、 かくよるひるよみ給へば、我ははやく男子となりて、天に生れにしかども、お なじくは佛になりてつげ申さんとて、今までは、つげ申さざりつるぞ。今は佛 になりてつげ申也」といふときこゆる時、さ思ひつること也、今ははやうなり 給ぬらんとて、とり出て、そこもやきて、骨とりあつめて埋みて、うへに石の 卒塔婆などたてて、例のやうにして、京へいづる道々、西の京になぎいと多生 ひたる所あり。 △此聖、困じて、物いと欲しかりければ、道すがら、折りて食程に、ぬしの男、 いできて見れば、いと貴げなる聖の、かくすゞろに折食へば、あさましと思 て、「いかにかくはめすぞ」といふ。聖「困じてくるしきまゝに食ふなり」と云 時に、「さらば、參りぬべくは、いま少も、召さまほしからんほど召せ」とい へば、三十すぢばかり、むず++と折り食ふ。このなぎは、三町ばかりぞ植ゑ たりけるに、かく食へば、いとあさましく、食はむやうも見まほしくて、「め しつべくは、いくらもめせ」といへば、「あな貴と」とて、うちゐざり+ 折つ ゝ、三町をさながら食つ。ぬしの男、あさましう物食ひつべき聖哉と思て、 「しばしゐさせ給へ。物してめさせん」とて、白米一石取出て、飯にして食は せたれば、「とし比、物も食はで困じたるに」とて、みな食ひ出て去ぬ。 △此男、いとあさましと思ひて、これを人に語りけるを聞きつゝ、坊城の右の 大殿に人のかたり參らせければ、いかでか、さはあらん、心得ぬことかな、よ びて物食はせてみんとおぼして、「結縁のために物參らせてみん」とて、よばせ 給ひければ、いみじげなる聖歩參る。その尻に、餓鬼、畜生、虎、おほかみ、 犬、馬、數萬の鳥獸など、千萬と歩みつゞきて來けるを、こと人の目におほか たえ見ず。唯聖一人〔と〕のみ見けるに、此おとゞ、見つけ給て、さればこそ、 いみじき聖にこそありけれ、めでたしとおぼえて、白米十石をおものにして、 あたらしき莚こもに、折敷、桶、櫃などにいれて、いく++と置きて食はせさ せ給ひければ、しりにたちたるもの共に食はすれば、あつまりて手をさゝげ、 みな食ひつ。聖は露食はで、よろこびて出ぬ。さればこそ、たゞ人にはあらざ りけり、佛などの變じて歩き給にやとおぼしけり。こと人の目には、た〔だ〕 聖ひとりして食ふとのみ見えければ、いとゞあさましきことに思けり。 △さて出てゆく程に、四條の北なる小路にゑどをまる。このしりに具したるも の、しちらしたれば、たゞ墨のやうに黒きゑどを、ひまもなく、はる※※とし ちらしたれば、下すなどもきたながりて、その小路を、くその小路とつけたり けるを、帝、聞かせ給て、「その四條の南をば何といふ」といはせ給ければ、 「綾の小路となん申」と申ければ、「さらば、これをば錦の小路といへかし。 餘りきたなきなり」など仰られけるよりしてぞ、錦の小路とはいひける。 二〇 靜觀僧正祈雨法驗事△卷二ノ二 △今は昔、延喜の御時旱魃したりけり。六十人の貴僧をめして、大般若經よま しめ給けるに、僧ども黒煙をたてて、しるしあらはさむと祈けれども、いたく のみ晴れまさりて、日つよく照ければ、御門を始て、大臣公卿、百姓人民、此 一事より外のなげきなかりけり。藏人頭をめしよせて、靜觀僧正におほせ下 さるゝやう、「ことさらおぼしめさるゝやう有。かくのごと、方々に御祈ども させるしるしなし。座をたちて、別に壁のもとにたちて祈れ。おぼしめすやう あれば、とり分仰つくるなり」と、おほせ下されければ、靜觀僧正、そのと きは律師にて、上に僧都、僧正、上臈どもおはしけれども、面目かぎりなくて、 南殿の御階より下りて、屏のもとに北向にたちて、香爐取くびりて、額に香呂 をあてて祈請し給事、見る人さへくるしく思けり。 △熱日の、しばしもえさし出ぬに、涙をながし、黒煙をたてて祈請し給ければ、 香呂の煙、空へあがりて、扇ばかりの黒雲になる。上達部は南殿にならびゐ、 殿上人は弓場殿に立て見るに、上達部の御前は美福門よりのぞく。かくのごと く見る程に、その雲むらなく大空に引ふたぎて、龍神震動し、電光大千界に みち、車軸のごとくなる雨ふりて、天下たちまちにうるほひ、五穀豐饒にして、 萬木果をむすぶ。見聞の人歸服せずといふなし。帝、大臣、公卿等隨喜して僧 都になし給へり。 △不思議の事なれば、末の世〔の〕物がたりにかくしるせる也。 二一 同僧正大嶽の岩祈り失事△卷二ノ三 △今は昔、靜觀僧正は、西塔の千手院といふ所に住給へり。その所は、南に向 て、大嶽をまもる所にて有けり。大嶽の戌亥の方のそひに、おほきなる巖あり。 その岩の有さま、龍のくちをあきたるに似たりけり。その岩のすぢにむかひて 住ける僧共、命もろくして多死にけり。しばらくは、いかにして死ぬるやらん と、心もえざりける程に、「此いはのある故ぞ」といひたちにけり。此いはを、 毒龍の巖とぞ名づけたりける。これによりて、西塔のありさま、たゞあれにの みあれまさりけり。此千手院にも、人多死にければ、住みわづらひけり。この いはほを見るに、誠に龍の大口を明たるに似たり。人のいふ事はげにもさあり けりと、僧正思ひ給て、この岩のかたに向て、七日七夜加持し給ければ、七日 と云夜半斗に、空くもり、震動する事おびたゝし。大嶽に黒雲懸て見えず。し ばらくありて、空晴ぬ。夜明、大嶽を見れば、毒龍巖くだけて散うせにけり。 それより後、西塔に人住みけれども、たゝりなかりけり。 △西塔の僧どもは、件の座主をぞ、いまにいたる迄、貴みおがみけるとぞ語り つたへたる。不思議の事也。 二二 金峯山薄打事△卷二ノ四 △今は昔、七條に薄打あり。みたけまうでしけり。參りてかなくづれを行て見 れば、まことの金の樣にてありけり。うれしく思て、件の金を取りて、袖につ ゝみて家にかへりぬ。おろしてみければ、きら++として、まことの金なりけ れば、「ふしぎの事也。此金とれば、神鳴、地震、雨ふりなどして、すこしもえ 取らざんなるに、これはさる事もなし。此後もこの金を取て、世中をすぐべし」 とうれしくて、はかりにかけて見れば、十八兩ぞありける。是を薄に打つに、 七八千枚に打ちつ。是をまろげて、みな買はむ人もがなと思て、しばらくもち たる程に、「檢非違使なる人の、東寺の佛つくらんとて、薄を多く買はむとい ふ」と、つぐるものありけり。悦て、ふところにさしいれて行ぬ。 △「薄や召す」といひければ、「いくらばかりもちたるぞ」と問ひければ、「七 八千枚ばかり候」といひければ、「持て參りたるか」といへば、「候」とて、 ふところより、紙につゝみたるをとりいだしたり。見れば、破れずひろく、色 いみじかりければ、ひろげてかぞへむとて見れば、ちひさき文字にて、金のみ たけ++と、こと※※く書かれたり。心もえで、「此書つけは、何の料の書つけ ぞ」と問へば、薄打「書つけも候はず。なにの料の書つけかは候はむ」といへ ば、「げんにあり。是を見よ」とて見するに、薄打見れば、まことにあり。あさ ましき事かなと思て、くちもえあかず。檢非違使、「これはたゞ事にあらず。樣 有べき」とて、友をよびぐして、金をば看督長にもたせて、薄打具して、大理 の許へ參りぬ。件の事どもをかたり奉れば、別當、驚て、「はやく川原に出行 て問へ」といはれければ、檢非違使共、川原に行いて、よせばし掘りたてて、 身をはたらかさぬやうにはりつけて、七十度のかうじをへければ、せなかは紅 の練單衣を水にぬらして着せたるやうに、みさ++となりてありけるを、重て 獄にいれたりければ、わづかに十日ばかりありて死にけり。薄をば金峯山にか へして、もとの所に置きけると、かたりつたへたり。 それよりして、人おぢて、彌件の金とらむと思ふ人なし。あなおそろし。 二三 用經荒卷事△卷二ノ五 △今は昔、左京の大夫なりける古上達部ありけり。年老て、いみじうふるめか しかりけり。しもわたりなる家に、ありきもせで篭居たりけり。そのつかさの 屬にて、紀用經といふ者有けり。長岡になん住ける。つかさの屬なれば、此 大夫のもとにも來てなんをとづりける。 △この用經、大殿に參りて、贄殿にゐたる程に、淡路の守頼親が、鯛のあら卷 を多くたてまつりたりけるを、贄殿にもて參りたり。贄殿のあづかり、よし ずみに、二卷用經こひとりて、まきにさゝげて置くとて、よしずみに云やう、 「これ、人してとりに奉らん折に、おこせ給へ」といひ置く。心の中に思ける やう、これわがつかさの大夫にたてまつりて、音づり奉らんと思て、これをま 木にさゝげて、左京の大夫のもとにいきてみれば、かんの君、出居にまらう人 二三人ばかり來て、あるじせんとて、地火爐に火おこしなどして、我もとにて 物くはむとするに、はか※※しき魚もなし。鯛、鳥などやうありげ也。 △それに、用經が申やう、「用經がもとにこそ、津の國なる下人の、鯛のあら卷 三つもて、まうで來りつるを、一卷たべこゝろみ侍つるが、えもいはずめでた くさぶらひつれば、今二卷は、けがさで置きてさぶらふ。いそぎてまうでつる に、下人の候はで、もて參り候はざりつるなり。唯今取につかはさんはいかに」 と、聲高く、したりがほに、袖をつくろひて、くち脇かいのごひなどして、は やかりのぞきて申せば、大夫「さるべき物のなきに、いとよき事かな。とくと りにやれ」とのたまふ。まら人どもも、「くふべき物のさぶらはざめるに、九月 ばかりの此なれば、この比鳥のあぢはひいとわろし。鯉はまだいでこず。よき 鯛は、奇異の物なり」などいひあへり。 △用經、馬ひかへたる童をよびとりて、「馬をば御門のわきにつなぎて、たゞい ま走り、大殿に贄殿のあづかりの主に、「その置きつるあらまき、たゞいまおこ せ給へ」とさゝめきて、ときかはさずもて來。ほかによるな。とく走れ」とて やりつ。さて、「俎あらひてもて參れ」と、こゑたかくいひて、やがて、「用經 けふの庖丁は仕らん」と云て、まなばしけづり、さやなる刀ぬいてまうけつゝ、 「あなひさし。いづら、來ぬや」など、心もとながりゐたり。「おそしおそし」 といひゐたる程に、やりつる童、木のえだにあらまき二つゆひつけて、もてき たり。「いとかしこく、あはれ、とぶがごと走りて、まうで來たる童かな」と ほめて、とりて、まな板のうへにうち置きて、ことごとしく、大鯉つくらんや うに、左右の袖つくろひ、くゝりひきゆひ、かた膝たて、今かた膝ふせて、い みじくつき※※しくゐなして、あらまきのなはを押しきりて、刀して藁を押し ひらくに、ほろ++と物どもこぼれておつる物は、ひらあしだ、ふるしきれ、 ふるわらうづ、ふるぐつ、かやうのもののかぎりあるに、用經あきれて、刀 も、まなばしもうち捨て、沓もはきあへず、にげていぬ。 △左京の大夫も、まらうども、あきれて、目も口もあきて居たり。前なる侍ど もも、あさましくて、目を見かはして、居なみゐたる顏ども、いとあやしげな り。ものくひ、酒のみつるあそびも、みなすさまじく成て、ひとりたち、ふた りたち、皆たちていぬ。左京の大夫のいはく、「此をのこをば、かくえもいはぬ 痴物狂とは知りたりつれども、つかさの大夫とて、來むつびつれば、よしとは おもはねど、追ふべき事もあらねば、さと見てあるに、かゝるわざをしてはか らんをば、いかゞすべき。ものあしき人は、はかなきことにつけても、かゝる なり。いかに、世の人聞きつたへて、世のわらひ草にせんずらむ」と、空をあ ふぎて、歎給ことかぎりなし。 △用經は、馬に乘て、はせちらして、殿に參りて、贄殿のあづかり、よしずみ にあひて、「このあらまきをば惜しとおぼさば、おいらかにとり給てはあらで、 かゝること、しいで給へる」と、泣きぬばかりに、恨のゝしることかぎりなし。 よしずみがいはく、「こは、いかにのたまふことぞ。あらまきは奉りて後、あか らさまにやどにまかり出とて、おのがをのこに云やう、「左京の大夫のぬしのも とから、あらまきとりにおこせたらば、、とりて夫にとらせよ」と云置きて、ま かでて、唯今かへり參りて見るに、あらまきなければ、「いづちいぬるぞ」と問 ふに、「しか※※の御つかひ有つれば、のたまはせつるやうに、取てたてまつり つる」といひつれば、「さにこそはあなれ」と、聞きてなん侍る。ことのやうを 知らず」といへば、「さらば、かひなくとも、いひあづけつらんぬしをよびて問 ひ給へ」といへば、男をよびて問はんとするに、出ていにけり。膳部なる男が いふやう、「おのれがへやにいりゐて聞つれば、このわか主たちの、「まきにさ ゝげられたる荒卷こそあれ。こは、たが置きたるぞ。なんの料ぞ」と問ひつれ ば、たれにかありつらん、「左京の屬の主のなり」といひつれば、「さてはこと にもあらず。すべきやうあり」とて、とりおろして、鯛をば、みなきり參りて、 かはりに、ふるしきれ、ひらあしだなどをこそいれて、まきに置かると聞き侍 つれ」とかたれば、用經聞きて、しかりのゝしること、かぎりなし。この聲を 聞きて、人々、いとほしとはいはで、わらひのゝしる。用經しわびて、かくわ らひのゝしられん程はありかじと思ひて、長岡の家にこもりゐたり。 △其後、左京の大夫の家にも、え行かず成にけるとかや。 二四 厚行死人を家より出す事△卷二ノ六 △昔、右近將監下野厚行と云者有けり。競馬によく乘けり。帝王よりはじめ 奉りて、おぼえ殊すぐれたりけり。朱雀院御時より村上帝の御時などは、さか りにいみじき舍人にて、人もゆるし思けり。年たかくなりて、西京に住けり。 △隣なりける人、俄に死けるに、此厚行、とぶらひにゆきて、其子にあひて、 別の間の事どもとぶらひけるに、「この死たる親を出さんに、門あしき方にむか へり。さればとて、さて有べきにあらず。門よりこそ出すべき事にてあれ」と 云を聞きて、厚行が云やう、「あしきかたより出さんこと、殊に然べからず。か つは、あまたの御子達のため、ことにいまはしかるべし。厚行がへだての垣を やぶりて、それより出し奉らん。かつは、生き給たりしとき、ことにふれて、 情のみありし人也。かゝる折だにも、その恩を報じ申さずは、何をもてか報ひ 申さむ」といへば、子共のいふやう、「無爲なる人の家より出さんこと、あるべ きにあらず。忌のかたなりとも、わが門よりこそ出さめ」といへども、「僻事 なし給そ。たゞ、厚行が門より出し奉らん」といひて歸ぬ。 △吾子どもに云やう、「隣のぬしの死たる、いとほしければ、とぶらひに行たり つるに、あの子どもの云やう、「忌のかたなれども、門は一つなれば、これより こそ出さめ」と云つれば、いとほしく思ひて、「中の垣を破て、我門より出し給 へ」といひつる」〔といふ〕に、妻子共きゝて、「不思議の事し給親かな。いみじ き穀だちの聖なりとも、かゝることする人やはあるべき。身思はぬといひなが ら、わが門より隣の死人出す人やある。返々もあるまじきこと也」と、みない ひあへり。厚行「ひがごとないひあひそ。唯厚行がせんやうに、まかせてみ給 へ。物忌し、くすしく忌むやつは、命もみじかく、はか※※しき事なし。たゞ 物忌まぬは、命もながく子孫もさかゆ。いたく物忌、くすしきは人といはず。 恩を思知り、身を忘るゝをこそは人とはいへ。天道も是をぞめぐみ給ふらん。 よしなき事なわびそ」とて、下人どもよびて、中の桧がきを、たゞこぼちにこ ぼちて、それよりぞ出させける。 △さてその事世に聞えて、殿ばらも、あさみほめ給けり。さて其後、九十ばか りまでたもちてぞ死ける。それが子どもにいたるまで、みないのちながくて、 下野氏の子孫は、舍人の中にもおぼえあるとぞ。 二五 鼻長僧事△卷二ノ七 △昔、池の尾に、善珍内供といふ僧住ける。眞言などよく習ひて、年ひさし く行て、貴とかりければ、世の人々、さま※※の祈をせさせければ、身の徳ゆ たかにて、堂も僧坊も、すこしもあれたる所なし。佛供、御燈などもたえず、 折節の僧膳、寺の講演、しげくおこなはせければ、寺中の僧房に、ひまなく僧 も住みにぎはひけり。湯屋には、湯わかさぬ日なく、あみのゝしりけり。又、 そのあたりには、小家どもおほく出きて、里もにぎはひけり。 △さて此内供は、鼻長かりけり。五六寸ばかりなりければ、おとがひよりさが りてぞ見えける。色は赤紫にて、大柑子のはだのやうに、つぶだちてふくれた り。かゆがることかぎりなし。提に湯をかへらかして、折敷を鼻さしいるばか りゑり通して、火のほのほの顏にあたらぬやうにして、其折敷の穴より鼻をさ し出て、提の湯にさしいれて、よく++ゆでて引あげたれば、色はこき紫色 なり。それを、そばざまに臥て、したに物をあてて、人にふますれば、つぶだ ちたる孔ごとに、煙のやうなる物いづ。それをいたくふめば、しろき蟲の孔ご とに指いづるを、毛ぬきにてぬけば、四分ばかりなる白き蟲を、孔ごとにとり いだす。其あとは、孔だにあきて見ゆ。それを、又おなじ湯にいれて、さらめ かしわかすに、ゆづれば鼻ちひさくしぼみあがりて、たゞの人の鼻のやうにな りぬ。又二三日になれば、さきのごとくに、大きになりぬ。 △かくのごとくしつゝ、はれたる日數はおほくありければ、物食ける時は、弟 子の法師に、平なる板の一尺ばかりなるが、ひろさ一寸斗なるを鼻の下にさし 入て、むかひゐて、かみざまへもてあげさせて、物食ひはつるまではありけり。 こと人してもてあげさする折は、あらくもてあげければ、はらをたてて、物も くはず。されば、此法師一人をさだめて、物食ふたびごとに、もて上さす。そ れに、心ちあしくて、この法師いでざりける折に、朝粥食はむとするに、鼻を もてあぐる人なかりければ、「いかにせん」などいふ程に、つかひける童の、 「吾はよくもてあげ參らせてん。さらにその御房にはよもおとらじ」といふを、 弟子の法師きゝて、「この童のかくは申」といへば、中大童子にて、みめもきた なげなく有ければ、うへに召あげて有けるに、この童、鼻もてあげの木をとり て、うるはしく向ゐて、よきほどに、高からず低きからずもたげて、粥をすゝ らすれば、この内供、「いみじき上手にて有けり。例の法師にはまさりたり」 とて、粥をすゝる程に、この童、はなをひんとて、そばざまにむきて鼻をひる ほどに、手ふるひて、鼻もたげの木ゆるぎて、鼻はづれて、粥の中へ、ふたり とうちいれつ。内供が顏にも、童の顏にも、粥とばしりて、ひと物かゝりぬ。 内供、おほきに腹だちて、かしら顏にかかりたる粥を紙にてのごひつゝ、「お のれは、まが++しかりける心もちたる者かな。心なしのかたゐとは、おのれ がやうなる者をいふぞかし。われならぬやごとなき人の御鼻にもこそ參れ。そ れには、かくやはせんずる。うたてなりける、心なしのしれものかな。おのれ、 たて++」とて、追ひたてければ、たつまゝに、「世の人の、かゝる鼻持たるが おはしまさばこそ、はなもたげにも參らめ。をこの事のたまへる御房かな」と 云ければ、弟子共は、物のうしろに逃のきてぞわらひける。 二六 晴明藏人少將封ずる事△卷二ノ八 △昔、晴明、陣に參りたりけるに、さき花やかに追はせて、殿上人の參りける を見れば、藏人の少將とて、まだわかく花やかなる人の、みめ寔に清げにて、 車よりおりて、うちに參りたりける程に、この少將のうへに、烏のとびて通り けるが、ゑどをしかけけるを、晴明、きと見て、あはれ、世にもあひ、年など もわかくて、みめもよき人にこそあんめれ、式にうてけるにか、此烏は式神に こそありけれと思ふに、しかるべくて、此少將の生くべき報やありけん、いと ほしう晴明がおぼえて、少將のそばへあゆみよりて、「御前へ參らせ給か。さか しく申やうなれど、なにか參らせ給。殿は今夜えすぐさせ給はじと、見たてま つるぞ。しかるべくて、おのれには見えさせ給へるなり。いざさせ給へ。物 試む」とて、このひとつ車にのりければ、少將わなゝきて、「あさましき事か な。さらば助給へ」とて、ひとつ車に乘て、少將の里へ出でぬ。申のときばか りの事にてありければ、かく、出でなどしつる程に、日もくれぬ。晴明、少將 をつといだきて、身かためをし、又何事にか、つぶ++と、夜一夜いもねず、 聲だえもせず、よみきかせ加持しけり。 △秋の夜のながきに、よく++したりければ、曉がたに、戸をはた++とたゝ けるに、「あれ、人いだしてきかせ給へ」とて、きかせければ、この少將のあひ 聟にて、藏人の五位のありけるも、おなじ家に、あなたこなたに据ゑたりける が、この少將をば、よき聟とてかしづき、今ひとりをば、ことのほかに思おと したりければ、ねたがりて、陰陽師をかたらひて、式をふせたりけるなり。さ て、其少將は死なんとしけるを、晴明が見つけて、夜一夜祈たりければ、その ふせける陰陽師のもとより、人の來て、たかやかに、「心のまどひけるまゝに、 よしなく、まもりつよかりける人の御ために、仰をそむかじとて、式ふせて、 すでに式神かへりて、おのれ唯今、式にうてて、死侍ぬ。すまじかりける事を して」といひけるを、晴明「是きかせ給へ。夜部見つけ參らせざらましかば、 かやうにこそは候はまし」といひて、その使に人をそへてやりて、きゝければ、 「陰陽師は、やがて死にけり」とぞいひける。式ふせさせける聟をば、しうと、 やがて追ひすてけるとぞ。〔晴明には、なく++悦て、おほくの事どもしても あかずぞ〕よろこびける。 △たれとはおぼえず、大納言迄なり給けるとぞ。 二七 季通わざはひにあはむとする事△卷二ノ九 △昔、駿河前司橘季通といふ者ありき。それが若かりけるとき、さるべき 所なりける女房を、忍びてゆきかよひける程に、そこにありける侍共「なま六 位の、家人にてあらぬが、よひ曉に、此殿へ出入る事わびし。これたてこめて かうぜん」といふことを、あつまりていひあはせけり。 △かゝる事をもしらで、例のことなれば、小舍人童一人具して、局に入りぬ。 童をば、「あかつき迎にこよ」とて、かへしやりつ。此うたむとするをのこ共、 うかゞひまもりければ、「例のぬしきたつて、局に入りぬるは」とつげまはして、 かなたこなたの門どもをさしまはして、かぎとり置きて、侍ども、ひきづゑし て、築地のくづれなどのある所に、立ふたがりてまもりけるを、その局の女の 童、けしきどりて、主の女に、「かゝる事のさぶらふは、いかなることにか 候らん」とつげければ、主の女も聞おどろき、ふたりふしたりけるが起て、 季通も裝束してゐたり。女、うへにのぼりて尋ぬれば、「侍どもの、心あはせて するとはいひながら、主の男も、空しらずしておはする事」と聞えて、すべき やうなくて、局にかへりて、泣き居たり。 △季通、いみじきわざかな、恥を見てんずと思へども、すべきやうなし。女の 童をいだして、「出ていぬべき、すこしのひまやある」と見せけれども、「さや うのひま有所には、四五人づつ、くゝりをあげ、そばをはさみて、太刀をはき、 つえを脇ばさみつゝ、みな立てりければ、出べきやうもなし」といひけり。此 駿河前司は、いみじう力ぞつよかりける。いかゞせん、明ぬとも、この局に篭 ゐてこそは、ひき出でに入こん者と執あひて死なめ。さりとも、夜あけてのち、 吾ぞ人ぞと知りなんのちには、ともかくもえせじ。從者ども呼びにやりてこそ、 いでてもゆかめ、と思たりけり。曉、此童の來て、心も得ず門たゝきなどして、 わが小舍人童と心得られて、とらへしばられやせむずらんと、それぞ不便にお ぼえければ、女の童をいだして、もしや聞きつくると、うかゞひけるをも、侍 共は、はしたなくいひければ、泣きつゝ歸て、かゞまりゐたり。 △かゝる程に、曉方になりぬらんと思ふ程に、此童、いかにしてか入けん、入 りくる音するを、侍、「たそ。其童は」と、けしきどりて問へば、あらくいら へなんずと思ゐたるほどに、「御讀經の僧の童子に侍」となのる。さなのられ て、「とくすぎよ」といふ。かしこくいらへつるものかな、よりきて、例よぶ 女の童の名やよばむずらんと、又それを思居たる程に、よりも來で過ていぬ。 此童も心得てけり、うるせきやつぞかし、さ心得てば、さりとも、たばかる 事あらんずらむと、童の心をしりたれば、たのもしく思ひたるほどに、大路に、 女ごゑして、「ひはぎありて人ころすや」とをめく。それを聞きて、このたてる 侍共「あれからめよや。けしうはあらじ」といひて、みな走りかゝりて、門 をもえ明あへず、くづれより走りいでて、「いづかたへいぬるぞ」、「こなた」、 「かなた」とたづねさわぐほどに、此童のはかることよと思ひければ、馳 出て見るに、門をばさしたれば、門をばうたがはず、くづれのもとに、かたへ はとまりて、とかくいふ程に、門のもとに走りよりて、じやうをねぢてひきぬ きて、あくるまゝに走のきて、築地走りすぐる程にぞ、此童は、走りあひたる。 △具して、三町ばかり走のびて、例のやうにのどかにあゆみて、「いかにしたり つることぞ」といひければ、「門どもの、例ならず、さゝれたるにあはせて、 くづれに、侍どもの立ふたがりて、きびしげに尋ね問ひさぶらひつれば、そこ にては、「御讀經の僧の童子」と名のり侍りつれば、いで侍つるを、それより まかりかへつて、とかくやせましと思ひ給つれども、參りたりと知られたてま つらでは、あしかりぬべくおぼえ侍つれば、聲を聞かれたてまつりて、歸りい でて、この隣なるめらはの、くそまりゐて侍るを、しや頭をとりて打ちふせて、 衣をはぎ侍りつれば、をめき候つる聲につきて、人々出でまうできつれば、今 はさりとも出でさせ給ぬらんと思て、こなたざまに參りあひつるなり」とぞい ひける。 △童子なれども、かしこく、うるせきものは、かゝることをぞしける。 二八 袴垂合保昌事△卷二ノ一〇 △昔、袴垂とて、いみじき盜人の大將軍ありけり。十月ばかりに、衣の用なり ければ、衣すこしまうけむとて、さるべき所々うかゞひありきけるに、夜中ば かりに、人みなしづまりはててのち、月のおぼろなるに、衣あまた着たりける ぬしの、指貫のそばはさみて、絹の狩衣めきたる着て、たゞひとり、笛ふきて、 行もやらずねりゆけば、あはれ、これこそ、われに衣えさせむとて出たる人な めりと思て、走かゝりて、衣をはがむと思ふに、あやしく物のおそろしくおぼ えければ、そひて、二三町ばかりいけども、我に人こそつきたれと思たるけし きもなし。いよ++笛を吹ていけば、試むと思て、足をたかくして走りよりた るに、笛をふきながら見かへりたるけしき、とりかゝるべくもおぼえざりけれ ば、走のきぬ。 △かやうにあまたゝび、とざまかうざまにするに、露ばかりもさわぎたるけし きなし。希有の人かなと思て、十餘町ばかり、具してゆく。さりとてあらん やはと思ひて、刀をぬきて走りかゝりたるときに、そのたび、笛を吹やみて、 たち歸て、「こはなにものぞ」と問ふに、心もうせて、吾にもあらでつい居ら れぬ。又、「いかなる者ぞ」と問へば、今は逃ぐともよも逃さじとおぼえければ、 「ひはぎにさぶらふ」といへば、「何ものぞ」と問へば、「あざな袴垂となんい はれさぶらふ」とこたふれば、「さいふものありと聞くぞ。あやうげに、希有の やつかな」といひて、「ともにまうで來」とばかりいひかけて、又おなじやうに、 笛吹てゆく。 △この人のけしき、今は逃ぐとも、よも逃がさじとおぼえければ、鬼に神とら れたるやうにて、ともに行ほどに、家に行つきぬ。いづこぞと思へば、攝津前 司保昌といふ人なりけり。家のうちによびいれて、綿あつき衣一を給はりて、 「衣の用あらんときは、參りて申せ。心もしらざらん人にとりかゝりて、汝あ やまちすな」とありしこそ、あさましく、むくつけく、おそろしかりしか。い みじかりし人のありさまなり。とらへられて後かたりける。 二九 明衡欲合殃事△卷二ノ一一 △むかし、博士にて大學頭明衡といふ人ありき。若かりける時、さるべき所 に宮仕ける女房をかたらひて、その所に入ふさんこと便なかりければ、そのか たはらに有ける下種の家を借て、「女房かたらひ出してふさん」といひければ、 男あるじはなくて、妻ばかりありけるが、「いとやすき事」とて、おのれがふす 所より外に、ふすべき所のなかりければ、我ふしどころをさりて、女房の局の 疊をとりよせて、ねにけり。家あるじの男、我妻のみそか男するときゝて、 「そのみそか男、こよひなんあはんとかまふる」とつぐる人ありければ、來ん をかまへて殺さんと思て、妻には、「遠く物へ行て、いま四五日歸まじき」とい ひて、そら行きをしてうかゞふ夜にてぞありける。 △家あるじの男、夜ふけてたちぎくに、男女の、忍びて物いふけしきしけり。 さればよ、かくし男きにけりと思て、みそかに入てうかゞひ見るに、わがね 所に、男、女とふしたり。くらければ、たしかにけしき見えず。男のいびきす るかたへ、やをらのぼりて、刀をさかてに拔きもちて、腹の上とおぼしきほど をさぐりて、つかんと思て、腕をもちあげて、突きたてんとする程に、月影の 板まよりもりたりけるに、指貫のくゝり長やかにて、ふと見えければ、それに きと思やう、わが妻のもとには、かやうに指貫きたる人は、よも來じものを、 もし、人たがへしたらんは、いとほしくふびんなるべきことと思て、手をひき かへして、きたる衣などをさぐりける程に、女房、ふとおどろきて、「こゝ に人の音するはたそ」と、忍やかにいふけはひ、わが妻にあらざりければ、さ ればよと思て、居退きける程に、このふしたる男も、おどろきて、「たそ++」 と問ふこゑをきゝて、我妻の、しもなるところにふして、わが男のけしきのあ やしかりつる、それがみそかに來て、人たがへなどするにやとおぼえけるほど に、おどろきさわぎて、「あれはたそ。ぬす人か」など、のゝしるこゑの、わが 妻にてありければ、こと人々のふしたるにこそと思て、はしり出て、妻がもと に行きて、髮をとりてひきふせて、「いかなることぞ」と問ひければ、妻、され ばよと思ひて、「かしこういみじきあやまちすらん。かしこには上臈の、今夜ば かりとて、からせ給つれば、かしたてまつりて、われはやどにこそふしたれ。 希有のわざする男かな」と、のゝしるときにぞ、明衡もおどろきて、「いかな ることぞ」と問ければ、その時に、男、いできていふやう、「おのれは、甲斐殿 の雜色なにがしと申者にて候。一家の君おはしけるを知り奉らで、ほと++あ やまちをなんつかまつるべく候つるに、希有に、御指貫のくゝりを見つけて、 しか※※思給てなん、腕を引きしゞめてよりつる」といひて、いみじうわびける。 △甲斐殿といふ人は、この明衡のいもうとの男なりけり。思かけぬ指貫のくゝ りの徳に、希有の命をこそ生きたりければ、かゝれば、人は忍といひながら、 あやしのところには、たちよるまじきなり。 三〇 唐卒都婆血つく事△卷二ノ一二 △むかし、もろこしに大なる山ありけり。其山のいたゞきに、大なる卒都婆一 たてりけり。その山のふもとの里に、年八十斗なる女の住けるが、日に一度、 其山の嶺にある卒都婆を、かならず見けり。たかく大なる山なれば、ふもとよ り峯へのぼるほど、さがしく、はげしく、道遠かりけるを、雨ふり、雪ふり、 風吹、いかづちなり、しみ氷たるにも、又あつく苦き夏も、一日もかゝず、か ならずのぼりて、この卒都婆を見けり。 △かくするを、人、え知らざりけるに、わかき男ども、童部の、夏あつかりけ る比、峯にのぼりて、卒都婆の許に居つゝ涼みけるに、此女、あせをのごひて、 腰二重なるものの、杖にすがりて、卒都婆のもとにきて、卒都婆をめぐりけれ ば、おがみ奉るかと見れば、卒都婆をうちめぐりては則歸々すること、一 度にもあらず、あまたたび、この涼む男どもに見えにけり。「この女は、なにの 心ありて、かくは苦しきにするにか」と、あやしがりて、「けふ見えば、このこ と問はん」と、いひ合せけるほどに、つねのことなれば、此女、はふ++のぼ りけり。男ども、女にいふやう、「わ女は、なにの心によりて、我らが涼みにく るだに、あつく、苦しく、大事なる道を、涼まんと思ふによりて、のぼりくる だにこそあれ、涼むこともなし、べちにすることもなくて、卒都婆を見めぐる を事にて、日々にのぼりおるゝこそ、あやしき女のわざなれ。此故しらせ給へ」 と云ければ、この女「わかきぬしたちは、げに、あやしと思給らん。かくまう できて、此卒都婆みることは、このごろのことにしも侍らず。物の心知りはじ めてよりのち、この七十餘年、日ごとに、かくのぼりて、卒都婆を見奉るなり」 といへば、「そのことの、あやしく侍也。その故をのたまへ」ととへば、「おの れが親は、百二十にてなん失せ待にし。祖父は、百三十ばかりにてぞ失せ給へ りし。それにまた父祖父などは、二百餘年までぞ生きて侍ける。「その人々の いひ置かれたりける」とて、「この卒都婆に血のつかん折になん、この山は崩れ て、ふかき海となるべき」[と]なん、父の申置かれしかば、ふもとに侍る身な れば、山崩なば、うちおほはれて、死もぞすると思へば、もし血つかば、逃て のかむとて、かく日ごとに見るなり」といへば、この聞く男ども、をこがりあ ざけりて、「おそろしきことかな。崩れんときは、告給へ」など笑けるをも、 我をあざけりていふとも心得ずして、「さらなり。いかでかは、われひとり逃む と思て、告申さざるべき」といひて、歸くだりにけり。 △この男ども「此女は、けふはよも來じ。あす又來てみんに、おどしてはしら せて、笑はん」といひあはせて、血をあやして、卒都婆によくぬりつけて、こ の男ども、歸おりて、里のもの共に、「此ふもとなる女の、日ごとに峯にのぼり て卒都婆みるを、あやしさに問へば、しか※※なんいへば、あすおどして、は しらせんとて、卒都婆に血をぬりつるなり。さぞ崩るらんものや」などいひ笑 ふを、里の者どもきゝ傅て、をこなる事のためしに引、笑けり。 △かくて、又の日、女のぼりて見るに、卒都婆に血のおほらかにつきたりけれ ば、女、うち見るまゝに、色をたがへて、倒れまろび、はしり歸て、さけびいふ やう、「この里の人々、とく逃げのきて命生きよ。この山はたゞいま崩て、深き 海になりなんとす」と、あまねく告げまはして、家に行て、子孫どもに家の具 足ども負ほせ持たせて、おのれも持ちて、手まどひして、里うつりしぬ。これ を見て、血つけし男ども、手うちて笑ひなどする程に、そのことともなく、さ ゞめき、のゝしりあひたり。風の吹くるか、いかづちのなるかと、思あやしむ ほどに、空もつゝやみになりて、あさましくおそろしげにて、この山ゆるぎた ちにけり。「こはいかに+ 」と、のゝしりあひたる程に、たゞ崩れに崩れもて ゆけば、「女はまことしけるものを」などいひて逃げ、逃げえたる者もあれども、 親のゆくへもしらず、子をも失ひ、家の物の具もしらずなどして、をめき、さ けびあひたり。此女ひとりぞ、子孫もひき具して、家の物の具一も失はずして、 かねて逃げのきて、しづかにゐたりける。かくてこの山みな崩れて、ふかき海 となりにければ、これをあざけり笑ひしものどもは、みな死にけり。 △あさましきことなりかし。 三一 成村強力の學士にあふ事△巻二ノ一三 △むかし、成村といふ相撲ありけり。時に、國々の相撲ども、上あつまりて、 相撲節待ける程、朱雀門に集まりてすゞみけるが、そのへんあそびゆくに、大 學の東門を過て、南ざまにゆかんとしけるを、大學の衆どもも、あまた東の門 に出(いで)て、すゞみたてりけるに、この相撲どものすぐるを、通さじとて、 「鳴り制せん。鳴り高し」といひて、たちふたがりて、通さざりければ、さすがに、 やごつなき所の衆どものすることなれば、破てもえ通らぬに、たけひきらかなる 衆の、冠、うへのきぬ、こと人よりはすこしよろしきが、中にすぐれて出で立 ちて、いたく制するがありけるを、成村はみつめてけり。「いざ++歸なん」 とて、もとの朱雀門に歸ぬ。 △そこにていふ、「この大學の衆、にくきやつども哉。何の心に、我らをば通 さじとはするぞ。たゞ通らんと思つれども、さもあれ、けふは通らで、あす通 らんと思なり。たけひきやかにて、中にすぐれて、「鳴り制せん」といひて、通 さじとたちふたがる男、にくきやつ也。あす通らんにも、かならず、けふのや うにせんずらん。なにぬし、その男が尻鼻、血あゆばかり、かならず蹴たまへ」 といへば、さいはるゝ相撲、わきをかきて、「おのれが蹴てんには、いかにも 生かじものを。がうぎにてこそいかめ」といひけり。この尻蹴よといはるゝ相 撲は、おぼえある力、こと人よりはすぐれ、はしりとくなど有けるをみて、成 村もいふなりけり。さて其日は、おの++家々に歸ぬ。 △又の日になりて、咋日參らざりし相撲などを、あまためし集めて、人がちに なりて、通らんとかまふるを、大學の衆も、さや心得にけん、きのふよりは人 おほくなりて、かしがましう、「鳴る制せん」といひたてりけるに、この相撲 ども、うち群れて、あゆみかゝりたり。きのふすぐれて制せし大學の衆、例の ことなれば、すぐれて、大路を中に立て、すぐさじと思ふけしきしたり。成村 「けよ」といひつる相撲に目をくはせければ、この相撲、人よりたけたかく大 きに、わかくいさみたるをのこにて、くゝり高やかにかきあげて、さし進み歩 みよる。それにつゞきて、こと相撲も、たゞ通りに通らんとするを、かの衆ど もも、通さじとするほどに、尻蹴んとする相撲、かくいふ衆に、はしりかゝり て、蹴倒さんと、足をいたくもたげたるを、此衆は、目をかけて、背をたはめ て、ちがひければ、蹴はづして、足のたかくあがりて、のけざまになるやうに したる足を、大學の衆とりてけり。その相撲を、ほそき杖などを人の持ちたる やうに、ひきさげて、かたへの相撲に、はしりかゝりければ、それをみて、かた への相撲、逃けるを、追ひかけて、その手にさげたる相撲をば投げければ、ふり ぬきて、二三段ばかり投げられて、倒れ伏しにけり。身くだけて、おきあがる べくもなくなる。それをばしらず、成村があるかたざまへ、はしりかゝりけれ ば、成村も、目をかけて逃けり。心もおかず追ひければ、朱雀門のかたざまに はしりて、脇の門より走入を、やがてつめて、走かゝりければ、とらへられぬ と思て、式部省の築地越えけるを、ひきとゞめんとて、手をさしやりたりける に、はやく越えければ、異所をばえとらへず、片足すこしさがりたりけるきび すを、沓加へながらとらへたりければ、沓のきびすに、あしの皮をとり加へて、 沓のきびすを、刀にてきりたるやうに、引きりて、とりてけり。成村、築地の うちにたちて、足をみければ、血走りて、とゞまるべくもなし。沓のくびす、 きれて失せにけり。我を追ひける大學の衆、あさましく力ある者にてぞありけ るなめり。尻蹴つる相撲をも、人杖につかひて、投げくだくめり。世中ひろけ れば、かゝる者のあるこそおそろしき事なれ。投げられたる相撲は、死いりた りければ、物にかきいれて、荷ひてもてゆきけり。 △この成村、かたのすけに、「しか※※の事なん候つる。かの大學の衆は、いみ じき相撲にさぶらふめり。成村と申とも、あふべき心ち仕らず」とかたりけれ ば、かたのすけは、宣旨申くだして、「式部の丞なりとも、そのみちにたへたら んはといふことあれば、まして大學の衆は、何條ことかあらん」とて、いみじ う尋求められけれども、その人とも聞えずしてやみにけり。 三二 柿の木に佛現ずる事△卷二ノ一四 △昔、延喜の御門の御時、五條の天神のあたりに、大なる柿の木の、實ならぬ あり。その木のうへに、佛あらはれてあはします。京中の人、こぞりて參りけ り。馬、車もたてあへず、人もせきあへず、おがみのゝしりけり。 △かくするほどに、五六日あるに、右大臣殿、心得ずおぼし給ける間、まこと の佛の、世の末に出給べきにあらず、我、行て試みんとおぼして、日の裝束うる はしくして、びりやうの車にのりて、御前多く具して、集まりつどひたる者共 のけさせて、車かけはづして榻をたてて、梢を、めもたゝかず、あからめもせ ずして、まもりて、一時斗おはするに、此佛、しばしこそ、花もふらせ、光を もなはち給けれ、あまりに+ まもられて、しわびて、大なるくそとびの羽お れたる、土におちて、まどひふためくを、童部どもよりて、うちころしてけり。 大臣は、さればこそとて、歸給ぬ。 △さて、ときの人、此大臣を、いみじくかしこき人にておはしますとぞ、のゝ しりける。 三三 大太郎盜人事△卷三ノ一 △むかし、大太郎とて、いみじき盜人の大將軍ありけり。それが京へのぼりて、 物とりぬべき所あらば入りて物とらんと思て、うかゞひ歩きける程に、めぐり もあばれ、門などもかた++は倒れたる、よこざまによせかけたる所のあだげ なるに、男といふものは一人もみえずして、女のかぎりにて、はり物多くとり 散らしてあるにあはせて、八丈うる物など、あまたよび入て、絹多くとりいで て、えりかへさせつゝ、物どもをかへば、もの多かりける所かなと思て、たち どまりて見入るれば、折しも、風の南の簾を吹あげたるに、簾のうちに、なに の入たりとはみえねども、皮子の、いと高くうち積まれたる前に、ふたあきて、 絹なめり[と]みゆるもの、とり散らしてあり。これをみて、うれしきわざかな、 天道の我に物をたぶなりけりと思て、走歸りて、八丈一疋人に借りて、はき てうるとて、ちかくよりて見れば、内にもほかにも、男といふものは一人もな し。たゞ女どものかぎりして、見れば、皮篭もおほかり。物は見えねど、うづ たかく、ふたおほはれ、絹なども、殊外にあり、布うち散らしなどして、いみじ く物多くありげなる所かなとみゆ。たかくいひて、八丈をばうらでもちて歸 て、ぬしにとらせて、同類どもに、「かゝる所こそあれ」と、いひまはして、 その夜きて、門に入らんとするに、たぎり湯を面にかくるやうにおぼえて、ふ つとえ入らず。「こはいかなることぞ」とて、あつまりて入らんとすれど、せ めて物のおそろしかりければ、「あるやうあらん。こよひは入らじ」とて、歸 にけり。 △つとめて、「さても、いかなりつる事ぞ」とて、同類など具して、うり物など もたせて、きてみるに、いかにもわづらはしき事なし。物多くあるを、女ども のかぎりして、とり出、取おさめすれば、ことにもあらずと、返々思みふせ て、又暮るれば、よく++したゝめて、入らんとするに、猶おそろしく覺えて、 え入らず。「わぬし、まづ入れ+ 」と、いひたちて、こよひもなほ、入らずな りぬ。 △又つとめても、おなじやうにみゆるに、猶けしき異なる物もみえず。たゞ我 が臆病にて覺ゆるなめりとて、またその夜、よくしたゝめて、行向てたてるに、 日ごろよりも、猶ものおそろしかりければ、「こはいかなることぞ」といひて、 かへりて云やうは、「事を起したらん人こそはまづ入らめ。先大太郎が入るべ き」と云ければ、「さもいはれたり」とて、身をなきになして入ぬ。それに取 つきて、かたへも入ぬ。入りたれども、なほ物のおそろしければ、やはら歩み よりてみれば、あばらなる屋の内に、火ともしたり。母屋のきはにかけたる簾 をばおろして、簾のほかに、火をばともしたり。まことに、皮子多かり。かの 簾の中の、おそろしく覺ゆるにあはせて、簾の内に、矢を爪よる音のするが、 その矢の來て身にたつ心ちして、いふばかりなくおそろしく覺えて、歸いづる も、せをそらしたるやうに覺えて、かまへていでえて、あせをのごひて、「こ はいかなる事ぞ、あさましく、おそろしかりつる爪よりの音や」といひあはせ て歸ぬ。 △そのつとめて、その家のかたはらに、大太郎がしりたりけることのありける 家にゆきたれば、みつけて、いみじく饗■して、「いつのぼり給へるぞ。おぼ つかなく侍りつる」などいへば、「たゞいままうで來つるまゝに、まうで來たる なり」といへば、「土器參らせん」とて、酒わかして、くろき土器の大なるを 盃にして、土器とりて、大太郎にさして、家あるじのみて、土器わたしつ。大 太郎とりて、酒を一土器受けて、持ちながら、「この北には、誰が居給へるぞ」 といへば、おどろきたるけしきにて、「まだ知らぬか。おほ矢のすけたけのぶの、 このごろのぼりて、居られたるなり」といふに、さは、入たらましかば、みな、 かずをつくして、射殺されなましと思ひけるに、物もおぼえず臆して、その受 けたる酒を、家あるじに、頭よりうちかけて、たちはしりける。物はうつぶし に倒れにけり。家あるじ、あさましと思て、「こはいかに+ 」と云けれど、か へりみだにもせずして、逃げて去にけり。 △大太郎がとられて、武者の城のおそろしきよしを語ける也。 三四 藤大納言忠家物言女放屁事△卷三ノ二 △今は昔、藤大納言忠家といひける人、いまだ殿上人におはしける時、美々し き色好みなりける女房と物いひて、夜ふくる程に、月は晝よりもあかゝりける に、たへかねて、御簾をうちかづきて、なげしのうへにのぼりて、扇をかきて、 引よせられける程に、髮をふりかけて、「あな、あさまし」といひて、くるめ きける程に、いとたかくならしてけり。女房は、いふにもたへず、くた++と して、よりふしにけり。この大納言「心うきことにもあひぬるものかな。世に ありても何にかはせん。出家せん」とて、御簾のすそをすこしかきあげて、ぬ き足をして、うたがひなく、出家せんと思ひて、二間ばかりは行ほどに、そも ++、その女房あやまちせんからに、出家すべきやうやはあると思ふ心またつ きて、たゞ++と、走り出でられにけり。女房はいかゞなりけん、知らずとか。 三五 小式部内侍定頼卿の經にめでたる事△卷三ノ三 △今は昔、小式部内侍に、定頼中納言物いひわたりけり。それに又時の關白か よひ給けり。局に入て臥給たりけるを、知らざりけるにや、中納言よりきてた ゝきけるを、局の人「かく」とやいひたりけん、沓をはきて行けるが、少あゆ みのきて、經を、はたと、うちあげてよみたりけり。二聲ばかりまでは、小式 部内侍、きと耳をたつるやうにしければ、この入りて臥し給へる人、あやしと おぼしけるほどに、すこし聲遠うなるやうにて、四聲五聲ばかり、ゆきもや らでよみたりけるとき、「う」といひて、うしろざまにこそ、ふしかへりたれ。 △この入臥し給へる人の、「さばかりたへがたう、はづかしかりし事こそなかり しか」と、のちにのたまひけるとかや。 三六 山ぶし舟祈返事△卷三ノ四 △これもいまはむかし、越前國かふらきのわたりといふ所に、わたりせんとて、 者どもあつまりたるに、山ぶしあり。けいたう坊といふ僧なりけり。熊野、御 嶽はいふに及ばず、白山、伯耆の大山、出雲の鰐淵、大かた修行し殘したる所 なかりけり。 △それに、このかふらきの渡にゆきて、わたらんとするに、わたりせむとする 者、雲霞のごとし。おのおの物をとりてわたす。このけいたう坊「わたせ」と いふに、わたし守、聞きもいれで、こぎいづ。その時に、此山ぶし「いかに、か くは無下にはあるぞ」といへども、大かた耳にも聞きいれずして、こぎ出す。 其時に、けいたう坊、齒をくひあはせて、念珠をもみちぎる。このわたし守、 みかへりて、をこの事と思たるけしきにて、三四町ばかりゆくを、けいたう坊、 みやりて、足を砂子に脛のなからばかりふみ入て、目もあかくにらみなして、 數珠をくだけぬと、もみちぎりて、「召し返せ+ 」とさけぶ。猶行過る時に、 けいたう坊、袈裟と念珠とを、とりあはせて、汀ちかくあゆみよりて、「護法、 召しかへせ。召かへさずは、ながく三寶に別奉らん」とさけびて、この袈裟を 海になげいれんとす。それをみて、このつどひゐたる者ども、色をうしなひて たてり。 △かくいふほどに、風もふかぬに、このゆく舟の、こなたへより來。それをみ て、けいたう坊「よるめるは+ 。はやう率ておはせ+ 」と、すはなちをし て、みる者色を違へたり。かくいふほどに、一町がうちにより來たり。そのと きけいたう坊「さて今はうちかへせ+ 」とさけぶ。そのときに、つどひてみ る者ども、一聲に、「むざうの申やうかな。ゆゝしき罪にも候。さておはしませ + 」といふとき、けいたう坊、いますこしけしきかはりて、「はや打かへし給 へ」とさけぶときに、此わたし舟に廿餘人のわたる者、づぶりとなげ返しぬ。 その時、けいたう坊、あせを押しのごひて、「あな、いたのやつばらや。まだし らぬか」といひて立歸にけり。 △世の末なれども、三寶おはしましけりとなん。 三七 鳥羽僧正與國俊たはぶれ〔の事〕△卷三ノ五 △是も今は昔、法輪院大僧正覺猷と云人おはしけり。其甥に陸奧前司國俊、僧 正のもとへ行て、「參りてこそ候へ」といはせければ、「只いま見參すべし。そ なたにしばしおはせ」とありければ、待ゐたるに、二時ばかりまで、出であは ねば、なま腹だゝしうおぼえて、出なんと思て、供に具したる雜色を呼ければ、 出來るに、「沓もて來」といひければ、もてきたるをはきて、「出でなん」とい ふに、この雜色がいふやう、「僧正の御坊の、「陸奧殿に申たれば、とうのれとあ るぞ、その車率て來」とて、「小御門より出でん」とおほせ事候つれば、や うぞ候らんとて、牛飼のせたてまつりて候へば、「またせ給へと申せ。ときの ほどぞあらんずる。やがて歸こんずるぞ」とて、はやうたてまつりて、出させ 給候つるにては、かうて一時にはすぎ候ぬらん」といへば、「わ雜色は、不 覺のやつかな、「御車をかく召しの候ふは」と、我にいひてこそ貸し申さめ。不 覺なり」といへば、「うちさしのきたる人にもおはしまさず。やがて御尻きり奉 りて、「きと++よく申たるぞ」と仰事候へば、力及候はざりつる」といひけ れば、陸奧の前司歸のぼりて、いかにせんと思まはすに、僧正は、さだまりた ることにて、湯舟に藁を細々ときりて、一はた入て、それがうへに莚をしきて、 ありきまはりては、さうなく湯殿へゆきて、はだかになりて、「えさい、かさい、 とりふすま」といひて、湯ぶねに、さくとのけざまに臥ことをぞし給ける。陸 奧前司、寄りて、むしろを引あげて見れば、まことに藁をこま※※ときり入た り。それを湯殿の垂布をときおろして、この藁をみなとり入て、よくつゝみて、 その湯舟に、湯桶をしたにとり入れて、それがうへに圍碁盤をうら返して置き て、莚を引おほひて、さりげなくて、垂布につゝみたる藁をば、大門の脇にか くし置て、待ゐたる程に、二時あまりありて、僧正小門より歸音しければ、 ちがひて大門へ出て、歸たる車よびよせて、車の尻に、このつゝみたる藁をい れて、「家へ、はやらかにやりて、おりて、此藁を、牛の、あちこちありき困じ たるに、くはせよ」とて、牛飼童にとらせつ。 △僧正は、例のことなれば、衣ぬぐ程もなく、例の湯殿へ入りて、「えさい、か さい、とりふすま」といひて、湯ぶねへ躍りいりて、のけざまに、ゆくりもな く臥したるに、碁盤のあしのいかりさしあがりたるに、しりぼねをあらうつき て、年たかうなりたる人の死入て、さしぞりて臥たりけるが、そののち、音な かりければ、ちかう使ふ僧、寄りてみれば、目をかみにみつけて、死いりてね たり。「こはいかに」といへど、いらへもせず。寄りて、かほに水ふきなどして、 とばかりありてぞ、息のしたに、おろ++いはれける。 △このたはぶれ、いとはしたなかりけるにや。 三八 繪佛師良秀家の燒を見てよろこぶ事△卷三ノ六 △これも今は昔、繪佛師良秀といふありけり。家の隣より、火いできて、風お しおほひて、せめければ、逃出て、大路へ出でにけり。人の書かする佛もおは しけり。又衣着ぬ妻子なども、さながら内に有けり。それもしらず、たゞ逃出 たるを事にして、むかひのつらにたてり。みれば、すでに我家にうつりて、煙 ほのほくゆりけるまで、大かた、むかひのつらに立てながめければ、「あさま しきこと」とて、人ども、來とぶらひけれど、さわがず。「いかに」と人いひけ れば、むかひにたちて、家のやくるをみて、打うなづきて、時々笑けり。「哀、 しつるせうとく哉。年比は、わろく書けるものかな」といふ時に、とぶらひに 來たるもの共「こはいかに、かくてはたち給へるぞ。あさましきことかな。物 のつき給へるか」といひければ、「何條物のつくべきぞ。年比、不動尊の火焔を あしく書きける也。今見れば、かうこそ燃えけれと、心得つるなり。是こそ、 せうとくよ。此道をたてて世にあらんには、佛だによく書き奉らば、百千の家 もいできなん。わたう達こそ、させる能もおはせねば、物をも惜み給へ」とい ひて、あざわらひてこそたてりけれ。 △其後にや、良秀がよぢり不動とて、いまに人々めであへり。 三九 虎の鰐取たる事△卷三ノ七 △是も今は昔、筑紫の人、あきなひしに、新羅にわたりけるが、あきなひはて て、歸みちに、山のねにそひて、舟に水くみいれんとて、水の流出たる所に、 舟をとゞめて、水をくむ。 △そのほど、舟にのりたるもの、船ばたにゐて、うつぶして海を見れば、山の 影うつりたり。たかき岸の三四十丈ばかりあまりたるうへに、虎、つゞまりゐ て、物をうかゞふ。その影、水にうつりたり。その時に、人々につげて、水く む者をいそぎ呼びのせて、手ごとに櫓を押して、いそぎて船をいだす。其時に、 虎躍りおりて舟にのるに、舟はとくいづ。虎は、おちくるほどのありければ、 いま一丈ばかりを、え躍りつかで、海におち入ぬ。 △舟をこぎていそぎて行まゝに、この虎に目をかけてみる。しばしばかりあり て、虎海より出きぬ。およぎて陸ざまにのぼりて、汀にひらなる石の上にのぼ るをみれば、左の前足を、膝よりかみ食きられて、血あゆ。鰐に食ひきられた る也けりとみる程に、其きれたる所を水にひたして、ひらがりをるを、いかに するにかとみる程に、沖の方より、鰐、虎のかたをさして來るとみる程に、虎、 右の前足をもて、鰐の頭につめをうちたてて、陸ざまに投げあぐれば、一丈ば かり濱に投げあげられぬ。のけざまになりてふためく。おとがひの下を、躍り かゝりて食ひて、二たび三たびばかり打ふりて、なよ++となして、かたに打 かけて、手をたてたる樣なる岩の五六丈あるを、三の足をもちて、くだり坂を 走るがごとく、登りてゆけば、舟のうちなるものども、これがしわざをみるに、 なからは死入ぬ。舟に飛かゝりたらましかば、いみじき劍刀をぬきてあふとも、 かばかり力つよく、はやからんには、何わざをすべきと思ふに、肝心うせて、 舟こぐ空もなくてなん、筑紫にはかへりけるとかや。 四〇 きこり歌の事△卷三ノ八 △今は昔、木こりの、山守に斧をとられて、わびし、心うしと思て、つらづえ つきてをりける。山守みて、「さるべきことを申せ。とらせむ」といひければ、 △△あしきだになきはわりなき世間によきをとられてわれいかにせん とよみたりければ、山守、返しせんと思て、「うゝ++」とうめきけれど、えせ ざりけり。さて、斧かへしとらせてければ、うれしと思けりとぞ。 △人は唯、歌をかまへてよむべしとみえたり。 四一 伯母事△卷三ノ九 △今は昔、多氣の大夫といふ者の、常陸より上りてうれへする比、むかひに、 越前守と云人の許に、經誦しけり。此越前の守は、伯母とて、世にめでたき人、 うたよみのおや也。妻は伊勢の大輔、姫君たちあまたあるべし。多氣の大夫、 つれ※※におぼゆれば、聽聞に參りたりけるに、み簾を風の吹あげたるに、な べてならずうつくしき人の、紅のひとへがさね着たるをみるより、この人を妻 にせばやと、いりもみ思ければ、その家の上童をかたらひて、問ひきけば、「大 姫御前の、紅は奉りたる」とかたりければ、それにかたらひつきて、「われに、 ぬすませよ」と云(いふ)に、「思ひ懸ず。えせじ」といひければ、「さらば、 その乳母をしらせよ」といひければ、「それはさも申てん」とて、しらせてけり。 さていみじくかたらひて、かね百兩とらせなどして、「此姫君をぬすませよ」と、 せめいひければ、さるべき契にや有けん、ぬすませてけり。 △やがて、乳母打具して、常陸へいそぎくだりにけり。跡に泣きかなしめどか ひもなし。程へて、乳母音づれたり。あさましく、心うしと思へども、いふか ひなき事なれば、時々うち音づれてすぎけり。伯の母、常陸へかくいひやり給。 △△匂ひきやみやこの花はあづまぢにこちのかへしの風のつけしは かへし、姉、 △△吹かへすこちの返しは身にしみき都の花のしるべと思ふに △年月へだゝりて、伯の母、常陸守の妻にてくだりけるに、姉はうせにけり。 むすめふたりありけるが、かくときゝて參りたりけり。いなか人ともみえず、 いみじくしめやかに、はづかしげに、よかりけり。常陸の守のうへを、「昔の人 に似させ給たりける」とて、いみじく泣あひたりけり。四年があひだ、名聞に も思たらず、ようじなどもいはざりけり。 △任はててのぼる折に、常陸の守「むげ也ける者どもかな。かくなんのぼると いひにやれ」と、男にいはれて、伯の母、のぼるよしいひにやりたりければ、 「承ぬ。參り候はん」とて、あさてのぼらんとての日、參りたりけり。えも いはぬ馬、一をたからにする程の馬、十疋づゝ、ふたりして、又、皮子おほせ たる馬ども百疋づゝ、ふたりして奉りたり。なにとも思たらず、かばかりのこ としたりとも思はず、打たてまつりて歸りにけり。常陸の守の、「ありける常 陸四年〔が〕あひだの物は、何ならず。その皮子のもの共してこそ、よろづの功 徳もなにもし給けれ。ゆゝしかりける者どもの、心のおほきさ、ひろさかな」 と語られけるとぞ。 △この伊勢の大輔の子孫は、めでたきさいはひ人おほく出き給たるに、大姫君 の、かく、田舍人になられたりける、哀に心うくこそ。 四二 同人佛事事△卷三ノ一〇 △今は昔、伯の母、佛供養しけり。永縁僧正を請じて、さまざまの物どもをた てまつるなかに、むらさきの薄樣につゝみたるものあり。あけて見れば、 △△朽にける長柄の橋のはし柱法のためにも渡しつる哉 長柄の橋のきれなりけり。 △又の日、つとめて、若狹阿闍梨覺縁といふ人、歌よみなるがきたり。哀、此 ことを聞きたるよと、僧正おぼす。御ふところより名簿を引出て奉る。「此橋 のきれ、給はらむ」と申。僧正「かばかりの希有のものは、いかでか」とて、 「なにしにかとらせ給はむ。くちおし」とて、かへりにけり。 △すきずきしく、あはれなる事どもなり。 四三 藤六事△卷三ノ一一 △今は昔、藤六といふ歌よみありけり。げすの家に入て、人もなかりける折を 見つけて、いりにけり。鍋に煮ける物をすくひける程に、家あるじの女、水を くみて、大路のかたよりきてみれば、かくすくひ食へば、「いかに、かく人もな き所に入て、かくはする物をば參るぞ。あなうたてや、藤六にこそいましけれ。 さらば、うた詠給へ」といひければ、 △△むかしより阿彌陀佛のちかひにて煮ゆる物をばすくふとぞしる とこそよみたりけれ。 四四 多田新發意郎等事△卷三ノ一二 △是も今は昔、多田滿仲のもとに、たけく、あしき郎等有けり。物の命をころ すをもて業とす。野にいで、山にいりて、鹿をかり、鳥をとりて、いさゝかの 善根する事なし。あるとき、いでて狩する間、馬を馳て鹿追ふ。矢をはげ、弓 を引て、鹿にしたがひて、はしらせてゆく道に、寺ありけり。その前をすぐる 程に、きと見やりたれば、内に地藏立給へり。左の手をもちて弓を取、右の手 して笠をぬぎて、いさゝか歸依の心をいたして、はせ過にけり。 △其後、いくばくの年をへずして、病つきて、日比よく苦しみ煩て、命たえぬ。 冥途に行むかひて、炎魔の廳にめされぬ。見れば、おほくの罪人、〔罪〕の輕重 にしたがひて、打せため、罪せらるゝ事、いといみじ。わが一生の罪業を思つ ゞくるに、涙おちてせんかたなし。 △かゝる程に、一人の僧出來りて、のたまはく、「汝をたすけんと思ふ也。はや く故郷にかへりて、罪を慚悔すべし」とのたまふ。僧に問ひ奉りていはく、「こ れはたれの人の、かくは仰らるゝぞ」と。僧こたへ給はく、「われは、なんぢ 鹿を追て、寺の前を過しに、寺の中にありて、なんぢにみえし地藏菩薩也。 なんぢ、罪業深重なりといへども、いさゝか、われに歸依の心のおこりし功に よりて、吾、今なんぢを助むとするなり」とのたまふと思てよみがへりて後は、 殺生をながく斷て、地藏菩薩につかうまつりけり。 四五 因幡((いなば))の國別當地藏作さす事△卷三ノ一三 △是も今は昔、因幡の國高草の郡さかの里に、伽藍あり。國隆寺と名づく。こ の國のさきの國司、ちかなが造れるなり。そこに、とし老たる者、かたり傳へ ていはく。 △この寺に別當ありき。家に佛師をよびて、地藏を造らするほどに、別當が妻、 異男にかたらはれて、跡くらうして失ぬ。別當、心をまどはして、佛の事を も、佛師をもしらで、さとむらに、手をわかちて、たづね求むる間、七八日を へぬ。佛師ども、檀那をうしなひて、空をあふぎて、手をいたづらにしてゐた り。その寺の專當法師、是をみて、善心をおこして、くひ物をもとめて、佛師 にくはせて、わづかに、地藏の木作斗をしたてまつりて、彩色、瓔珞をばえせず。 △その後、此專當法師、やまひつきて、命終りぬ。妻子、かなしみ泣て、棺 に入ながら、捨ずして置て、猶これをみるに、死て六日といふ日の未の時ばか りに、にはかに、此棺はたらく。みる人、おぢおそれて、逃さりぬ。妻、泣 きかなしみて、あけてみれば、法師、よみがへりて、水を口にいれ、やう++ 程へて、冥途の物語す。「大なる鬼、二人きたりて、我をとらへて、追ひたてて、 ひろき野を行に、しろき衣きたる僧いできて、「鬼ども、この法師、とくゆるせ。 我は地藏菩薩なり。因幡の國隆寺にて、我をつくりし僧なり。佛師等、食物な くて日比へしに、此法師、信心を致して、食物を求めて、佛師等を供養して、 わが像をつくらしめたり。この恩忘がたし。かならずゆるすべき者なり」との たまふ程に、鬼どもゆるしをはりぬ。ねんごろに道教へてかへしつとみて、生 きかへりたるなり」といふ。 △そののち、此地藏菩薩を、妻子ども、彩色し、供養し奉りて、ながく歸依し 奉りける。今この寺におはします。 四六 伏見修理大夫俊綱事△卷三ノ一四 △これも今は昔、伏見修理大夫は、宇治殿の御子にておはす。あまり公達おほ くおはしければ、やうをかへて、橘俊遠といふ人の子になし申て、藏人にな して、十五にて尾張守になし給てけり。それに、尾張に下て、國おこなひける に、そのころ、熱田神、いちはやくおはしまして、おのづから笠をもぬがず、 馬のはなをむけ、無禮をいたすものをば、やがてたち所に、罰せさせおはしま しければ、大宮司の威勢、國司にも●りて、國の者ども、おぢ恐れたりけり。 △それに、この國司くだりて、國の沙汰どもあるに、大宮司、われはと思てゐ たるを、國司とがめて、「いかに大宮司ならんからに、國にはらまれては、見參 にも參らぬぞ」といふに、「さき※※さることなし」とて、ゐたりければ、國司 むつかりて、「國司も國司にこそよれ。我らにあひて、かうはいふぞ」とて、 いやみ思て、「しらん所共てんぜよ」などいふ時に、人ありて大宮司にいふ。 「まことにも、國司と申に、かゝる人おはす。見參に參らせ給へ」といひけれ ば、「さらば」といひて、衣冠に衣いだして、とものもの共三十人ばかり具して、 國司のがり向ひぬ。國司、出あひて對面して、人どもをよびて、「きやつ、たし かにめしこめて勘當せよ。神宮といはむからに、國中にはらまれて、いかに奇 恠をばいたす」とて、めしたてて、ゆふほどに、こめて勘當す。 △その時、大宮司「心うきことに候。御神はおはしまさぬか。下臈の無禮をい たすだに、たち所に罰せさせおはしますに、大宮司を、かくせさせて御覽ずる は」と、泣く++くどきて、まどろみたる夢に、熱田の仰らるゝやう、「このこ とにおきては、わが力及ばぬなり。その故は、僧ありき、法華經を千部よみ て、われに法樂せんとせしに、百餘部はよみ奉りたりき。國のものども貴とが りて、この僧に歸依しあひたりしを、なんぢ、むつかしがりて、その僧を追ひ はらひてき。それに、この僧惡心をおこして、「われこの國の守になりて、此答 をせん」とて生れきて、今國司になりてければ、我力及ばず。その先生の僧 を俊綱といひしに、此國司も俊綱といふなり」と、夢におほせありけり。 △人の惡心はよしなきことなりと。 四七 長門前司女、葬送の時、本所にかへる事△卷三ノ一五 △いまはむかし、長門前司といひける人の女二人有けるが、姉は人の妻にてあ りける。妹は、いとわかくて、宮仕ぞしけるが、後には、家にゐたりけり。わ ざとありつきたる男となくて、たゞ時々かよふ人などぞありける。高辻室町わ たりにぞ、家は有ける。父母もなくなりて、おくのかたには、姉ぞゐたりける。 南のおもての、西のかたなる妻戸口にぞ、常々人にあひ、物などいふ所なりける。 △廿七八ばかりなりける年、いみじくわづらひて、失せにけり。おくはところ せしとて、其妻戸口にぞ、やがてふしたりける。さてあるべき事ならねば、姉 などしたてて、鳥部野へ率ていぬ。さて、例の作法にとかくせんとて、車より とりおろす。櫃かろ※※として、ふた、いさゝかあきたり。あやしくて、あけ て見るに、いかにも+ 、露物なかりけり。「道などにて落などすべきことに もあらぬに、いかなる事にか」と心得ず、あさまし。すべきかたもなくて、「さ りとてあらんやは」とて、人々、走歸て、「道におのづからや」と見れども、あ るべきならねば、家へ歸ぬ。 △「もしや」と見れば、この妻戸口に、もとのやうにて、うちふしたり。いと あさましくも、おそろしくて、したしき人々あつまりて、「いかゞすべき」と、 いひあはせさわぐほどに、夜いたくふけぬれば、「いかゞせん」とて、夜明て 又櫃に入て、このたびは、よく誠にしたゝめて、よさりいかにもなど、思てあ るほどに、夕つかた、みる程に、この櫃のふた、ほそめにあきたりけり。いみ じくおそろしく、ずちなけれど、したしき人々「近くてよくみん」とて、より てみれば、ひつぎより出でて、又妻戸口にふしたり。「いとゞあさましきわざ かな」とて、又舁きいれんとて、萬にすれど、さらに+ ゆるがず。土より生 ひたる大木などを、ひきゆるがさんやうなれば、すべき方なくて、たゞこゝに あらんとてかと思て、おとなしき人、よりて云、「たゞこゝにあらんとおぼすか。 さらば、やがて爰にも置き奉らん。かくては、いとみぐるしかりなん」とて、 妻戸口の板敷をこぼちて、そこにおろさんとしければ、いと輕((かろ))らか におろされたれば、すべなくて、その妻戸口一間を、板敷などとりのけこぼちて、 そこにうづみて、たか※※と塚にてあり。家の人々も、さてあひ居てあらん、 物むつかしくおぼえて、みな、ほかへわたりにけり。さて年月經にければ、 寢殿もみなこぼれ失せにけり。 △いかなることにか、この塚のかたはらちかくは、下種なども、え居つかず。 「むつかしきことあり」と云つたへて、大かた、人もえ居つかねば、そこはた ゞその塚一ぞある。高辻よりは北、室町よりは西、高辻おもてに六七間斗が程 は、小家もなくて、その塚一ぞ、たか※※としてありける。 △いかにしたることにか、塚の上に神のやしろをぞ、一いはひ据ゑてあなる。 此比も今にありとなん。 四八 雀報恩事△巻三ノ一六 △今は昔、春つかた、日うらゝかなりけるに、六十ばかりの女のありけるが、 蟲打とりてゐたりけるに、庭に雀のしありきけるを、童部、石をとりて打たれ ば、あたりて、腰をうち折られにけり。羽をふためかして惑ふ程に、烏のかけ りありきければ、「あな心う。烏取てん」とて、この女、いそぎとりて、息し かけなどして物くはす。小桶に入て、よるはをさむ。明れば米くはせ、銅、藥 にこそげて、くはせなどすれば、子ども、孫など、「あはれ、女とじは、耄い て、雀かはるゝ」とて、にくみわらふ。 △かくて、月ごろよく繕へば、やうやう躍りありく。雀の心にも、かく養ひ生 けたるを、いみじくうれし+ と思けり。あからさまに物へ行くとても、人に、 「このすゞめみよ。物くはせよ」など、いひ置きければ、子孫など、「あはれ、 なんでう雀かはるゝ」とて、にくみわらへども、「さばれ、いとほしければ」 とてかふほどに、飛ほどになりにけり。「いまはよも烏にとられじ」とて、外 に出でて、手に据ゑて、「飛やする、みん」とて、さゝげたれば、ふら+ と飛 びていぬ。女「おほくの月比日ごろ、暮るればをさめ、明れば物くはせならひ て、あはれや、飛ていぬるよ。又來やすると、みん」など、つれ※※に思てい ひければ、人にわらはれけり。 △さて廿日ばかりありて、この女のゐたる方に、雀のいたく鳴くこゑしければ、 雀こそいたく鳴くなれ、ありしすゞめのくるにやあらんと思て、出て見れば、 この雀なり。「あはれに、忘れずきたるこそ、あはれなり」といふほどに、女の かほをうち見て、口より露ばかりの物を、落し置くやうにして飛ていぬ。女 「なににかあらん。すゞめの落していぬるものは」とて、よりてみれば、ひさ ごの種をたゞ一、落して置きたり。「もてきたる、樣こそあらめ」とて、とりて もちたり。「あないみじ。すゞめの物えて、寶にし給」とて、子どもわらへば、 「さばれ、植てみん」とて植ゑたれば、秋になるまゝに、いみじくおほく、生 いひろごりて、なべてのひさごにも似ず、大におほくなりたり。女、悦興じ て、里隣の人にもくはせ、とれども+ つきもせずおほかり。わらひし子孫も、 これをあけくれ食てあり。一里くばりなどして、はてには、まことにすぐれて 大なる七八は、ひさごにせんと思て、内につりつけて置きたり。 △さて月ごろへて、「今はよくなりぬらん」とてみれば、よくなりにけり。とり おろして、口あけんとするに、すこしおもし。あやしけれども、きりあけて見 れば、物ひとはた入たり。「なににかあるらん」とて、移してみれば、白米の入 たるなり。思かけずあさましと思ひて、大なる物にみなを移したるに、おなじ やうに入れてあれば、「たゞごとにはあらざりけり。雀のしたるにこそ」と、あ さましく、うれしければ、物に入れてかくし置きて、殘りのひさごどもをみれ ば、おなじやうに入れてあり。これを移し+ つかへば、せんかたなく多かり。 さてまことにたのもしき人にぞなりにける。隣里の人も見あさみ、いみじきこ とにうらやみけり。 △この隣にありける女の、子どものいふやう、「おなじことなれど、人はかく こそあれ。はか※※しき事も、えし出で給はぬ」などいはれて、となりの女、 此女房のもとに來りて、「さてもさても、こはいかなりしことぞ。雀のなどは、 ほの聞けど、よくはえ知らぬは。もとありけんまゝにのたまへ」といへば、「ひ さごの種を一落したりし、植たりしよりあることなり」とて、こまかにもいは ぬを、猶「ありのまゝに、こまかにのたまへ」と、せつにとへば、心せばく 隱すべき事かはと思て、「かう++、腰折れたる雀のありしを、飼生たりし をうれしと思けるにや、ひさごの種を一もちてきたりしを植ゑたれば、かく なりたるなり」といへば、「その種、たゞ一たべ」といへば、「それに入れたる 米などは參らせん。種はあるべきことにもあらず。さらにえなん散らすまじ」 とて、とらせねば、我もいかで腰折れたらん雀みつけて、飼はんと思ひて、目 をたてて見れど、腰折たる雀さらにみえず。つとめてごとに、うかゞひ見れば、 せどのかたに、米の散りたるを食とて、すゞめの躍りありくを、石をとりて、 もしやとてうてば、あまたの中にたび++うてば、おのづからうちあてられて、 え飛ばぬあり。悦てよりて、腰よくうち折りて後に、とりて物くはせ、藥くは せなどして置きたり。一が徳をだにこそみれ、ましてあまたならば、いかにた のもしからん、あの隣の女にはまさりて、子どもにほめられんと思て、この内 に米まきて、うかゞひゐたれば、すゞめどもあつまりて食にきたれば、又うち ++しければ、三打折りぬ。今は、かばかりにてありなんと思て、腰折たるす ゞめ三ばかり、桶に取いれて、銅こそげてくはせなどして、月ごろふるほどに、 皆よくなりにたれば、よろこびて、外に取いでたれば、ふら++と飛て皆いぬ。 いみじきわざしつと思ふ。すゞめは、腰うち折られて、かく月比篭置きたる、 よにねたしと思ひけり。 △さて十日ばかりありて、このすゞめども來たれば、よろこびて、先、口に物 やくはへたると見るに、ひさごの種を一づゝ、みな落していぬ。さればよとう れしくて、とりて、三ところに植てけり。例よりもする++と生たちて、いみ じく大になりたり。これはいとおほくもならず、七八ぞなりたる。女、笑みま けて見て、子どもにいふやう、「はか※※しきことし出でずといひしかど、我 はとなりの女にはまさりなん」といへば、げにさもあらなんと思ひたり。これ はかずのすくなければ、米多くとらんとて、人にもくはせず、われもくはず。 子どもがいふやう、「となりの女房は、里隣の人にもくはせ、われもくひなどこ そせしか。これはまして三が種なり。われも、人にも、くはせらるべきなり」 といへば、さししと思ひて、ちかき隣の人にもくはせ、われも子どもにも、も ろともに食はせんとて、おほらかに〔に〕て食ふに、にがき事物にも似ず。きは だなどのやうにて、心ちまどふ。食ひと食ひたる人々も、子どももわれも、物 をつきてまどふほどに、隣の人共も、みな心ちを損じて、來あつまりて、「こは いかなる物を食はせつるぞ。あなおそろし。露ばかりけふんの口によりたるも のも、物をつきまどひあひて、死ぬべくこそあれ」と、腹だちて、いひせためん と思てきたれば、ぬしの女をはじめて、子共もみな物おぼえず、つきちらして ふせりあひたり。いふかひなくて、ともに歸ぬ。二三日もすぎぬれば、たれ ++も、心ち直りにたり。女思ふやう、みな米にならんとしける物を、いそぎ て食ひたれば、かくあやしかりけるなめりと思て、のこりをばみなつりつけて 置きたり。さて月ごろへて、「いまはよくなりぬらん」とて、移しいれん料の 桶ども具して、へやに入。うれしければ、齒もなき口して、耳のもとまでひと り笑みして、桶をよせて移しければ、あぶ、はち、むかで、とかげ、くちなは など出でて、目はなともいはず、ひと身にとりつきて刺せども、女、いたさも おぼえず、たゞ米のこぼれかゝるぞと思て、「しばしまち給へ。すゞめよ。すこ しづゝとらん」といふ。七八のひさごより、そこらの毒蟲ども出て、子どもを も刺しくひ、女をば刺しころしてけり。雀の、腰をうち折られて、ねたしと思 て、よろづの蟲どもをかたらひて、入たりけるなり。となりの雀は、もと腰折 れて、烏の命とりぬべかりしを、やしなひ生けたれば、うれしと思ひける也。 △されば物うらやみはすまじき事也。 四九 小野篁廣才事△卷三ノ一七 △今は昔、小野篁といふ人おはしけり。嵯峨の帝の御時に、内裏にふだをたて 〔た〕りけるに、無惡善と書きたりけり。帝、篁に、「よめ」とおほせられたり ければ、「よみはよみ候ひなん。されど恐にて候へば、え申さぶらはじ」と奏 しければ、「たゞ申せ」と、たびたび仰られければ、「さがなくてよからんと申 て候ぞ。されば、君をのろひ參らせて候なり」と申ければ、「おのれはなちて は、たれか書かん」と仰られければ、「さればこそ、申さぶらはじとは申て候つ れ」と申に、御門「さて、なにも書きたらん物は、よみてんや」と、おほせら れければ、「何にても、よみさぶらひなん」と申ければ、かた假名のねもじを 十二書かせて、給て、「よめ」とおほせられければ、「ねこの子のこねこ、しゝ の子のこじゝ」とよみたりければ、御門ほゝゑませ給て、ことなくてやみにけり。 五〇 平貞文・本院侍從事△卷三ノ一八 △今は昔、兵衞佐平貞文をば、平仲といふ。色ごのみにて、宮づかへ人はさら なり、人のむすめなど、忍びて見ぬはなかりけり。思かけて、文やるほどの人 の、なびかぬはなかりけるに、本院侍從といふは、村上の御母后の女房なり。 世の色ごのみにて有けるに、文やるに、にくからず返事はしながら、あふ事は なかりけり。しばしこそあらめ、遂にはさりともと思て、もののあはれなる夕 ぐれの空、又月のあかき夜など、艶に人の目とゞめつべき程をはからひつゝ、 おとづれければ、女も見しりて、なさけは交しながら、心をばゆるさず。つれ なくて、はしたなからぬ程に、いらへつゝ、人ゐまじり、苦しかるまじき所に ては、物いひなどはしながら、めでたくのがれつゝ、心もゆるさぬを、男はさ もしらで、かくのみ過る、心もとなくて、常よりもしげくおとづれて、「參ら ん」といひおこせたりけるに、例の、はしたなからず、いらへたれば、四月の つごもりごろに、雨おどろ+ しくふりて、物おそろしげなるに、かゝる折に ゆきたらばこそ、あはれとも思はめと思ひていでぬ。 △道すがら、たへがたき雨を、これにいきたらんに、あはでかへす事よもと、 たのもしく思て、局にゆきたれば、人いできて、「上になれば、案内申さん」と て、はしのかたに入れていぬ。みれば、物のうしろに火ほのかにともして、と のゐ物とおぼしき衣、ふせごにかけて、たき物しめたる匂ひ、なべてならず。 いとゞ心にくゝて、身にしみていみじと思ふに、人歸て、「たゞ今もおりさせ給 ふ」といふ。うれしさ限なし。すなはちおりたり。「かゝる雨にはいかに」など いへば、「これにさはらんは、むげに淺きことにこそ」などいひ交して、近くよ りて、髮をさぐれば、氷をのしかけたらんやうに、ひやゝかにて、あたりめで たきこと、かぎりなし。なにやかやと、えもいはぬ事ども云かはして、うたが ひなく思ふに、「あはれ、やり戸を明ながら、忘れてきにける。つとめて、「た れか、あけながらは出にけるぞ」など、わづらはしきことになりなんず。たて て歸らん。ほどもあるまじ」といへば、さることと思て、かばかりうちとけに たれば、心やすくて、衣をとゞめて、參らせぬ。まことに、やり戸たつる音し て、こなたへ來らんと待ほどに、音もせで、おくざまへ入ぬ。それに、心もと なく、あさましく、うつし心も失せはてて、はひも入りぬべけれど、すべきか たもなくて、やりつるくやしさを思へど、かひなければ、泣く++曉ちかく いでぬ。家に行て思ひあかして、すかしおきつる心うさ、書きつゞけてやりた れど、「なにし〔に〕かすかさむ。歸らんとせしに、召ししかば、後にも」など、 いひてすごしつ。 △大かた、まぢかき事は、あるまじきなめり。今はさは、この人のわろく、う とましからんことを見て、思ひうとまばや、かくのみ心づくしに思はでありな んと思て、隨身をよびて、「その人のひすましの、皮篭もていかん、奪ひとりて 我に見せよ」といひければ、日ごろ添ひてうかゞひて、か〔ら〕うじて逃げたる を追ひて、奪ひとりて、主にとらせつ。平仲よろこびて、かくれにもてゆきて 見れば、香なるうすものの、三重がさねなるにつゝみたり。かうばしきことた ぐひなし。ひきときてあくるに、かうばしさたとへんかたなし。見れば、沈、 丁子を、こく煎じていれたり。又たき物をば、おほくまろがしつゝ、あまたい れたり。さるまゝに、かうばしさ推量るべし。見るにいとあさまし。「ゆゝし げにし置きたらば、それに見あきて、心もやなぐさむとこそ思ひつれ。こはい かなることぞ。かく心ある人やはある。たゞ人ともおぼえぬありさまども」と、 いとゞ死ぬばかり思へど、かひなし。「わが見んとしもやは思べきに」と、か ゝる心ばせを見てのちは、いよ++ほけ++しく思ひけれど、遂にあはでやみ にけり。 △「わが身ながらも、かれに、よに恥がましく、ねたくおぼえし」と、平仲、 みそかに、人にしのびてかたりけるとぞ。 五一 一條攝政歌事△卷三ノ一九 △いまはむかし、一條攝政とは、東三條殿の兄におはします。御かたちよりは じめ、心用ひなどめでたく、才、ありさま、まことしくおはしまし、又色めか しく、女をもおほく御覽じ興ぜさせ給けるが、すこし、輕々におぼえさせ給 ければ、御名をかくさせ給て、大藏の丞豐蔭となのりて、うへならぬ女のがり は、御ふみもつかはしける。懸想せさせ給、あはせ給もしけるに、みな人、さ 心得て、しり參らせたり。 △やんごとなく、よき人の姫君のもとへ、おはしましそめにけり。乳母、母な どをかたらひて、父には知らせさせ給はぬ程に、きゝつけて、いみじく腹だち て、母をせため、つまはじきをして、いたくのたまひければ、「さることなし」 とあらがひて、「まだしきよしのふみ書きてたべ」と、母君のわび申たりければ、 △△人しれず身はいそげども年をへてなど越えがたきあふさかの關 とて、つかはしたりければ、父にみすれば、さてはそらごとなりけりと思ひて、 返し、父のしける、 △△あづまぢにゆきかふ人にあらぬ身はいつかは越えんあふさかの關 とよみけるをみて、ほゝゑまれけんかしと、御集にあり。をかしく。 五二 狐家に火つくる事△卷三ノ二〇 △今は昔、甲斐國に、館の侍なりけるものの、夕ぐれに館をいでて、家ざまに 行ける道に、狐のあひたりけるを、追ひかけて、引目して射ければ、狐の腰に 射あててけり。狐、射まろばかされて、鳴わびて、腰をひきつゝ草に入にけり。 この男、引目をとりて行ほどに、この狐、腰をひきて、さきにたちて行に、又 射〔ん〕とすれば失にけり。 △家いま四五町にと見えて行程に、この狐二町ばかりさきだちて、火をくはへ て走りければ、「火をくはへて走るは、いかなることぞ」とて、馬をも走らせ けれども、家の許に走よりて、人になりて、火を家につけてけり。「人のつくる にこそありけれ」とて、矢をはげて走らせけれども、つけはてければ、狐にな りて、草の中に走り入て、うせにけり。さて家燒にけり。 △かゝる物も、たちまちにあだをむくふなり。これを聞きて、かやうのものを ば、構へて調ずまじきなり。 五三 狐人につきてしとぎ食事△卷四ノ一 △昔、物のけわづらひし所に、物のけわたしし程に、物のけ、物つきにつきて いふやう、「おのれは、たゝりの物のけにても侍らず。うかれてまかり通りつ る狐也。塚屋に子どもなど侍るが、物をほしがりつれば、かやうの所には、く ひ物ちろぼふ物ぞかしとて、まうできつるなり。しとぎばらたべてまかりな ん」といへば、しとぎをせさせて、一折敷とらせたれば、すこし食ひて、「あ なうまや、+ 」といふ。「此女の、しとぎほしかりければ、そらものづきてか くいふ」と、にくみあへり。 △「紙給はりて、是つゝみてまかりて、たうめや子共などに食はせん」といひ ければ、紙を二まい引ちがへて、つゝみたれば、大やかなるを腰にはさみたれ ば、むねにさしあがりてあり。かくて、「追ひ給へ。まかりなん」と、驗者にい へば、「追へ++」といへば、立あがりて、たふれふしぬ。しばし斗ありて、や がておきあがりたるに、ふところなるものさらになし。 △失せにけるこそふしぎなれ。 五四 佐渡國に有金事△卷四ノ二 △能登の國には、鐵といふ物の、すがねといふ程なるをとりて、守にとらする 者、六十人ぞあなる。實房といふ守の任に、くろがね取六十人が長なりける者 の、「佐渡國にこそ、こがねの花さきたる所はありしか」と、人にいひけるを、 守つたへ聞きて、その男を、守よびとりて、ものとらせなどして、すかし問ひ ければ、「佐渡の國には、まことに金の侍なり。候しところを、見置きて侍るな り」といへば、「さらば、いきて、とりて來なんや」といへば、「つかはさば、 まかり候はん」といふ。「さらば、舟をいだしたてむ」といふに、「人をば給は り候はじ。たゞ小舟一と、くひ物すこしとをたまはり候て、まかりいたりて、 もしやと、とりて參らせん」といへば、たゞこれが言ふにまかせて、人にも知 らせず、小舟一と、くふべき物すこしとを、とらせたりければ、それをもて、 佐渡の國へわたりにけり。 △一月ばかりありて、うち忘れたる程に、この男、ふと來て、守に目をみあは せたりければ、守、心えて、人づてにはとらで、みづから出あひたりければ、 袖、うつしに、くろばみたるさいでにつゝみたる物を、とらせたりければ、守、 重げにひきさげて、ふところにひき入て、かへり入にけり。そののち、その金 とりの男は、いづちともなく失せにけり。よろづに尋けれども、行方もしらず、 やみにけり。いかに思ひて失たりといふ事をしらず。金のあるところを問ひ尋 やすると思けるにやとぞ、うたがひける。その金、八千兩ばかりありけるとぞ、 かたりつたへたる。 △かゝれば、佐渡國には金ありけるよしと、能登國の者どもかたりけるとぞ。 五五 藥師寺別當事△卷四ノ三 △今は昔、藥師寺の別當僧都といふ人ありけり。別當はしけれども、ことに寺 の物もつかはで、極樂に生れんことをなん願ひける。年老、やまひして、しぬ るきざみになりて、念佛して消えいらんとす。無下にかぎりと見ゆるほどに、 よろしうなりて、弟子を呼びていふやう、「見るやうに、念佛は他念なく申てし ぬれば、極樂のむかへ、いますらんと待たるゝに、極樂の迎へは見えずして、 火の車を寄す。「こはなんぞ。かくは思はず。何の罪によりて、地獄の迎はむ きたるぞ」といひつれば、車につきたる鬼共のいふ樣、「此寺の物を一年、五斗 かりて、いまだかへさねば、その罪によりて、此むかへは得たる也」といひつ れば、我いひつるは、「さばかりの罪にては、地獄におつべきやうなし。その物 を返してん」といへば、火車をよせて待つなり。されば、とく++一石誦經に せよ」といひければ、弟子ども、手まどひをして、いふまゝに誦經にしつ。そ の鐘のこゑのする折、火車かへりぬ。さて、とばかりありて、「火の車はかへり て、極樂のむかへ、今なんおはする」と、手をすりて悦つゝ、終りにけり。 △その坊は、藥師寺の大門の北のわきにある坊なり。今にそのかた、失せずし てあり。さばかり程の物つかひたるにだに、火車迎へにきたる。まして、寺物 を心のまゝにつかひたる諸寺の別當の、地獄のむかへこそ思やらるれ。 五六 妹背嶋事△卷四ノ四 △土佐國幡多の郡に住下種有けり。おのが國にはあらで、異國に田をつくりけ るが、おのがすむ國に苗代をして、植べき程に成ければ、その苗を舟にいれて、 植ゑん人どもに食はすべき物よりはじめて、なべ、かま、すき、くは、からす きなどいふ物にいたるまで、家の具を舟にとりつみて、十一二ばかりなるをの こ子、女子、二人の子を、舟のまもりめにのせ置きて、父母は、植ゑむといふ 者やとはんとて、陸にあからさまにのぼりにけり。舟をば、あからさまに思て、 すこし引すゑて、つながずして置きたりけるに、此童部ども、舟底に寢いりに けり。潮のみちければ、舟はうきたりけるを、はなつきに、すこし吹いだされ たりけるほどに、干潮にひかれて、はるかにみなとへ出でにけり。沖にては、 いとゞ風吹まさりければ、帆をあげたるやうにて行。其時に、童部、おきてみ るに、かゝりたるかたもなき沖に出でければ、泣きまどへども、すべきかたも なし。いづかたともしらず、たゞ吹かれて行にけり。さるほどに、父母は、人 々もやとひあつめて、船にのらんとて來てみるに、舟なし。しばしは、風がく れに指かくしたるかと見る程に、よびさわげども、たれかはいらへん。浦々も とめけれども、なかりければ、いふかひなくてやみにけり。 △かくて、この舟は、遥の南の沖にありける嶋に、吹つけてけり。童部共、泣 々おりて、舟つなぎて見れば、いかにも人なし。かへるべき方もおぼえねば、 嶋におりていひけるやう、「今はすべきかたなし。さりとては、命を捨つべきに あらず。此食ひ物のあらんかぎりこそ、すこしづゝも食て生きたらめ。これつ きなば、いかにして命はあるべきぞ。いざ、この苗の枯れぬさきに植ゑん」と いひければ、「げにも」とて、水の流のありける所の、田に作りぬべきを求めい だして、鋤、鍬はありければ、木きりて、庵などつくりける。なり物の木の、 折になりたる多かりければ、それを取食てあかしくらすほどに、秋にもなりに けり。さるべきにやありけん。つくりたる田のよくて、こなたに作たるにも、 ことの外まさりたりければ、おほく苅置きなどして、さりとてあるべきならね ば、妻男に成にけり。男子、女子あまた生みつゞけて、又それが妻男になり ++しつゝ、大なる嶋なりければ、田畠も多くつくりて、此ごろは、その妹背 がうみつゞけたりける人ども、嶋にあまるばかりになりてぞあんなる。 △妹背嶋とて、土佐の國の南の沖にあるとぞ、人かたりし。 五七 石橋下蛇事△卷四ノ五 △此ちかくの事なるべし。女ありけり。雲林院の菩提講に、大宮をのぼりに參 りけるほどに、西院のへんちかくなりて、石橋ありける水のほとりを、廿あま り、三十ばかりの女、中ゆひてあゆみゆくが、石橋をふみ返して過ぎぬるあと に、ふみ返されたる橋のしたに、まだらなる蛇の、きり++としてゐたれば、 「石の下に蛇のありける」といふほどに、此ふみ返したる女のしりに立ちて、 ゆらゆらとこの蛇の行ば、しりなる女の見るに、あやしくて、いかに思ひて行 にかあらん、ふみ出されたるを、あしと思て、それが報答せんと思にや、これ がせんやう見んとて、しりにたちて行に、此女、時々は見かへりなどすれども、 わがともに、蛇のあるとも知らぬげなり。又、おなじやうに行人あれども、蛇 の、女に具して行を、見つけいふ人もなし。たゞ、最初見つけつる女の目にの み見えければ、これがしなさんやう見んと思て、この女のしりをはなれず、あ ゆみ行程に、雲林院に參りつきぬ。 △寺の板敷にのぼりて、此女ゐぬれば、此蛇ものぼりて、かたはらにわだかま り伏したれど、これを見つけさわぐ人なし。希有のわざかなと、目をはなたず 見るほどに、講はてぬれば、女たち出づるにしたがひて、蛇もつきて出ぬ。此 女、これがしなさんやう見んとて、尻にたちて、京ざまに出でぬ。下ざまに行 とまりて家有。その家に入れば、蛇も具して入ぬ。これぞこれが家なりける 〔と〕思ふに、ひるはすがたもなきなめり、夜こそとかくすることもあらんずら め、これか夜のありさまを見ばやと思ふに、見るべきやうもなければ、其家に あゆみよりて、「田舍よりのぼる人の、行きとまるべき所も候はぬを、こよひ ばかり、宿させ給はなんや」といへば、この蛇のつきたる女を家あるじと思 ふに、「こゝに宿り給人あり」といへば、老たる女いできて、「たれかのたまふ ぞ」といへば、これぞ家のあるじなりけると思て、「こよひばかり、宿かり申な り」といふ。「よく侍なん。いりておはせ」といふ。うれしと思て、いりて見れ ば、板敷のあるにのぼりて、此女ゐたり。蛇は、板敷のしもに、柱のもとにわ だかまりてあり。目をつけて見れば、この女をまもりあげて、此蛇はゐたり。 蛇つきたる女「殿にあるやうは」など、物がたりしゐたり。宮仕する者なりとみる。 △かゝるほどに、日たゞ暮れに暮れて、くらく成ぬれば、蛇のありさまを見 るべきやうもなく、此家主とおぼゆる女にいふやう、「かく宿させ給へるかはり に、麻やある、績みて奉らん。火とぼし給へ」といへば、「うれしくのたまひた り」とて、火ともしつ。麻とり出して、あづけたれば、それを績みつゝ見れば、 此女ふしぬめり。いまやよらんずらんと見れども、ちかくはよらず。この事、 やがても告げばやと思へども、告げたらば、我ためもあしくやあらんと思て、 物もいはで、しなさむやう見んとて、夜中の過るまで、まもりゐたれども、つ ひに見ゆるかたもなき程に、火きえぬれば、この女もねぬ。 △明て後、いかゞあらんと思て、まどひおきて見れば、此女、よき程にねおき て、ともかくもなげにて、家あるじと覺る女にいふやう、「こよひ夢をこそ見つ れ」といへば、「いかに見給へるぞ」と問ば、「このねたる枕上に、人のゐると 思て、見れば、腰よりかみは人にて、しもは蛇なる女、きよげなるがゐて、い ふやう、「おのれは、人をうらめしと思ひし程に、かく蛇の身をうけて、石橋 のしたに、おほくのとしを過ぐして、わびしと思ひゐたるほどに、昨日おのれ がおもしの石をふみ返し給しにたすけられて、石のその苦をまぬかれて、うれ しと思ひ給しかば、この人のおはしつかん所を見置き奉りて、よろこびも申さ んと思て、御ともに參りしほどに、菩提講の庭に參給ければ、その御ともに參 りたるによりて、あひがたき法をうけたまはる事たるによりて、おほく罪をさ へほろぼして、その力にて、人に生れ侍べき功徳の、ちかくなり侍れば、いよ ++悦をいたゞきて、かくて參りたるなり。此報ひには、物よくあらせ奉りて、 よき男などあはせ奉るべきなり」といふとなん見つる」と語るに、あさましく なりて、此やどりたる女の云やう、「まことには、おのれは、田舍よりのぼりた るにも侍らず。そこ++に侍る者也。それが、きのふ菩提講に參り侍し道に、 其程〔に〕行あひ給たりしかば、尻に立てあゆみまかりしに、大宮のその程の河 の石橋をふみ返されたりし下より、まだらなりし小蛇のいできて、御ともに參 りしを、かくとつげ申さんと思しかども、つげ奉りては、我ためもあしきこと にてもやあらんずらんと、おそろしくて、え申さざりし也。誠、講の庭にも、 その蛇侍りしかども、人もえ見つけざりしなり。はてて、出給し折、又具し 奉りたりしかば、なりはてんやうゆかしくて、思もかけず、こよひ爰にて夜を あかし侍つるなり。此夜中過るまでは、此蛇、はしらのもとに侍りつるが、明 て見侍つれば、蛇も見え侍らざりしなり。それにあはせて、かゝる夢語をし 給へば、あさましく、おそろしくて、かくあらはし申なり。今よりは、これを ついでにて、何事も申さん」などいひかたらひて、後はつねに行かよひつゝ、 しる人になんなりにける。 △さて此女、よに物よくなりて、この比は、なにとはしらず、大殿の下家司の、 いみじく徳有が妻になりて、よろづ事かなひてぞありける。尋ば、かくれあら じかしとぞ。 五八 東北院菩提講聖事△卷四ノ六 △東北院の菩提講はじめける聖は、もとはいみじき惡人にて、人屋に七度ぞ入 たりける。七たびといひけるたび、檢非違使どもあつまりて、「これはいみじ き惡人也。一二度人屋にゐんだに、人としてはよかるべきことかは。ましてい くそばくの犯しをして、かく七度までは、あさましくゆゝしき事也。此たびこ れが足きりてん」とさだめて、足きりに率て〔行き〕て、きらんとする程に、い みじき相人ありけり。それが物へいきけるが、此足きらんとするものによりて いふやう、「この人、おのれにゆるされよ。これは、かならず往生すべき相有人 なり」といひければ、「よしなき事いふ、ものもおぼえぬ相する御坊かな」とい ひて、たゞ、きりにきらんとすれば、そのきらんとする足のうへにのぼりて、 「この足のかはりに、わが足をきれ。往生すべき相あるものの、足きられては、 いかでかみんや。おう++」とをめきければ、きらんとするものども、しあつ かひて、檢非違使に、「かう++の事侍」といひければ、やんごとなき相人のい ふ事なれば、さすがに用ひずもなくて、別當に、「かゝる事なんある」と申けれ ば、「さらばゆるしてよ」とて、ゆるされにけり。そのとき、この盜人、心おこ して法師になりて、いみじき聖になりて、この菩提講は始めたる也。相かなひ て、いみじく終とりてこそ失せにけれ。 △かゝれば、高名せんずる人は、其相ありとも、おぼろけの相人のみることに てもあらざりけり。はじめ置きたる講も、けふまで絶えぬは、まことにあはれ なることなりかし。 五九 三川入道遁世の事△卷四ノ七 △參川入道、いまだ俗にて有ける折、もとの妻をば去りつゝ、わかくかたちよ き女に思つきて、それを妻にて、三川へ率てくだりける程に、その女、久しく わづらひて、よかりけるかたちもおとろへて、うせにけるを、かなしさのあま りに、とかくもせで、よるも〔ひ〕るも、かたらひふして、口を吸ひたりけるに、 あさましき香の、口より出きたりけるにぞ、うとむ心いできて、なく++葬り てける。 △それより、世うき物にこそありけれと、思ひなりけるに、三河の國に風祭と いふことをしけるに、いけにへといふことに、猪を生けながらおろしけるをみ て、此國退きなんと思ふ心つきてけり。雉子を生ながらとらへて、人のいでき たりけるを、「いざ、この雉子、生けながらつくりて食はん。いますこし、あぢ はひやよきとこゝろみん」といひければ、いかでか心にいらんと思たる郎等の、 物もおぼえぬが、「いみじく侍なん。いかでか、あぢはひまさらぬやうはあら ん」など、はやしいひける。すこしものの心しりたるものは、あさましきこと をもいふなど思ける。 △かくて前にて、生けながら毛をむしらせければ、しばしは、ふた++とする を、おさへて、たゞむしりにむしりければ、鳥の、目より血の涙をたれて、目 をしばたゝきて、これかれに見あはせけるをみて、え堪へずして、立て退くも のもありけり。「これがかく鳴事」と、興じわらひて、いとゞなさけなげにむ しるものもあり。むしりはてて、おろさせければ、刀にしたがひて、血のつぶ ++といできけるを、のごひ+ おろしければ、あさましく堪へがたげなる聲 をいだして、死はてければ、おろしはてて、「いりやきなどして心みよ」とて、 人々心みさせければ、「ことの外に侍けり。死したるおろして、いりやきしたる には、これはまさりたり」などいひけるを、つく※※と見聞きて、涙をながし て、聲をたててをめきけるに、「うましき」といひけるものども、したくたがひ にけり。さて、やがてその日國府をいでて、京にのぼりて法師になりにける。 道心のおこりければ、よく心をかためんとて、かゝる希有の事をしてみける也。 乞食といふ事しけるに、ある家に、食物えもいはずして、庭にたゝみをしき て、物を食はせければ、このたゝみにゐて食はんとしける程に、簾を卷上たり ける内に、よき裝束きたる女のゐたるを見ければ、我さりにしふるき妻なりけ り。「あのかたゐ、かくてあらんを見んとおもひしぞ」といひて、見あはせた りけるを、はづかしとも、苦しとも思ひたるけしきもなくて、「あな貴と」とい ひて、物よくうち食ひて、かへりにけり。 △有がたき心なりかし。道心をかたくおこしてければ、さる事にあひたるも、 くるしとも思はざりけるなり。 六〇 進命婦清水寺參事△卷四ノ八 △今は昔、進命婦若かりける時、常に清水へ參りける間、師の僧きよかりけり。 八十のもの也。法華經を八萬四千餘部讀奉りたる者也。此女房をみて、欲心を おこして、たちまちにやまひに成て、すでに死なんとするあひだ、弟子どもあ やしみをなして、問ていはく、「このやまひのありさま、うち任せたることにあ らず。おぼしめすことのあるか。仰られずはよしなき事也」といふ。この時、 かたりていはく、「誠は、京より御堂へ參らるゝ女に、近づきなれて、物を申さ ばやとおもひしより、此三か年、不食のやまひになりて、今はすでに蛇道にお ちなんずる、心うきことなり」といふ。 △こゝに弟子一人、進命婦のもとへ行て、このことをいふ時に、女、程なくき たれり。病者、かしらをそらで年月を送りたるあひだ、ひげ、かみ、銀の針 をたてたるやうにて、鬼のごとし。されども、此女、おそるゝけしきなくして、 いふやう、「とし比たのみたてまつる心ざし浅からず。何事にさぶらふとも、い かでか仰られん事、そむき奉らん。御身くづほれさせ給はざりしさきに、など か、おほせられざりし」といふときに、この僧、かきおこされて、念珠をとり て、押しもみていふやう、「うれしくきたらせ給たり。八萬餘部よみ奉りたる 法華經の最第一の文をば、御前に奉る。俗をうませ給はば、關白、攝政をうま せ給へ。女をうませ給はば、女御、后を生せ給へ。僧をうませ給はば、法務の 大僧正を生せ給へ」といひ終りて、すなはち死ぬ。 △其後、この女、宇治殿に思はれ參らせて、はたして、京極大殿、四條宮、三 井の覺園座主をうみ奉れりとぞ。 六一 業遠朝臣蘇生事△卷四ノ九 △是も今は昔、業遠朝臣死ぬる時、御堂の入道殿おほせられけるは、「いひ置く べきことあらんかし。不便の事也」とて、解脱寺觀修僧正をめし、業遠が家に むかひ給て加持する間、死人、たちまちに蘇生して、用事をいひてのち、又目 をとぢてけりとか。 六二 篤昌忠恒等事△卷四ノ一〇 △是も今は昔、民部大輔篤昌といふ者有けるを、法性寺殿御時、藏人所の所司 によしすけとかや云者ありけり。件者、篤昌を役に催しけるを、「我は、か様 の役はすべきものにもあらず」とて、參らざりけるを、所司に舍人をあまたつ けて、かはうをして催ければ參りにける。さて先、此所司に「物申さん」とよ びければ、出あひけるに、この世ならず腹だちて、「かやうの役に催し給ふは、 いかなることぞ。篤昌をば、いかなるものと知り給たるぞ。承らん」と、し きりにせめけれど、しばしは、物もいはでゐたりけるを、しかりて、「のたまへ、 まづ、篤昌がありやうをうけたまはらん」と、いたうせめければ、「別の事候は ず。民部大輔五位のはなあかきにこそ知り申たれ」といひたりければ、「おう」 といひて逃にけり。 △又、此所司がゐたりけるまへを、忠恒といふ隨身、ことやうにて、ねり通り けるをみて、「わりある隨身のすがたかな」と、忍びやかに云けるを、耳とくき ゝて、隨身、所司がまへにたちかへりて、「わりあるとはいかにのたまふこと ぞ」と、とがめければ、「我は、人のわりありなしもえ知らぬに、たゞいま、武 正府生の通られつるを、この人々「わりなきもののやうだいかな」といひあは せつるに、すこしも似給はねば、さてはもし、わりのおはするかと思ひて、申 たりつるなり」といひたりければ、忠恒、「をう」といひて逃げにけり。 △この所司をば、「荒所司」とぞつけたりけるとか。 六三 後朱雀院丈六佛奉作給事△卷四ノ一一 △是も今は昔、後朱雀院、例ならぬ御事大事におはしましける時、後生のこと、 おそれおぼしめしけり。それに御夢に、御堂入道殿參りて申給ていはく、「丈 六の佛をつくれる人、子孫において、更に惡道におちず。それがし、おほくの 丈六を作り奉れり。御菩提において、うたがひおぼしめすべからず」と。是 によりて、明快座主におほせあはせられて、丈六の佛をつくらる。件の佛、 山の護佛院に安置し奉らる。 六四 式部大夫實重賀茂御正躰(ごしやうたい)拜奉る事△卷四ノ一二 △これも今は昔、式部大夫實重は、賀茂へ參ることならびなきものなり。前生 の運おろそかにして、身に過たる利生にあづからず。人の夢に、大明神「又實= 重きたり」とて、なげかせおはしますよし見けり。實重、御本地を見たてまつ るべきよし祈申に、ある夜、下の御やしろに通夜したる夜、上へ參るあひだ、 なから木のほとりにて、行幸にあひ奉る。百官供奉つねのごとし。實重、かた やぶにかくれゐて見れば、鳳輦の中に、金泥の經一卷、おはしましたり。その 外題に、一稱南無佛、皆已成佛道とかゝれたり。夢すなはち覺めぬとぞ。 六五 智海法印癩人法談〔の事〕△卷四ノ一三 △是も今は昔、智海法印有職のとき、清水寺へ百日參りて、夜ふけて下向しけ るに、橋の上に、「唯圓教意、逆即是順、自餘三教、逆順定故」といふ文を誦 する聲あり。尊きことかな、いかなる人の誦するならんと思て、近うよりて見 れば、白癩人なり。かたはらにゐて、法文の事をいふに、智海ほと++云まは されけり。南北二京に、これ程の學生あらじものをと思ひて、「いづれの所に あるぞ」と問ひければ、「この坂に候也」といひけり。後に、度々たづねけれ ど、尋あはずしてやみにけり。もし化人にやありけんとおもひけり。 六六 白川院おそはれ給事△卷四ノ一四 △これも今は昔、白河の院、御とのごもりてのち、物におそはれさせ給ひける。 「しかるべき武具を、御枕の上に置べき」と沙汰ありて、義家朝臣にめされけ れば、まゆみの黒ぬりなるを、一張參らせたりけるを、御枕にたてられて後、 おそはれさせおはしまさざりければ、御感ありて、「この弓は、十二年の合戰の ときや、もちたりし」と御尋ありければ、覺えざるよし申されけり。上皇しき りに御感有けりとか。 六七 永超僧都魚食事△卷四ノ一五 △是も今は昔、南京の永超僧都は、魚なき限は、時、非時もすべて食はざりけ る人也。公請つとめて、在京の間、ひさしく成て、魚を食はで、くづほれて下 るあひだ、奈島の丈六堂のへんにて、ひるわりご食ふに、弟子一人、近邊の在 家にて、魚をこひてすゝめたりけり。件の魚のぬし、のちに夢にみるやう、お そろしげなるものども、其へんの在家をしるしけるに、我家しるしのぞきけれ ば、たづねぬる所に、つかひのいはく、「永超僧都に魚を奉る所なり。さてしる しのぞく」といふ。その年、この村の在家、こと※※く、えやみをして、死ぬ る者おほかりけり。その魚のぬしが家、たゞ一宇、そのことをまぬかるにより て、僧都のもとへ參りむかひて、此よしを申。僧都、此よしきゝて、かづけ物 一重たびてぞかへされける。 六八 了延に實因自湖水中法文〔の事〕△卷四ノ一六 △是も今は昔、了延房阿闍梨、日吉のやしろへ參りて歸る。唐崎のへんをすぐ るに、「有相安樂行、此依觀思」といふ文誦したりければ、波中に「散心誦法 華、不入禪三昧」と、末の句をば誦する聲あり。ふしぎの思をなして、「いかな る人のおはしますぞ」と問ひければ、「具房僧都實因」と名乘ければ、汀にゐて る法文を談じけるに、少々僻事どもこたへければ、「是はひがごとなり。いかに」 と問ひければ、「よく申とこそ思ひ候へども、生をへだてぬれば、力及ばぬこ となり。我なればこそ、これほども申せ「といひけるとか。 六九 慈惠僧正戒壇つきたる事△卷四ノ一七 △是も今は昔、慈惠僧正は、近江國淺井郡の人なり。叡山の戒壇を、人夫かな はざりければ、得つかざりける比、淺井の郡司は親しきうへに、師檀にて佛事 を修する間に、此僧正を請じ奉りて、僧膳の料に、前にて大豆をいりて酢ををかけ けるを、「なにしに酢をばかくるぞ」と問れければ、郡司いはく、「あたゝかな る時、酢をかけつれば、すむつかりとて、にがみてよくはさまるゝ也。しから ざれば、すべりて、はさまれぬなり」と云。僧正のいはく、「いかなりとも、な じかは、はかまぬやうやあるべき。なげやるとも、はさみ食ひてん」とありけ れば、「いかでさる事あるべき」と、あらがひけり。僧正「勝ち申なば、異事あ るべからず。戒壇をつきて給へ」と有ければ、「やすき事」とて、いり大豆をな げやるに、一間ばかりのきてゐ給ひて、一度もおとさずはさまれけり。みるも のあさまずといふ事なし。柚の核のたゞ今しぼり出したるをまぜて、なげてや りたるをぞ、はさみすべらかし給ひたりけれど、おとしもたてず、又やがては さみとゞめ給ひける。郡司、一家ひろき者なれば、人數をおこして、不日に戒 壇をつきてけりとぞ。 七〇 四宮河原地藏事△卷五ノ一 △是も今は昔、山科の道づらに、四の宮川原と云所にて、袖くらべといふ、あ き人あつまる所あり。その邊の下種のありける、地藏菩薩を一體造たてまつり たりけるを、開眼もせで櫃にうちいれて、奧のへやなどおぼしき所にをさめ置 て、世のいとなみにまぎれて、程へ〔に〕ければ、忘にける程に、三四年ばかり すぎにけり。 △ある夜、夢に、大路をすぐる者の、聲だかに人よぶ聲のしければ、「何事ぞ」 ときけば、「地藏こそ」と、たかく此家の前にていふなれば、おくのかたより、 「何事ぞ」と、いらふる聲すなり。「明日、天帝釋の地藏會し給ふには、參らせ 給はぬか」といへば、この小家のうちより、「參らむと思へど、まだ目のあかね ば、え參るまじく」といへば、「かまへて參り給へ」といへば、「目もみえねば、 いかでか參らん」といふ聲す也。うちおどろきて、なにのかくは夢にみえつる にかと思ひ參らすに、あやしくて、夜あけて、おくのかたをよく++見れば、 此地藏納めて置きたてまつりたりけるを思ひいだして、みいだしたりけり。こ れがみえ給ふにこそと、おどろき思ひて、いそぎ開眼したてまつりけりとなん。 七一 伏見修理大夫〔の〕もとへ殿上人行向事△卷五ノ二 △是も今は昔、伏見の修理大夫のもとへ、殿上人廿人ばかり押しよせたりける に、俄にさわぎけり。さかな物とりあへず、沈地の机に時の物ども色々、唯推 し量るべし。盃度々になりて、おの++たはぶれ出ける。馬屋に、黒馬の額少 白きを、廿ぴきたてたりけり。移の鞍二十具、鞍かけにかけたりけり。殿上人、 醉ひみだれて、おの++此馬に、移しの鞍置きて、のせて返しにけり。つとめ て、「さても、きのふいみじくしたるものかな」といひて、「いざ、又押しよせ む」と云て、又二十人押しよせたりければ、此度は、さるていにして、俄なる さまは昨日にかはりて、すびつをかざりたりける。馬屋をみれば、くろ栗毛な る馬をぞ二十ぴきまでたてたりける。是も額白かりけり。 △大かたかばかりの人はなかりけり。是は宇治殿の御子におはしけり。され ども、君達おほくおはしましければ、橘俊遠といひて、世中の徳人ありけり。 その子になして、かかるさまの人にぞなさせ給うたりけるとぞ。 七二 以長物忌事△卷五ノ三 △是も昔、大膳の亮大夫橘以長と云藏人の五位有けり。宇治左大臣殿より召 ありけるに、「今明日は、かたき物忌を仕ること候」と申たりければ、「こはい かに、世にある者の物忌と云事やはある。たしかに參られよ」と、召きびしか りければ、恐ながら參りにけり。 △さる程に、十日ばかりありて、左大臣殿にかたき物忌出きにけり。御門のは ざまにかいだてなどして、仁王講おこなはるゝ僧も、高陽院のかたの土戸より、 童子などもいれずして、僧ばかりぞ參りける。「御物忌あり」と、此以長聞きて、 いそぎ參りて、土戸より參らんとするに、舍人二人ゐて、「人ないれそと候」と て、たちむかひたりければ、「やうれ、おれらよ、召されて參るぞ」といひけれ ば、これらもさすがに職事にてつねに見れば、ちから及ばでいれつ。參りて、 藏人所にゐて、なにとなく聲だかにものいひゐたりけるを、左府きかせ給ひて、 「この物云はたれぞ」と問はせ給ければ、もりかね申やう、「以長に候」と申け れば、「いかに、かばかりかたき物忌には、夜部より參りこもりたるかとたづね よ」と〔仰ければ、行て〕仰の旨をいふに、藏人所は御所より近かりけるに、「く は++」と大聲して、はゞからず申やう、「すぎ候ぬるころ、わたくしに物忌 仕て候しに、召され候き。物忌のよしを申候しを、物忌といふことやはあ る、たしかに參るべきよしおほせ候しかば、參り候にき。されば物忌といふ事 は候はぬと知りて候なり」と申ければ、きかせ給て、打うなづき、物もおほせ られでやみにけりとぞ。 七三 範久阿闍梨西方を後にせぬ事△卷五ノ四 △是も今はむかし、範久阿闍梨と云僧有けり。山の楞嚴院にすみけり。ひとへ に極樂をねがふ。行住座臥、西方をうしろにせず。つばきをはき、大小便、西 にむかはず。いり日をせなかに負はず。西坂より山へのぼるときは、身をそば だてて歩む。つねにいはく、「うゑ木の倒るる事、かならずかたぶくかたにあ り。心を西方にかけんに、なんぞ心ざしをとげざらん。臨終正念うたがはず」 となむいひける。 △往生傳にいるとか。 七四 陪從家綱行綱(いへつなゆきつな)互謀事△卷五ノ五 △これもいまはむかし、陪從はさもこそはといひながら、これは世になき程の さるがくなりけり。堀川院の御とき、内侍所の御神樂の夜、仰にて、「今夜めづ らしからん事つかうまつれ」と、おほせ有ければ、職事、家綱をめして、この よしおほせけり。承て、何事をかせましと案じて、おとうと行綱をかたすみ へ招きよせて、「かゝる事おほせ下されたれば、わが案じたることのあるは、い かゞあるべき」と、いひければ、「いかやうなることをせさせ給はむずるぞ」と いふに、家綱がいふやう、「庭火しろくたきたるに、袴をたかく引あげて、ほ そはぎを出して、「よりに+ 夜のふけて、さりに+ 寒きに、ふりちうふぐり を、ありちうあぶらん」といひて、庭火を三めぐりばかり、走りめぐらんと思 ふ。いかゞあるべき」といふに、行綱がいはく、「さも侍りなん。ただし、おほ やけの御前にて、ほそはぎかきいだして、ふぐりあぶらんなどそぶらはむは、 びんなくや候べからん」といひければ、家綱「まことに、さいはれたり。さら ば異事をこそせめ。かしこう申あはせてけり」と云ける。 △殿上人など、仰を奉りたれば、今夜いかなることを、せんずらむと、めを すましてまつに、人長「家綱めす」とめせば、家綱出て、させる事なきやうに て入りぬれば、上よりも、その事なきやうにおぼしめすほどに、人長、又すゝ みて、「行綱めす」とめすとき、行綱、まことに寒げなるけしきをして、膝をも ゝまでかきあげて、ほそはぎをいだして、わなゝき寒げなる聲にて、「よりに + 夜の更て、さりに+ 寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん」と 云て、庭火を十まはりばかり、走りまはりたるに、上より下ざまにいたるまで、 大かたどよみたりける。家綱、かたすみにかくれて、「きやつに、かなしう謀ら れぬるこそ」とて、中たがひて、目もみあはせずしてすぐる程に、家綱思ひけ るは、謀られたるはにくけれど、さてのみやむべきにあらずと思て、行綱に云 やう、「此事さのみぞある。さりとて、兄弟の中たがひはつべきにあらず」とい ひければ、行綱、よろこびて、ゆきむつびけり。 △賀茂の臨時のまつりの歸だちに、御神樂のあるに、行綱、家綱に云やう、「人 長めしたてん時、竹臺のもとによりて、そゝめかんずるに、「あれは、なんする 者ぞ」と、はやい給へ。其とき、「竹豹ぞ+ 」といひて、豹のまねをつくさ ん」といひければ、家綱、「ことにもあらずてのきいはやさむ」と、事うけしつ。 さて、人長たちすゝみて、「行綱めす」といふ時に、行綱、やをらたちて、竹の 臺のもとによりて、はひありきて、「あれはなにするぞや」といはば、それにつ きて、「竹豹」といはむとまつ程に、家綱「かれはなんぞの竹豹ぞ」と問ければ、 たれといはんと思ふ竹豹を、さきにいはれければ、いふべき事なくて、ふとに げて、走りいりにけり。 △この事、上まできこしめして、中々ゆゝしき興にて有けるとかや。さきに行 綱に謀られたるあたりとぞといひける。 七五 同清仲事△卷五ノ六 △是も今は昔、二條の大宮と申けるは、白川院の宮、鳥羽院の御母代におはし ましける。二條の大宮とぞ申ける。二條よりは北、堀川よりは東におはしまし けり。其御所やぶれにければ、有賢大藏卿、備後の國をしられける重任の功に 修理しければ、宮も外へおはしましにけり。 △それに、陪從清仲と云者、つねに候ひけるが、宮おはしまさねども、猶御車 宿の妻戸にゐて、ふるき物はいはじ、あたらしうしたるつかはしら、しとみな どをさへ破たきけり。この事を、有賢、鳥羽の院にうたへ申ければ、清仲を召 て、「宮わたらせおはしまさぬに、猶とまりゐて、古物、新物こぼちたくな るは、いかなる事ぞ。修理する者うたへ申なり。まづしもおはしまさぬに、猶 篭居たるは何ごとによりてさぶらふぞ。しさいを申せ」と仰られければ、清 仲申やう、「別の事に候はず。たきぎにつきて候なり」と申ければ、大かたこれ 程の事、とかくおほせらるゝに及ばず、「すみやかに追ひいだせ」とて、わらは せおはしましけるとかや。 △此清仲は、法性寺殿御とき、春日の祭乘尻にたちけるに、神馬づかひ、おの ++さはりありて、ことかけたりけるに、清仲ばかり、かうつとめたりし者な れども、「ことかけにたり。相構てつとめよ。せめて京ばかりをまれ、事なき さまにはからひつとめよ」と、おほせられけるに、「かしこまりて奉ぬ」と申 て、やがて社頭に參りたりければ、返々感じおぼしめす。「いみじうつとめて さぶらふ」とて、御馬をたびたりければ、ふしまろび悦て、「この定に候はば、 定使を仕候はばや」と申けるを、仰つぐ者も、さぶらひあふものどもも、ゑ つぼにいりてわらひのゝしりけるを、「何事ぞ」と御尋ありければ、「しか※※」 と申けるに、「いみじう申たり」とぞ、おほせごとありける。 七六 假名暦あつらへたる事△卷五ノ七 △是も今は昔、ある人のもとに生女房のありけるが、人に紙こひて、そこなり けるわかき僧に、「假名暦書きてたべ」といひければ、僧「やすき事」といひて、 書きたりけり。はじめつかたはうるはしく、神ほとけによし、かんにち、くゑ にちなど書きたりけるが、やう++末ざまになりて、あるひは、物くはぬ日な ど書き、又、これぞあればよく食ふ日など書きたり。此女房、やうがる暦かな とは思へども、いとかう程には思ひよらず、さることにこそと思ひて、其まゝ にた〔が〕へず。又あるひは、はこすべからずと書きたれば、いかにとは思へど も、さこそあらめとて、念じてすぐす程に、ながくゑにちのやうに、はこすべ からず+ と、つゞけ書きたれば、二日三日までは念じゐたる程に、大かた堪 ふべきやうもなければ、左右の手にて尻をかゝへて、「いかにせん+ 」と、よ ぢりすぢりする程に、物も覺ずしてありけるとか。 七七 實子〔に〕非ざる子事△卷五ノ八 △是も今は昔、その人の一定、子とも聞えぬ人ありけり。世の人は其よしを知 りて、をこがましく思けり。其父と聞ゆる人失せにける後、その人のもとに、 年ごろありける侍の、妻に具して田舍へいにけり。その妻失にければ、すべき やうもなく成て、京へのぼりにけり。よろづあるべきやうもなく、たよりなか りけるに、「此子と云人こそ一定のよしいひて、親の家にゐたなれ」と聞きて、 この侍參りたりけり。「故殿に年比さぶらひし、何がしと申者こそ參りて候へ。 御見參にいりたがり候」といへば、この子、「さる事ありとおぼゆ。しばしさ ぶらへ。御對面あらむずるぞ」と、いひいだしたりければ、侍、「しおほせつ」 と思て、ねぶりゐたるほどに、ちかう召つかふ侍いできて、「御出居へ參らせ給 へ」といひければ、悦て參りにけり。此召つぎしつる侍、「しばし候はせ給へ」 といひて、あなたへ行ぬ。 △み參らせば、御出居のさま、故殿のおはしましししつらひに露かはらず。み 障子などはすこしふりたる程にやと見る程に、中の障子引あくれば、きと見あ げたるに、此子と名乘人、歩みいでたり。是をうちみるまゝに、此年比の侍、 さくりもよゝと泣く。袖もしぼりあへぬ程也。このあるじ、いかにかくは泣く らんと思て、ついゐて、「とはなどかく泣くぞ」と問ければ、「故殿のおはしま ししに違はせおはしまさぬが哀におぼえて」と云。さればこそ、我も、故殿に は違はぬやうにおぼゆるを、この人々の、あらぬなど云なる、あさましきこと と思て、この泣く侍に云やう、「おのれこそ、ことの外に老にけれ。世中はいか やうにて過ぐるぞ。われはまだをさなくて、母のもとにこそありしかば、故殿 のありやう、よくもおぼえぬ也。おのれこそ、故殿とたのみて有べかりけれ。 何事も申せ。又ひとへにたのみてあらむずるぞ。まづ當時さむげ也。この衣き よ」とて、綿ふくよかなる衣一つぬぎて賜びて、「今はさうなし。これへ參るべ きなり」といふ。この侍、しおほせてゐたり。昨日けふのものの、かくいはん だにあり、いはむや、故殿の年比の者の、かくいへば、家ぬし笑みて、「此男の、 年比ずちなくてありけん、不便のことなり」とて、後見に、めし出て、「是は、 故殿のいとほしくし給し者なり。まづかく京に旅だちたるにこそ。思ひはから ひて沙汰しやれ」といへば、ひげなる聲にて、「む」といらへてたちぬ。此侍は、 「空事せじ」といふをぞ、佛に申きりてける。 △さて此あるじ、我を不定げにいふなる人々よびて、此侍にことの子細いはせ て、きかせんとて、後見めし出て、「あさて、これへ人々わたらんといはるゝ に、さる樣に引つくろひて、もてなしすさまじからぬやうにせよ」と云ければ、 「む」と申て、さま※※に沙汰し設けたり。この得意の人々、四五人ばかり來 あつまりにけり。あるじ、常よりもひきつくろひて、いであひて、御酒たび ++參りて後、いふやう、「吾親のもとに年比生ひたちたる者候をや御覽ずべ からん」といへば、このあつまりたる人々、心ちよげに、かほさきあかめあひ て、「もともめしいださるべく候。故殿に候けるも、かつは哀に候」といへば、 「人やある。なにがし參れ」といへば、ひとり立て召也。見れば、鬢はげたる をのこの、六十餘ばかりなるが、まみの程など空事すべうもなきが、うちたる しろき狩衣に、ねり色の衣のさるほどなる着たり。これは、給はりたる衣とお ぼゆる。めし出されて、事うるはしく、扇を笏に取て、うずくまりゐたり。 △家主の云やう、「やゝ。こゝの父の、そのかみより、をのれは生たちたる者ぞ かし」などいへば、「む」といふ。「見えにたるか、いかに」といへば、此侍い ふやう、「そのことに候。故殿には、十三より參りて候。五十迄、夜晝はなれ 參らせ候はず。故殿の+ 、小冠者+ とめし候き。無下に候しときも、御あ とにふせさせおはしまして、夜中、曉、大つぼ參らせなどし候し。その時は、 わびうし、たへがたくおぼえ候しが、おくれ參らせてのちは、などさおぼえ 候けんと、くやしう候ふ也」と云。あるじのいふやう、「そも++、一日なん ぢをよび入たりし折、我障子を引明て出たりし折、打見あげて、ほろ++と 泣しは、いかなりし事ぞ」といふ。そのとき侍がいふやう、「それも別の事に 候はず。田舍に候ひて、「故殿失給にき」とうけたまはりて、いま一度參りて、 御ありさまをだにもおがみ候はむと思て、恐々參り候ひし。さうなく御出居へ めし出させおはしまして侍し。大かたかたじけなく侍しに、御障子を引あけさ せ給侍しを、きと見あげ參らせて候ひしに、御烏帽子の、ま黒にて、まづさ しいでさせおはしまして候ひしが、故殿のかくのごとく出させおはしましたり しも、御烏帽子は、ま黒に見えさせおはしまししが、思いでられおはしまして、 おぼえず涙のこぼれ候ひし也」といふに、此あつまりたる人々も、ゑみをふく みたり。又此あるじもけしきかはりて、「さて又いづくか故殿には似たる」とい ひければ、この侍「その外は大方似させおはしましたる所はおはしまさず」と いひければ、人々ほゝゑみて、ひとりふたりづゝこそ、逃げうせにけれ。 七八 御室戸僧正事・一乘寺僧正の事△卷五ノ九 △是も今は昔、一乘寺僧正、御室戸僧正とて、三井の門流に、やんごとなき人 おはしけり。御室戸の僧正は、隆家帥の第四の子なり。一乘寺僧正は、經輔大 納言の第五の子なり。御室戸をば隆明といふ。一乘寺をば●譽といふ。この二 人、おの++貴くて、生佛なり。 △御室戸はふとりて、修行するに及ばず、ひとへに本尊の御前をはなれずして、 夜晝おこなふ鈴の音、たゆるときなかりけり。おのづから人の行むかひたれば、 門をばつねにさしたる。門をたゝくとき、たまたまひとの出きて、「たれぞ」と 問ふ。「しか※※の人の參らせ給たり」もしは「院の御使にさぶらふ」などいへ ば、「申さぶらはん」とて、奧へ入て、無期にある程、鈴の音しきり也。さて、 とばかりありて、門の關木をはづして、扉かたつかたを、人ひとりいる程あけ たり。見いるれば、庭には草しげくして、道ふみあけたるあともなし。露を分 てのぼりたれば、廣びさし一間あり。妻戸に明障子たてたり。すすけとほり たること、いつの世に張りたりともみえず。 △しばしばかりありて、墨染きたる僧、あし音もせで出きて、「しばしそれにお はしませ。おこなひの程に候」といへば、待ゐたるほどに、とばかりありて、 内より、「それへいらせたまへ」とあれば、すゝけたる障子を引あけたるに、香 の煙くゆりいでたり。なへとほりたる衣に、袈裟なども所々破たり。物もいは でゐられたれば、この人も、いかにと思てむかひゐたるほどに、こまぬきて、 すこしうつぶしたるやうにてゐられたり。しばしある程に、「おこなひの程よ く成候ぬ。さらば、とく歸らせ給へ」とあれば、云べき事もいはで出ぬれば、 又門やがてさしつ。これは、ひとへに居行ひの人也。 △一乘寺僧正は、大嶺は二度通られたり。蛇をみる法行はるゝ。又龍の駒など を見などして、あられぬありさまをして、行ひたる人なり。その坊は一二町ば かりよりひしめきて、田樂、猿樂などひしめき、隨身、衞府のをのこ共など、 出入ひしめく。物うりども、いりきて、鞍、太刀、さま※※のものをうるを、 かれがいふまゝに、あたひを賜びければ、市をなしてぞ集ひける。さて此僧正 のもとに、世の寶は集ひあつまりたりけり。 △それに呪師小院といふ童を、愛せられけり。鳥羽の田植に見つきしたりける。 さき※※いくひにのりつゝ、みつきをしけるをのこの田うゑに、僧正いひあは せて、この比するやうに、扇にたち++して、こはゝより出たりければ、大か た見る者も、驚き+ しあひたりけり。此童餘りに寵愛して、「よしなし。 法師に成て、夜晝はなれずつきてあれ」とありけるを、童「いかゞ候べからん。 今しばし、かくて候はばや」と云けるを、僧正猶いとほしさに、「たゞなれ」と 有ければ、童、しぶ++に法師になりにけり。さてすぐる程に、春雨打そゝぎ て、つれ※※なりけるに、僧正、人をよびて、「あの僧の裝束はあるか」と問 はれければ、此僧「納殿にいまだ候」と申ければ、「取て來」といはれけり。 もてきたりけるを、「是を着よ」といはれければ、咒師小院、「みぐるしう候な ん」と、いなみけるを、「唯着よ」と、せめのたまひければ、かた方へ行て、さ うぞきて、かぶとして出できたりけり。露むかしにかはらず。僧正、うちみて、 かひをつくられけり。小院又おもがはりしてたてりけるに、僧正「未はしりて 御おぼゆや」とありければ、「おぼえさぶらはず。たゞし、かたさらはのてうぞ、 よくしつけてこし事なれば、少おぼえ候」といひて、せうのなかわりてとほる 程を走りてとぶ。かぶともちて、一拍子にわたりたりけるに、僧正、聲をはな ちて泣かれけり。さて、「こち來よ」と、呼びよせて打なでつゝ、「なにしに出 家をさせけん」とて、泣かれければ、小院も、「さればこそ、いましばしと申候 ひしものを」といひて、裝束ぬがせて、障子の内へ具して入られにけり。其後 はいかなる事かありけん、しらず。 七九 或僧人の許にて氷魚ぬすみ食ひたる事△卷五ノ一〇 △是も今は昔、ある僧、人のもとへ行きけり。酒などすすめけるに、氷魚はじ めて出きたりければ、あるじ、めづらしく思て、もてなしけり。あるじ、よう の事ありて、うちへいりて、また出でたりけるに、この氷魚の、ことの外にす くなく成たりければ、あるじ、いかにと思へども、いふべきやうもなかりけれ ば、物がたりしゐたりける程に、此僧の鼻より、氷魚の一、ふと出でたりけれ ば、あるじ、あやしうおぼえて、「その鼻より、氷魚の出たるは、いかなる事に か」と、いひければ、取もあへず、「此比の氷魚は、目鼻より降り候なるぞ」と、 いひたりければ、人皆「は」とわらひけり。 八〇 仲胤僧都地主權現説法の事△卷五ノ一一 △是も今は昔、仲胤僧都を、山の大衆、日吉の二宮にて法華經を供養しける導 師に、請じたりけり。説法えもいはずして、はてがたに、「地主權現の申せとさ ぶらふは」とて、「此經難持、若暫持者、我即歡喜、諸佛亦然」と云文を打あげ て誦して、諸佛と云所を、「地主權現の申せとは、我即歡喜、諸神亦然」といひ たりければ、そこらあつまりたる大衆、異口同音にあめきて、扇をひらきつか ひたりけり。 △これをある人、日吉の社の御正躰をあらはし奉りて、おの++御前にて、千 日の講をおこなひけるに、二宮の御料の折、ある僧、此句をすこしもたがへず したりける。或人、仲胤僧都に、かゝる事こそ有しか」と語ければ、仲胤僧都、 「きやう+ 」とわらひて、「是は、かう++の時、仲胤がしたりし句なり。 ゑい++」とわらひて、「大方は此比の説教をば、犬の糞説教といふぞ。犬は 人の糞を食て、糞をまる也。仲胤が説法をとりて、此比の説教師はすれば、犬 の糞説教といふなり」といひける。 八一 大二條殿に小式部内侍歌よみかけ奉る事△卷五ノ一二 △これも今は昔、大二條殿、小式部内侍おぼしけるが、たえ間がちになりける 比、例ならぬ事おはしまして、ひさしうなりてよろしくなり給ひて、上東門院 へ參らせ給たるに、小式部、臺盤所にゐたりけるに、出させ給とて、「死なんと せしは。など問はざりしぞ」と仰られてすぎ給けるに、御直衣のすそをひきと ゞめつゝ申けり。 △△しぬばかり歎きにこそは歎しかいきて問ふべき身にしあらねば 堪えずおぼしけるにや、かき抱きて局へおはしまして、ねさせ給ひにけり。 八二 山横川賀能地藏事△卷五ノ一三 △これも今は昔、山の横川に、賀能ち院といふ僧、きはめて破戒無慚の者にて、 畫夜に佛の物をとり遣ふことをのみしけり。横川の執行にてありけり。政所へ 行とて、塔のもとを常にすぎありきければ、塔のもとに、ふるき地藏の、物の なかに捨置きたるを、きと見たてまつりて、時々、きぬかぶりしたるをうちぬ ぎ、頭をかたぶけて、すこし+ うやまひおがみつゝゆく時も有けり。かゝる 程に、かの賀能、はかなく失せぬ。師の僧都、これを聞きて、「かの僧、破戒無 慚の者にて、後世さだめて地獄におちん事、うたがひなし」と心うがり、あは れみ給ふ事かぎりなし。 △かゝる程に、「塔のもとの地藏こそ、この程みえ給はね。いかなることにか」 と、院内の人々いひあひたり。「人の修理し奉らんとて、とり奉たるにや」な どいひけるほどに、この僧都の夢にみ給やう、「この地藏の見え給はぬは、いか なることぞ」と尋給に、かたはらに僧ありていはく、「この地藏菩薩、はやう賀 能ち院が、無間地獄におちしその日、やがてたすけんとて、あひ具していり給 し也」といふ。夢心ちにいとあさましくて、「いかにして、さる罪人には具して 入給たるぞ」と問ひ給へば、「塔のもとを常にすぐるに、地藏をみやり申て、 時々おがみ奉りし故なり」とこたふ。夢さめてのち、みづから塔のもとへおは してみ給に、地藏まことに見え給はず。 △さは、此僧に誠に具しておはしたるにやとおぼす程に、其後、又、僧都の夢 にみ給やう、塔のもとにおはしてみ給へば、この地藏たち給たり。「是はうせさ せ給し地藏、いかにして出でき給たるぞ」とのたまへば、又人のいふやう、「賀 能具して地獄へいりて、たすけて歸給へるなり。されば御足のやけ給へるな り」といふ。御足をみ給へば、まことに御足くろう燒給ひたり。夢心ちに、寔 にあさましき事かぎりなし。 △さて夢さめて、涙とまらずして、いそぎおはして、塔の許をみ給へば、うつゝ にも、地藏たち給へり。御足をみれば、實にやけ給へり。これをみ給に、哀に かなしき事かぎりなし。さて、泣く++この地藏を、いだき出し奉給てけり。 今におはします。二尺五寸斗のほどにこそと、人は語りし。 △是語ける人は、おがみ奉りけるとぞ。 八三 廣貴炎魔王宮へ召るゝ〔事〕△卷六ノ一 △是も今は昔、藤原廣貴といふ者ありけり。死て閻魔の廳にめされて、王の御 前とおぼしき所に參りたるに、王のたまふやう、「汝が子をはらみて、産をしそ こなひたる女死にたり。地獄におちて苦をうくるに、うれへ申ことのあるによ りて、汝を召たるなり。まづさる事あるか」と問はるれば、廣貴「さる事候 ひき」と申。王のたまはく、「妻のうたへ申心は、「われ、男に具して、ともに 罪をつくりて、しかも、かれが子を産そこなひて、死して地獄におちて、かゝ るたへがたき苦をうけ候へども、いさゝかもわが後世をも、とぶらひ候はず。 されば、我一人苦を受候ふべきやうなし。廣貴をも、もろともに召て、おなじ やうにこそ、苦を受候はめ」と申によりて、召したる也」とのたまへば、廣貴 が申やう、「此うたへ申事、もつともことわりに候。おほやけわたくし、世をい となみ候間、思ながら後世をばとぶらひ候はで、月日はかなくすぎ候ふなり。 たゞし今におき候ては、共に召されて苦をうけ候とも、かれがために、苦のた すかるべきに候はず。されば、此度はいとまを給はりて、娑婆にまかりかへり て、妻のためによろづを捨て、佛經を書き供養して、とぶらひ候はむ」と申せ ば、王「しばし候へ」とのたまひて、かれが妻を召しよせて、なんぢが夫、廣 貴が申やうを問ひ給へば、「げに※※、經佛をだに書き供養せんと申候はば、と くゆるし給へ」と申時に、また廣貴をめし出て、申まゝのことを仰きかせて、 「さらば、此度はまかり歸れ。たしかに、妻のために、佛經を〔書き〕供養して、 とぶらふべき也」とて、かへしつかはす。 △廣貴、かゝれども、これはいつく、たれがのたまふぞ、ともしらず。ゆるされ て、座をたちてかへる道にて思ふやう、此玉の簾のうちにゐさせ給て、かやう に物の沙汰して、我をかへさるゝ人は、たれにかおはしますらんと、いみじく おぼつかなくおぼえければ、又參りて、庭にゐたれば、簾のうちより「あの廣 貴は、かへしつかはしたるにはあらずや。いかにして又參りたるぞ」と、問は るれば、廣貴が申やう、「はからざるに、御恩をかうぶりて、歸がたき本國へか へり候ことを、いかにおはします人の仰とも、え知り候はで、まかりかへり候 はむことの、きはめていぶせく、くちをしく候へば、恐ながらこれを承に、ま た參りて候なり」と申せば、「汝不覺也。閻浮提にしては、我を地藏菩薩と稱 す」とのたまふをきゝて、さは炎魔王と申は、地藏にこそおはしましけれ。此 菩薩につかうまつり候が、地獄の苦をばまぬかるべきにこそあめれと思ふ程に、 三日といふに生きかへりて、其後、妻のために佛經を書き供養してけりとぞ。 △日本の法華驗記に見えたるとなん。 八四 世尊寺に死人掘出事△卷六ノ二 △今は昔、世尊寺といふ所は、桃園の大納言住給けるが、大將になる宣旨かう ぶり給にければ、大饗はあるじの料に修理し、まづは、いはひし給し程に、あ さてとて、俄に失せ給ぬ。つかはれ人、みな出ちりて、北方、若者ばかりなん、 すごくてすみ給ける。其若君は、主殿頭ちかみつといひしなり。此家を一條 攝政殿とり給て、太政大臣になりて、大饗おこなはれける。ひつじさるのすみ に塚のありける、築地をつき出して、そのすみは、したうづがたにぞ有ける。 殿「そこに堂をたてん。この塚をとりすてて、そのうへに堂たてん」と、さだ められぬれば、人人も、「塚のために、いみじう功徳になりぬべきことなり」と 申ければ、塚をほり崩すに、中に石の辛櫃あり。あけてみれば、尼の年二十五 六ばかりなる、色うつくしくて、くちびるの色など露かはらで、えもいはずう つくしげなる、ね入りたるやうにて臥たり。いみじううつくしき衣の〔色々なる をなん着たりける。若かりける者のにはかに死たるにや〕金の坏、うるはしく て据ゑたりけり。入りたる物なにもかうばしきことたぐひなし。あさましがり て、人々たちこみて見る程に、乾の方より風ふきければ、色々なる塵になんな りて失せにけり。金の坏より外の物、露とまらず。「いみじきむかしの人也とも、 骨髮の散べきにあらず。かく風の吹に、塵になりて吹き散らされぬるは、希有 の物なり」といひて、その比、人あさましがりける。 △攝政殿いくばくもなくて失せ給にければ、「此たゝりにや」と人うたがひけり。 八五 留志長者の事△卷六ノ三 △今は昔、天竺に、留志長者とて、世にたのもしき長者ありける。大方藏もい くらともなく持ち、たのもしきが、心のくちをしくて、妻子にも、まして從者 にも、物くはせ、きすることなし。おのれ物のほしければ、人にも見せず、か くして食ふほどに、物のあかず多ほしかりければ、妻にいふやう、「飯、酒、く だもの共など、おほらかにしてたべ。我につきて、ものをしまする慳貪の神ま つらん」といへば、「物をしむ心うしなはんとする、よき事」とよろこびて、 色々に調じて、おほらかにとらせければ、うけとりて、人も見ざらむ所にゆき て、よく食はむと思て、ほかいにいれ、瓶子に酒入などして、持ていでぬ。 △「この木本にはからすあり、かしこには雀あり」など選りて、人はなれたる 山の中の木の陰に、鳥獸もなき所にて、ひとり食ゐたり。心のたのしさ物に も似ずして、誦ずるやう、「今曠野中、食飯〔飮〕酒大安樂、獨過●沙門天、勝天 帝釋」。此心は、けふ人なき所に一人ゐて、物をくひ、酒をのむ。安樂なる こと、毘沙門、帝釋にもまさりたり、といひけるを、帝釋きと御らんじてけり。 △にくしとおぼしけるにや、留志長者がかたちに化し給て、彼家におはしまし て、「我、山にて、物をしむ神をまつりたるしるしにや、その神はなれて、物 のをしからねば、かくするぞ」とて、藏どもをあけさせて、妻子をはじめて、 從者ども、それならぬよその人々も、修行者、乞食にいたる迄、寶物どもをと りいだして、くばりとらせければ、みなみな悦て、わけとりける程にぞ、誠の 長者はかへりたる。 △倉共みな明て、かく寶どもみな人の執あひたる、あさましく、かなしさ、い はん方なし。「いかにかくはするぞ」と、のゝしれども、われとたゞおなじかた ちの人出きて、かくすれば、不思議なること限なし。「あれは變化のものぞ。我 こそ其よ」といへど、きゝいるゝ人なし。御門にうれへ申せば、「母上に問へ」 と仰あれば、母に問ふに、「人に物くるゝこそ、わが子にて候はめ」と申せば、 する方なし。「腰の程に、はゝくそと云物の跡ぞさぶらひし、それをしるしに御 らんぜよ」といふに、あけてみれば、帝釋それをまねばせ給はざらむやは。二 人ながらおなじやうに、物のあとあれば、力なくて、佛の御もとに、二人なが ら參りたれば、其とき、帝釋もとのすがたになりて、御前におはしませば、論 じ申べき方なしと思ふ程に、佛の御力にて、やがて須陀■果を證したれば、惡 き心はなれたれば、物をしむ心もうせぬ。 △かやうに、帝釋は、人をみちびかせ給事、はかりなし。そゞろに、長者が財 をうしなはむとは、何しにおぼしめさん。慳貪の業によりて、地獄に落べきを 哀ませ給ふ御心ざしによりて、かく構へさせ給けるこそめでたけれ。 八六 清水寺二千度參すぐ六に打入〔事〕△卷六ノ四 △今は昔、人のもとに宮づかへしてあるなま侍ありけり。することのなきまゝ に、清水へ、人まねして、千日詣を二度したりけり。其後いくばくもなくして、 主のもとにありけるおなじ樣なる侍と、雙六をうちけるが、おほく負けて、わ たすべき物なかりけるに、いたくせめければ、思わびて、「我、持たる物なし。 唯今たくはへたる物とては、清水に二千度參りたることのみなんある。それを わたさん」と云ければ、かたはらにて聞く人は、謀るなりと、をこに思て笑け るを、此勝たる侍「いとよきこと也。渡さば得ん」といひて、「いな、かくては うけとらじ。三日して、このよしを申て、おのれ渡すよしの文書きてわたさば こそ、請とらめ」と云ければ、「よき事なり」と契て、その日より精進して、三 日と云ける日、「さは、いざ清水へ」といひければ、此負侍、このしれものに あひたると、をかしく思ひて、悦て、つれて參りにけり。いふまゝに文かきて、 御前にて、師の僧よびて、ことのよし申させて、「二千度參りつる事、それがし に雙六に打いれつ」と書きてとらせければ、請執つゝ、よろこびて、臥おがみ、 まかり出でにけり。 △其のち、いく程なくして、此負侍、思ひ懸ぬことにてとらへられて、人屋に 居にけり。とりたる侍は、思かけぬたよりある妻まうけて、いとよく徳つきて、 つかさなどなりて、たのもしくてぞありける。 △「目に見えぬものなれど、誠の心をいたしてうけとりければ、佛、哀とおぼ しめしたりけるなめり」とぞ、人はいひける。 八七 觀音化蛇事△卷六ノ五 △今は昔、鷹をやくにてすぐる者有けり。鷹の放れたるをとらんとて、飛に隨 て行けるほどに、遥なる山の奧の谷の片岸に、高き木のあるに、鷹のすくひた るを見つけて、いみじき事み置きたると、うれしく思て、かへりてのち、今は よきほどになりぬらんと覺ゆるほどに、「子をおろさむ」とて、亦ゆきてみるに、 えもいはぬ深山の、ふかき谷の底ひもしらぬうへに、いみじくたかき榎の、枝 は谷にさしおほひたるがかみに、巣を食て、子をうみたり。鷹、すのめぐりに、 しありく。みるに、えもいはずめでたき鷹にてあれば、子もよかるらんと思て、 よろづもしらずのぼるに、やう++、今巣のもとにのぼらんとする程に、ふま へたる枝折れて、谷に落入ぬ。谷のかた岸にさし出たる、木の枝におちかゝり て、其木の枝をとらへてありければ、生たる心ちもせず、すべきかたなし。み おろせば、底ひもしらず、ふかき谷なり。みあぐれば、遥に高き岸なり。かき のぼるべきかたもなし。 △從者どもは、谷におちいりぬれば、うたがひなく死ぬらんと思。さるにても、 いかゞあると見んと思て、岸のはたへよりて、わりなく、つまだてて見おろし けれど、わづかに見おろせば、そこひもしらぬ谷の底に、木葉しげくへだてた る下なれば、さらに見ゆべきやうもなし。目くるめき、かなしければ、暫もえ みず。〔す〕べき方なければ、さりとてあるべきならねば、みな家に歸りて、か う++といへば、妻子共、泣きまどへども、かひなし。あはぬ迄も見にゆかま ほしけれど、「さらに道もおぼえず、又、おはしたりとも、そこひもしらぬ谷に て、さばかりのぞき、よろづに見しかども、みえ給はざりき」といへば、「誠に さぞ有らん」と人々もいへば、行ず成ぬ。 △さて谷には、すべきかたなくて、石のそばの、折敷の廣さにて、さし出たる かたそばに尻をかけて、木の枝をとらへて、少もみじろぐべき方なし。いさゝ かもはたらかば、谷に落入ぬべし。いかにも+ せんかたなし。かく鷹飼をや くにて世すぐせど、をさなくより、觀音經を讀奉り、たもち奉たりければ、助 給へと思入て、ひとへに頼たてまつりて、この經を、よる晝、いくらともなく よみ奉る。弘誓深如海とあるわたりをよむ程に、谷の底のかたより、物のそよ ++と來る心ちのすれば、何にかあらんと思て、やをらみれば、えもいはず大 なる蛇なりけり。長さ二丈ばかりも有らんと見ゆるが、さしにさして、はひく れば、われは此蛇に食はれなんずるなめりと、かなしきわざかな、觀音たすけ 給へとこそ思ひつれ、こはいかにしつる事ぞと思て、念じいりてある程に、た ゞ來に來て、我ひざのもとを過ぐれど、われを呑まんとさらにせず。たゞ谷よ り上ざまへ登らんとする氣色なれば、いかゞせん、たゞこれにとり着たらば、 登りなんかしと思ふ心つきて、腰の刀をやはらぬきて、此蛇の背中につきたて て、それにすがりて、蛇の行まゝに、ひかれてゆけば、谷より岸のうへざまに、 こそ++と登りぬ。其折、此男離れてのくに、刀をとらむとすれど、強くつき たてければ、えぬかぬほどに、引はづして、背に刀さしながら、蛇は、こそろ と渡りて、むかひの谷に渡りぬ。この男、うれしと思ひて、家へいそぎてゆか むとすれど、此二三日、いさゝか身をもはたらかさず、物もくはず過したれば、 かげのやうにやせさらぼひつゝ、かつ※※と、やう++にして家に行着ぬ。 △さて家には、「今はいかゞせん」とて、跡とふべき經佛のいとなみなどしける に、かく思ひかけずよろぼひきたれば、驚泣きさわぐこと限なし。かう++の 事とかたりて、「觀音の御助にて、かく生きたるぞ」と、あさましかりつる事ど も、泣く++かたりて、物などくひて、其夜はやすみて、つとめて、とくおき て、手あらひて、いつも讀奉る經をよまんとて、ひきあけたれば、あの谷にて、 蛇の背につきたてし刀、此御經に、弘誓深如海のところにたちたり。みるに、 いとあさましなどはおろかなり。こは、この經の、蛇に變じて、われを助けお はしましけりと思ふに、あはれに尊く、かなし、いみじと思ふことかぎりなし。 そのあたりの人々、これを聞きて、見あさみけり。 △いまさら申べきことならねど、觀音をたのみ奉らんに、そのしるしなしとい ふ事あるまじき事なり。 八八 自賀茂御幣紙米等給事△卷六ノ六 △今は昔、比叡山に僧ありけり。いと貧しかりけるが、鞍馬に七日參りけり。 夢などや見ゆるとて、參りけれど、みえざりければ、今七日とて參れども、猶 見えねば、七日をのべ++して、百日參りけり。その百日といふ夜の夢に、「我 は、えしらず。清水へ參れ」と、おほせらるゝと見ければ、あくる日より、又 清水へ百日參るに、又「われは、えこそしらね。賀茂に參りて申せ」と、夢に みてければ、又賀茂に參る。七日と思へども、例の夢見ん+ と參るほどに、 百日といふ夜の夢に、「和僧がかく參る、いとほしければ、御幣紙、うちまきの 米ほどの物、慥にとらせん」と、おほせらるゝと見て、打おどろきたる心ち、い と心うく、哀にかなし。所々參りありきつるに、あり++て、かくおほせらる ゝよ、うちまきのかはりばかり給はりて、何にかはせん、わが山へかへりのぼ らんも、人目はづかし、賀茂河にや落いりなましなど思へども、又さすがに、 身をもえ投げず。いかやうにはからはせ給べきにかと、ゆかしきかたもあれば、 もとの山の坊にかへりてゐたる程に、しりたる所より「物申候はん」といふ人 あり。「たそ」とてみれば、しろき長櫃をになひて、椽に置きてかへりぬ。いと あやしく思て、使をたづぬれど大かたなし。これを明てみれば、白き米と、能 紙とを一長櫃いれたり。これは見し夢のまゝなりけり、さりともとこそ思ひつ れ、是ばかりを實にたびたると、いと心うく思へども、いかゞはせんと、此米 をよろづにつかふに、唯同多さにて、盡くることなし。紙もおなじごとつかへ ど、失することなくて、いと別にきら++しからねど、いとたのもしき法師に なりてぞありける。 △猶心ながく物まうではすべきなり。 八九 信濃國筑摩湯に觀音沐浴事△卷六ノ七 △今は昔、信濃國に、筑摩の湯といふ所に、よろづの人のあみける藥湯あり。 其わたりなる人の、夢にみるやう、「あすの午のときに、觀音、湯あみ給ふべ し」といふ。「いかやうにてかおはしまさむずる」と問ふに、いらふるやう、「年 三十斗の男の、鬚くろきが、あやゐ笠きて、ふし黒なるやなぐひ、皮まきたる 弓持て、紺の襖きたるが、夏毛の行縢はきて、あしげの馬に乘てなんくべき。 それを觀音としり奉るべし」といふとみて、夢さめぬ。おどろきて、夜あけて、 人々に告げまはしければ、人々聞きつぎて、その湯にあつまる事かぎりなし。 湯をかへ、めぐりを掃除し、しめをひき、花香をたてまつりて、居あつまりて、 まち奉る。 △やう++午のときすぎ、未になる程に、只此夢に見えつるに露たがはず見 ゆる男の、顏よりはじめ、着たる物、馬、なにかにいたるまで、夢に見しにた がはず。よろづの人、にはかに立ちてぬかをつく。この男、大に驚て、心もえ ざりければ、よろづの人にとへども、たゞ拜みに拜みて、そのことといふ人な し。僧のありけるが、てをすりて、額にあてて、拜みいりたるがもとへよりて、 「こはいかなる事ぞ。おのれをみて、かやうに拜み給ふは」と、こなまりたる 聲にてとふ。この僧、人の夢にみえけるやうをかたる時、この男いふやう、「お のれ、さいつころ狩をして、馬よりおちて、右のかひなをうち折りたれば、そ れをゆでんとて、まうできたる也」といひて、と行きかう行するほどに、人々 しりにたちて、拜みのゝしる。 △男、しわびて、我身はさは觀音にこそありけれ。こゝは法師になりなんと思 て、弓、やなぐひ、たち、刀きりすてて、法師になりぬ。かくなるを見て、よ ろづの人、泣き、あはれがる。さて見しりたる人いできて云やう、「あはれ、か れは上野の國におはする、ばとうぬしにこそいましけれ」といふを聞きて、こ れが名をば、馬頭觀音とぞいひける。 △法師になりて後、横川にのぼりて、かてう僧都の弟子になりて、横川に住け り。その後は、土佐國にいにけりとなん。 九〇 帽子兒與孔子問答事△卷六ノ八 △今は昔、もろこしに孔子、林の中の岡だちたるやうなる所にて、逍遥し給。 われは、琴をひき、弟子どもは、ふみをよむ。爰に、舟に乘たる叟の帽子した るが、船をあしにつなぎて、陸にのぼり、杖をつきて、琴のしらべの終るを聞 く。人々、あやしき者かなと思へり。この翁、孔子の弟子共をまねくに、ひと りの弟子、まねかれてよりぬ。翁云、「此琴引給はたれぞ。もし國の王か」と 問ふ。「さもあらず」と云。「さは、國の大臣か」、「それにもあらず」。「さは、 國のつかさか」、「それにもあらず」。「さはなにぞ」と問ふに、「たゞ國のかし こき人として政をし、あしき事を直し給かしこ人なり」とこたふ。翁、あざ わらひて、「いみじきしれ者かな」といひて去りぬ。 △御弟子、ふしぎに思ひて、聞きしまゝにかたる。孔子聞て、「かしこき人にこ そあなれ。とくよび奉れ」。御弟子、はしりて、いま船こぎいづるを呼びかへす。 よばれて出來たり。孔子のたまはく、「なにわざし給人ぞ」。翁のいはく、「さ せるものにも侍らず。たゞ舟にのりて、心をゆかさんがために、まかりありく なり。君は又何人ぞ」。「世の政を直さむために、まかりありく人なり」。おき なの云、「きはまりてはかなき人にこそ。世にかげをいとふものあり。晴にい でて、離れんとはしる時、影離るゝ事なし。陰にゐて、心のどかにをらば、影 離れぬべきに、さはせずして、晴にいでて、離れんとする時には、力こそつく れ、影離るゝ事なし。また犬の死かばねの水にながれてくだる、これをとらん とはしるものは、水におぼれて死ぬ。かくのごとくの無益の事をせらるゝなり。 たゞしかるべきゐ所しめて、一生を送られん、是今生ののぞみなり。このこと をせずして、心を世にそめて、さわがるゝ事は、きはめてはかなきことなり」 といひて、返答も聞かでかへり行。舟にのりてこぎ出ぬ。孔子、そのうしろを みて、二たび拜みて、さをの音せぬまで、拜み入てゐ給へり。音せずなりてな ん、車にのりて、かへり給にけるよし、人のかたりしなり。 九一 僧伽多行羅刹國事△卷六ノ九 △昔、天笠〔に〕、僧伽多と云人あり。五百人の商人を舟にのせて、かねのつへ 行に、俄にあしき風吹て、舟を南のかたへ吹きもてゆくこと、矢をいるがごと し。しらぬ世界に吹よせられて、陸によりたるを、かしこきことにして、左右 なく、みなまどひおりぬ。しばしばかりありて、いみじくをかしげなる女房十 人ばかり出できて、歌をうたひてわたる。しらぬ世界にきて、心ぼそくおぼえ つるに、かゝるめでたき女どもをみつけて、よろこびて呼びよす。よばれてよ りきぬ。ちかまさりして、らうたき事物にも似ず。五百人の商人、めをつけて、 めでたがること限なし。 △商人、女に問うていはく、「我ら、寶をもとめんために出でにしに、あしき風 にあひて、しらぬ世界にきたり。たへがたく思ふあひだに、人々の御有さまを みるに、うれひの心みな失せぬ。いまはすみやかに具しておはして、われらを やしなひ給へ。舟はみな損じたれば、歸るべきやうなし」といへば、この女ど も「さらば、いざさせ給へ」といひて、前に立てみちびきてゆく。家につきて 見れば、しろく高き築地を、遠くつきまはして、門をいかめしく立てたり。そ のうちに具して入ぬ。門のじやうをやがてさしつ。うちに入てみれば、さま ※※の屋ども、へだて+ つくりたり。男一人もなし。さて、商人ども、皆々 とり※※に妻にして住む。かたみに思ひあふこと、かぎりなし。片時もはなる べき心ちせずして住む間、此女、日ごとにひるねをする事ひさし。かほ、をか しげながら、ね入るたびに、すこしけうとく見ゆ。僧伽多、このけうときをみ て、心得ず、あやしくおぼえければ、やはらおきて、かた++を見れば、さま ※※のへだて+ あり。爰にひとつのへだてあり。築地をたかく築きめぐらし たり。戸にじやうをつよくさせり。そばよりのぼりて、内を見れば、人おほく あり。あるひは死に、あるひはによふ聲す。またしろきかばね、あかきかばね おほくあり。僧伽多、ひとりの生きたる人を招きよせて、「これは、いかなる人 の、かくてはあるぞ」と問に、答ていはく、「我は南天竺のものなり。あきなひ のために、海をありきしに、惡き風にはなたれて、この嶋にきたれば、世にめ でたげなる女どもにたばかられて、歸らん事も忘て住ほどに、うみとうむ子は、 みな女なり。かぎりなく思ひて住ほどに、又こと商人舟、より來ぬれば、もと の男をばかくのごとくして、日の食にあつるなり。御身共も、また舟來なば、 かゝる目をこそはみ給はめ。いかにもして、とく++逃給へ。此鬼は、ひる三 時ばかりは、ひるねをするなり。この間、よく逃ば逃ぐべきなり。この築かれ たる四方は、鐵にてかためたり。そのうへ、よほろ筋をたゝれたれば、逃くべ きやうなし」と、なく++いひければ、「あやしとは思つるに」とて、かへりて、 殘りの商人どもに、このよしをかたるに、みなあきれまどひて、女のねたるひ まに、僧伽多をはじめとして、濱へみなゆきぬ。 △遥に補陀落世界のかたへむかひて、もろ共に聲をあげて、觀音を念じけるに、 沖の方より大なる白馬、波のうへをおよぎて、商人らがまへに來て、うつぶし にふしぬ。是念じ參らするしるし也と思ひて、あるかぎり、皆とりつきてのり ぬ。さて女どもは、寢起きてみるに、男ども一人もなし。「逃ぬるにこそ」とて、 あるかぎり、濱へいでて見れば、男、皆、あし毛なる馬に乘て、海をわたりて ゆく。女ども、たちまちに、たけ一丈斗の鬼になりて、十四五丈、たかく躍 り上りて、さけびのゝしるに、この商人の中に、女の世にありがたかりしこと を思出るもの一人ありけるが、とりはづして、海におち入ぬ。羅刹、ばひしら がひて、これを破くひけり。さて此馬は、南天竺の西の濱にいたりてふせりぬ。 商人ども、よろこびておりぬ。その馬、かきけつやうに失せぬ。 △僧伽多、ふかくおそろしと思ひて、此國に來てのち、此事を人にかたらず。 二年をへて、この羅刹女の中に、僧伽多がつまにてありし、僧伽多が家にきた りぬ。見しよりも猶いみじくめでたくなりて、いはんかたなくうつくしく、僧 伽多にいふやう、「君をば、さるべき昔の契りにや、ことにむつましくおもひし に、かくすてて逃給へるは、いかにおぼすにか。わが國には、かゝる物の、時 々いできて、人をくふなり。されば、じやうをよくさし、築地をたかく築きた るなり。それに、かく人のおほく濱に出てのゝしる聲をきゝて、かの鬼どもの 來て、いかれるさまを見せて侍しなり。あへてわれらがしわざにあらず。かへ り給て後、あまりに戀しくかなしくおぼえて。殿はおなじ心にもおぼさぬにや」 とて、さめざめと泣く。おぼろけの人の心には、さもやと思ひぬべし。され ども、僧伽多、大に瞋て、たちをぬきて殺さんとす。かぎりなくうらみて、僧 伽多が家を出て、内裏に參て申やう、「僧伽多は我年ごろの夫なり。それに、 われを捨ててすまぬ事は、たれにかは、うたへ申候はん。帝皇これを理り給へ」 と申に、公卿、殿上人、これをみて、限りなくめでまどはぬ人なし。みかど、 きこしめして、のぞきて御覽ずるに、いはんかたなくうつくし。そこばくの女 御、后を御覽じくらぶるに、みな土くれのごとし。これは玉のごとし。かゝる ものにすまぬ僧伽多が心いかならんと、おぼしめしければ、僧伽多をめして、 問はせ給に、僧伽多申やう、「これは、さらに御内へ入みるべきものにあらず。 返々おそろしきものなり。ゆゝしき僻事、出來候はんずる」と申ていでぬ。 △みかど、此よしきこしめして、「此僧伽多は、いひかひなき者哉。よし++、 うしろの方より入よ」と、藏人して、仰られければ、夕暮方に參らせつ。みか ど、ちかく召て、御覽ずるに、けはひ、すがた、みめありさま、かうばしくな つかしき事限なし。さてふたり臥させ給てのち、二日三日まで、おきあがり給 はず、世の政をもしらせ給はず。僧伽多、參りて、「ゆゝしきこと出できたりな んず。あさましきわざかな。これは、すみやかにころされ給ぬる」と申せども、 みゝに聞入人なし。かくて、三日になりぬる朝、み格子もいまだあがらぬに、 此女、よるのおとゞより出でて、たてるを見れば、まみもかはりて、世におそ ろしげなり。口に血つきたり。しばし、世中をみまはして、軒よりとぶがごと くして、雲に入て失ぬ。人々、此よし申さんとて、よるのおとゞに參りたれば、 御帳の中より血流れたり。あやしみて御帳の中を見れば、あかきかうべ一つの これり。そのほかは物なし。さて宮のうち、のゝしる事たとへん事なし。臣下 男女、泣かなしむことかぎりなし。 △御子の春宮、やがて位につき給ぬ。僧伽多をめして、ことの次第をめし問は るゝに、僧伽多申樣、「さ候へばこそ、かゝるものにて候へば、すみやかに追 ひ出さるべきやうを申つるなり、今は宣旨をかうむつて、是をうちて參らせ ん」と申に、「申さんまゝに、仰たぶべし」とありければ、「つるぎのたちはき て候はんつはもの百人、弓矢帶したる百人、早舟にのりて出だしたてらるべし」 と申ければ、そのまゝに出だしたてられぬ。僧伽多、此軍兵を具して、彼羅刹 の嶋へこぎ行つゝ、先商人のやうなる者を十人ばかり、濱におろしたるに、例 のごとく玉女共、うたひをうたひて來て、商人をいざなひて、女の城へ入ぬ。 其しりに立て、二百人つは者みだれ入て、此女どもを打きり、射に、しばしは、 恨みたるさまにて、あはれげなるけしきを見せけれども、僧伽多、大なる聲を 放ちて、はしりまはつて、掟てければ、其時、鬼のすがたになりて、大口をあ きてかゝりけれども、たちにて頭をわり、手あし打きりなどしければ、空を飛 て逃ぐるをば、弓にて射おとしつ。一人も殘るものなし。家には火をかけて燒 拂ひつ。むなしき國となしはてつ。さてかへりて、おほやけに此よし申ければ、 僧伽多に、やがてこの國を賜びつ。二百人の軍兵を具して、その國にぞ住ける。 いみじくたのしかりけり。 △今は、僧伽多が子孫、かの國の主にてありとなん申つたへたる。 九二 五色鹿事△卷七ノ一 △これも昔、天竺に、身の色は五色にて、つのの色はしろき鹿一有けり。深山 にのみ住て、人にしられず。その山のほとりに大なる川あり。其山に又烏あり。 此かせきを友として過す。 △或時、此川に男一人ながれて、すでに死なんとす。「われを、人たすけよ」 とさけぶに、このかせき、このさけぶ聲をきゝて、かなしみにたへずして、川 をおよぎよりて、この男をたすけてけり。男、命のいきぬることをよろこびて、 手をすりて鹿にむかひていはく、「何事をもちてか、この恩をむくひ奉るべき」 といふ。かせきのいはく、「何事をもちてか恩をばむくはん。たゞ、この山に、 我ありといふことを、ゆめ++人にかたるべからず。わが身の色五色なり。人 しりなば、皮をとらんとて、かならず殺されなん。このことをおそるゝにより て、かゝる深山にかくれて、あへて人にしられず。しかるを、なんぢがさけぶ 聲をかなしみて、身のゆくすゑを忘て、たすけつるなり」といふ時に、男「是 誠に理なり。さらにもらす事あるまじ」と、返々契てさりぬ。もとの里にか へりて、月日を送れども、更に人にかたらず。 △かゝるほどに、國の后、夢にみ給やう、大なるかせきあり、身の色は五色に て、つの白し。夢さめて、大王に申給はく、「かゝる夢をなんみつる。このかせ き、さだめて世にあるらん。大王かならず尋取て、吾にあたへ給へ」と申給に、 大王、宣旨を下して、「もし五色のかせき尋て奉らん者には、金銀、珠玉等の 寶、ならびに一國等を賜ぶべし」と、仰ふれらるゝに、此たすけられたる男、 内裏に參て申やう、「尋らるゝ色のかせきは、其國の深山にさぶらふ。あり所 をしれり。狩人を給て、取て參らすべし」と申に、大王、大に悦び給て、みづか らおほくの狩人を具して、この男をしるべにめし具して、行幸なりぬ。その深 き山にいり給。このかせき、あへてしらず、洞の内にふせり。かの友とする烏、 これをみて、大におどろきて、聲をあげてなき、耳をくひて引に、鹿おどろきぬ。 烏告て云、「國の大王、おほくの狩人を具して、この山をとりまきて、すでに 殺さんとし給。今は逃べきかたなし。いかゞすべき」というて、泣く++さりぬ。 △かせき、おどろきて、大王の御輿のもとへ歩みよるに、狩人ども、矢をはげ て射んとす。大王のたまふやう、「かせき、恐るゝ事なくしてきたれり。さだ めてやうあるらん。射事なかれ」。そのとき、狩人ども、矢をはづして見るに、 御輿の前にひざまづきて申さく、「我、毛の色をおそるゝによりて、この山に ふかく隱すめり。しかるに、大王、いかにして、我住所をばしり給へるぞや」 と申に、大王のたまふ、「この輿のそばにある、顏にあざのある男、告申たるに よりて來れるなり」。かせき見るに、顏にあざありて、御輿の傍にゐたり。われ たすけたりし男なり。かせき、かれに向て云やう、「命を助たりし時、この恩な ににても報じつくしがたきよしいひしかば、こゝにわがあるよし、人にかたる べからざるよし、返々契し所也。しかるにいま、その恩を忘て、殺させ奉ら んとす。いかになんぢ、水におぼれて死なんとせし時、我命をかへりみず、お よぎよりてたすけしとき、なんぢ限なく悦しことは、おぼえずや」と、ふかく 恨たるけしきにて、涙をたれて泣く。その時に、大王おなじく涙をながしての たまはく、「汝は畜生なれども、慈悲をもて人をたすく。かの男は、欲にふけ りて恩を忘たり。畜生といふべし。恩をしるをもて人倫とす」とて、この男を とらへて、鹿の見る前にて、くびをきらせらる。又のたまはく、「今より後、國 の中にかせきを狩ことなかれ。もし、この宣旨をそむきて、鹿の一頭にてもこ ろす者あらば、すみやかに死罪に行はるべし」とて歸給ぬ。 △その後より、天下安全に、國土ゆたかなりけりとぞ。 九三 播磨守((はりまのかみ))爲家侍さた〔の〕事△卷七ノ二 △今は昔、播磨の守爲家といふ人あり。それが内に、させることもなき侍あり。 あざなさたとなんいひけるを、例の名をば呼ばずして、主も、傍輩も、ただ、 「さた」とのみ呼びける。さしたることはなけれども、まめにつかはれて、と し此になりにければ、あやしの郡の收納などせさせければ、喜てその郡に行て、 郡司のもとにやどりにけり。なすべき物の沙汰などいひ沙汰して、四五日ばか りありてのぼりぬ。 △此郡司がもとに、京よりうかれて、人にすかされてきたりける女房のありけ るを、いとほしがりて養置きて、物ぬはせなど使ひければ、さやうの事など も心得てしければ、あはれなるものに思ひて置きたりけるを、此さたに、從者 がいふやう、「群司が家に、京のめなどいふものの、かたちよく、髮ながきがさ ぶらふを、かくし据ゑて、殿にもしらせ奉らで置きてさぶらふぞ」と、かたり ければ、「ねたきことかな。わ男、かしこにありしときは言はで、こゝにてかく 言ふは、にくきことなり」といひければ、「そのおはしまししかたはらに、きり かけの侍しをへだてて、それがあなたにさぶらひしかば、知らせ給たるらんと こそ、思ひ給へしか」といへば、「このたびはしばし行かじと思つるを、いとま 申て、とく行て、其女房かなしうせん」といひけり。さて二三日ばかりありて、 爲家に、「沙汰すべき事どものさぶらひしを、沙汰しさして參りて候しなり。 いとま給りてまからん」と云ければ、「ことを沙汰しさして、なにせんにのぼり けるぞ。とく行けかし」といひければ、喜て下けり。 △行つきけるまゝに、とかくの事もいはず。もとより見馴れなどしたらんにて だに、うとからん程は、さやあるべき。従者などにせんやうに、着たりける水 干のあやしげなりけるが、ほころびたえたるを、きりかけの上よりなげ越して、 たかやかに、「これがほころび縫ひておこせよ」といひければ、ほどもなくなげ かへしたりければ、「物縫はせごとさすと聞くが、げにとく縫ひておこせたる女 人かな」と、あらゝかなる聲してほめて、とりてみるに、ほころびは縫はで、 みちのくに紙の文を、そのほころびのもとにむすびつけて、なげ返したるなり けり。あやしと思て、ひろげて見れば、かく書きたり。 △△われが身は竹の林にあらねどもさたがころもをぬぎかくるかな とかきたるをみて、あはれなりと思しらん事こそかなしからめ、見るまゝに、 大に腹をたてて、「目つぶれたる女人かな。ほころび縫ひにやりたれば、ほころ びのたえたる所をば、見だにえ見つけずして、「さたの」とこそいふべきに、か けまくもかしこき守殿だにも、またこそこゝらの年月此、まだしか召さね。な ぞ、わ女め、「さたが」といふべき〔事か。この女人に物ならは〕さむ」といひて、 よにあさましき所をさへ、なにせん、かせんと、罵りのろひければ、女房は物 もおぼえずして、泣きけり。腹たちちらして、郡司をさへ罵りて、「いで、これ 申てことにあはせむ」といひければ、郡司も、「よしなき人をあはれみ置きて、 そのとくには、はては勘當かうぶるにこそあなれ」といひければ、かた※※、 女、おそろしうわびしく思けり。 △かく腹立しかりて、歸のぼりて、侍にて、「やすからぬ事こそあれ。物も おぼえぬくさり女に、かなしういはれたる。守の殿だに、「さた」とこそ召せ。 この女め、「さたが」といふべき故やは」と、たゞ腹立ちに腹立てば、きく人 ども、え心得ざりけり。「さてもいかなる事をせられて、かくはいふぞ」と問へ ば、「きゝ給へよ、申さん。かやうのことは、たれもおなじ心に守殿にも申給 へ。君だちの名だてにもあり」といひて、ありのまゝのことを語りければ、 「さて++」といひて、笑ふ者もあり。にくがる者もおほかり。女をば、皆い とほしがり、やさしがりけり。このことを爲家きゝて、前によびて問ければ、 我うれへなりにたりと悦て、こと※※しくのびあがりていひければ、よく聞て 後、其男をば追ひ出してけり。女をばいとほしがりて、物とらせなどしける。 △心から身を失ひける男とぞ。 九四 三條中納言水飯事△巻七ノ三 △今は昔、三條中納言といふ人有けり。三條右大臣の御子なり。才かしこくて、 もろこしのこと、此世のこと、みな知り給へり。心ばへかしこく、きもふとく、 おしからだちてなんおはしける。笙の笛をなんきはめて吹給ける。長たかく、 大にふとりてなんおはしける。 △ふとりのあまり、せめてくるしきまで肥給ければ、藥師重秀をよびて、「かく いみじうふとるをば、いかゞせむとする。たちゐなどするが、身のおもく、い みじうくるしきなり」とのたまへば、重秀申やう、「冬は湯づけ、夏は水漬にて、 物をめすべきなり」と申けり。そのまゝにめしけれど、たゞおなじやうに肥ふ とり給ければ、せんかたなくて、又重秀をめして、「いひしまゝにすれど、その しるしもなし。水飯食て見せん」とのたまひて、をのこどもめすに、侍一人 參りたれば、「例のやうに、水飯してもて來」といはれければ、しばしばかりあ りて、御臺もて參るをみれば、御臺かた※※よそひもてきて、御前に据ゑつ。 △御臺に、はしの臺斗据ゑたり。つゞきて、御盤さゝげて參る。御まかなひ の、臺に据うるをみれば、御盤に、しろき干瓜、三寸ばかりにきりて、十ばか り盛りたり。亦、すしあゆの、おせくゝに、ひろらかなるが、しり、かしらば かり押して、三十ばかり盛りたり。大なるかなまりを具したり。みな、御盤に 据ゑたり。いま一人の侍、大なる銀の提に、銀のかいをたてて、重たげにも て參りたり。金鞠を給たれば、かいに御物をすくひつゝ、高やかにもりあげて、 そばに水をすこし入て參らせたり。殿、盤をひきよせ給て、かなまりをとらせ 給へるに、さばかり大におはする殿の御手に、大なるかなまりかなと見ゆるは、 けしうはあらぬほどなるべし。干瓜三きりばかり食ひきりて、五六ばかり參り ぬ。次に、鮎を二きりばかりに食ひきりて、五六ばかり、やすらかに參りぬ。 つぎに、水飯を引よせて、二度ばかり箸をまはし給ふと見るほどに、おものみ な失せぬ。「又」とて、さし賜はす。さて二三度に、提の物皆になれば、又提に 入て、もて參る。重秀、これをみて、「水飯を、やくとめすとも、此ぢやうにめ さば、更に御ふとり直るべきにあらず」とて、逃ていにけり。 △さればいよ++相撲などのやうにてぞおはしける。 九五 檢非違使忠明事△卷七ノ四 △これもいまは昔、忠明といふ檢非違使ありけり。それが若かりける時、清水 の橋のもとにて、京童部どもと、いさかひをしけり。京童部、手ごとに刀をぬ きて、忠明をたちこめて、ころさんとしければ、忠明もたちをぬいて、御堂ざ まにのぼるに、御堂の東のつまにも、あまた立ちて、むかひあひたれば、内へ 逃で、しとみのもとを脇にはさみて、前の谷へをどりおつ。しとみ、風にしぶ かれて、谷の底に、鳥のゐるやうに、やをら落にければ、それより逃ていにけ り。京童部ども、谷を見おろして、あさましがり、たち並みて見けれども、す べきやうもなくて、やみにけりとなん。 九六 長谷寺參篭男利生にあづかる事△卷七ノ五 △今は昔、父母も、主もなく、妻も子もなくて、只一人ある青侍ありけり。 すべきかたもなかりければ、「觀音たすけ給へ」とて、長谷に參りて、御前にう つぶし臥て、申けるやう、「この世にかくてあるべくは、やがて、この御前にて、 干死に死なん。もし又、おのづからなる便もあるべくは、そのよしの夢をみざ らんかぎりは出まじ」とて、うつぶし臥したりけるを、寺の僧みて、「こはいか なる者の、かくては候ぞ。もの食所もみえず。かくうつぶし臥したれば、寺の ためけがらひ出きて、大事になりなん。たれを師にはしたるぞ。いづくにてか 物はくふ」など問ければ、「かくたよりなき者は、師もいかでか侍らん。物給る 所もなく、あはれと申人もなければ、佛の給はん物をたべて、佛を師と頼奉 て候なり」と答へければ、寺の僧どもあつまりて、「このこと、いと不便の事 なり。寺のためにあしかりなん。觀音をかこち申人にこそあんなれ。是あつま りて、やしなひて、さぶらはせん」とて、かはる※ 物をくはせければ、もて くる物をくひつゝ、御前を立さらず候けるほどに、三七日になりにけり。 △三七日はてて、明んとする夜の夢に、御帳より人の出でて、「このをのこ、前 世の罪の報ひをばしらで、觀音をかこち申て、かくて候こと、いとあやしき事 なり。さはあれども、申ことのいとほしければ、いさゝかの事、はからひ給り ぬ。まづ、すみやかにまかり出よ。まかりいでんに、なにもあれ、手にあたら ん物をとりて、捨ずして、もちたれ。とく++まかり出でよ」と追るゝとみて、 はひ起きて、約束の僧のがりゆきて、物をうち食て、まかり出でけるほどに、 大門にてけつまづきて、うつぶしに倒れにけり。 △起きあがりたるに、あるにもあらず手に握られたる物を見れば、藁すべとい ふもの、たゞ一すぢ握られたり。佛の給物にてあるにやあらんと、いとはかな く思へども、佛のはからはせ給やうあらんと思て、これを手まさぐりにしつゝ 行ほどに、■一ぶめきて、かほのめぐりにあるを、うるさければ、木の枝を折 りて拂すつれども、猶たゞおなじやうにうるさくぶめきければ、とらへて、腰 をこの藁すぢにてひきくゝりて、枝のさきにつけて持たりければ、腰をくゝら れて、ほかへはえ行かで、ぶめき飛まはりけるを、長谷に參りける女車の、前 の簾をうちかづきてゐたる兒の、いとうつくしげなるが、「あの男の持たる物は なにぞ。かれ乞ひて我にたべ」と、馬にのりて、ともにある侍にいひければ、 その侍「そのもちたるもの、若公の召すに、參らせよ」といひければ、「佛の賜 びたる物に候へど、かく仰ごと候へば、參らせ候はん」とて、とらせたりけれ ば、「この男、いとあはれなる男也。若公の召物を、やすく參らせたること」と いひて、大柑子を、「是、のどかはくらん、たべ」とて、三、いとかうばしきみ ちのくに紙につゝみて、とらせたりければ、侍、とりつたへて、とらす。 △藁一すぢが大柑子三つになりぬることと思て、木の枝にゆひつけて、かたに 打かけて行ほどに、故ある人の忍て參るよとみえて、侍などあまた具して、か ちより參る女房の、あゆみこうじて、たゞたりにたりゐたるが、「喉のかはけば、 水のませよ」とて、きえいるやうなりければ、ともの人々、手まどひをして、 「ちかく水やある」と走さわぎもとむれど水もなし。「こはいかゞせんずる。 御はたご馬にや、もしある」と問へば、はるかに後れたりとてみえず。ほと ほとしきさまに見ゆれば、誠にさわぎまどひて、しあつかふをみて、のどかは きてさわぐ人よと見ければ、やはら歩みよりたるに、「こゝなる男こそ、水のあ り所はしりたるらめ。この邊ちかく、水のきよき所やある」と問ければ、「この 四五町がうちには、きよき水候はじ。いかなることの候にか」と問ひければ、 「あゆみ困ぜさせ給て、御のどのかはかせ給て、水ほしがらせ給に、水のなき が大事なれば尋ぬるぞ」といひければ、「不便〔に〕候御事かな。水の所は遠く て、くみて參らば、ほど經候なん。これはいかゞ」とて、つゝみたる柑を、 三ながらとらせたりければ、悦さわぎて、食はせたりければ、それを食て、や う++目をみあけて、「こはいかなりつることぞ」といふ。 △「御のどかはかせ給て、「水のませよ」とおほせられつるまゝに、御とのごも りいらせ給つれば、水もとめ候つれども、清き水の候はざりつるに、こゝに候 男の、思ひかけぬに、その心を得て、この柑子を三、奉りたりつれば、參らせ たるなり」といふに、この女な、「われは、さは、のどかはきて、絶いりたりけ るにこそありけれ。「水のませよ」といひつる斗はおぼゆれど、其後の事、露お ぼえず。此柑子〔え〕ざらましかば、この野中にて消え入なまし。うれしかりけ る男かな。此男いまだあるか」と問へば、「かしこに候」と申。「その男しばし あれといへ。いみじからんことありとも、絶え入はてなば、かひなくてこそや みなまし。男のうれしと思ふばかりのことは、かゝる旅にてはいかゞせんずる ぞ。くひ物はもちてきたるか。くはせてやれ」といへば、「あの男、しばし候へ。 御はたご馬など參りたらんに、物などくひてまかれ」といへば、「うけ給ぬ」と て、ゐたる程に、はたご馬、かはご馬など來着きたり。「などかくはるかに後 れては參るぞ。御はたご馬などは、常にさきだつこそよけれ。とみの事なども あるに、かく後るゝはよきことかは」などいひて、やがて幔ひき、たゝみなど しきて、「水遠かんなれど、困ぜさせ給たれば、めし物は、こゝにて參らすべき 也」とて、夫どもやりなどして、水くませ、食物しいだしたれば、此男に、清 げにして、くはせたり。物をくふ++、ありつる柑子なににかならんずる、觀 音はからはせ給ことなれば、よもむなしくてはやまじと、思ひゐたるほどに、 しろくよき布を三むらとり出て、「これあの男にとらせよ。この柑子の喜は、 いひつくすべき方もなけれども、かゝる旅の道にては、うれしと思ふばかりの 事はいかゞせん。これはたゞ心ざしのはじめを見するなり。京のおはしまし所 は、そこ++になん。かならず參れ。この柑子の喜をばせんずるぞ」といひて、 布三むらとらせたれば、悦て布を取て、藁すぢ一すぢが、布三むらになりぬる 事と思ひて、脇にはさみてまかるほどに、その日は暮れにけり。 △道づらなる人の家にとゞまりて、明ぬれば鳥と共におきて行ほどに、日さし あがりて、辰の時ばかりに、えもいはずよき馬にのりたる人、この馬を愛しつ ゝ、みちも行きやらず、ふるまはするほどに、まことにえもいはぬ馬かな、こ れをぞ千貫がけなどはいふにやあらんと見るほどに、この馬、にはかに倒れて、 たゞ死に死ぬれば、主、我にもあらぬけしきにて、おりて、たちゐたり。てま どひして、從者共も、鞍おろしなどして、「いかゞせんずる」といへども、かひ なく、死にはてぬれば、手をうち、あさましがり、泣ぬばかりに思たれど、す べきかたなくて、あやしの馬のあるにのりぬ。 △「かくてこゝにありとも、すべきやうもなし。われは去なん。これ、ともか くもして、ひきかくせ」とて、下種男を一人とゞめて、去ぬれば、この男み て、この馬、わが馬にならんとて死ぬるにこそあんめれ。藁一すぢが、柑子三 になりぬ。柑子三つが、布三むらになりたり。この布の、馬になるべきなめり と思て、あゆみよりて、この下種男にいふやう、「こはいかなりつる馬ぞ」と問 ひければ、「みちのくにより得させ給へる馬なり。よろづの人の、ほしがりて、 あたひもかぎらず買んと申つるをも、惜しみてはなち給はずして、けふかく死 ぬれば、そのあたひ少分をもとらせ給はずなりぬ。おのれも、皮をだにはがば やと思へど、旅にてはいかゞすべきと思て、まもりたちて侍なり」といひけれ ば、「そのことなり。いみじき御馬かなと見侍りつるに、はかなく死ぬる事、命 ある物はあさましきことなり。まことに、旅にては、皮はぎ給たりとも、え干 し給はじ。おのれはこの邊に侍れば、皮はぎて、つかひ侍らん。えさせておは しね」と、この布一むらとらせたれば、男、おもはずなる所得したりと思て、お もひぞかへすとや思ふらん。布をとるまゝに、見だにもかへらず、はしり去ぬ。 △男、よくやりはてて後、手かきあらひて、長谷の御方にむかひて、「此馬を 生けて給はらん」と、念じゐたる程に、この馬、目を見あくるまゝに、頭もた げて起きんとしければ、やはら手をかけて起しぬ。うれしきこと限なし。お 〔く〕れて來る人もぞある。また、ありつる男もぞ來るなど、あやうくおぼえけ れば、やう++かくれの方に引いれて、時うつる迄やすめて、もとのやうに心 ちも成にければ、人の許に引もてゆきて、その布一むらして、轡やあやしの鞍 にかへて、馬にのりぬ。 △京ざまにのぼるほどに、宇治わたりにて日くれにければ、その夜は人のもと にとまりて、いま一むらの布して、馬の草、わが食物などにかへて、その夜は とまりて、つとめていととく、京ざまにのぼりければ、九條わたりなる人の家 に、物へいかむずるやうにて、たちさわぐ所あり。この馬京に率てゆきたらん に、見しりたる人ありて、盜みたるかなどいはれんもよしなし。やはら、これ を賣りてばやと思て、かやうの所に馬など用なる物ぞかしとて、おり走てより て、「もし馬などや買せ給ふ」と問ひければ、馬がなと思ける程に、この馬を みて、「いかゞせん」とさわぎて、「たゞ今かはりぎぬなどはなきを、この鳥羽 の田や米などにはかへてんや」といひければ、なか++絹よりは第一のことな りと思て、「絹や錢などこそ用には侍れ。おのれは旅なれば、田ならば何〔に〕 かはせんずると思給ふれど、馬の御用あるべくは、たゞ仰にこそしたがはめ」 といへば、この馬にのり試み、はせなどして、「たゞ思ひつるさまなり」といひ て、此鳥羽のちかき田三町、稻すこし、米などとらせて、やがてこの家をあづ けて、「おのれ、もしいのちありて歸のぼりたらば、其時返し得させ給へ。のぼ らざらんかぎりは、かくてゐ給へれ。若又、命たえてなくもなりなば、やがて わが家にしてゐ給へ。子も侍らねば、とかく申人もよも侍らじ」といひて、あ づけて、やがてくだりにければ、その家に入ゐて、得たりける米、稻などとり 置きて、たゞひとりなりけれど、食物ありければ、かたはら、そのへんなりけ る下種などいできて、つかはれなどして、たゞ有りつき、居つきにけり。 △二月斗のことなりければ、その得たりける田を、半らは人につくらせ、いま 半らは我料につくらせたりけるが、人のかたのもよけれども、それはよのつね にて、おのれが分とてつくりたるは、事の外おほくいできたりければ、稻おほ くかり置きて、それよりうちはじめ、風のふきつくるやうに徳つきて、いみじ き徳人にてぞ有ける。その家あるじも、音せずなりにければ、その家も我もの にして、子孫などいできて、ことの外に榮えたりけるとか。 九七 小野宮大饗事・西宮殿冨小路大臣大饗事△卷七ノ六 △今は昔、小野宮殿の大饗に、九條殿の御贈物にし給たりける女の裝束にそへ られたりける紅の打たるほそながを、心なかりける御前の、とりはづして、や り水に落し入たりけるを、即とりあげて、うちふるひければ、水は走て、かは きにけり。其ぬれたりけるかたの袖の、つゆ水にぬれたるとも見えで、おなじ やうに打ち目などもありける。昔は、打ちたる物は、かやうになんありける。 △又、西宮殿の大饗に、「小野宮殿を尊者におはせよ」とありければ、「年老、 腰いたくて、庭の拜えすまじければ、え詣づまじきを、雨ふらば、庭の拜もあ るまじければ、參りなん。ふらずば、えなん參るまじき」と、御返事のありけ れば、雨ふるべきよし、いみじく祈給けり。そのしるしにやありけん。その日 になりて、わざとはなくて、空くもりわたりて、雨そゝぎければ、小野〔宮〕殿 は脇よりのぼりて、おはしけり。中嶋に、大に木だかき松、一本たてりけり。 その松を見と見る人「藤のかゝりたらましかば」とのみ、見つゝいひければ、 この大饗の日は、む月のことなれども、藤の花いみじくをかしくつくりて、松 の梢よりひまなうかけられたるが、ときならぬ物はすさまじきに、これは空の くもりて、雨のそぼふるに、いみじくめでたう、をかしう見ゆ。池のおもてに 影のうつりて、風の吹ば、水のうへもひとつになびきたる、まことに藤波とい ふことは、これをいふにやあらんとぞ見えける。 △後の日、冨小路の大臣の大饗に、御家のあやしくて、所々のしつらひも、わ りなくかまへてありければ、人々も、見苦しき大饗かなと思ひたりけるに、日 くれて、事やう++はてがたになるに、引出物の時になりて、東の廊のまへに 〔ひ〕きたる幕のうちに、引出物の馬をひき立てありけるが、幕のうちながらい なゝきたりける聲、空をひゞかしけるを、人々「いみじき馬の聲かな」と、聞 きけるほどに、幕はしらを蹴折て、口とりをひきさげて、いでくるを見れば、 黒栗毛なる馬の、たけ八きあまりばかりなる、ひらに見ゆるまで身ふとく肥た る、かいこみがみなれば、額のもち月のやうにて白くみえければ、見てほめの ゝしりける聲、かしがましきまでなん聞えける。馬のふるまひ、おもだち、尻 ざし、足つきなどの、こゝはと見ゆる所なく、つき※※しかりければ、家のし つらひの、見苦しかりつるもきえて、めでたうなんありける。さて世の末まで も、かたりつたふるなりけり。 九八 式成・滿・則員等三人瀧口弓藝事△卷七ノ七 △これも今は昔、鳥羽院位の御時、白川院の武者所の中に、宮道式成、源滿、 則員、ことに的弓の上手なり。そのとき聞えありて、鳥羽の院位の御ときの瀧 口に、三人ながら召されぬ。試みあるに、大かた一度もはづさず。これをもて なし興ぜさせ給。あるとき、三尺五寸の的をたびて、「これが第二のくろみ、射 おとして持て參れ」と仰あり。巳時に給はりて、未時に射おとして參れり。 いたつき三人の中に三手なり。矢とりて、矢取の歸らんをまたば、ほど經ぬべ しとて、殘りの輩、我と矢を走たちて、とり++して、たちかはり+ 射る程に、 未のときのなからばかりに、第二のくろみを射めぐらして、射おとして持て參 れりけれ。「これすでに、養由がごとし」と、時の人ほめのゝしりけるとかや。 九九 大膳大夫以長先驅間事△卷八ノ一 △これもいまは昔、橘大膳亮大夫以長といふ藏人の五位ありけり。法勝寺千僧 供養に、鳥羽院御幸ありけるに、宇治左大臣參り給けり。さきに、公卿の車行 けり。しりより、左府參り給ければ、車をおさへてありければ、御前の隨身、 おりて通りけり。それに、此以長一人おりざりけり。いかなることにかと見る 程に、歸らせ給ぬ。さて歸らせ給て、「いかなることぞ。公卿あひて、禮節して 車をおさへたれば、御前の隨身みなおりたるに、未練の者こそあらめ、以長お りざりつるは」と仰らる。以長申やう、「こはいかなる仰にか候らん。禮節と 申候は、まへにまかる人、しりより御出なり候〔は〕ば、車をやりかへして、 御車にむかへて、牛をかきはづして、榻に軛木を置きて、通し參らするをこそ 禮節とは申候に、さきに行人、車をおさへ候とも、しりをむけ參らせて通し 參らするは、禮節にては候はで、無禮をいたすに候とこそ見えつれば、さらん 人には、なんでうおり候はんずるぞと思て、おり候はざりつるに候。あやまり てさも候はば、打よせて一言葉申さばやと思候つれども、以長年老候にたれ ば、おさへて候つるに候」と申ければ、左大臣殿「いさ、このこといかゞある べからん」とて、あの御かたに、「かかる事こそ候へ。いかに候はんずること ぞ」と申させ給ければ、「以長ふるさぶらひ〔に候けり」とぞ仰事ありける。 むかしは、かきはづして榻〕をば、轅の中に、おりんずるやうに置きけり。これ ぞ禮節にてはあんなるとぞ。 一〇〇 下野武正、大風雨日、參法性寺殿事△卷八ノ二 △是も今は昔、下野武正といふ舍人は、法性寺殿に候けり。ある折、大風、大 雨ふりて、京中の家みなこぼれやぶれけるに、殿下、近衞殿におはしましける に、南面の方に、のゝしるものの聲しけり。たれならんとおぼしめして、見せ 給に、武正、赤香のかみしもに蓑笠をきて、蓑のうへに繩を帶にして、桧笠の うへを又おとがひに繩にてからげつけて、かせ杖をつきて、走まはりておこな ふなりけり。大かた、その姿おびたたしく、似るべき物なし。殿、南おもて へ出て、御簾より御覽ずるに、あさましくおぼしめして、御馬をなんたびけり。 一〇一 △信濃國聖事△卷八ノ三 △今はむかし、信農國に法師ありけり。さる田舍にて法師になりにければ、ま だ受戒もせで、いかで京にのぼりて、東大寺といふ所にて受戒せんと思て、と かくしてのぼりて、受戒してけり。 △さて、もとの國へ歸らんと思けれども、よしなし、さる無佛世界のやうなる 所に歸らじ、こゝにゐなんと思ふ心つきて、東大寺の佛の御前に候ひて、いづ くにか行して、のどやかに住ぬべき所あると、よろづの所を見まはしけるに、 未申のかたにあたりて、山かすかに見ゆ。そこにおこなひて住まんと思て、行 て、山の中に、えもいはずおこなひて、過すほどに、すゞろに小さやかなる厨 子佛を、おこなひ出したり。●沙門にてぞおはしましける。 △そこに小さき堂をたてて、据ゑ奉りて、えもいはず行ひて、年月ふるほどに、 此山のふもとに、いみじきげす徳人ありけり。そこに聖の鉢はつねに飛行つゝ、 物は入てきけり。大なる校倉のあるをあけて、物とり出すほどに、この鉢飛て、 例のもの乞ひにきたりけるを、「例の鉢きにたり。ゆゝしくふくつけき鉢よ」 とて、とりて、倉のすみになげ置きて、とみに物も入れざりければ、鉢は待ゐ たりけるほどに、物どもしたゝめはてて、この鉢をわすれて、物もいれず、と りも出ださで、藏の戸をさして、主かへりぬるほどに、とばかりありて、この 藏、すゞろに、ゆさ++と、ゆるぐ。「いかに+ 」と、見さわぐ程に、ゆる ぎ+ て、土より一尺ばかり、ゆるぎあがる時に、「こはいかなることぞ」と、 あやしがりてさわぐ。「誠々、ありつる鉢をわすれて、とり出でずなりぬる、 それがしわざにや」などいふほどに、この鉢、藏よりもり出でて、この鉢に藏 のりて、たゞのぼりに、空ざまに、一二丈斗のぼる。さて飛行ほどに、人々、 見のゝしり、あさみさわぎあひたり。藏の主も、さらにすべきやうもなければ、 「この倉のいかん所をみん」とて、尻にたちてゆく。そのわたりの人々も、み なはしりけり。さて見れば、やう++飛て、河内國に、この聖のおこなふ山の 中に飛びゆきて、聖の坊のかたはらに、どうとおちぬ。 △いとゞあさましと思て、さりとてあるべきならねば、此倉主、聖のもとによ りて、申やう、「かゝるあさましきことなん候。この鉢のつねにまうでくれば、 もの入つゝ參らするを、けふまぎらはしく候ひつる程に、倉にうち置きてわす れて、とりもいださで、じやうをさして候ければ、この倉、たゞゆるぎにゆる ぎて、こゝになん飛びてまうでおちて候。この倉返し給候はん」と申時に、 「まことにあやしきことなれど、飛てきにければ、倉はえ返しとらせじ。こゝ にかやうの物もなきに、おのづから物をも置かむによし。中ならん物は、さな がらとれ」とのたまへば、主のいふやう、「いかにしてか、たちまちに、はこび とり返さん。千石つみて候なり」といへば、「それはいとやすきことなり。たし かに我はこびてとらせん」とて、この鉢に一俵をいれて飛すれば、鴈などのつ ゞきたるやうに、殘りの俵どもつゞきたり。むらすゞめなどのやうに、飛つゞ きたるを見るに、いとゞあさましく、貴ければ、主のいふやう、「しばし、皆 なつかはしそ。米二三百石は、とゞめてつかはせ給へ」といへば、聖「あるま じき事なり。それ爰に置きては、なににかはせん」といへば、「さらばたゞつか はせ給ばかり、十廿をも奉らん」と云へば、「さまでも、入べきことのあらば こそ」とて、主の家に、たしかに皆おちゐにけり。 △かやうに、貴く行てすぐす程に、其比、延喜の御門、重くわづらはせ給て、 さまざまの御祈ども、御修法、御讀經など、よろづにせらるれど、さらにえお こたらせ給はず。ある人の申やう、「河内の國信貴と申所に、此年來行て里へ 出る事もせぬ聖候なり。それこそ、いみじく貴く、しるしありて、鉢を飛し、 さてゐながら、よろづありがたきことをし候なれ。それを召て、祈せさせ給は ば、おこたらせ給なんかし」と申せば、「さらば」とて、藏人を御使にて、召し につかはす。 △いきてみるに、聖のさま、ことに貴くめでたし。かう++宣旨にて召すなり、 とく++參るべきよしいへば、聖、「なにしに召すぞ」とて、更々うごきげも なければ、「かう++、御惱大事におはします、いのり參らせ給へ」といへば、 「それは、參らずとも、こゝながらいのり參らせ候はん」といふ。「さては、も しおこたらせおはしましたりとも、いかでか聖のしるしとは知るべき」といへ ば、「それが、たがしるしといふ事知らせ給はずとも、御心ちだにおこたらせ 給なば、よく候なん」といへば、藏人「さるにても、いかでか、あまたの御祈 の中にも、そのしるしと見えんこそよからめ」といふに、「さらば、いのり參ら せんに、劍の護法を參らせん。おのづから、御夢にも、まぼろしにも御覽ぜば、 さとは知らせ給へ。つるぎをあみつゝ衣にきたる護法也。我は更に京へは、え 出でじ」といへば、勅使、歸參りて、かうかうと申ほどに、三日といふひるつ かた、ちとまどろませ給ふともなきに、きら++とある物の見えければ、いか なる物にかとて御覽ずれば、あの聖のいひけん劍の護法なりとおぼしめすより、 御心ち、さは++となりて、いさゝか心ぐるしき御こともなく、例ざまになら せ給ぬ。人々悦て、聖を貴がり、めであひたり。 △御門も限なく貴くおぼしめして、人をつかはして、「僧正、僧都にやなるべ き。又その寺に、庄などや寄すべき」と、仰つかはす。聖承て、「僧都、僧 正さらに候まじきことなり。又かゝる所に、庄など寄りぬれば、別當なにくれ などいできて、なか++むつかしく、罪得がましく候。たゞかくて候はん」と て、やみにけり。 △かゝるほどに、この聖の姉ぞ一人有ける。この聖、受戒せんとてのぼりしま ゝ見えぬ。かうまで年比見えぬは、いかになりぬるやらん、おぼつかなきに尋 てみんとて、のぼりて、東大寺、山階寺のわたりを、「まうれんこいむといふ人 やある」と尋ぬれど、「しらず」とのみいひて、「しりたる」といふ人なし。尋 わびて、いかにせん、これが行末きゝてこそ歸らめと思て、其夜、東大寺の大 佛の御前にて、「このまうれんがあり所、教へさせ給へ」と夜一夜申て、うち まどろみたる夢に、この佛仰らるゝやう、「たづぬる僧のあり所は、これより 未申の方に山あり。その山に雲たなびきたる所を、行てたづねよ」とおほせら るゝと見てさめたれば、曉方になりにけり。いつしか、とく夜の明よかしと思 て見ゐたれば、ほの※※と明がたになりぬ。未申のかたを見やりければ、山か すかに見ゆるに、紫の雲たなびきたる。うれしくて、そなたをさして行たれば、 まことに堂などあり。〔人あり〕と見ゆる所へよりて、「まうれんこいむやいま する」といへば、「たそ」とて、いでて見れば、信濃なりし我姉なり。「こはい かにしてたづねいましたるぞ。思かけず」といへば、ありつるありさまをかた る。「さていかに寒くておはしつらん。これを着せ奉らんとてもたりつる物 也」とて、ひきいでたるを見れば、ふくだいといふ物を、なべてにも似ず、ふ とき糸して、あつ++とこまかにつよげにしたるを持てきたり。悦て、とりて 着たり。もとは紙ぎぬ一重をぞ着たりける。さていと寒かりけるに、これをし たに着たりければ、あたゝかにてよかりけり。さておほくの年比行ひけり。 さてこの姉の尼君も、もとの國へ歸らずとまりゐて、そこに行ひてぞありける。 △さておほくの年比、このふくだいをのみ着て行ひければ、はてには、やれ ++と着なしてありけり。鉢にのりてきたりし藏を、「飛くら」とぞいひける。 その藏にぞ、ふくだいのやれなどはおさめて、まだあんなり。其やれのはしを 露ばかりなど、おのづから縁にふれて得たる人は、まもりにしけり。その藏も、 朽破れて、いまだあんなり。其木のはしを露ばかり得たる人は、まもりにし、 ●沙門をつくり奉りて持たる人は、かならず徳つかぬはなかりけり。されば、 きく人、縁を尋て、その倉の木のはしをば買執ける。さて信貴とて、えもいは ず驗ある所にて、今に、人々明暮參る。此毘沙門は、もうれん聖の行出し奉 けるとか。 一〇二 敏行朝臣事△卷八ノ四 △是も今は昔、敏行といふ歌よみは、手をよく書ければ、是彼が云に隨て、法 華經を二百部ばかり書奉りたりけり。かゝる程に、俄に死けり。われは死ぬる ぞとも思はぬに、俄にからめて引はりて、率て行ば、我ばかりの人を、大やけ と申とも、かくせさせ給べきか、心得ぬわざかなと思て、からめてゆく人に、 「これはいかなる事ぞ。何事のあやまちにより、かくばかりのめをば見るぞ」 と問へば、「いさ、われはしらず。「慥にめして來」と仰を承て、率て參也。 そこは、法華經や書き奉りたる」と問へば、「しか※※書き奉りたり」といへば、 「わがためにはいくらか書きたる」と問へば、「わがためとも侍らず」。唯、人 の書かすれば、二百部ばかり書きたるらんとおぼゆる」といへば、「その事の うれへいできて、さたのあらんずるにこそあめれ」とばかりいひて、又異事も いはでゆく程に、あさましく人のむかふべくもなく、おそろしといへばおろか なる物の、眼を見れば、電光のやうにひらめき、口は、ほむらなどのやうに、 おそろしきけしきしたる軍の、よろひ、かぶときて、えもいはぬ馬に乘つゞき て、二百人斗あひたり。みるに、肝まどひ、倒ふしぬべき心ちすれども、吾に もあらず引たてられてゆく。 △さて、此軍はさきだちて去ぬ。我からめて行人に、「あれはいかなる軍ぞ」 と問へば、「え知らぬか。これこそ、なんぢに經あつらへて書かせたる者ども の、その功徳によりて、天にも生れ、極樂にも參り、又人に生かへるとも、よ き身とも生るべかりしが、汝が、その經書奉るとて、魚をもくひ、女にもふれ て、清まはる事もなくて、心をば女のもとに置きて、書奉たれば、其功徳の かなはずして、かくいかう武き身に生て、なんぢをねたがりて、「よびて給は らむ。其あだ報ぜん」と、うれへ申せば、此たびは、道理にて召さるべき度に あらねども、このうれへによりて、めさるゝ也」といふに、身もきるるやうに、 心もしみこほりて、これを聞くに、死ぬべき心ちす。 △「さて、われをばいかにせんとて、かくは申ぞ」と問へば、「おろかにも問 かな。その持たりつる太刀、かたなにて、汝が身は先二百にきりさきて、おの ++、一きれづゝ取てんとす。その二百のきれに、なんぢが心もわかれて、き れごとに心のありて、せめられむに隨て、かなしく、わびしきめを見んずるぞ かし。たへがたきことたとへんかたあらんやは」といふ。「さて、其ことをば、 いかにしてか助かるべき」といへば、「さらに我も心も及ばず。まして助かる べき力はあるべきにあらず」といふに、あゆむ空なし。 △又ゆけば、大なる川あり。その水をみれば、こくすりたる墨の色にて流たり。 あやしき水の色哉とみて、「是はいかなる水なれば、墨の色なるぞ」と問へば、 「しらずや。これこそ、なんぢが書きたてまつりたる法華經の墨の、かく流るゝ よ」といふ。「それは、いかなれば、かく川にて流るゝぞ」と問ふに、「こゝろ の能まことをいたして、清く書奉りたる經は、さながら、王宮におさめられぬ。 なんぢが書奉りたるやうに、心きたなく、身けがらはしうて、かき奉りたる經 は、ひろき野べにすて置きたれば、その墨の、雨にぬれて、かく川にて流るゝ 也。この川は、なんぢが書き奉りたる經の墨の川なり」といふに、いとゞおそ ろしともおろか也。 △「さても、此事はいかにしてか助るべき事ある。教へて助給へ」と泣々いへ ば、「いとほしけれども、よろしき罪ならばこそは、たすかるべきかたをも構 へめ。これは、心も及び、口にても、のぶべきやうもなき罪なれば、いかゞせ ん」といふに、ともかくもいふべきかたなうて行く程に、おそろしげなる物、 走あひて、「遲く率て參る」と、いましめ云へば、それを聞きて、さげたてて、 率て參りぬ。大なる門に、わがやうに引はられ、又くびかしなどといふ物をはげ られて、ゆひからめられて、たへがたげなるめども見たるものどもの、數もし らず、十方より出來たり。あつまりて、門に所なく入滿たり。門より見いるれ ば、あひたりつる軍ども、目をいからかし、舌なめづりをして、我を見つけて、 とく率て來かしと思たるけしきにて、立さまよふを見るに、いとゞ土もふまれ ず。「さても+ 、いかにし侍らんとする」〔と〕いへば、そのひかへたるもの、 「四卷經書奉らむと云願をおこせ」と、みそかにいへば、今門いる程に、此科 は四卷經かき、供養してあがはんといふ願をおこしつ。 △さていりて、廳の前に引据ゑつ。事さたする人、「かれは敏行か」と問へば、 「さに侍り」と、このつきたる者こたふ。「うれへども頻なるものを、など遲 くは參りつるぞ」といへば、「召捕たるまゝ、とゞこほりなく率て參り候」と いふ。「裟婆世界にて何事かせし」と問はるれば、「仕たる事もなし。人のあつ らへにしたがひて、法華經を二百部かき奉て侍つる」とこたふ。それを聞き て、「汝は、もとうけたる所の命は、今しばらくあるべけれども、その經書奉 りし事の、けがらはしく、清からで書たるうれへのいできて、からめられぬる なり。すみやかに、うれへ申もの共に出し賜びて、かれらが思のまゝにせさす べき也」とあるときに、有つる軍ども、悦べる氣色にて、請とらんとするとき に、わなゝく+ 、「四卷經書き、供養せんと申願のさぶらふを、そのことをな ん、いまだ遂げ候はぬに、召されさぶらひぬれば、此罪おもく、いとゞあらが ふかた候はぬなり」と申せば、この沙汰する人、聞きおどろきて、「さることや はある。誠ならば、不便なりけることかな。帳を引てみよ」といへば、又人、 大なる文をとり出て、引く++みるに、わがせし事どもを、一事もおとさず、 しるしつけたる中に、罪の事のみありて、功徳の事一もなし。この門いりつる ほどにおこしつる願なれば、奧のはてにしるされにけり、文引きはてて、今は とする時に、「さる事侍り。この奧にこそしるされて侍れ」と、申上ければ、 「さてはいと不便の事なり。此度のいとまをばゆるしたびて、その願とげさせ て、ともかくもあるべき事なり」と定られければ、この、目をいからかして、 吾をとく得んと、てをねぶりつる軍ども、うせにけり。「慥に、裟婆世界に歸り て、その願必とげさせよ」とて、ゆるさるゝと思ふ程に、いきかへりにけり。 △妻子泣きあひてありける二日といふに、夢のさめたるこゝちして目をみあ けたりければ、「いきかへりたり」とて、よろこびて、湯のませなどするにぞ、 さは、我は死たりけるにこそありけれと心得て、勘へられつる事ども、ありつ る有樣、願をおこして、その力にてゆるされつる事など、あきらかなるかゞみ に向たらむやうにおぼえければ、いつしか、わが力つきて、清まはりて、心清 く四卷經書供養し奉らむと思けり。やう++日比へ、比過て、例のやうにこゝ ちも成にければ、いつしか、四卷經書奉るべき紙、經師に打つがせ、罫かけさ せて、かき奉らんと思けるが、猶もとの心の色めかしう、經佛の方に、心のい たらざりければ、此女のもとにゆき、あの女けさうし、いかでよき歌よまん、 など思ける程に、いとまなくて、はかなく年月すぎて、經をも書きたてまつら で、このうけたりける齡、かぎりにやなりにけん、逐にうせにけり。 △其後、一二年ばかりへだてて、紀友則といふ歌よみの夢に見えけるやう、此 敏行とおぼしきものにあひたれば、敏行とは思へども、さまかたち、たとふべ き方もなく、あさましく、おそろしう、ゆゝしげにて、うつゝにも語りし事を いひて、「四卷經書奉らんといふ願によりて、しばらくの命をたすけて返さ れたりしかども、猶心のおろか〔に〕おこたりて、其經を書かずして、逐にうせ にし罪によりて、たとふべきかたもなき苦を受けてなんあるを、もし哀と思ひ 給はば、その紙尋とりて、三井寺にそれがしといふ僧にあつらへて、かき供養 せさせてたべ」といひて、大なる聲をあげて泣きさけぶとみて、汗水になりて おどろきて、あくるや遲きと、その料紙たづねとりて、やがて三井寺に行て、 夢にみえつる僧のもとへゆきたれば、僧見つけて、「うれしき事かな。唯今、 人を參らせん、みづからにても參りて申さんと思ふことのありつるに、かくお はしましたることのうれしさ」といへば、まづ、わがみつる夢をば語らで、「何 事ぞ」と問へば、「こよひの夢に、故敏行朝臣の見え給へる也。四巻經書きたて まつるべかりしを、心のおこたりに、え書き供養し奉らずなりにし、その罪に よりて、きはまりなき苦を受くるを、其料紙は、御前のもとになん。その紙た づねとりて、四卷經書供養し奉れ。ことのやうは、御前に問奉れと有つる。大 なる聲をはなちて、さけび泣き給とみつる」とかたるに、あはれなること、お ろかならず。さしむかひて、さめ※※と二人泣きて、「われも、しか※※夢を みて、その紙を尋取て、こゝにもちて侍り」といひて、とらするに、いみじう あはれがりて、この僧、誠をいたして、てづからみづから、かき供養し奉りて 後、又二人が夢に、この功徳によりて、たへがたき苦すこしまぬがれたるよし、 こゝちよげにて、かたちもはじめには變りて、よかりけりとなんみけり。 一〇三 東大寺華嚴會事△卷八ノ五 △これも今はむかし、東大寺に恒例の大法會あり。華嚴會とぞいふ。大佛殿の うちに高座をたてて、講師のぼりて、堂のうしろより、かい消つやうにして逃 ていづるなり。古老のつたへていはく、御堂建立のはじめ、鯖うる翁きたる。 こゝに本願の上皇、めしとゞめて、大會の講師とす。うる所の鯖を經づくゑに 置く。變じて八十華嚴經となる。即、講説のあひだ、梵語をさへづる。法會の 中間に、高座にして、たちまちに失せおはりぬ。またいはく、鯖をうる翁、杖 をもちて鯖をになふ。其物のかず八十、則變じて八十華嚴經となる。件の杖 の木、大佛殿の内、東門廊の前につきたつ。たちまちに枝葉をなす。これ白榛 の木なり。今伽藍の榮えおとろへんとするにしたがひて、此木榮え枯といふ。 かの會の講師、此ころまでも、中間に高座よりおりて、後戸よりかい消つやう にしていづること、これをまなぶ也。 △彼鯖の杖の木、三十四年がさき迄は、葉は青くて榮えたり。其後、なほ枯木 にてたてりしが、このたび、平家の炎上に燒けおはりぬ。世の末ぞかしと、口 惜しかりけり。 一〇四 獵師ほとけを射事△卷八ノ六 △昔、愛宕の山に、ひさしくおこなふ聖有けり。とし比行て、坊をいづる事 なし。西の方に獵師あり。此聖を貴て、つねにはまうでて、物たてまつりな どしけり。ひさしく參らざりければ、餌袋に干飯など入て、まうでたり。聖、 悦て、日比のおぼつかなさなどのたまふ。その中に、ゐよりてのたまふやう は、「此ほど、いみじく貴き事あり。此年比、他念なく經をたもち奉りてある しるしやらん、この夜比、普賢菩薩、象にのりてみえ給。こよひとゞまりて拜 み給へ」といひければ、この獵師、「よに貴きことにこそ候なれ。さらば、とま りて拜奉らん」とて、とゞまりぬ。 △さて、聖のつかふ童のあるに問ふ。「聖のたまふやう、いかなる事ぞや。お のれも、此佛をば拜み參らせたりや」と問へば、童は「五六度ぞみ奉りて候」 といふに、獵師「我も見奉ることもやある」とて、聖のうしろに、いねもせず しておきゐたり。九月廿日のことなれば、夜もながし。今や+ と待に、夜半 過ぬらんと思ふ程に、東の山の嶺より、月のいづるやうに見えて、嶺の嵐もす さまじきに、この坊のうち、光さし入たるやうにて、あかくなりぬ。見れば、 普賢菩薩、象に乘て、やう++おはして、坊のまへにたち給へり。 △聖、なく++拜みて、「いかに、ぬし殿は拜み奉るや」といひければ、「いか ゞは。この童も拜み奉る。おい++、いみじう貴し」とて、獵師思ふやう、聖 は、年比經をもたもち、讀給へばこそ、其目ばかりに見え給はめ、此童、我身 などは、經のむきたるかたも知らぬに、みえ給へるは、心は得られぬこと也と、 心のうちにおもひて、此事試みてん。これ、罪うべきことにあらずと思ひて、 とがり矢を、弓につがひて、聖の拜み入たるうへより、さしこして、弓をつよ く引て、ひやうと射たりければ、御胸の程にあたるやうにて、火を打消つごと くにて、光もうせぬ。谷へとゞろめきて、逃行音す。聖、「是はいかにし給へ るぞ」といひて、なきまどふ事限なし。男申けるは、「聖の目にこそみえ給はめ。 わが罪ふかき者の目にみえ給へば、試奉らむと思て射つる也。實の佛ならば、 よも矢い立ち給はじ。されば、あやしき物なり」といひけり。夜明て、血をと めて行て見ければ、一町斗行て、谷の底に、大なる狸、胸よりとがり矢を射通 されて、死してふせりけり。 △聖なれど、無智なれば、かやうにばかされける也。獵師なれども、おもんぱ かりありければ、たぬきを射害、其ばけをあらはしける也。 一〇五 千手院僧正仙人にあふ事△卷八ノ七 △むかし、山の〔西塔〕千手院に住給ける靜觀僧正と申ける座主、夜更て、尊勝 陀羅尼を、夜もすがらみて明して、年比になり給ぬ。きく人もいみじく貴みけ り。陽勝仙人と申仙人、空を飛て、この坊のうへをすぎけるが、此陀羅尼のこ ゑをきゝて、おりて、高欄のほこ木のうへにゐ給ぬ。僧正、あやしと思ひて、 問給ひければ、蚊のこゑのやうなるこゑして、「陽勝仙人にて候なり。空をす ぎ候つるが、尊勝陀羅尼の聲を承りて參り侍なり」とのたまひければ、戸を明 て請ぜられければ、飛入て、前にゐ給ぬ。年比の物語して、「今はまかりなん」 とて立けるが、人げにおされて、え立たざりければ、「香爐の煙をちかくよせ 給へ」とのたまひければ、僧正、香爐をちかくさしよせ給ける。その煙にのり て、空へのぼりにけり。此僧正は、年をへて、香爐をさしあげて、煙をたてて ぞおはしける。此仙人は、もとつかひ給ける僧の、おこなひして失せにけるを、 年比あやしとおぼしけるに、かくして參りたりければ、あはれ+ とおぼして ぞ、つねに泣き給ける。 一〇六 瀧口道則習術事△卷九ノ一 △昔、陽成院位にておはしましける時、瀧口道則、宣旨を承、陸奧へくだる あひだ、信濃國ひくうといふ所にやどりぬ。郡の司にやどをとれり。まうけし て、もてなして後、あるじの郡司は、郎等引具して出ぬ。いもねられざりけれ ば、やはら起きて、たゝずみありくに、見れば屏風をたてまはして、たゝみな ど清げにしき、火ともして、よろづめやすきやうに、しつらひたり。そらだき 物するやらんと、かうばしき香しけり。いよ++心にくゝおぼえて、よくのぞ きてみれば、年廿七八斗なる女一人ありけり。みめことがら、すがたありさま、 ことにいみじかりけるが、唯ひとりふしたり。 △みるまゝに、たゞ有べき心ちせず。あたりに人もなし。火は几帳の外にとも してあれば、あかくあり。さて、この道則思ふやう、よに++ねむごろにもて なして、心ざしありつる郡司の妻を、うしろめたなき心つかはん事、いとほし けれど、この人のありさまを見るに、たゞあらん事かなはじと思て、よりて、 かたはらにふすに、女、けにくゝも、驚かず。口おほひをして、わらひふした り。いはんかたなくうれしくおぼえければ、長月十日比なれば、衣もあまた着 ず、一かさねばかり、男も女も着たり。かうばしき事限なし。わが衣をばぬぎ て、女のふところへ入に、しばしは、ひきふたぐやうにしけれども、あながち にけにくからず。ふところにいりぬ。男のまへのかゆきやうなりければ、さぐ りてみるに、物なし。驚きあやしみて、能々さぐれども、おとがひのひげをさ ぐるやうにて、すべてあとかたなし。大きに驚きて、此女のめでたげなるも忘 られぬ。この男、さぐりて、あやしみくるめくに、女、すこしほゝゑみてあり ければ、いよ++心得ず覺て、やはらおきて、わがねどころへ歸りてさぐるに、 さらになし。あさましくなりて、近くつかふ郎等をよびて、かゝるとはいはで、 「こゝにめでたき女あり。我も行たりつるなり」といへば、よろこびて此男い ぬれば、しばしありて、よに++あさましげにて、この男いできたれば、これ もさるなめりと思うて、又こと男をすゝめてやりつ。これも又、しばしありて 出きぬ。空をあふぎて、よに心えぬけしきにて、歸りてけり。かくのごとく、 七八人まで郎等をやるに、おなじけしきに見ゆ。 △かくするほどに、夜もふけぬれば、道則思ふやう、よひにあるじのいみじう もてなしつるをうれしと思つれども、かく心得ずあさましき事のあれば、とく いでんと思て、いまだ明はてざるに、いそぎて出れば、七八町行ほどに、後 よりよばひて、馬をはせてくる者あり。走りつきて、しろき紙につゝみたる物 をさしあげてもてく。馬をひかへて待てば、ありつるやどに、かよひしつる郎 等なり。「これは何ぞと問)へば、「此、郡司の參らせよと候物にて候。かゝる 物をば、いかですててはおはし候ぞ。かたのごとく御まうけして候へども、御 いそぎに、これをさへ落させ給てけり。されば、ひろひ集て參らせ候」といへ ば、「いで、なにぞ」とて、取てみれば、松茸をつつみ集めたるやうにてある 物九あり。あさましくおぼえて、八人の郎等、とり※※あやしみをなして見る に、まことに九の物あり。一どにさつと失せぬ。さて、使はやがて馬をはせて 歸りぬ。その折、我身よりはじめて、郎等ども、皆、「あり++」といひけり。 △さて、陸奧にて金うけとりて歸る時、又、信濃のありし郡司のもとへ行てや どりぬ。さて、郡司に、金、馬、鷲の羽などおほくとらす。郡司、よに++悦 びて、「これはいかにおぼして、かくはし給ぞ」といひければ、近くよりてい ふ樣、「かたはらいたき申し事なれども、はじめこれに參りて候し時、あやし き事の候しは、いかなることにか」といふに、郡司、物をおほく得て有ければ、 さりがたく思ひて、ありのまゝにいふ。「それは、わかく候しとき、この國の 奧の郡に侍し郡司の、年よりて候しが、妻のわかく候しに、忍びてまかりより て侍しかば、かくのごとく失てありしに、あやしく思ひて、其郡司にねんごろ に心ざしをつくして、習て候なり。もし習はんとおぼしめさば、この度は、お ほやけの御使なり。速にのぼり給て、またわざと下給て、習ひ給へ」といひけ れば、その契をなしてのぼりて、金など參らせて、またいとまを申て下りぬ。 △郡司に、さるべき物など、もちて下りて、とらすれば、郡司、大に悦て、心 の及ばんかぎりは教へむと思ひて、「これは、おぼろけの心にてならふ事にて は候はず。七日水をあみ、精進をして習事也」といふ。そのまゝに、清まはり て、その日に成て、たゞふたりつれて、ふかき山に入ぬ。大なる河の流るゝほ とりに行て、さま※※の事どもを、えもいはず罪ふかき誓言どもたてさせけり。 その郡司は水上へいりぬ。「その川上より流れ來ん物を、いかにも+ 、鬼に てもあれ、なににてもあれ、いだけ」といひて行ぬ。 △しばしばかりありて、水上のかたより、雨ふり風吹て、くらくなり、水まさ る。しばしありて、川上より、かしら一いだきばかりなる大蛇の、目はかな鞠 を入たるやうにて、せなかは紺青を塗たるやうに、くびのしたは紅のやうにて 見ゆるに、「先來ん物をいだけ」といひつれども、せん方なくおそろしくて、 草の中にふしぬ。しばしありて、郡司きたりて、「いかに。とり給つや」とい ひければ、「かう++おぼえつれば、とらぬなり」といひければ、「かく、口惜 しきことかな。さてはこの事は、え習ひ給はじ」といひて、「今一度心みん」 といひて、又入ぬ。しばし斗ありて、やをばかりなる猪のしゝの出できて、石 をはら++とくだけば、火きら++といづ。毛をいらゝかして、走てかゝる。 せん方なくおそろしけれども、「これをさへ」と思きりて、はしりよりて、いだ きてみれば、朽木の三尺ばかりあるを抱きたり。ねたく、くやしきことかぎり なし。はじめのも、かゝる物にてこそありけれ、などか抱かざりけんと思ふ程 に、郡司きたりぬ。「いかに」と問へば、「かう++」といひければ「まへの物 うしなひ給事は、え習ひ給はずなりぬ。さて、異事の、はかなき物を、ものに なす事は習ひぬめり。さればそれを教へん」とて、教へられて、歸のぼりぬ。 口惜しき事限なし。 △大内に參りて、瀧口どものはきたる沓どもを、あらがひをして、みな狗子に なしてはしらせ、古き藁沓を、三尺ばかりなる鯉になして、臺盤のうへに躍ら する事などをしけり。御門、このよしをきこしめして、黒戸のかたにめして、 習はせ給けり。御几帳のうへより、賀茂まつりなどわたし給けり。 一〇七 寶志和尚影事△卷九ノ二 △昔、もろこしに寶志和尚といふ聖有。いみじく尊くおはしければ、御門 「かの聖のすがたを、影に書きとらん」とて、繪師三人をつかはして、「もし 一人しては、書たがゆる事もあり」とて、三人して、面々にうつすべきよし、 仰ふくめられて、つかはさせ給に、三人の繪師、聖のもとへ參りて、かく宣旨 を蒙てまうでたるよし申ければ、「しばし」といひて、法服の裝束して出あひ 給へるを、三人の繪師、おの++書くべき絹をひろげて、三人ならびて筆をく ださんとするに、聖「しばらく。我まことの影あり。それを見て書きうつす べし」とありければ、繪師、左右なく書かずして、聖の御影をみれば、大ゆび のつめにて、額の皮をさしきりて、皮を左右へ引のけてあるより、金色の菩薩 の、かほをさし出たり。一人の繪師は、十一面觀音とみる。一人の繪師は、聖 觀音とおがみ奉りける。お++見るまゝにうつし奉りて、持て參りたりけれ ば、御門おどろき給て、別の使を給て、問はせ給ふに、かい消つやうにして失 せ給ひぬ。それよりぞ「たゞ人にてはおはせざりけり」と申あへりける。 一〇八 越前敦賀の女、觀音たすけ給ふ事△卷九ノ三 △越前の國に敦賀といふ所にすみける人ありけり。とかくして、身ひとつばか り、わびしからで過しけり。女ひとりより外に、又子もなかりければ、このむす めをぞ、又なき物に、かなしくしける。この女を、わがあらん折、たのもしく 見置かんとて、男あはせけれど、男もたまらざりければ、これや+ と、四五 人まではあはせけれども、猶たまらざりければ、しゐて、のちにはあはせざり けり。ゐたる家のうしろに、堂をたてて、「この女たすけ給へ」とて、觀音を据 ゑ奉りける。供養し奉りなどして、いくばくも經ぬ程に、父うせにけり。それ だに思ひなげくに、引つゞくやうに、母もうせにければ、泣きかなしめども、 いふかひもなし。 △しる所などもなくて、かまへて世をすぐしければ、やもめなる女ひとりあら むには、いかにしてか、はか※※しきことあらん。親の物のすこし有ける程は、 つかはるゝ者、四五人ありけれども、物うせはててければ、つかはるゝ者、ひ とりもなかりけり。物くふこと難くなりなどして、おのづから求めいでたる折 は、手づからいふばかりにして食ひては、「我親の思しかひありて、たすけ給 へ」と、觀音にむかひ奉て、なく++申ゐたる程に、夢にみるやう、このう しろの堂より、老たる僧の來て、「いみじういとほしければ、男あはせんと思 て、よびにやりたれば、あすぞこゝに來つかんずる。それがいはんにしたがひ てあるべきなり」と、のたまふとみて、さめぬ。此佛の、たすけ給べきなめり と思ひて、水うちあみて、參りて、なく++申て、夢をたのみて、その人を待 とて、うち掃きなどしてゐたり。家は大きにつくりたりければ、親うせて後は、 すみつき、あるべかしき事なけれど、屋ばかりは大きなりければ、かたすみに ぞゐたりける。敷くべきむしろだになかりけり。 △かゝるほどに、その日の夕がたになりて、馬の足音どもして、あまた入くる に、人どものぞきなどするをみれば、旅人のやどかるなりけり。「すみやかに 居よ」といへば、みな入きて「こゝよかりけり。家ひろし。いかにぞやなど、 物云べきあるじもなくて、我まゝにもやどりいるかな」といひあひたり。 △のぞきてみれば、あるじは三十ばかりなる男の、いときよげなる也。郎等二 三十人ばかりある、下種などとり具して、七八十人ばかりあらんとぞみゆる。 たゞゐにゐるに、むしろ、たゝみをとらせばやと思へども、はづかしと思てゐ たるに、皮子むしろを乞ひて、皮に重て敷きて、幕引まはしてゐぬ。ぞゞめく ほどに、日もくれぬれども、物くふとも見えぬは、物のなきにやあらんとぞ見 ゆる。物あらばとらせてましと思ひゐたるほどに、夜うちふけて、この旅人の けはひにて、「このおはします人、寄らせ給へ。物申さん」といへば、「なにご とにか侍らん」とて、いざり寄りたるを、なにのさはりもなければ、ふと入り きてひかへつ。「こはいかに」といへど、いはすべくもなきにあはせて、夢に みし事もありしかば、とかく思ひいふべきにもあらず。 △この男は、美濃國に猛將ありけり、それがひとり子にて、その親うせにけれ ば、よろづの物うけつたへて、親にもおとらぬ者にてありけるが、思ける妻に おくれて、やもめにてありけるを、これかれ、聟にとらんといふもの、あまたあ りけれども、ありし妻に似たらん人をと思て、やもめにて過しけるが、若狹に 沙汰すべきことありて行なりけり。ひるやどりいる程に、かたすみにゐたる所 も、なにのかくれもなかりければ、いかなる者のゐたるぞと、のぞきて見るに、 たゞありし妻のありけるとおぼえければ、目もくれ、心もさわぎて、「いつしか、 疾く暮よかし。近からんけしきも試みん」とて、入きたるなりけり。 △物うちいひたるよりはじめ、露たがふ所なかりければ、「あさましく、かゝ りけることもありけり」とて、「若狭へと思ひたゝざらましかば、この人を見 ましやは」と、うれしき旅にぞありける。若狹にも十日ばかりあるべかりけれ ども、この人のうしろめたさに、「あけば行て、又の日歸べきぞ」と、返々契 おきて、寒げなりければ、衣もきせおき、郎等四五人ばかり、それが從者など とり具して、廿人ばかりの人のあるに、物くはすべきやうもなく、馬に草くは すべきやうもなかりければ、いかにせましと、思なげきける程に、親のみづし 所に使ひける女の、むすめのありとばかりは聞きけれども、來通ふこともなく て、よき男して、事かなひてありと斗は聞きわたりけるが、思ひもかけぬに來 けるが、たれにかあらんと思て、「いかなる人のきたるぞ」と問ひければ、「あ な心うや。御覽じ知れぬは、我身のとがにこそ候へ。おのれは故上のおはしま しし折、みづし所仕候しもののむすめに候。年此、いかで參らんなど思て すぎ候を、けふは、萬をすてて參り候つるなり。かくたよりなくおはしますと ならば、あやしくとも、ゐて候所にもおはしまし通ひて、四五日づゝもおはし ませかし。心ざしは思たてまつれども、よそながらは、明くれとぶらひたてま つらんことも、おろかなるやうに、思はれ奉りぬべければ」など、こま※※と かたらひて、「この候ふ人々はいかなる人ぞ」と問へば、「こゝにやどりたる人 の、若狹へとていぬるが、あす、こゝへ歸りつかんずれば、その程にとて、この あるものどもをとゞめ置きて、いぬるに、これにも食ふべき物は具せざりけり。 こゝにも、食はすべき物もなきに、日は高くなれば、いとほしと思へども、す べきやうもなくてゐたるなり」といへば、「しりあつかひ奉るべき人にやおは しますらん」といへば、「わざと、さは思はねど、こゝに宿りたらん人の、物く はでゐたらんを、見過ぐさんも、うたてあるべう、又思ひはなつべきやうもな き人にてあるなり」といへば、「さていと易きことなり。けふしも、かしこく參 り候にけり。さらば、まかりて、さるべきさまにて參らん」とて、たちていぬ。 △いとほしかりつる事を、思ひかけぬ人のきて、たのもしげにいひていぬるは、 いとかくたゞ觀音の導びかせ給なめりと思て、いとゞ手をすりて念じ奉る程に、 則物ども持たせてきたりければ、食物どもなどおほかり。馬の草まで、こ しらへ持ちてきたり。いふかぎりなく、うれしとおぼゆ。此人々、もて饗應し、 物くはせ、酒のませはてて、入きたれば、「こはいかに。我親のいき返おはし たるなめり。とにかくにあさましくて、すべきかたなく、いとほしかりつる恥 をかくし給へること」といひて、悦泣きければ、女も、うち泣きていふやう、 「年比も、いかでかおはしますらんと思給へながら、世中すぐし候ふ人は、心 とたがふやうにて過ぎ候つるを、けふ、かゝる折に參りあひて、いかでか、お ろかには思ひ參らせん。若狹へこえ給ひにけん人は、いつか歸りつき給はんぞ。 御とも人はいくらばかり候」と問へば、「いさ、まことにやあらん。あすの夕 さり、こゝに來べかんなる。ともには、このある物ども具して、七八十人ばか りぞありし」といへば、「さては、その御まうけこそ、つかまつるべかんなれ」 といへば、「これだに、思ひかけずうれしきに、さまでは、いかゞあらん」とい ふ。「いかなることなりとも、今よりは、いかでか、つかまつらであらんずる」 とて、たのもしくいひ置きていぬ。この人々の、ゆふさり、つとめての食物ま で沙汰し置きたり。覺えなくあさましきまゝには、たゞ觀音を念じ奉る程に、 その日も暮ぬ。 △又の日になりて、このあるものども「けふは殿おはしまさんずらんかし」と 待ちたるに、申の時ばかりにぞつきたる。つきたるや遲きと、此女、物ども多 くもたせてきて、申のゝしれば、物たのもし。此男、いつしか入きて、おぼつか なかりつる事などいひ臥したり。曉はやがて具して行べきよしなどいふ。いか なるべきことにかなど思へども、佛の「たゞまかせられてあれ」と、夢にみえ させ給しをたのみて、ともかくも、いふにしたがひてあり。この女、曉たゝん まうけなどもしにやりて、いそぎくるめくがいとほしければ、なにがなとらせ んと思へども、とらすべき物なし。おのづから入事もやあるとて、紅なる生絹 の袴ぞ一あるを、これをとらせてんと思ひて、我は男のぬぎたる生絹の袴をき て、この女をよびよせて、「年比は、さる人あらんとだに知らざりつるに、思 もかけぬ折しも來あひて、恥がましかりぬべかりつる事を、かくしつることの、 この世ならずうれしきも、なににつけてか知らせんと思へば、心ざしばかりに 是を」とて、とらすれば、「あな心うや。あやまりて人の見奉らせ給に、御さ まなども心うく侍れば、奉らんとこそ思ひ給ふるに、こはなにしにか給はら ん」とて、とらぬを、「この年比も、さそふ水あらばと、思ひわたりつるに、 思もかけず「具していなん」と、この人のいへば、あすは知らねども、したが ひなんずれば、かたみともし給へ」とて、猶、とらすれば、「御心ざしの程は、 返々もおろかには思給まじけれども、かたみなどおほせらるゝがかたじけな ければ」とて、とりなんとするをも、程なき所なれば、この男、聞きふしたり。 △鳥鳴ぬれば、いそぎたちて、此女のし置きたるもの食ひなどして、馬にくら 置き、引いだして、のせんとする程に、「人の命しらねば、又おがみ奉らぬやう もぞある」とて、旅裝束しながら、手あらひて、うしろの堂に參りて、觀音を おがみ奉らんとて、み奉るに、觀音の御肩に、あかき物かゝりたり。あやしと 思ひて見れば、この女にとらせし袴なりけり。こはいかに、この女と思ひつる は、さは、この觀音の、せさせ給なりけりと思ふに、涙の、雨しづくとふりて、 しのぶとすれど、ふしまろび泣くけしきを、男聞きつけて、あやしと思ひて、 走きて、「なに事ぞ」と問ふに、泣くさま、おぼろけならず。「いかなることの あるぞ」とて、みまはすに、觀音の御肩に赤き袴かゝりたり。これをみるに、 「いかなることにかあらん」とて、ありさまを問へば、此女〔の〕、思もかけず 來て、しつるありさまを、こまかに語て、「それにとらすと思つる袴の、此觀 音の御肩にかゝりたるぞ」といひもやらず、こゑをたてて泣けば、男も、空寢 して聞きしに、女にとらせつる袴にこそあんなれと思ふがかなしくて、おなじ やうに泣く。郎等共も、物の心しりたるは、手をすり泣きけり。かくて、たて 納め奉て、美濃へこえにけり。 △其後、おもひかはして、又よこめすることなくてすみければ、子ども生みつ ゞけなどして、この敦賀にも、つねに來通ひて、觀音に返々つかうまつりけり。 ありし女は、「さる者やある」とて、近く遠く尋させけれども、さらにさる女 なかりけり。それより後、又おとづるゝこともなかりければ、ひとへに、この 觀音のせさせ給へるなりけり。この男女、たがひに七八十に成まで榮えて、男 子、女子生みなどして、死の別れにぞ別れにける。 一〇九 くうすけが佛供養の事△卷九ノ四 △くうすけといひて、兵だつる法師ありき。したしかりし僧のもとにぞありし。 その法師の「佛をつくり、供養し奉らばや」と、いひわたりければ、うち聞く人、 佛師に物とらせて、つくり奉らんずるにこそと思て、佛師を家によびたれば、 「三尺の佛、造奉らんとするなり。奉らんずる物どもはこれなり」とて、とり 出でて見せければ、佛師、よきことと思ひて、取て去なんとするに、いふやう、 「佛師に物奉りて、遲く作奉れば、わが身も、腹だゝしく思ふことも出でて、 せめいはれ給佛師も、むつかしうなれば、功徳つくるもかひなくおぼゆるに、 このものどもは、いとよき物どもなり。封つけてこゝに置き給て、やがて佛を もこゝにて造り給へ。つくりいだし奉り給へらん日、皆ながら、とりておはす べきなり」といひければ、佛師、うるさきことかなとは思けれど、物おほくと らせたりければ、いふまゝに、佛つくり奉る程に、「佛師のもとにて造りたて まつらましかば、そこにてこそは物は參らましか。こゝにいまして、物くはん とやはのたまはまし」とて、物も食はせざりければ、「さる事なり」とて、我 家にて物うち食ひては、つとめてきて、一日つくり奉りて、夜さりは歸つゝ、 日比へて、つくり奉りて、「此得んずる物をつのりて、人に物をかりて、漆ぬ らせ奉り、薄買ひなどして、えもいはず、造奉らんとす。かく、人に物をかる よりは、漆のあたひの程は、先得て、薄もきせ、漆ぬりにもとらせん」といひ けれども、「などかくのたまふぞ。はじめ、みな申したゝめたることにはあらず や。物はむれらかに得たるこそよけれ。こま※※に得んとのたまふ、わろき事 なり」といひて、とらせねば、人に物をばかりたりけり。 △かくて、つくりはて奉りて、佛の御眼など入奉りて、「もの得てかへらん」 といひければ、いかにせましと思まはして、小女子どもの二人ありけるをば、 「けふだに、此佛師に物して參らせん。なにもとりて來」とて、いだしやりつ。 我も又、ものとりて來んずるやうにて、太刀ひきはきて、出にけり。たゞ、妻 ひとり、佛師にむかはせて置きたりけり。佛師、佛の御眼入はてて、男の僧歸 りきたらば、ものよく食て、封つきて置たりしものども見て、家にもて行て、 その物は、かのことにつかはん、かの物は、そのことにつかはんと、仕度し おもひける程に、法師、こそ++として、入くるまゝに、目をいからかして、 「人の妻まくものあり。やう++、をうをう」といひて、太刀をぬきて、佛師 をきらんとて、走かゝりければ、佛師、かしらうちわられぬと思て、たち走り 逃けるを、追ひつきて、きりはづし+ つゝ、追ひ逃していふやうは、「ねた きやつを逃しつる。しや頭、うちわらんとしつるものを。佛師は、かならず人 の妻やまきける。をの、のちにあはざらんやは」とて、ねめかけて歸にければ、 佛師、逃のきて、いきつきたちて、思ふやう、かしこく頭をうちわられずなり ぬる、「後あはざらんやは」とねめずばこそ、腹の立ほど、かくしつるかとも思 はめ、見え合はば、又「頭わらん」ともこそいへ、千萬の物、命にますものな しと思て、物の具をだにとらず、深くかくれにけり。薄、漆の料に物かりたり し人、つかひをつけてせめければ、佛師、とかくして返しけり。 △かくて、くうすけ、「かしこき佛を造り奉りたる、いかで供養し奉らん」な どいひてければ、このことを聞たる人々、わらふもあり、にくむも有けるに、 「よき日取て、佛供養し奉らん」とて、主にもこひ、しりたる人にも物こひと りて、講師の前、人にあつらへさせなどして、其日になりて、講師よびければ、 きにけり。 △おりて入に、此法師、いでむかひて、出ゐをはきてゐたり。「こは、いかにし 給ことぞ」といへば、「いかでかく仕らではさぶらはん」とて、名簿を書てとら せたりければ、講師は、「思ひかけぬことなり」といへば、「けふより後はつか うまつらんずれば、參らせ候なり」とて、よき馬を引出して、「異物は候はねば、 この馬を、御布施には奉り候はんずるなり」といふ。又、にび色なる絹の、い とよきを、つゝみてとり出だして、「これは、女の奉る御布施なり」とて見す れば、講師、笑みまげて、よしと思たり。前の物まうけて据ゑたり。講師くは むとするに、云やう、「まづ佛を供養して後、物をめすべきなり」といひければ、 「さる事なり」とて、高座にのぼりぬ。布施よき物どもなりとて、講師、心に 入てしければ、きく人も、尊がり、此法師も、はら++と泣きけり。講はてて、 鐘打て、高座よりおりて、物くはんとするに、法師よりきて、いふやう、手を すりて、「いみじく候つる物哉。けふよりは、ながくたのみ參らせんずる也。 つかうまつり人となりければ、御まかりに候人は、御まかりたべ候なん」とて、 はしをだにたてさせずして、とりてもちて去ぬ。これをだにあやしと思ふほど に、馬ひきいだして、「この馬、はしのりに給はり候はん」とて、ひき返して去 ぬ。衣をとりて來れば、さりとも、これは得させんずらむと思ふほどに、「冬 そぶつに給はり候はん」とて、とりて、「さらば歸らせ給へ」といひければ、 夢にとびしたるらん心ちして、いでて去にけり。 △異所によぶありけれど、これはよき馬など布施にとらせんとすと、かねて聞 きければ、人のよぶ所にはいかずして、こゝに來けるとぞ聞きし。かゝりとも すこしの功徳は得てんや。いかゞあるべからん。 一一〇 恒正が郎等佛供養の事△卷九ノ五 △昔、ひやうどうたいふつねまさといふ者ありき。それは、筑前國やまがの庄 といひし所にすみし。又そこにあからさまにゐたる人ありけり。つねまさが郎 等に、まさゆきとてありしをのこの、佛造り奉りて、供養し奉らんとすと聞き 渡て、つねまさがゐたるかたに、物くひ、酒のみのゝしるを、「こはなにごと するぞ」といはすれば、「まさ行といふものの、佛供養し奉らんとて、主のもと にかうつかうまつりたるを、かたへの郎等どもの、たべのゝしる也。けふ、饗 百膳ばかりぞつかうまつる。あす、そこの御前の御料には、つねまさ、やがて 具して參るべく候ふなる」といへば、「佛供養し奉る人は、かならず、かくや はする」「田舍のものは、佛供養し奉らんとて、かねて四五日より、かゝるこ とどもをし奉るなり。きのふ一咋日は、おのがわたくしに、里隣、わたくしの ものども、よびあつめて候ひつる」といへば、「をかしかりつる事かな」といひ て、「あすを待べきなめり」といひてやみぬ。 △あけぬれば、いつしかと待ちゐたる程に、つねまさ出できにたり。さなめり と思ふ程に、「いづら。これ參らせよ」といふ。さればよと思ふに、さること はなけれど、たかく大きに盛りたる物共、持てきつゝ据ゆめり。侍の料とて、 あしくもあらぬ饗一二膳ばかり据ゑつ。雜色、女どもの料にいたるまで、かず おほく持てきたり。講師の御心みとて、こだいなる物据ゑたり。講師には、此 旅なる人の具したる僧をせんとしけるなりけり。 △かくて、物くひ、酒のみなどする程に、この講師に請ぜられんずる僧のいふ やうは、「あすの講師とはうけたまはれども、その佛を供養せんずるぞとこそ、 得うけたまはらね。なに佛を供養し奉るにかあらん。佛はあまたおはしますな り。うけたまはりて、説經をもせばや」といへば、つねまさ聞て、さることな りとて、「まさゆきや候」といへば、此佛供養し奉らんとするをのこなるべし、 たけたかく、おせぐみたる者、赤鬚にて、年五十斗なる、太刀はき、股貫はき て、いできたり。 △「こなたへ參れ」といへば、庭中に參りてゐたるに、つねまさ「彼まうとは、 何佛を供養し奉らんずるぞ」といへば、「いかでか知り奉らんずる」といふ。 「とはいかに。たが知るべきぞ。もし異人の供養したてまつるを、たゞ供養の ことのかぎりをするか」と問へば、「さも候はず。まさゆき丸が供養し奉るな り」といふ。「さては、いかでか、なに佛とは知りたてまつらぬぞ」といへば、 「佛師こそは知りて候らめ」といふ。あやしけれど、げにさもあるらん、此男、 佛の御名を忘れたるならんと思ひて、「その佛師はいづくにかある」と問へば、 「ゑいめいぢに候」といへば、「さては近かんなり。よべ」といへば、この男 かへり入て、よびてきたり。ひらづらなる法師の、ふとりたるが、六十ばかり なるにてあり。 △物に心得たるらんかしとみえずいで來て、まさゆきにならびてゐたるに、 「この僧は佛師か」と問へば、「さに候」といふ。「まさゆきが佛やつくりたる」 と問へば、「作奉りたり」といふ。「幾頭造奉りたるぞ」と問へば、「五頭つ くり奉れり」といふ。「さて、それは何佛をつくり奉りたるぞ」と問へば、「え 知り候はず」とこたふ。「とはいかに。まさゆき知らずといふ。佛師知らずは、 たが知らんぞ」といへば、「佛師はいかでか知り候はん。佛師の知るやうは候 はず」といへば、「さは、たが知るべきぞ」といへば、「講師の御かたこそ知ら せ給はめ」といふ。「こはいかに」とて、あつまりて笑ひのゝしれば、佛師は、 はらだちて、「物のやうだいも知らせ給はざりけり」とて、たちぬ。 △「こはいかなる事ぞ」とてたづぬれば、はやうたゞ佛つくり奉れといへば、 たゞまろがしらにて、齋の神の冠もなきやうなる物を五頭きざみたてて、供養 し奉らん講師して、その佛、かの佛と名をつけ奉るなりけり。それを問ひきゝ て、をかしかりし中にも、おなじ功徳にもなればと聞きし。あやしのものども こそ、かく希有の事どもをし侍ける也。 一一一 歌よみて罪をゆるさるゝ事△卷九ノ六 △今は昔、大隅守なる人、國の政をしたゝめおこなひ給あひだ、郡司のしどけ なかりければ、「召にやりて、いましめん」といひて、先々の樣にしどけなき こと有けるには、罪にまかせて、重く輕くいましむることありければ、一度に あらず、たび++、しどけなきことあれば、重くいましめんとて、めすなりけ り。「こゝに召て、率て參りたり」と、人の申ければ、さき※※するやうに、 し臥せて、しりかしらにのぼりゐたる人、しもとをまうけて、打べき人まうけ て、さきに、人ふたりひきはりて、出きたるを見れば、頭は黒髮もまじらず、 いとしろく、年老たり。 △みるに、打ぜんこといとほしくおぼえければ、何事につけてか、これをゆる さんと思ふに、事つくべきことなし。あやまちどもを、片はしより問ふに、た ゞ老を高家にて、いらへをる。いかにして、これをゆるさんと思て、「おのれ はいみじき盜人かな。歌はよみてんや」といへば、「はか※※しからず候ども、 よみ候なん」と申ければ、「さらばつかまつれ」といはれて、ほどもなく、わ なゝき聲にて、うちいだす。 としを經てかしらの雪はつもれどもしもとみるにぞ身はひえにける といひければ、いみじうあはれがりて、感じてゆるしけり。 人はいかにもなさけはあるべし。 一一二 大安寺別當女に嫁する男、夢見る事△卷九ノ七 △今は昔、奈良の大安寺の別當なりける僧の女のもとに、藏人なりける人、忍 びてかよふほどに、せめて思はしかりければ、時々は、晝もとまりけり。ある 時、ひるねしたりける夢に、俄に、この家の内に、上下の人、どよみて泣きあ ひけるを、いかなる事やらんと、あやしければ、立出て見れば、しうとの僧、 妻の尼公より始て、ありとある人、みな大なる土器をさゝげて泣きけり。いか なれば、この土器をさゝげて泣くやらんと思ひて、よく++みれば、銅の湯 を土器ごとにもれり。打はりて、鬼の飮ませんにだにも、のむべくもなき湯を、 心と泣く++のむ也けり。からくして飮みはてつれば、又、乞ひそへて飮むも のもあり。下臈にいたるまでも、のまぬものなし。我かたはらにふしたる君を、 女房、きてよぶ。おきて去ぬるを、おぼつかなさに、また見れば、この女も、 大なる銀の土器に、銅の湯を、一土器入て、女房とらすれば、この女とりて、 ほそく、らうたげなる聲をさしあげて、泣く++のむ。目鼻より、けぶりくゆ り出づ。あさましとみて立てる程に、又「まらうどに參らせよ」と云て、土器 を臺に据ゑて、女房もてきたり。我もかゝる物を飮まんずるかと思ふに、あさ ましくて、まどふと思ふ程に、夢さめぬ。 △おどろきて見れば、女房くひ物をもて來たり。しうとのかたにも、物くふ音 して、のゝしる。寺の物をくふにこそあるらめ。それがかくは見ゆるなりと、 ゆゝしく、心うくおぼえて、女の思はしさも失せぬ。さて心ちのあしきよしを いひて、物もくはずして出でぬ。その後は、遂にかしこへゆかず成にけり。 一一三 博打聟入の事△卷九ノ八 △昔、博打の子の年わかきが、目鼻一所にとりよせたるやうにて、世の人にも 似ぬありけり。ふたりの親、これいかにして世にあらせんずると思て有ける所 に、長者の家にかしづく女のありけるに、顏よからん聟とらんと、母のもとめ けるをつたへ聞きて、「天の下の顏よしといふ、「むこにならん」とのたまふ」 といひければ、長者、よろこびて、「聟にとらん」とて、日をとりて契てけり。 その夜になりて、裝束など人にかりて、月はあかゝりけれど、顏みえぬやうに もてなして、博打ども集りてありければ、人々しくおぼえて、心にくく思ふ。 △さて、夜々いくに、晝ゐるべきほどになりぬ。いかゞせんと思めぐらして、 博打一人、長者の家の天井にのぼりて、ふたりねたる上の天井を、ひし++と ふみならして、いかめしくおそろしげなる聲にて、「天の下の顏よし」とよぶ。 家のうちのものども、いかなることぞと聞きまどふ。聟、いみじくおぢて、 「おのれをこそ、世の人「天の下の顏よし」といふと聞け。いかなることなら ん」といふに、三度までよべば、いらへつ。「これはいかにいらへつるぞ」と いへば、「心にもあらで、いらへつるなり」といふ。鬼のいふやう、「この家の むすめは、わが領じて三年になりぬるを、汝、いかにおもひて、かくは通ふぞ」 といふ。「さる御事ともしらで、かよひ候つるなり。たゞ御たすけ候へ」といへ ば、鬼「いと++にくきことなり。一ことして歸らん。なんぢ、命とかたちと いづれか惜しき」といふ。聟「いかゞいらふべき」といふに、しうと、しうと め「なにぞの御かたちぞ。命だにおはせば。「たゞかたちを」とのたまへ」と いへば、教へのごとくいふに、鬼「さらば吸ふ+ 」と云時に、聟、顏をかゝ へて、「あら++」といひて、ふしまろぶ。鬼はあよび歸ぬ。 △さて「顏はいかゞなりたるらん」とて、紙燭をさして、人々見れば、目鼻ひ とつ所にとり据ゑたるやうなり。聟は泣きて、「たゞ、命とこそ申べかりけれ。 かゝるかたちにて、世中にありてはなにかせん。かゝらざりつるさきに、顏を 一たび見え奉らで、大かたは、かくおそろしき物に領ぜられたりける所に參り ける、あやまちなり」とかこちければ、しうと、いとほしと思て、「此かはりに は、我もちたる寶を奉らん」といひて、めでたくかしづきければ、うれしくて ぞありける。「所のあしきか」とて、別によき家を造りてすませければ、いみ じくてぞ有ける。 一一四 伴大納言燒應天門事△卷一〇ノ一 △今は昔、水の尾の御門の御時に、應天門やけぬ。人のつけたるになんありけ る。それを、伴善男といふ大納言、「これは信の大臣のしわざなり」と、おほ やけに申ければ、その大臣を罪せんとせさせ給うけるに、忠仁公、世の政は御 おとうとの西三條の右大臣にゆづりて、白川にこもりゐ給へる時にて、此事を 聞きおどろき給て、御烏帽子直垂ながら、移の馬に乘給て、乘ながら北の陣ま でおはして、御前に參り給て、「このこと、申人の讒言にも侍らん。大事になさ せ給事、いとことやうのことなり。かゝる事は、返々よくたゞして、まこと、 空事あらはして、おこなはせ給べきなり」と奏し給ければ、まことにもとおぼ しめして、たゞさせ給に、一定もなきことなれば、「ゆるし給よし仰よ」とある 宣旨うけたまはりてぞ、大臣はかへり給ける。 △左の大臣は、すぐしたる事もなきに、かゝるよこざまの罪にあたるを、おぼ しなげきて、日の裝束して、庭にあらごもをしきて、いでて、天道にうたへ申 給けるに、ゆるし給ふ御使に、頭中將、馬にのりながら、はせまうでければ、 いそぎ罪せらるゝ使ぞと心得て、ひと家なきのゝしるに、ゆるし給よしおほせ かけて歸ぬれば、又、よろこび泣きおびたゝしかりけり。ゆるされ給にけれど、 「おほやけにつかうまつりては、よこざまの罪いで來ぬべかりけり」といひて、 ことに、もとのやうに、宮づかへもし給はざりけり。 △此ことは、過にし秋の比、右兵衞の舍人なるもの、東の七條に住けるが、つ かさに參りて、夜更て、家に歸るとて、應天門の前を通りけるに、人のけはひ してささめく。廊の腋にかくれ立て見れば、桂よりかゝぐりおるゝ者有。あや しくて見れば伴大納言也。次に子なる人おる。又つぎに、雜色とよ清と云者お る。何わざして、おるゝにかあらんと、露心も得でみるに、この三人おりはつ るまゝに、走ることかぎりなし。南の朱雀門ざまに走ていぬれば此舍人も家 ざまに行程に、二條堀川のほど行に、「大内のかたに火あり」とて、大路のゝし る。みかへりてみれば、内裏の方とみゆ。走り歸たれば、應天門のなからばか り、燃えたるなりけり。このありつる人どもは、この火つくるとて、のぼりた りけるなりと心得てあれども、人のきはめたる大事なれば、あへて口より外に いださず。その後、左の大臣のし給へる事とて、「罪かうぶり給べし」といひ のゝしる。あはれ、したる人のあるものを、いみじきことかなと思へど、いひ いだすべき事ならねば、いとほしと思ひありくに、「大臣ゆるされぬ」と聞けば、 罪なきことは遂にのがるゝものなりけりとなん思ける。 △かくて九月斗になりぬ。かゝる程に、伴大納言の出納の家の幼き子と、舍人 が小童といさかひをして、出納のゝしれば、いでて、とりさへんとするに、此 出納、おなじく出でて、みるに、よりてひきはなちて、我子をば家に入て、こ の舍人が子のかみをとりて、うちふせて、死ぬばかりふむ。舍人思ふやう、わ が子もひとの子も、ともに童部いさかひなり。たゞさではあらで、わが子をし もかく情なくふむは、いとあしきことなりと腹だゝしうて、「まうとは、いかで 情なく、幼きものをかくはするぞ」といへば、出納いふやう、「おれは何事い ふぞ。舍人だつる。おればかりのおほやけ人を、わがうちたらんに、何事のあ るべきぞ。わが君大納言殿のおはしませば、いみじきあやまちをしたりとも、 何ごとの出でくべきぞ。しれごといふかたゐかな」といふに、舍人、おほきに 腹だちて、「おれはなにごといふぞ。わが主の大納言を高家に思ふか。をのが 主は、我口によりて人にてもおはするは知らぬか。わが口あけては、をのが主 は人にてはありなんや」といひければ、出納は腹だちさして家にはひ入にけり。 △このいさかひをみるとて、里隣の人、市をなして聞きければ、いかにいふこ とにかあらんと思て、あるは妻子にかたり、あるはつぎ++かたりちらして、 いひさわぎければ、世にひろごりて、おほやけまできこしめして、舍人を召し て問はれければ、はじめはあらがひけれども、われも罪かうぶりぬべくとはれ ければ、ありのくだりのことを申てけり。その後、大納言も問はれなどして、 ことあらはれての後なん流されける。 △應天門をやきて、信の大臣におほせて、かの大臣を罪せさせて、一の大納言 なれば、大臣にならんとかまへけることの、かへりてわが身罪せられけん、い かにくやしかりけん。 一一五 放鷹樂、明暹に是季が習ふ事△卷一〇ノ二 △これも今は昔、放鷹樂といふ樂を、明暹已講、たゞ一人、習つたへたりけり。 白河院野行幸明後日といひけるに、山階寺の三面の僧坊に有けるが、「こよひ は門なさしそ。尋ぬる人あらんものか」といひて待けるが、案のごとく、入き たる人あり。是をとふに、「是季也」といふ。「放鷹樂習ひにか」といひければ、 「しかなり」とこたふ。すなはち坊中にいれて、件の樂をつたへけり。 一一六 堀川院明暹に笛ふかさせ給事△卷一〇ノ三 △これも今は昔、堀川院の御時、奈良の僧どもを召して、大般若の御讀經おこ なはれけるに、明暹、此中に參る。その時に、主上、御笛をあそばしけるが、 やう++に調子をかへて、ふかせ給ひけるに、明暹、調子ごとに、聲たがへず、 あげければ、主上、あやしみ給て、この僧を召しければ、明暹ひざまづきて庭 に候。仰によりて、のぼりて簀子に候に、「笛や吹く」と問はせおはしましけ れば、「かたのごとくつかまつり候」と申ければ、「さればこそ」とて、御笛た びて吹かせられけるに、萬歳樂をえもいはず吹たりければ、御感有て、やがて その笛をたびてけり。 △件の笛つたはりて、いま八幡別當幸清がもとにありとか。 一一七 淨藏が八坂の坊に強盜入る事△卷一〇ノ四 △これも今は昔、天暦のころほひ、淨藏が八坂の坊に、強盜その數入みだれた り。しかるに、火をともし、太刀をぬき、目をみはりて、各々立ちすくみて、 さらにすることなし。かくて數刻を經。夜やう++あけんとするとき、こゝに 淨藏、本尊に敬白して、「はやくゆるしつかはすべし」と申けり。其時に、盜人 ども、いたづらにて逃歸けるとか。 一一八 播磨守さだゆふが事△卷一〇ノ五 △今は昔、播磨の守公行が子に、さだゆふとて、五條わたりにありしものは、 この比ある、あきむねといふものの父なり。そのさだゆふは、阿波守さとなり が供に、阿波へくだりけるに、道にて死けり。そのさだゆふは、河内前司とい ひし人の類にてぞありける。その河内の前司がもとに、あめまだらなる牛あり けり。其牛を人のかりて、車かけて、淀へ遣けるに、樋爪の橋にて、牛飼あし く遣て、かた輪を橋よりおとしたりけるに、引れて車の橋より下におちけるを、 車のおつると心得て、牛のふみひろごりて、たてりければ、むながいきれて、 車はおちてくだけにけり。牛はひとり、橋のうへにとゞまりてぞ有ける。人も 乘らぬ車なりければ、そこなはるゝ人もなかりけり。「ゑせ牛ならましかば、 ひかれて落ちて、牛もそこなはれまし。いみじき牛の力かな」とて、その邊の 人いひほめける。 △かくて、この牛をいたはり飼ふ程に、此牛、いかにして失せたるといふこと なくて、うせにけり。「こは、いかなることぞ」と、もとめさわげどなし。「は なれて出でたるか」と、ちかくより遠くまで、尋もとめさすれどもなければ、 「いみじかりつる牛をうしなひつる」となげくほどに、河内前司が夢にみるや う、このさだゆふがきたりければ、これは海におち入て死けるときく人は、い かに來るにかと、思ひ思ひいであひたりければ、さだゆふがいふやう、「我は 此丑寅のすみにあり。それより日に一ど、樋爪の橋のもとにまかりて、苦をう け侍るなり。それに、おのれが罪のふかくて、身のきはめておもく侍れば、乘 物のたへずして、かちよりまかるがくるしきに、このあめまだらの御車牛の力 のつよくて、のりて侍に、いみじくもとめさせ給へば、今五日ありて、六日と 申さん巳の時ばかりには、返し奉らん。いたくなもとめ給ひそ」とみて、さめ にけり。「かゝる夢をこそみつれ」といひて過ぎぬ。 △その夢みつるより六日といふ巳の時斗に、そゞろに此牛あゆみ入たりけるが、 いみじく大事したりげにて、くるしげに、舌たれ、あせ水にてぞ入たりける。 「この樋爪の橋にて、車おち入、牛はとまりたりける折なんどに行あひて、力 つよき牛かなとみて、借て乘てありきけるにやありけんと思けるもおそろしか りける」と、河内前司かたりし也。 一一九 吾妻人生贄をとゞむる事△卷一〇ノ六 △今は昔、山陽道美作國に、中山、高野と申神おはします。高野はくちなは、 中山は猿丸にてなんおはする。その神、年ごとの祭に、かならず生贄を奉る。 人のむすめのかたちよく、髮ながく、色しろく、身なりをかしげに、姿らうた げなるをぞ、えらびもとめて、奉りける。昔より今にいたるまで、その祭おこ たり侍らず。それに、ある人の女、生贄にさしあてられにけり。親ども泣きか なしむこと限なし。人の親子となることは、さきの世の契りなりければ、あや しきをだにも、おろかにやは思ふ。まして、よろづにめでたければ、身にも● りておろかならず思へども、さりとて、のがるべからねば、なげきながら月日 を過すほどに、やう++命つゞまるを、親子とあひ見んこと、いまいくばくな らずと思ふにつけて、日をかぞへて、明暮は、たゞねをのみ泣く。 △かゝるほどに、あづまの人の、狩といふ事をのみ役として、猪のしゝといふ ものの、腹だちしかりたるは、いとおそろしきものなり、それをだに、なにと も思たらず、心にまかせて、殺とりくふことを役とする者の、いみじう身の力 つよく、心たけく、むくつけき荒武者の、おのづから出できて、そのわたりに たちめぐるほどに、この女の父母のもとに來にけり。 △物語するついでに、女の父のいふやう、「おのれ、女のたゞひとり侍をなん、 かう++の生贄にさしあてられ侍れば、思くらし、なげきあかしてなん、月日 を過し侍る。世にはかゝる事も侍けり。さきの世にいかなる罪をつくりて、こ の國に生れて、かゝる目をみ侍るらん。かの女子も、「心にもあらず、あさま しき死をし侍りなんずるかな」と申。いとあはれにかなしう侍る也。さるは、 おのれが女とも申さじ、いみじううつくしげに侍なり」といへば、あづまの人 「さてその人は、今は死たまひなんずる人にこそはおはすれ。人は命にまさる ことなし。身のためにこそ、神もおそろしけれ。この度の生贄を出さずして、 その女君を、みづからにあづけ給ふべし。死給はんもおなじことにこそおはす れ。いかでか、たゞひとりもち奉り給へらん御女を、目の前に、いきながらな ますにつくり、きりひろげさせては見給はん。ゆゝしかるべき事也。さるめ見 給はんもおなじ事なり。たゞその君を我にあづけ給へ」と、ねんごろにいひけ れば、「げに目の前に、ゆゝしきさまにて死なんを見んよりは」とて、とらせつ。 △かくてあづま人、この女のもとに行てみれば、かたち、すがた、をかしげな り。愛敬めでたし。物思たるすがたにて、よりふして、手習をするに、なみだ の、袖のうへにかゝりてぬれたり。かゝる程に、人のけはひのすれば、髮を顏 にふりかくるを見れば、髮もぬれ、顏もなみだにあらはれて、思いりたるさま なるに、人の來たれば、いとゞつゝましげに思たるけはひして、すこしそばむ きたるすがた、まことにらうたげなり。およそ、けだかく、しな※※しう、を かしげなること、田舍人の子といふべからず。あづま人、これをみるに、かな しきこと、いはんかたなし。 △されば、いかにも+ 我身なくならばなれ。たゞこれにかはりなんと思て、 此女の父母にいふやう、「思かまふ〔る〕事こそ侍れ。もしこの君の御事により てほろびなどし給はば、苦しとやおぼさるべき」と問へば、「このために、みづ からは、いたづらにもならばなれ。更に苦しからず。生きても、なににかはし 侍らんずる。たゞおぼされんまゝに、いかにも+ し給へ」といらふれば、「さ らば、この御祭の御きよめするなりとて、四目引めぐらして、いかにも+ 、 人なよせ給そ。また、これにみづから侍と、な人にゆめ++しらせ給そ」とい ふ。さて日比こもりゐて、此女房と思ひすむこといみじ。 △かゝる程に、年比山につかひならはしたる犬の、いみじき中にかしこきを、 ふたつえりて、それに、いきたる猿丸をとらへて、、明暮は、やく++と食ころ させてならはす。さらぬだに、猿丸と犬とはかたきなるに、いとかうのみなら はせば、猿をみては躍りかゝりて、くひ殺す事限なし。さて明暮は、いらなき 太刀をみがき、刀をとぎ、つるぎをまうけつゝ、たゞこの女の君とことぐさに するやう、「あはれ、先の世にいかなる契をして、御命にかはりて、いたづらに なり侍なんとすらん。されど、御かはりと思へば、命は更に惜しからず。たゞ 別きこえなんずと思ひ給ふるが、いと心ぼそく、おはれなる」などいへば、女 も「まことに、いかなる人のかくおはして、思ものし給にか」と、いひつゞけ られて、かなしうあはれなることいみじ。 △さて過行程に、その祭の日になりて、宮司よりはじめ、よろづの人々、こぞ りあつまりて、迎にのゝしり來て、あたらしき長櫃を、この女のゐたる所にさ し入て、いふやう、「例のやうに、これにいれて、その生贄いだされよ」といへ ば、このあづま人、「たゞこの度の事は、みづからの申さんまゝにし給へ」と て、此櫃にみそかに入りふして、左右のそばに、この犬どもをとりいれて、い ふやう、「おのれら、この日ごろいたはり飼ひつるかひありて、此度のわが命に かはれ。おのれらよ」といひて、かきなづれば、うちうめきて、脇にかいそひ て、みなふしぬ。又、日比とぎみがきつる太刀、刀、みなとりいれつ。さて、 櫃のふたをおほひて、布して結ひて、封つけて、我女をいれたるやうに思は せて、さし出したれば、桙、榊、鈴、鏡をふりあはせて、さき追ひのゝしりて、 もて參るさま、いといみじ。さて、女これを聞に、我にかはりて、この男のか くして去ぬるこそ、いとあはれなれと思ふに、又、無爲に事いで來ば、わが親 たちいかにおはせんと、かた※※に歎きゐたり。されども父母のいふやうは、 「身のためにこそ、神も佛も恐しけれ。死ぬる事なれば、今は恐しきこともな し。おなじ事を、かくてを、なくなりなん。今はほろびんも苦しからず」とい ひゐたり。かくて、生贄を御社にもて參り、神主祝詞いみじく申て、神のおま への戸をあけて、この長櫃をさし入て、戸をもとのやうにさして、それより外 のかたに、宮司をはじめ、かく次第+ の司ども、次第にみな並び居たり。 △さるほどに、此櫃を、刀のさきして、みそかにあなをあけて、あづま人見け れば、まことにえもいはず大なる猿の、たけ七八尺ばかりなる、顏と尻とはあ かくして、むしり綿を着たるやうに、いらなく白きが、毛は生ひあがりたるさ まにて、横座によりゐたり。つぎ++の猿ども、左右に二百ばかりなみゐて、 さま※※に、顏をあかくなし、眉をあげ、こゑ※※に、なきさけびのゝしる。 いと大なるまな板に、ながやかなる庖丁刀を具して置たり。めぐりには、酢、 酒、鹽入たる瓶どもなめりと見ゆる、あまた置きたり。 △さてしばしばかりあるほどに、此横座にゐたるをけ猿、よりきて、長櫃の結 ひ緒をときて、ふたをあけんとすれば、次第+ の猿ども、みなよらんとする 程に、此男、「犬どもくらへ。おのれ」といへば、二の犬、躍りいでて、中に 大なる猿をくひて、うちふせてひきはりて、食ころさんとするほどに、此男、 髮をみだりて、櫃より躍り出て、氷のやうなる刀をぬきて、その猿をまな板の うへにひきふせて、くびに刀をあてて、いふやうは、「おのれが、人の命をたち、 そのしゝむらを食などする物は、かくぞある。おのづから、うけたまはれ。た しかにしやくび切りて、犬にかひてん」といへば、顏を赤くなして、目をしば たゝきて、齒をま白にくひ出して、目より血の涙をながして、まことにあさま しき顏つきして、手をすりかなしめども、さらにゆるさずして、「おのれが、そ こばくのおほくの年比、人の子どもをくひ、人の種を絶つかはりに、しや頭き りて捨てん事、唯今にこそあめれ。おのれが身、さらば、我をころせ。更に苦 しからず」といひながら、さすがに、首をばとみに切りやらず。さるほどに、 この二の犬どもに追はれて、おほくの猿ども、みな木のうへに逃のぼり、まど ひさわぎ、さけびのゝしるに、山もひゞきて、地もかへりぬべし。 △かゝるほどに、一人の神主に神つきて、いふやう、「けふより後、更にさらに この生贄をせじ。長くとゞめてん。人をころすこと、こりともこりぬ。命を絶 つ事、今よりながくし侍らじ。又我をかくしつとて、此男とかくし、又けふの 生贄にあたりつる人のゆかりを、れうじわづらはすべからず。あやまりて、そ の人の子孫のすゑ※※にいたるまで、我、まもりとならん。たゞとく++、こ のたびの我命を乞ひうけよ。いとかなし。われをたすけよ」とのたまへば、宮 司、神主よりはじめて、おほくの人ども、おどろきをなして、みな社のうちに 入たちて、さわぎあわてて、手をすりて、「ことわりおのづからさぞ侍る。たゞ 御神にゆるし給へ。御神もよくぞ仰らるゝ」といへども、このあづま人、「さ なゆるされそ。人のいのちをたちころす物なれば、きやつに、もののわびしさ 知らせんと思ふ也。わが身こそあなれ。たゞ殺されん、くるしからず」といひ て、更にゆるさず。かゝるほどに、この猿の首は、きりはなたれぬと見ゆれば、 宮司も手まどひして、まことにすべき方なければ、いみじき誓言どもをたてて、 祈申て、「今よりのちは、かゝること、更に+ すべからず」など、神もいへ ば、「さらばよし+ 。いまより後は、かゝることなせそ」と、いひふくめて ゆるしつ。さてそれより後は、すべて、人を生贄にせずなりにけり。 △さてその男、家にかへりて、いみじう男女あひ思ひて、年ごろの妻夫になり て、すぐしけり。男はもとより故ありける人の末なりければ、口惜しからぬさ まにて侍りけり。其後は、その國に、猪、鹿をなん生贄にし侍けるとぞ。 一二〇 豐前王の事△卷一〇ノ七 △今は昔、柏原の御門の御子の五の御子にて、豐前の大君といふ人ありけり。 四位にて、司は刑部卿、大和守にてなん有ける。世の事を能しり、心ばへすな ほにて、おほやけの御政をも、よきあしきよく知りて、除目のあらんとても、 先、國のあまたあきたる、のぞむ人あるをも、國のほどにあてつゝ、「その人は、 その國の守にぞなさるらん。その人は、道理たて望ともえならじ」など、國ご とにいひゐたりける事を、人聞きて、除目の朝に、この大君のおしはかりごと にいふ事は、露たがはねば、「この大君のおしはかり除目かしこし」といひて、 除目のさきには、此大君の家にいき集ひてなん、「なりぬべし」といふ人は、 手をすりてよろこび、「えならじ」といふを聞きつる人は、「なに事いひをるふ る大君ぞ。さえの神まつりて、くるふにこそあめれ」など、つぶやきてなん歸 ける。「かくなるべし」といふ人のならで、不慮に、異人なりたるをば、「あし くなされたり」となん、世にはそしりける。されば、大やけも、「豐前の大君は、 いかゞ除目をば、いひける」となん、したしく候人には、「ゆきて問へ」とな ん仰られける。 △これは、田村、水の尾などの御時になん在けるにや。 一二一 藏人頓死の事△卷一〇ノ八 △今は昔、圓融院の御時、内裏やけにければ、後〔院〕になんおはしましける。 殿上の臺盤に、人々あまたつきて、物くひけるに、藏人さだたか、ちばんに額 をあてて、ねぶりいりて、いびきをするなめりと思ふに、やゝしばしになれば、 あやしと思ふほどに、臺盤に額をあてて、のどを、くつ++と、くつめくやう にならせば、小野宮大臣殿、いまだ頭中將にておはしけるが、主殿司に、「そ の式部丞のねざまこそ心得ね。それおこせ」とのたまひければ、主殿司、より ておこすに、すくみたるやうにて、動かず。あやしさに、かいさぐりて、「はや 死給にたり。いみじきわざかな」といふを聞きて、ありとある殿上人、藏人、も のもおぼえず。物おそろしかりければ、やがて向きたる方ざまに、みな走ちる。 △頭中將、「さりとてあるべきことならず。これ、諸司の下部めして、かきいで よ」とおこなひ給。「いづかたの陣よりか、いだすべき」と申せば、「東の陣よ り出すべきなり」とのたまふを聞きて、内の人、あるかぎり、東の陣に、かく 出でゆくを見んとて、つどひあつまりたる程に、たがへて、西の陣より、殿上 のたゝみながら、かきいでて、出ぬれば、人々も見ずなりぬ。陣の口かき出づ る程に、父の三位きて、むかへとりて、さりぬ。「かしこく、人々に見あはず なりぬるものかな」となん、人々いひける。 △さて、廿日ばかりありて、頭中將の夢に、ありしやうにて、いみじう泣きて、 よりて物をいふ。きけば「いとうれしく、おのれが死の恥をかくさせ給たる事 は、世々に忘申まじ。はかりごちて、西より出させ給はざらましかば、おほく の人に面をこそは見えて、死の恥にて候はましか」とて、なく++、手をすり て悦となん、夢にみえたりける。 一二二 小槻當平事△卷一〇ノ九 △いまは昔、主計頭小槻當平といふ人ありけり。その子に算博士なるものあり。 名は茂助となんいひける。主計頭忠臣が父、淡路守大夫史奉親が祖父也。生き たらば、やんごとなくなりぬべきものなれば、いかでなくもなりなん。是が出 たちなば、主計頭、主税頭、助、大夫史には、異人はきしろふべきやうもなか んめり。 △なりつたはりたる職なるうへに、才かしこく、心ばへもうるせかりければ、 六位ながら、世のおぼえ、やう++きこえ高くなりもてゆけば、なくてもあり なんと思ふ人もあるに、この人の家にさとしをしたりければ、その時〔の〕陰陽 師に物をとふに、いみじく重くつゝしむべき日どもを〔書〕きいでて、とらせた りければ、そのまゝに、門をつよくさして、物忌して居たるに、敵の人、かく れて、陰陽師に、死ぬべきわざどもをせさせければ、そのまじわざする陰陽師 のいはく、「物忌してゐたるは、つゝしむべき日にこそあらめ。その日のろひ あはせばぞ、しるしあるべき。されば、おのれを具して、その家におはして、 よび出で給へ。門は物忌ならばよもあけじ。たゞ聲をだに聞きてば、かならず のろふしるしありなん」といひければ、陰陽師を具して、それが家にいきて、 門をおびたゝしくたゝきければ、下種いできて、「たそ。この門たゝくは」とい ひければ、「それがしが、とみのことにて參れるなり。いみじきかたき物忌なり とも、ほそめにあけて入れ給へ。大切のことなり」といはすれば、この下種男、 歸入て、「かくなん」といへば、「いとわりなきことなり。世にある人の、身思 はぬやはある。え入れ奉らじ。さらに不用なり。とく歸り給ね」といはすれ ば、又いふやう、「さらば、門をばあけ給はずとも、その遺戸から顏をさし出給 へ。みづからきこえん」といへば、死ぬべき宿世にかありけん。「何ごとども」 とて、遣戸から顏をさしいでたりければ、陰陽師は、聲を聞き、顏をみて、す べきかぎりのろひつ。このあはんといふ人は、いみじき大事いはんといひつれ ども、いふべきこともおぼえねば、「たゞ今、田舍へまかれば、そのよし申さむ と思ひて、まうで來つるなり。はや入り給ね」といへば、「大事にもあらざり けることにより、かく人を呼び出て、物もおぼえぬ主かな」といひて入りぬ。 それよりやがて、かしらいたくなりて、三日といふに死けり。 △されば、物忌には、聲たかく、餘所の人にはあふまじきなり。かやうにまじ わざする人のためには、それにつけて、かゝるわざをすれば、いとおそろしき 事なり。さて、其のろひごとせさせし人も、いくほどなくて、殃にあひて、し にけりとぞ。「身に負ひけるにや。あさましき事なり」となん人のかたりし。 一二三 海賊發心出家事△卷一〇ノ一〇 △今は昔、攝津國にいみじく老たる入道の、行ひうちしてありけるが、人の 「海賊にあひたり」といふ物語するついでにいふやう、われは、わかかりし折 は、まことにたのもしくてありし身なり。着るもの、食物に飽きみちて、明暮 海にうかびて、世をば過しなり。淡路の六郎追捕使となんいひし。それに、安 藝の嶋にて、異舟もことになかりしに、船一艘、ちかくこぎよす。見れば、廿 五六斗の男の、清げなるぞ、主とおぼしくてある。さては若き男二三人ばかり にて、わづかに見ゆ。さては、女どものよきなどあるべし。おのづから、すだ れのひまよりみれば、皮篭などあまた見ゆ。物はよくつみたるに、はか※※し き人もなくて、たゞ、この我舟につきてありく。屋形のうへに、わかき僧一人 ゐて、經よみてあり。くだれば、おなじやうにくだり、嶋へよれば、おなじや うによる。とまれば、又とまりなどすれば、此舟をえ見も知らぬなりけり。 △あやしと思て、問てんと思ひて、「こは、いかなる人の、かく、この舟にの み、具してはおはするぞ。いづくにおはする人にか」と問へば、「周防の國よ り、いそぐことありてまかるが、さるべき頼もしき人も具せねば、おそろしく て、此〔御〕舟をたのみて、かく、つき申たるなり」といへば、いとをこがまし と思ひて、「これは、京にまかるにもあらず。爰に人待なり。待つけて、周防 の方へくだらんずるは。いかで具してとはあるぞ。京にのぼらん舟に、具して、 こそおはせめ」といへば、「さらば明日こそは、さもいかにもせめ。こよひは なほ、御舟に具してあらん」とて、嶋がくれなる所に、具してとまりぬ。 △人々も、「たゞ今こそよき時なめれ。いざ、この舟うつしてん」とて、この 舟に、みな乗時に、おぼえず、あきれ惑ひたり。物のあるかぎり、わが舟にと り入れつ。人どもは、みな男女、みな海にとり入間に、主人、手をこそ+ と すりて、水精のずゞの緒切れたらんやうなる涙を、はら++とこぼしていはく、 「よろづの物は、みなとり給へ。たゞ、我命のかぎりはたすけ給へ。京に老た る親の、限りにわづらひて、「今一度みん」と申たれば、よるを晝にて、つげに つかはしたれば、いそぎまかりのぼる也」とも、え言ひやらで、われに目をみ あはせて、手をするさまいみじ。「これ、かくないはせそ。例のごとく、とく」 といふに、目をみあはせて泣きまどふさま、いと++いみじ。あはれに無慙に おぼえしかども、さ言ひて、いかゞせんと思なして、海にいれつ。 △屋形の上に、廿斗にて、ひはづなる僧の、經袋くびにかけて、よるひる經よ みつるをとりて、海にうち入つ。時に手まどひして、經袋をとりて、水のうへ にうかびながら、手をさゝげて、この經をさゝげて、浮きいで+ するときに、 希有の法師の、今まで死なぬとて、舟のかいして、かしらをはたとうち、せな かをつき入れなどすれど、浮きいで+ しつゝ、この經をさゝぐ。あやしと思 ひて、よく見れば、この僧の水にうかびたる跡まくらに、うつくしげなる童の びづらゆひたるが、白きずはえをもちたる、二三人斗見ゆ。僧のかしらに手 をかけ、一人は、經をさゝげたる腕を、とらへたりと見ゆ。かたへの者どもに、 「あれみよ。この僧につきたる童部はなにぞ」といへば、「いづら+ 。さら に人なし」といふ。わが目にはたしかに見ゆ。この童部そひて、あへて海にし づむことなし。浮びてあり。あやしければ、みんと思ひて、「これにとりつきて 來」とて、さををさしやりたれば、とりつきたるを引よせたれば、人々「など かくはするぞ。よしなしわざする」といへど、「さはれ、この僧ひとりは生け ん」とて、舟にのせつ。ちかくなれば、此童部は見えず。 △この僧に問ふ。「我は京の人か。いづこへおはするぞ」と問へば、「田舍の人 に候。法師になりて、久しく受戒をえ仕らねば、「いかで京にのぼりて、受戒せ ん」と申しかば、「いざ、われに具して、山にしりたる人のあるに申つけて、せ させん」と候しかば、まかりのぼりつるなり」といふ。「わ僧の頭やかひなに 取つきたりつる兒共は、たそ。なにぞ」と問へば、「いつかさるもの候つる。さ らにおぼえず」といへば、「さて經さゝげたりつるかひなにも、童そひたりつ るは。そも++、なにと思ひて、たゞ今死なんとするに、この經袋をばさゝ げつるぞ」と問へば、「死なんずるは、思ひまうけたれば、命は惜しくもあら ず。我は死ぬとも、經を、しばしがほども、ぬらし奉らじと思ひて、さゝげ奉 りしに、かひな、たゆくもあらず、あやまりてかろくて、かひなも長くなるや うにて、たかくさゝげられ候ひつれば、御經のしるしとこそ、死ぬべき心ちに もおぼえ候つれ。命生けさせ給はんは、うれしき事」とて泣に、此婆羅門の樣 なる心にも、あはれに尊くおぼえて、「これより國へ歸らんとや思ふ。又、京に のぼりて、受戒とげんとの心あらば、送らん」といへば、「さらに受戒の心も 今は候はず。たゞ、歸さぶらひなん」といへば、「これより返しやりてんとす。 さてもうつくしかりつる童部は、なににか、かくみえつる」とかたれば、この 僧、哀に尊くおぼえて、ほろ++泣かる。「七つより、法華經よみ奉りて、日 ごろも異事なく、物のおそろしきまゝにも、よみ奉りたれば、十羅刹のおはし ましけるにこそ」といふに、この婆羅門のやうなるものの心に、さは、佛經は、 めでたく尊くおはします物なりけりと思て、この僧に具して、山寺などへいな んと思心つきぬ。 △さて、この僧と二人具して、糧すこしを具して、のこりの物どもは知らず、 みな此人々にあづけてゆけば、人々、「物にくるふか。こはいかに。俄の道心世 にあらじ。物のつきたるか」とて、制しとゞむれども、きかで、弓、箙、太刀、 刀もみな捨て、この僧に具して、これが師の山寺なる所にいきて、法師になり て、そこにて、經一部よみ參らせて、行ひありくなり。かゝる罪をのみつくり しが、無慙におぼえて、この男の手をすりて、はら++と泣きまどひしを、海 に入しより、少道心おこりにき。それに、いとゞ、この僧に十羅刹の添ひてお はしましけると思に、法華經の、めでたく、よみ奉らまほしくおぼえて、俄に かくなりてあるなりと、かたり侍りけり。 一二四 青常事△卷一一ノ一 △今は昔、村上の御時、古き宮の御子にて、左京大夫なる人おはしけり。ひと となり、すこし細高にて、いみじうあてやかなる姿はしたれども、やうだいな どもをこなりけり。かたくなはしき樣ぞしたりける。頭の、あぶみ頭なりけれ ば、纓は背中にもつかず、はなれてぞふられける。色は花をぬりたるやうに、 青じろにて、まかぶら窪く、はなのあざやかに高くあかし。くちびる、うすく て、いろもなく、笑めば齒がちなるものの、齒肉あかくて、ひげもあかくて、 長かりけり。聲は、はな聲にて高くて、物いへば、一うちひゞきて聞えける。 あゆめば、身をふり、肩をふりてぞ歩きける。色のせめて青かりければ、「青常 の君」とぞ、殿上の君達はつけて笑ひける。わかき人たちの、たち居につけて、 やすからず笑ひのゝしりければ、みかど、きこしめしあまりて、「このをのこど もの、これをかく笑ふ、便なきことなり。父の御子、聞て制せずとて、我を うらみざらんや」など仰られて、まめやかにさいなみ給へば、殿上の人々、し たなきをして、みな、笑ふまじきよし、いひあへりけり。さて、いひあへるや う、「かくさいなめば、今よりながく起請す。もしかく起請して後、「青常の君」 とよびたらん者をば、酒、くだ物など取いださせて、あがひせん」といひかた めて、起請してのち、いくばくもなくて、堀川殿の殿上人にておはしけるが、 あうなく、たちて行くうしろでをみて、忘れて、「あの青常まるは、いづち行く ぞ」とのたまひてけり。殿上人共、「かく起請をやぶりつるは、いと便なきこと なり」とて、「いひ定めたるやうに、すみやかに酒、くだ物とりにやりて、この ことあがへ」と、あつまりて、責めのゝしりければ、あらがひて、「せじ」とす まひ給けれど、まめやかに+ 責めければ、「さらばあさてばかり、青常の君 〔の〕あがひせん。殿上人、藏人、その日あつまり給へ」といひて出給ひぬ。 △その日になりて、「堀川中將殿の、青常の君のあがひすべし」とて、參らぬ 人なし。殿上人ゐならびて待程に、堀河中將、直衣すがたにて、かたちは光る やうなる人の、香はえもいはずかうばしくて、愛敬こぼれにこぼれて、參り給 へり。直衣のながやかにめでたき裾より、青き打たる出し衵して、指貫も青色 の指貫をきたり。隨身三人に、青き狩衣、袴着せて、ひとりには、青くいろど りたる折敷に、あをぢのさらに、こくはを盛りてさゝげたり。今一人は、竹の 杖に、山ばとを四五斗つけて持せたり。又ひとりには、あをぢの瓶に酒を入て、 あをき薄樣にて、口をつゝみたり。殿上の前に、もちつゞきて出たれば、殿上 人どもみて、諸聲に笑ひどよむことおびたゝし。御門、きかせ給て、「何事ぞ。 殿上におびたゝしく聞ゆるは」と問はせ給へば、女房「兼通が、青常よびてさ ぶらへば、そのことによりて、をのこどもに責められて、その罪あがひ候を、 笑候なり」と申ければ、「いかやうにあがふぞ」とて、晝御座にいでさせ給て、 小蔀よりのぞかせ給ければ、われよりはじめて、ひた青なる裝束にて、青き食 ひ物どもを持たせて、あがひければ、これを笑ふなりけりと御覽じて、え腹だ ゝせ給はで、いみじう笑はせ給けり。 △その後は、まめやかにさいなむ人もなかりければ、いよ++なん笑あざけり ける。 一二五 保輔盜人たる事△卷一一ノ二 △今は昔、丹後守保昌の弟に、兵衞尉にて冠たまはりて、保輔といふものあり けり。盜人の長にてぞ有ける。家は、姉が小路の南、高倉の東にゐたりけり。 家の奧に藏をつくりて、下を深う井のやうにほりて、太刀、鞍、よろひ、かぶ と、絹、布など、よろづのうる者をよび入て、いふまゝに買て、「値をとらせ よ」といひて、「奧の藏のかたへ具してゆけ」といひければ、「値給はらん」と て行たるを、藏の内へよび入つゝ、堀たる穴へつきいれ+ して、もてきたる 物をばとりけり。この保輔がり物もて入たるものの、かへりゆくなし。このこ をと物賣あやしう思へども、うづみ殺しぬれば、此事をいふものなかりけり。 △これならず、京中押し歩きて、ぬすみをしてすぎけり。此事おろ++聞えた りけれども、いかなりけるにか、捕へからめらるゝこともなくてぞ過にける。 一二六 晴明を試僧事△卷一一ノ三 △昔、晴明が土御門の家に、老しらみたる老僧來ぬ。十歳ばかりなる童部二人 具したり。晴明「なにぞの人にておはするぞ」と問へば、「播磨の國の者にて 候。陰陽師を習はん心ざしにて候。此道に、殊にすぐれておはしますよしを 承て、少々習ひ參らせんとて、參りたるなり」といへば、晴明が思ふやう、 この法師は、かしこき者にこそあるめれ。われを試みんとてきたる者なり、そ れにわろく見えてはわろかるべし、この法師すこしひきまさぐらんと思て、供 なる童部は、式神をつかひてきたるなめりかし、式神ならばめしかくせと、心 の中に念じて、袖の内にて印をむすびて、ひそかに咒をとなふ。さて法師にい ふやう、「とく歸給ね。のちによき日して、習はんとのたまはん事どもは、教へ 奉らん」といへば、法師「あら、貴と」といひて、手をすりて額にあてて、た ちはしりぬ。 △いまは去ぬらんと思ふに、法師とまりて、さるべき所々、車宿などのぞきあ りきて、又まへによりきていふやう、「この供に候つる童の、二人ながら失ひ て候。それ給はりて歸らん」といへば、晴明「御坊は、希有のこといふ御坊か な。晴明は何の故に、人の供ならん者をば、とらんずるぞ」といへり。法師の いふやう、「さらにあが君、おほきなる理り候。さりながら、たゞゆるし給は らん」とわびければ、「よし++、御坊の、人の心みんとて、式神つかひてくる が、うらやましきを、ことにおぼえつるが、異人をこそ、さやうには試み給は め。晴明をば、いかでさること、し給べき」といひて、物よむやうにして、し ばしばかりありければ、外の方より童二人ながら走入て、法師のまへに出來け れば、その折、法師の申やう、「實に試み申つるなり。使ことはやすく候。人の 使ひたるをかくす事は、さらにかなふべからず候。今よりは、ひとへに御弟子 になりて候はん」といひて、ふところより、名簿ひきいでて、とらせけり。 一二七 晴明かへるを殺事△卷一一ノ三付 △この晴明、あるとき、廣澤の僧正の御房に參りて、もの申うけたまはりける あひだ、若僧どもの、晴明にいふやう、「式神を使給なるは、たちまちに人 をば殺し給や」といひければ、「やすくはえ殺さじ。力をいれて殺してん」とい ふ。「さて蟲なんどをば、少のことせんに、かならず殺しつべし。さて生くる やうを知らねば、罪を得つべければ、さやうのこと、よしなし」といふほどに、 庭にかはづの出きて、五六ばかり躍りて、池のかたざまへ行けるを、「あれひ とつ、さらば殺し給へ。試みん」と、僧のいひければ、「罪をつくり給御坊か な。されども試み給へば、殺て見せ奉らん」とて、草の葉をつみきりて、物を 誦やうにして、かへるのかたへ投げやりければ、その草の葉の、かへるの上に かゝりければ、かへる、まひらにひしげて、死たりけり。これをみて、僧ども の色かはりて、おそろしと思けり。 △家の中に人なき折は、この式神をつかひけるにや、人もなきに、蔀をあげお ろし、門をさしなどしけり。 一二八 河内守頼信平忠恒をせむる事△卷一一ノ四 △昔、河内守頼信、上野守にてありしとき、坂東に平忠恒といふ兵ありき。仰 らるゝ事、なきがごとくにする、うたんとて、おほくの軍おこして、かれがす みかのかたへ行むかふに、岩海のはるかにさし入たるむかひに、家をつくりて ゐたり。この岩海をまはるものならば、七八日にめぐるべし。すぐにわたらば、 その日の中に攻つべければ、忠恒、わたりの舟どもを、みな取隱してけり。さ れば渡るべきやうもなし。 △濱ばたに打たちて、この濱のまゝにめぐるべきにこそあれと、兵ども思ひた るに、上野守のいふやう、「この海のまゝに廻てよせば日比へなん。その間に 逃もし、又よられぬ構へもせられなん。けふのうちによせて攻めんこそ、あの やつは存じのほかにして、あわてまどはんずれ。しかるに、舟共は、みな取隱 したる、いかゞはすべき」と、軍どもに問れけるに、軍「更にわたし給べきや うなし。まはりてこそ、よせさせ給べく候」と申ければ、「この軍共の中に、さ りとも、この道しりたる者は有らん。頼信は、坂東がたはこの度こそはじめて 見れ。されども、我家のつたへにて、聞き置きたることあり。この海中には、 堤のやうにて、ひろさ一丈ばかりして、すぐにわたりたる道あるなり。深さは 馬の太腹にたつと聞く。この程にこそ、その道はあたりたるらめ。さりとも、 このおほくの軍どもの中に、しりたるもあるらん。さらば、さきに立ちてわた せ。頼信つゞきてわたさん」とて、馬をかきはやめて寄りければ、しりたるもの のにやありけん、四五騎ばかり、馬を海にうちおろして、たゞわたりにわたり ければ、それにつきて、五六百騎斗の軍どもわたしけり。まことに馬の太腹に 立てわたる。 △おほくの兵どもの中に、たゞ三人ばかりぞ、この道はしりたりける。のこり は、「つゆもしらざりけり。聞くことだにもなかりけり。然に、此守殿、此國 をば、これこそ始にておはするに、我等は、これの重代の者どもにてあるに、 聞だにもせず、しらぬに、かくしり給へるは、げに人にすぐれたる兵の道か な」と、みなさゝやき、怖ぢて、わたり行程に、忠恒は、海をまはりてぞ寄せ 給はんずらん、舟はみなとりかくしたれば、淺道をば、わればかりこそ知りた れ。すぐにはえわたり給はじ。濱をまはり給はん間には、とかくもし、逃もし てん。さうなくは、え攻め給はじと思て、心しづかに軍そろへてゐたるに、家 のぬぐりなる郎等、あわて走りきていはく、「上野殿は、此うみの中に淺き道の 候けるより、おほくの軍をひき具して、すでにこゝへ来給ひぬ。いかゞせさせ 給はん」と、わなゝきごゑに、あわてていひければ、忠恒、かねてのしたくに たがひて、「われすでに攻められなんず。かやうにしたて奉らん」と云て、たち まちに名簿をかきて、文ばさみにはさみてさし上て、小舟に郎等一人のせて、 もたせて、むかへて、參らせたりければ、守殿みて、かの名簿をうけとらせて いはく、「かやうに、名簿に怠り文をそへていだす。すでに来たれるなり。さ れば、あながちに攻むべきにあらず」とて、この文をとりて、馬を引かへしけ れば、軍どもみなかへりけり。その後より、いとゞ守殿をば、「ことにすぐれて、 いみじき人におはします」と、いよ++いはれ給けり。 一二九 白川法皇北面受領のくだりのまねの事△卷一一ノ五 △これも今はむかし、白川法皇、鳥羽殿におはしましける時、北面のものども に、受領の國へくだるまねせさせて、御覽あるべしとて、玄蕃頭久孝といふ者 をなして、衣冠に衣いだして、そのほかの五位共をば前驅せさせ、衞府どもを ば、やなぐひ負ひにして御覽あるべしとて、おの++、錦、唐綾をきて、おと らじとしけるに、左衞門尉源行遠、心ことに出たちて、「人にかねて見えなば、 めなれぬべし」とて、御前ちかゝりける人の家に入ゐて、從者をよびて、「やう れ、御前の邊にて、みてこ」と、みて參らせてけり。 △無期に見えざりけりば、「いかにかうは遲きにか」と、辰の時とこそ催しは ありしか、さがるといふ定、午未の時には、わたらんずらんものをと思て、待 ゐたるに、門の方に聲して、「あはれ、ゆゝしかりつる物かな+ 」といへど も、たゞ參る物をいふらんと思ふ程に、「玄蕃殿の國司すがたこそ、をかしか りつれ」といふ。「藤左衞門殿は錦をき給ひつ。源兵衞殿はぬひ物をして、金 の文をつけて」などかたる。 △あやしうおぼえて、「やうれ」とよべば、此「みて来」とてやりつる男、笑 みていできて、「大かたかばかりの見物候はず。賀茂祭も物にても候はず。院 の御棧敷のかたへ、わたしあひ給たりつるさまは、目も及びさぶらはず」とい ふ。「さていかに」といへば、「はやう果候ぬ」といふ。「こはいかに、きては 告げぬぞ」といへば、「こはいかなることにかさぶらふらん。「參りてみて来」 とおほせさぶらへば、目もたゝかず、よく見てさぶらふぞかし」といふ。大か たとかくいふばかりなし。 △さる程に、「行遠は進奉不參、返々奇怪なり。たしかにめし篭めよ」と仰く だされて、廿日あまり候ひけるほどに、この次第をきこしめして、笑はせおは しましてぞ、めし篭めはゆりてけるとか。 一三〇 藏人得業猿澤の池龍事△卷一一ノ六 △これも今は昔、奈良に、藏人得業惠印といふ僧ありけり。鼻おほきにて、赤 かりければ、「大鼻の藏人得業」といひけるを、後ざまには、ことながしとて、 「鼻藏人」とぞいひける。なほのち++には、「鼻くら+ 」とのみいひけり。 それが若かりける時に、猿澤の池のはたに、「其月の其日、此池より、龍のぼ らんずるなり」といふ札をたてけるを、往來の者、わかき、老たる、さるべき 人々、「ゆかしき事かな」と、さゝめきあひたり。この鼻藏人、をかしきことか な、我したる事を、人々さわぎあひたり、をこのことかなと、心中にをかしく 思へども、すかし〔ふ〕せんとて、そらしらずして過行程に、その月になりぬ。 大かた、大和、河内、和泉、攝津國の者まで、きゝつたへて、つどひあひたり。 惠印、いかにかくはあつまる、なにかあらん、樣のあるにこそ、あやしきこと かなと思へど、さりげなくてすぎ行ほどに、すでにその日になりぬれば、道 もさりあへず、ひしめきあつまる。 △その時になりて、この惠印思やう、たゞごとにもあらじ、我したる事なれど も、樣のあるにこそと思ければ、この事さもあらんずらん、行てみんと思て、 頭つゝみて行。大方ちかうよりつくべきにもあらず。興福寺の南大門の壇の上 にのぼりたちて、今や龍の登か+ と待たれども、なにの登らんぞ。日も入ぬ。 △暗々になりて、さりとては、かくてあるべきならねば、歸ける道に、ひとつ 橋に、目くらが、わたりあひたりけるを、この惠印「あな、あぶなのめくらや」 といひたりけるを、めくら、とりもあへず、「あらじ、鼻くらななり」といひた りける。この惠印を、「鼻くら」といふとも知らざりけれども、「めくら」とい ふにつきて、「あらじ、鼻くらななり」といひたるが、「鼻くら」にいひあはせ たるが、をかしき事の一也とか。 一三一 清水寺御帳給る女事△卷一一ノ七 △今は昔、たよりなかりける女の、清水にあながちに參るありけり。年月つも りけれども、露ばかり、そのしるしと覺えたることなく、いとゞたよりなく成 りまさりて、果は、年比有ける所をも、其事となくあくがれて、よりつく所も なかりけるまゝに、泣く++觀音を恨申て、「いかなる先世のむくひなりとも、 たゞすこしのたより給候はん」と、いりもみ申て、御前にうつぶしふしたり ける夜の夢に、「御前より」とて、「かくあながちに申せば、いとほしくおぼし めせど、すこしにてもあるべきたよりのなければ、そのことをおぼしめし歎く なり、これを給れ」とて、御帳のかたびらを、いとよくたゝみて、前にうち置 かると見て、夢さめて、御あかしの光に見れば、夢のごとく、御帳のかたびら、 たゝまれて前にあるを見るに、さは、これより外に、たぶべき物のなきにこそ あんなれと思ふに、身のほどの思しられて、かなしくて申やう、「これ、さらに 給はらじ。すこしのたよりも候はば、にしきをも、御帳にはぬひて參らせんと こそ思候に、この御帳ばかりを給はりて、まかり出べきやうも候はず。返し參 らせさぶらひなん」と申て、いぬふせぎの内に、さし入て置きぬ。 △又まどろみいりたる夢に、「などさかしくはあるぞ。たゞ給ばん物をば給は らで、かく返し參らする。あやしきことなり」とて、又給はるとみる。さてさ めたるに、又おなじやうに前にあれば、なく++かへし參らせつ。かやうにし つゝ、三たび返し奉るに、猶またかへし給びて、はての度は、この度かへし奉 らんは、無禮なるべきよしを、いましめられければ、かゝるとも知らざらん寺 僧は、御帳のかたびらを、ぬすみたるとや疑はんずらんと、思ふもくるしけれ ば、まだ夜ぶかく、ふところにいれて、まかり出にけり。 △これをいかにとすべきならんと思て、ひきひろげて見て、きるべき衣もなき に、さは、これを衣にして着んと思ふ心つきぬ。これを衣にして着てのち、見 と見る男にもあれ、女にもあれ、あはれにいとほしきものに思はれて、そゞろ なる人の手より、物をおほく得てけり。大事なる人のうれへをも、其衣をきて、 しらぬやんごとなき所にも參りて申させければ、かならずなりけり。かやうに しつゝ、人の手よりものを得、よき男にも思はれて、たのしくてぞ有ける。 △されば、その衣をばおさめて、かならず先途と思ふことの折にぞ、とり出て 着ける。かならずかなひけり。 一三二 則光盜人をきる事△卷一一ノ八 △今は昔、駿河前司橘季通が父に、陸奧前司則光といふ人ありけり。兵家 にはあらねども、人に所置かれ、力などぞいみじう強かりける。世のおぼえな どありけり。 △わかくして衞府の藏人にぞ有ける時、殿居所より女のもとへ行とて、太刀ばか りをはきて、小舍人童をたゞ一人具して、大宮をくだりに行きければ、大がき の内に人の立てるけしきのしければ、おそろしと思て過けるほどに、八九日の 夜ふけて、月は西山にちかくなりたれば、西の大がきの内は影にて、人のたて らんも見えぬに、大がきの方より聲ばかりして、「あのすぐる人、まかりとまれ。 公達のおはしますぞ。え過ぎじ」といひければ、さればこそと思て、すゝどく 歩みて過るを、「おれは、さてはまかりなんや」とて、走かゝりて、物の來け れば、うつぶきて見るに、弓のかげは見えず。太刀のきらきらとして見えけれ ば、木にはあらざりけりと思ひて、かい伏して逃るを、追ひつけてくれば、頭 うち破られぬとおぼゆれば、にはかにかたはらざまに、ふとよりたれば、追ふ 者の、走はやまりて、え止まりあへず、さきに出たれば、すごしたてて、太刀 をぬきて打ければ、頭を中よりうち破たりければ、うつぶしに走りまろびぬ。 △ようしんと思ふ程に、「あれは、いかにしつるぞ」といひて、又、物の走りか ゝり來れば、太刀をも、えさしあへず、わきにはさみて逃ぐるを、「けやけきやつ かな」といひて、はしりかゝりて來る者、はじめのよりは、走のとくおぼ〔え〕 ければ、これは、よもありつるやうには、はかられじと思て、俄に居たりけれ ば、はしりはやまりたる者にて、我にけつまづきて、うつぶしに倒れたりける を、ちがひて、たちかゝりて、おこしたてず、頭を又打破てけり。 △いまはかくと思ふ程に、三人ありければ、今ひとりが、「さては、えやらじ。 けやけくしていくやつ哉」とて、執念く走りかゝりて來ければ、「此たびは、 われはあやまたれなんず。神佛たすけ給へ」と念じて、太刀を桙のやうにとり なして、走りはやまりたる者に、俄に、ふと立むかひければ、はるはるとあはせ て、走りあたりにけり。やつも切りけれども、あまりに近く走りあたりてけれ ば、衣だにきれざりけり。桙のやうに持たりける太刀なりければ、うけられて、 中より通りたりけるを、太刀の束を返しければ、のけざまにたうれたりけるを 切りてければ、太刀もちたる腕を、肩より、うち落してけり。 △さて走りのきて、又人やあるときゝけれども、人の音もせざりければ、走り まひて、中御門の門より入て、柱にかいそひてたちて、小舍人童はいかゞしつ らんと待ちければ、童は、大宮をのぼりに、泣く++いきけるを、よびければ、 よろこびて走り來にけり。殿居所にやりて、着がへ取りよせて着かへて、もと 着たりけるうへのきぬ、指貫には血のつきたりければ、童して深くかくさせて、 童の口よくかためて、太刀に血のつきたる洗ひなどしたゝめて、殿居所にさ りげなく入て、ふしにけり。 △夜もすがら、我したるなど、聞えやあらんずらんと、胸うちさわぎて思ふほ どに、夜明てのち、物どもいひさわぐ。「大宮大炊の御門邊に、大なる男三人、 いくほどもへだてず、きりふせたる、あさましく使ひたる太刀かな。かたみに きり合て死たるかと見れば、おなじ太刀のつかひざま也。敵のしたりけるにや。 されど盜人とおぼしきさまぞしたる」などいひのゝしるを、殿上人ども、「い ざ、ゆきて見てこん」とて、さそひてゆけば、「ゆかじはや」と思へども、い かざらんも又心得られぬさまなれば、しぶ++に去ぬ。 △車にのりこぼれて、やりよせて見れば、いまだ、ともかくもしなさで置きた りけるに、年四十餘斗なる男の、かつらひげなるが、無文のはかまに、紺の洗 ひざらしの襖着、山吹の絹の衫よくさらされたる着たるが、猪のさやつかの尻 鞘したる太刀はきて、猿の皮のたびに、沓きりはきなして、脇をかき、指をさ して、と向きかう向き、物いふ男たてり。 △なに男にかとみる程に、雜色のよりきて、「あの男の、盜人かたきにあひて、 つかうまつりたると申」といひければ、うれしくもいふなる男かなと思ふ程に、 車のまへに乘たる殿上人の、「かの男召しよせよ。子細問はん」といへば、雜色 走よりて、召しもて來〔た〕り。みれば、たかづらひげにて、おとがひ反り、鼻 さがりたり。赤ひげなる男の、血目にみなし、かた膝つきて、太刀のつかに手 をかけてゐたり。 △「いかなりつることぞ」と問へば、「此夜中ばかりに、ものへまかるとて、 こゝをまかり過つる程に、物の三人「おれは、まさに過ぎなんや」とて、はし りつゞきて、まうできつるを、盜人なめりと思給へて、あへくらべふせて候な り。今朝見れば、なにがしをみなしと思給ふべきやつばらにてさぶらひければ、 かたきにて仕りたりけるなめりと思給れば、しや頭どもを、まつて、かくさぶ らふなり」と、たちぬ居ぬ、指をさしなど、かたり居れば、人々、「さて++」 といひて、問ひきけば、いとゞ狂ふやうにして、かたりをる。その時にぞ、人 にゆづりえて、面ももたげられて見ける。けしきやしるからんと、人しれず思 たりけれど、我と名告るものの出できたりければ、それにゆづりてやみにしと、 老いてのちに、子どもにぞ語りける。 一三三 空入水したる僧事△卷一一ノ九 △これも今は昔、桂川に身なげんずる聖とて、まづ祇陀林寺にして、百日懺法 おこなひければ、ちかき遠き者ども、道もさりあへず、拜みにゆきちがふ女房 車などひまなし。 △見れば、三十餘斗なる僧のほそやかなる、目をも人に見あはせず、ねぶり目 にて、時々阿彌陀佛を申。そのはざまは、唇ばかりはたらくは、念佛なめり とみゆ。又時々、そこに息をはなつやうにして、集ひたるものどものかほを見 わたせば、その目に見あはせんと、集ひたるものども、こち押し、あち押し、 ひしめきあひたり。 △さて、すでに其日のつとめては堂へ入て、さきにさし入りたる僧ども、おほ く歩みつゞきたり。しりに雜役車に、この僧は紙の衣、袈裟など着て、のりた り。なにといふにか、唇はたらく。人に目もみあはせずして、時々大息をぞ はなつ。ゆくみちに立なみたる見物のものども、うちまきを霰のふるやうにな かみちす。聖「いかに。かく目鼻に入る。たへがたし。心ざしあらば、紙袋な どに入れて、わがゐたりつる所へ送れ」と、時々云。これを、無下の者は、手 をすりて拜む。すこし心のある者は、「などかうは、此聖はいふぞ。たゞ今水 にいりなんずるに、「祇陀林へやれ。目鼻にいる、たへがたし」などいふこそ あやしけれ」など、さゝめく者もあり。 △さて、やりもてゆきて、七條の末にやり出だしたれば、京よりはまさりて、 入水の聖拜まんとて、川原の石よりもおほく、人つどひたり。川ばたへ車やり よせて、たてれば、聖「たゞ今はなん時ぞ」といふ。ともなる僧ども「申のく だりになり候にたり。」といふ。「往生の刻限には、まだしかんなるは。います こし暮せ」といふ。待かねて、遠くよりきたるものは歸などして、川原、人ずく なになりぬ。これを見はてんと思たるものは猶たてり。それが中に、僧のある が、「往生には、刻限やは定むべき。心得ぬことかな」といふ。 △とかくいふほどに、この聖、たふさぎにて、西にむかひて、川にざぶりと入 程に、舟ばたなる繩に足をかけて、つぶりとも入らで、ひしめく程に、弟子の 聖はづしたれば、さかさまに入りて、ごぶ++とするを、男の、川へおりく だりて、「よくみん」とて立てるが、この聖の手をとりて、引あげたれば、左右 の手して顏はらひて、くゝみたる水をはきすてて、この引上たる男にむかひて、 手を摺て、「廣大の御恩蒙さぶらひぬ。この御恩は極樂にて申さぶらはん」と 云て、陸へ走りのぼるを、そこらあつまりたる者ども、童部、川原の石をとり て、まきかくるやうにうつ。はだかなる法師の、川原くだりに走るを、つどひ たる者ども、うけとり+ 打ければ、頭うちわられにけり。 △この法師にやありけん、大和より瓜を人のもとへやりける文の上書に、前の 入水の上人と書きたりけるとか。 一三四 日藏上人吉野山にて鬼にあふ事△卷一一ノ一〇 △昔、吉野山の日藏の君、吉野の奧におこなひありき給けるに、たけ七尺斗の 鬼、身の色は紺青の色にて、髮は火のごとくに赤く、くび細く、むね骨は、こ とにさしいでて、いらめき、腹ふくれて、脛は細く有けるが、此おこなひ人に あひて、手をつかねて、なくこと限なし。 △「これはなにごとする鬼ぞ」と問へば、この鬼、涙にむせびながら申やう、 「われは、此四五百年をすぎてのむかし人にて候しが、人のために恨をのこし て、今はかゝる鬼の身となりて候。さてその敵をば、思のごとくに、とり殺して き。それが子、孫、ひこ、やしは子にいたるまで、のこりなくとり殺しはてて、 今は殺すべき者なくなりぬ。されば、なほかれらが生れかはりまかる後までも 知りて、とり殺さんと思候に、つぎ++の生れ所、露もしらねば、取殺すべき やうなし。瞋恚の炎は、おなじやうに、燃ゆれども、敵の子孫はたえはてたり。 我ひとり、つきせぬ瞋恚の炎に、もえこがれて、せんかたなき苦をのみうけ侍 り。かゝる心を起さざらましかば、極樂天上にも生れなまし。殊に、恨みをと ゞめて、かゝる身となりて、無量億劫の苦を受けんとすることの、せんかたな くかなしく候。人のために恨をのこすは、しかしながら、我身のためにてこそ ありけれ。敵の子孫は盡きはてぬ。わが命はきはまりもなし。かねてこのやう を知らましかば、かゝる恨をば、のこさざらまし」といひつゞけて、涙をなが して、泣く事かぎりなし。そのあひだに、うへより、炎やう++燃えいでけ り。さて山の奧ざまへ、あゆみいりけり。 △さて日藏の君、あはれと思ひて、それがために、さま※※の罪ほろぶべき事 どもをし給けるとぞ。 一三五 丹後守保昌下向の時致經父にあふ事△卷一一ノ一一 △これも今は昔、丹後守保昌、國へくだりける時、與佐の山に、白髮の武士一 騎あひたり。路のかたはら〔なる〕木のしたに、うち入りて立たりけるを、國司 の郎等共「此翁、など馬よりおりざるぞ。奇恠なり。とがめおろすべし」とい ふ。爰に國司のいはく、「一人當千の馬の立てやうなり。たゞにはあらぬ人ぞ。 とがむべからず」と、制してうち過ぐる程に、三町ばかり行て、大矢の左衞門 尉致經、數多の兵を具してあへり。國司會釋する間、致經が云、「爰に老者 一人合奉りて候つらん。致經が父、平五大夫に候。堅固の田舍人にて、子細を しらず。無禮を現じ候つらん」といふ。致經、過てのち、「さればこそ」とぞ いひけるとか。 一三六 出家功徳事△卷一一ノ一二 △是も今は昔、筑紫に、たうさかのさへと申齋の神もまします。そのほこらに、 修行しける僧のやどりて、ねたりける夜、夜中斗にはなりぬらんと思ふ程に、 馬の足音あまたして、人の過ると聞くほどに、「齋はましますか」と問ふこゑ す。このやどりたる僧、あやしと聞くほどに、このほこらの内より、「侍り」 と答ふなり。又あさましと聞けば、「明日武藏寺にや參り給ふ」と問ふなれば、 「さも侍らず。何事の侍ぞ」とこたふ。「あす武藏寺に、新佛出給ふべしとて、 梵天、帝釋、諸天、龍神あつまり給ふとは知り給はぬか」といふなれば、「さる 事も、えうけたまはらざりけり。うれしく告げ給へるかな。いかでか參らでは 侍らん。かならず參らんずる」といへば、「さらば、あすの巳の時ばかりのこ となり。かならず參り給へ。まち申さん」とてすぎぬ。 △この僧、これを聞きて、希有のことをも聞きつるかな。あすは物へゆかんと 思つれども、此こと見てこそ、いづちも行かめと思て、あくるや遲きと、武藏 寺に參りて見れども、さるけしきもなし。例よりは、なか++靜かに、人もみ えず。あるやうあらんと思て、佛の御前に候て、巳時を待ちゐたる程に、今し ばしあらば、午時になりなんず、いかなることにかと思ゐたるほどに、年七十 餘ばかりなる翁の、髮もはげて、白きとてもおろ++ある頭に、ふくろの烏帽 子をひき入て、もとも小さきが、いとゞ腰かゞまりたるが、杖にすがりて歩む。 尻に尼たてり。小さく黒き桶に、なににかあるらん、物いれて、ひきさげたり。 御堂に參りて、男は佛の御前にて、ぬか二三度斗つきて、もくれんずの念珠の、 大きにながき、押しもみて候へば、尼、その持たる小桶を、翁のかたはらに置 きて、「御坊よび奉らん」とて去ぬ。 △しばし斗あれば、六十ばかりなる僧參りて、佛おがみ奉て、「なにせんに よび給ぞ」と問へば、「けふあすとも知らぬ身にまかりなりにたれば、この白髮 のすこしのこりたるを剃りて、御弟子にならんと思ふなり」といへば、僧、目 押しすりて、「いと尊きことかな。さらば、とく++」とて、小桶なりつるは 湯なりけり、その湯にて頭あらひて、そりて、戒さづけつれば、また、佛拜み 奉りて、まかり出ぬ。その後、又異事なし。 △さは、この翁の法師になるを随喜して、天衆もあつまり給て、新佛の出でさ せ給ふとはあるにこそありけれ。出家隨分の功徳とは、今にはじめたることに はあらねども、まして、若く盛りならん人の、よく道心おこして、隨分にせん ものの功徳、これにていよ++おしはかられたり。 一三七 達磨天竺僧の行見る事△卷一二ノ一 △昔、天竺に一寺あり。住僧もつともおほし。達磨和尚、この寺に入て、僧ど もの行をうかゞひ見給ふに、或坊には念佛し、經をよみ、さま※※に行ふ。あ る坊をみ給に、八九十ばかりなる老僧の、只二人ゐて圍碁を打。佛もなく、經 もみえず。たゞ圍碁を打ほかは、他事なし。達磨、件坊を出て、他の僧に問 に、答云、「此老僧二人、若より圍碁の外はすることなし。すべて佛法の名 をだに聞かず。よつて寺僧、にくみいやしみて、交會する事なし。むなしく僧 供を受。外道のごとく思へり」と云々。 △和尚これを聞きて、定て樣あらんと思て、此老僧が傍にゐて、圍碁うつあり 樣を見れば、一人は立り、一人は居りとみるに、忽然として失ぬ。あやしく思 程に、立る僧は歸ゐたりとみる程に、又ゐたる僧うせぬ。見れば又出きぬ。さ ればこそと思て、「圍碁の外、他事なしと承るに、證果の上人にこそおはしけ れ。其故を問奉らん」と宣に、老僧答云、「年來、此事より外、他事なし。た ゞし、黒勝ときは、我煩惱勝ぬとかなしみ、白勝時は、菩提勝ぬと悦。打に隨 て、煩惱の黒を失ひ、菩提の白の勝ん事を思ふ。此功徳によりて證果の身とな り侍也」と云。 △和尚、坊を出て、他僧に語給ひければ、年來、にくみいやしみつる人々、後 悔して、みな貴みけりとなん。 一三八 提婆菩薩龍樹菩薩許に參る事△卷一二二 △昔、西天竺に龍樹菩薩と申上人まします。智惠甚深也。又、中天竺に提婆菩 薩と申上人、龍樹の智惠深きよしを聞き給て、西天竺に行迎て、門外にたちて、 案内を申さんとし給所に、御弟子、ほかより來給て、「いかなる人にてましま すぞ」と問ふ。提婆菩薩答給やう、大師の智惠深くましますよしうけたまはり て、嶮難をしのぎて、中天竺より、はる※※參りたり、このよし申べきよし、の たまふ。御弟子、龍樹に申ければ、小箱に水を入て出さる。提婆、心得給て、 衣の襟より針を一取いだして、この水にいれて返し奉る。これをみて、龍樹、 大に驚て、「はやく入れ奉れ」とて、坊中を掃きよめて、入奉給。 △御弟子、あやしみ思やう、水をあたへ給ことは、遠國よりはる※※と來給へ ば、つかれ給らん、喉潤さん爲と心得たれば、此人、針を入て返し給に、大師、 驚給て、うやまひ給事、心得ざることかなと思て、後に、大師に問申ければ、 答給やう、「水をあたへつるは、我智惠は、小箱の内の水のごとし、しかるに、 汝萬里をしのぎて來る、智惠をうかべよとて、水をあたへつるなり。上人、空 に、御心をしりて、針を水に入て返すことは、我針斗の智惠を以て、なんぢが 大海の底をきはめんと也。なんぢら、年來隨遂すれども、この心を知らずして、 これを問ふ。上人は、始てきたれども、わが心をしる。これ智惠のあるとなき 〔と〕なり」云々。 △則、瓶水を寫ごとく、法文をならひ傳給て、中天竺に歸給けりとなん。 一三九 慈惠僧正受戒の日延引の事△卷一二ノ三 △慈惠僧正良源、座主時、受戒行べき定日、例のごとく催まうけて、座主の 出仕を相待の所に、途中より俄に歸給へば、供の者ども、こはいかにと、心得 がたく思けり。衆徒、諸職人も、「これほどの大事、日の定たる事を、いまとな りて、さしたる障もなきに、延引せしめ給事、然べからず」と、謗ずる事限な し。諸國の沙彌らまで、こと※※く參集て、受戒すべきよし思ゐたる所に、横 川小綱を使にて、「今日の受戒は、延引なり。重たる催に隨て行はるべきなり」 と、おほせくだしければ、「何事によりてとどめ給ぞ」と問ふ。使「またく其 故をしらず。たゞはやく走り向て、このよしを申せと斗のたまひつるぞ」とい ふ。集れる人々、おの++心得ず思て、みな退散しぬ。 △かゝる程に、未の時斗に、大風吹て、南門俄に倒れぬ。其時人々、〔此ことあ るべしとかねてさとりて、延引せられけると思あはせけり。受戒おこなはれま しかば、そこばくの人々〕みな打殺されなましと、感じのゝしりけり。 一四〇 内記上人法師陰陽師紙冠破事△卷一二ノ四 △内記上人寂心といふ人ありけり。道心堅固の人也。「堂を造り、塔を立る、 最上の善根也」とて、勸進せられけり。材木をば、播磨の國に行てとられけ り。こゝに法師陰陽師、紙冠をきて、祓するをみつけて、あわてて馬よりおり て馳よりて、「なにわざし給御坊ぞ」と問へば、「祓し候なり」といふ。「何し に紙冠をばしたるぞ」と問へば、「祓戸の神達は、法師をば忌給へば、祓する 程、しばらく、して侍也」といふに、上人聲をあげて大に泣て、陰陽師にとりか ゝれば、陰陽師、心得ず仰天して、祓をしさして、「是はいかに」といふ。祓ひ せさする人も、あきれて居たり。上人、冠を取て引破て、泣くこと限なし。「い かにしりて、御坊は、佛弟子となりて、祓戸の神達にくみ給といひて、如來の 忌給事をやぶりて、しばしも無間地獄の業をば、つくり給ぞ。まことに悲しき ことなり。たゞ寂心を殺せ」といひて、とりつきて泣事おびたゝし。陰陽師の いはく、「仰らるゝ事、もとも道理なり。世の過がたければ、さりとては〔とて〕、 かくのごとく仕る也。しからずは、なにわざをしてかは、妻子をばやしなひ、 我命をも續侍らん。道心なければ上人にもならず、法師のかたちに侍れど、俗 人のごとくなれば、後世のこといかゞと、かなしく侍れど、世のならひにて侍 れば、かやうに侍なり」といふ。上人のいふやう、「それはさもあれ。いかゞ 三世如來の御首に冠をば著給。不幸にたへずして、か樣のことし給はば、堂作 らん料に勸進しあつめたる物共を、なんぢになん賜ぶ。一人菩提にすゝむれば、 堂寺造に勝たる功徳なり」といひて、弟子どもをつかはして、材木とらんとて、 勸進しあつめたる物を、みなはこびよせて、此陰陽師にとらせつ。さてわが 身は京に上給にけり。 一四一 持經者叡實効驗事△卷一二ノ五 △むかし、閑院大臣殿、三位中將におはしける時、わらはやみを、おもくわづ らひ給けるが、「神名といふ所に、叡實といふ持經者なん、童やみはよく祈おと し給」と申人ありければ、「此持經者にいのらせん」とて行給に、荒見川の程 にて、はやうおこり給ぬ。寺はちかくなりければ、これより歸べきやうなしと て、念じて神名におはして、坊の簷に車をよせて、案内をいひ入給に、「近比、 蒜を食侍り」と申。しかれども、「たゞ上人をみ奉らん。只今まかり歸ことか なひ侍らじ」とありければ、「さらばはや入り給へ」とて、坊の蔀、下立たる をとりて、あたらしき莚敷て、「いり給へ」と申ければ、いり給ぬ。 △持經者、沐浴して、とばかりありて、出合ぬ。長高き僧の、やせさらぼひて、 みるに貴げなり。僧申やう、「風重く侍るに、醫師の申にしたがひて、蒜を食 て候なり。それに、かやうに御座候へば、いかでかはとて參て候也。法華經は、 淨不淨をきらはぬ經にてましませば、讀奉らん。何條事か候はん」とて、念珠 を押し摺て、そばへよりきたる程、もとも馮もし。御額に手をいれて、わが膝 を枕にせさせ申て、壽量品を打出してよむこゑは、いと貴し。さばかり貴きこ ともありけりとおぼゆ。すこし、はがれて、高聲に誦こゑ、誠にあはれなり。 持經者、目より大なる涙をはら++とおとして、なくこと限なし。其時さめて、 御心地いとさはやかに、殘りなくよくなり給ぬ。返々後世まで契て、かへり 給ぬ。それよりぞ有驗の名はたかく、廣まりけるとか。 一四二 空也上人臂觀音院僧正祈直す事△卷一二ノ六 △むかし、空也上人、申べきことありて、一條大臣殿に參りて、藏人所にのぼ りてゐたり。餘慶僧正、又參會し給。物語などし給程に、僧正ののたまふ、「其 臂は、いかにして折給へるぞ」と。上人の云、「我母、物ねたみして、幼少の時、 かた手を取てなげ侍し程に、折りて侍とぞ聞侍し。幼稚の時の事なれば、おぼ え侍らず。賢く左にて侍。右手折り侍らましかば」といふ。僧正宣、「そこは 貴き上人にておはす。天皇の御子とこそ人は申せ。いとかたじけなし。御臂ま ことに祈直し申さんはいかに」。上人云、「もとも悦侍べし。まことに貴侍 なん。この加持し給へ」とて、ちかくよれば、殿中の人々、あつまりてこれを 見る。そのとき僧正、いたゞきより黒煙をいだして、加持し給に、暫有て、ま がれる臂、はたと鳴りてのびぬ。即、右の臂のごとくに延たり。上人、涙を 落して、三度禮拜す。見る人、皆のゝめき感じ、あるひは泣きけり。 △その日、上人、供にわかき聖三人具したり。一人は繩をとりあつむる聖なり。 みちに落ちたるふるき繩をひろひて、壁土にくはへて、古堂のやぶれたる壁を ぬることをす。一人は瓜の皮をとり集て、水にあらひて、獄衆にあたへけり。 一人は反古のおち散りたるを、ひろひあつめて、紙にすきて經を書寫し奉る。 その反古の聖を、臂直りたる御布施に、僧正に奉りければ、よろこびて弟子に なして、義觀と名づけ給。ありがたかりけることなり。 一四三 △●賀上人三條宮に參り振舞事△卷一二ノ七 △昔、多武嶺に、●賀上人とて、貴き聖おはしけり。きはめて心たけう、きび しくおはしけり。ひとへに名利をいとひて、頗物くるはしくなん、わざと振 舞給けり。 △三條大后宮、尼にならせ給はんとて、戒師のために、召しにつかはされけ れば、「もとも貴き事なり、●賀こそは實になし奉らめ」とて參りけり。弟子 共、此御使を、いかつて、うち給ひなどやせんずらんと思ふに、思ひのほかに、 心安く參り給へば、有がたき事に思ひあへり。かくて宮に參りたるよし申けれ ば、悦て、召しいれ給ひて、尼になり給ふに、上達部、僧どもおほく參りあつ まり、内裏より御使など參りたるに、この上人は、目はおそろしげなるが、體 も貴げながら、わづらはしげになんおはしける。 △さて、御前に召いれて、御几帳のもとに參て、出家の作法して、めでたく長 き御髮をかき出して、この上人にはさませらる。御簾中に女房達見て、泣くこ とかぎりなし。はさみはてて、出なんとするとき、上人、高聲にいふやう、「● 賀をしもあながちに召すは、何事ぞ。心得られ候はず。もしきたなき物を大な りときこしめしたるか。人のよりは大きに候へども、今は練絹のやうに、くた ++と成たるものを」といふに、御簾のうち近く候女房達、ほかには公卿、 殿上人、僧達、これを聞くにあさましく、目口はだかりておぼゆ。宮の御心地 もさらなり。貴さもみな失せて、おの++、身より汗あえて、我にもあらぬ心 地す。 △さて上人まかり出なんとて、袖かきあはせて、「年まかりよりて、風重く成 て、今はたゞ痢病のみ仕れば、參るまじく候つるを、わざと召し候つれば、あ ひ構て候つる。堪がたくなりて候へば、いそぎまかり出候なり」とて、いでざ まに、西對の簀子についゐて、しりをかゝげて、はんざふのくちより水をいだ すやうに、ひりちらす。音高くひる事限なし。御前まで聞ゆ。わかき殿上人、 わらひのゝしることおびたゝし。僧達は、「かゝる物ぐるひを召したる事」と、 そしり申けり。 △かやうに、事にふれて、物ぐるひにわざと振舞ひけれど、それにつけても、 貴きおぼえはいよ++●りけり。 一四四 △聖寶僧正一條大路わたる事△卷一二ノ八 △昔、東大寺に上座法師のいみじくたのしき有けり。露ばかりも、人に物與ふ ることをせず、慳貪に、罪ふかくみえければ、其とき、聖寶僧正の、わかき僧 にておはしけるが、この上座の、もの惜しむ罪のあさましきにとて、わざとあ らがひをせられけり。「御坊、何事したらんに、大衆に僧供ひかむ」といひけ れば、上座思樣、物あらがひして、もしまけたらんに、僧供ひかんもよしなし、 さりながら衆中にてかく云事を、なにとも答へざらむも口惜と思て、かれがえ すまじきことを思めぐらしていふやう、「賀茂祭の日、眞裸にて、たふさぎばか りをして、干鮭太刀にはきて、やせたる女牛に乗て、一條大路を、大宮より河 原まで、「我は東大寺の聖寶なり」と、高く名のりてわたり給へ。しからばこ の御寺の大衆より下部にいたるまで、大僧供ひかむ」といふ。心中に、さりと もよもせじと思ければ、かたくあらがふ。聖寶、大衆みな催あつめて、大佛の 御前にて、金打て、佛に申てさりぬ。 △その期ちかく成て、一條富小路に棧敷うちて、聖寶がわたらん見んとて、大衆 みなあつまりぬ。上座も有けり。しばらく有て、大路の見物のものども、おび たゝしくのゝしる。何事かあらむと思ひて、頭さしいだして、西のかたをみや れば、牝牛に乘たる法師の裸なるが、干鮭を太刀にはきて、牛の尻をはた++ と打て、尻に百千の童部つきて、「東大寺の聖寶こそ、上座とあらがひして渡 れ」と、たかく言ひけり。其年の祭には、これをせんにてぞありける。 △さて、大衆、おの++寺に歸て、上座に大僧供ひかせたりけり。この事、帝 きこしめして、「聖寶はわが身を捨て、人を導者にこそ有けれ。今の世に、い かでかゝる貴人有けん」とて、めし出して、僧正までなしあげさせ給けり。上 醍醐はこの僧正の建立なり。 一四五 穀斷聖露顯事△卷一二ノ九 △昔、久しくおこなふ上人ありけり。五穀を斷て年來に成ぬ。帝、聞食て、神 泉にあがめ据ゑて、殊に貴み給。木葉をのみ食ける。物笑するわか公達あつま りて、「この聖の心みん」とて、行むかひてみるに、いと貴げにみゆれば、「穀 斷ちいくとせばかりになり給」と問はれければ、「若より斷ち侍れば、五十餘年 にまかりなりぬ」といふを聞きて、一人の殿上人のいはく、「穀斷ちの糞はいか 樣にか有らん。例の人にはかはりたるらん。いで行てみん」といへば、二三人 つれて行て見れば、穀糞をおほく痢置たり。あやしと思て、上人の出たるひま に、「居たるしたを見ん」といひて、疊の下を引あけてみれば、土を少堀て、 布袋に米をいれて置たり。君達みて、手をたゝきて、「穀糞聖+ 」と呼はりて、 のゝしり笑ければ、逃さりにけり。 △其後は行方もしらず、長うせにけりとなん。 一四六 季直少將歌事△卷一二ノ一〇 △今は昔、季直少將と云人有けり。病つきて後、少おこたりて、内に參りたり けり。公忠辨の、掃部助にて藏人なりける比の事也。「みだり心ち、まだ能もお こたり侍らねども、心もとなくて參り侍つる。後はしらねど、かく迄侍れば、 あさて斗に、又參侍らん。能に申させ給へ」とてまかり出ぬ。 △三日斗有て、少將の許より △△くやしくぞ後にあはむと契けるけふを限といはましものを さて其日うせにけり。哀なる事の樣也。 一四七 木こり小童隱題歌の事△卷一二ノ一一 △今は昔、かくし題をいみじく興ぜさせ給ける御門の、ひちりきをよませられ けるに、人々わろくよみたりけるに、木こる童の、曉、山へ行とていひける。 「此比ひちりきをよま〔せ〕させ給なるを、人のえよみ給はざなる、童こそよみ たれ」といひければ、具して行童部「あな、おほけな。かゝる事な云そ。さま にも似ず、いま++し」といひければ、「などか、必さまに似る事か」とて △△めぐりくる春々ごとに櫻花いくたびちりき人にとはばや と云たりける。樣にもにず、思かけずぞ。 一四八 高忠侍歌よむ事△卷一二ノ一二 △今は昔、高忠といひける越前守の時に、いみじく不幸なりける侍の、夜晝ま めなるが、冬なれど、帷をなん着たりける。雪のいみじくふる日、〔この〕侍、 〔きよめすとて、物のつきたるやうにふるふを見て、守〕「歌よめ、をかしうふ る雪哉」といへば、此侍「何を題にて仕べき」と申せば、「はだかなるよしを よめ」といふに、程もなくふるふ聲をさゝげてよみあぐ。 △△はだかなる我身にかゝる白雪は打ふるへどもきえせざりけり と誦ければ、守、いみじくほめて、きたりける衣をぬぎてとらす。北方も哀が りて、薄色の衣のいみじう香ばしきをとらせたりければ、二ながら執て、かい わぐみて、脇にはさみて立さりぬ。侍に行たれば、ゐなみたる侍共みて、驚あ やしがりて問けるに、かくと聞て、淺猿がりけり。 △さて、此侍、其後みえざりければ、あやしがりて、守尋させければ、北山に 貴き聖有けり、そこへ行て、此得たる衣を二ながらとらせて、云けるやう、「年 まかり老ぬ。身の不幸、年を追ひて●る。此生の事は益もなき身に候めり。後 生をだにいかでと覺て、法師にまかりならむと思侍れど、戒師に奉べき物の 候はねば、今に過ぐし候つるに、かく思懸ぬ物を給たれば、限なくうれしく 思給て、是を布施に參する也」とて、「法師に成せ給へ」と、涙にむせ返て、 泣々云ければ、聖、いみじう貴て、法師になしてけり。 △さて、そこより行方もなくて失にけり。在所しらずなりにけり。 一四九 貫之歌の事△卷一二ノ一三 △今は昔、貫之が土佐守になりて、下て有ける程に、任果の年、七八斗の子の、 えもいはずをかしげなるを、限なくかなしうしけるが、とかく煩て、うせにけ れば、泣まどひて、病づく斗思こがるゝ程に、月比になりぬれば、かくてのみ 有べき事かは、上なんと思に、兒の爰にて、何と有しはやなど、思出られて、 いみじうかなしかりければ、柱に書つけける △△都へと思につけて悲きは歸らぬ人のあればなりけり 〔とかきつけたりける歌なん、いままでありける〕。 一五〇 東人歌よむ事△卷一二ノ一四 △今は昔、東人の、歌いみじう好みよみけるが、螢をみて △△あなてりや蟲のしや尻に火のつきてこ人玉ともみえわたる哉 東人のやうによまんとて、まことは貫之がよみたりけるとぞ。 一五一 河原院融公靈住事△卷一二ノ一五 △今はむかし、河原院は、融の左大臣の家なり。陸奧のしほがまの形を作りて、 潮を汲みよせて、しほを燒かせなど、さま※※のをかしきことをつくして、 住給ける。大臣失せてのち、宇多院には奉りたる也。延喜の御門、たび++行 幸有けり。 △まだ院すませ給ける折に、夜中ばかりに、西對の塗ごめを明て、そよめきて、 人の參るやうにおぼされければ、見させ給へば、ひの裝束うるはしくしたる人 の、太刀はき、笏取て、二間ばかりのきて、かしこまりて居たり。「あれはた そ」と問せ給へば、「爰の主に候翁也」と申。「融の大臣か」と問はせ給へば、 「しかに候」と申す。「さはなんぞ」と仰らるれば、「家なれば住候に、おは しますがかたじけなく、所せく候也。いかゞ仕べからん」と申せば、「それは いといと異やうの事なり。故大臣の子孫の、我にとらせたれば、住にこそあれ。 わが押し取てゐたらばこそあらめ、禮もしらず、いかにかくはうらむるぞ」と、 高やかに仰られければ、かい消つやうに失せぬ。その折の人々「猶、御門はか たことにおはしますものなり。たゞの人は、其大臣にあひて、さやうにすくよ かには、いひてんや」とぞいひける。 一五二 八歳童孔子問答事△卷一二ノ一六 △今は昔、もろこしに、孔子、道を行給に、八ばかりなる童あひぬ。孔子に問 申やう、「日のいる所と洛陽と、いづれか遠き」と。孔子いらへ給やう、「日の 入所は遠し。洛陽はちかし」。童の申やう、「日の出入所は見ゆ。洛陽はまだ見 ず。されば日の出る所はちかし、洛陽は遠しと思ふ」と申ければ、孔子、「かし こき童なり」と、感じ給ひける。「孔子には、かく物問ひかくる人もなきに、か く問ひけるは、たゞものにはあらぬなりけり」とぞ、人いひける。 一五三 鄭太尉事△卷一二ノ一七 △今は昔、親に孝する者ありけり。朝夕に木をこりて、親をやしなふ。孝養の 心、空にしられぬ。梶もなき舟に乘て、むかひの嶋に行に、朝には、南の風吹 て、北の嶋に吹つけつ。夕には、又舟に木をこりていれてゐたれば、北の風吹 きて、家に吹つけつ。かくのごとくする程に、年比になりて、おほやけにきこ しめして、大臣になして召しつかはる。その名を、鄭太尉とぞいひける。 一五四 貧俗觀佛性冨事△卷一二ノ一八 △今は昔、もろこしの邉州に一人の男あり。家貧しくして、たからなし。妻子 を養ふに力なし。もとむれども、得る事なし。かくて歳月を經。思わびて、あ る僧にあひて、寶を得べき事を問ふ。智惠ある僧にて、こたふるやう、「汝寶 をえんと思はば、たゞ、まことの心をおこすべし、さらば、寶もゆたかに、後 世はよき所に生れなん」といふ。この人「寔の心とはいかゞ」と問へば、僧の 云、「誠の心をおこすといふは、他の事にあらず。佛法を信ずる也」といふに、 又問ひて云、「それはいかに。たしかにうけたまはりて、心をえて、たのみ思て、 二なく信をなし、たのみ申さん。うけたまはるべし」といへば、僧のいはく、 「我心はこれ佛也。我心をはなれては佛なしと。然ば我心の故に、佛はいます なり」といへば、手をすりて、なく++おがみて、それより此ことを心にかけ て、よるひる思ければ、梵釋諸天、きたりてまもり給ければ、はからざるに寶 出きて、家の内ゆたかになりぬ。命終るに、いよ++心、佛を念じ入て、淨土 にすみやかに參りてけり。このことを聞みる人、貴みあはれみけるとなん。 一五五 宗行郎等射虎事△卷一二ノ一九 △今は昔、壹岐守宗行が郎等を、はかなきことによりて、主の殺さんとしけれ ば、小舟に乘て逃て、新羅國へ渡りて、かくれてゐたりける程に、新羅のきん かいといふ所の、いみじうのゝしりさわぐ。「何事ぞ」と問へば、「虎の國府に 入りて、人をくらふなり」といふ。此男問ふ、「虎はいくつばかりあるぞ」と。 「たゞ一あるが、俄にいできて、人をくらひて、にげて行き+ する也」とい ふを聞きて、この男の云やう、「あの虎にあひて、一矢を射て死なばや。虎かし こくば、共にこそ死なめ。たゞむなしうは、いかでか、くらはれん。此國の人 は、兵の道わろきにこそはあめれ」といひけるを、人聞きて、國守に、「かう ++のことをこそ、此日本人申せ」といひければ、「かしこきこと哉。呼べ」 といへば、人きて、「召しあり」といへば、參りぬ。 △「まことにや、この虎の人くふを、やすく射むとは申なる」と問はれければ、 「しか申候ぬ」とこたふ。守「いかでかゝる事をば申すぞ」と問へば、此男 の申すやう、「此國の人は、我身をば全くして、敵をば害せんと思たれば、お ぼろけにて、か樣のたけき獸などには、我身の損ぜられぬべければ、まかりあ はぬにこそ候めれ。日本の人は、いかにもわが身をばなきになして、まかりあ へば、よき事も候めり。弓矢にたづさはらん者、なにしかは、わが身を思はん 事は候はん」と申しければ、守「さて、虎をば、かならず射ころしてんや」と いひければ、「わが身の生き生かずはしらず。かならずかれをば射とり侍なん」 と申せば、「いといみじう、かしこきことかな。さらば、かならずかまへて射よ、 いみじき悦びせん」といへば、男申やう、「さてもいづくに候ぞ。人をばいか やうにて、くひ侍るぞ」と申せば、守のいはく、「いかなる折にかあるらん、 國府の中に入きて、人ひとりを、頭を食て、肩に打かけてさるなり」と。この 男申やう、「さてもいかにしてか食ひ候」と問へば、人のいふやう、「虎はま づ人をくはんとては、猫の鼠をうかゞふやうにひれふして、しばしばかりあり て、大口をあきてとびかゝり、頭をくひて、肩にうちかけて、はしりさる」と いふ。「とてもかくても、さばれ、一矢射てこそは、くらはれ侍め。その虎のあ り所教へよ」といへば、「これより西に卅四町のきて、をの畠あり。それにな んふすなり。人怖ぢて、あへてそのわたりに行かず」といふ。「おのれたゞ知 り侍らずとも、そなたをさしてまからん」といひて、調度負いて去ぬ。新羅の 人々「日本の人は、はかなし。虎にくはれなん」と、あつまりて、そしりけり。 △かくて、此男は、虎の有所問ひきゝて、ゆきて見れば、まことに、はたけ はる※※と生ひわたりたり。をのたけ四尺ばかりなり。其中をわけ行て見れば、 まことに虎ふしたり。とがり矢をはげて、片膝をたてて居たり。虎、ひとの香 をかぎて、ついひらがりて、猫のねずみうかゞふやうにてあるを、男、矢をは げて、音もせで居たれば、虎、大口をあきて、躍りて、男のうへにかゝるを、 男、弓をつよくひきて、うへにかゝる折に、やがて矢を放ちたれば、おとが ひのしたより、うなじに七八寸ばかり、とがりやを射いだしつ。虎、さかさま にふして、たふれてあがくを、かりまたをつがひ、二たび、はらを射る。二た びながら、土に射つけて、遂に殺して、矢をもぬかで、國府にかへりて、守に、 かう++射ころしつるよしいふに、守、感じのゝしりて、おほくの人を具して、 虎のもとへゆきて見れば、誠に、前三ながら射通されたり。みるにいといみじ。 寔に百千の虎おこりてかゝるとも、日本の人、十人ばかり、馬にて押しむかひ て射ば、虎なにわざをかせん。此國の人は、一尺ばかりの矢に、きりのやうな るやじりをすげて、それに毒をぬりて射れば、遂にはその毒の故に死ぬれども、 たちまちにその庭に、射ふす〔る〕事はえせず。日本の人は、我命死なんをも露 惜しまず、大なる矢にて射れば、その庭に射ころしつ。なほ兵の道は、日の本 の人にはあたるべくもあらず。されば、いよ++いみじう、おそろしくおぼゆ る國也とて、怖ぢけり。 △さて、この男をば、なほ惜みとゞめて、いたはりけれど、妻子を戀て、筑紫 にかへりて、宗行がもとに行て、そのよしをかたりければ、「日本のおもておこ したる者なり」とて、勘當もゆるしてけり。おほくの物ども、祿にえたりける、 宗行にもとらす。おほくの商人ども、新羅の人のいふを聞きてかたりければ、 筑紫にも、此國の人の兵は、いみじきものにぞしけるとか。 一五六 遣唐使子虎に食るゝ事△卷一二ノ二〇 △今は昔、遣唐使にて、もろこしにわたりける人の、十ばかりなる子を、え見 であるまじかりければ、具してわたりぬ。さて過しける程に、雪の高くふりた りける日、ありきもせでゐたりけるに、この兒のあそびに出ていぬるが、遲く かへりければ、あやしと思て、出て見れば、あしがた、うしろのかたから、ふ みて行たるにそひて、大なるいぬのあしがたありて、それより此兒のあしがた 見えず。山ざまにゆきたるを見て、これは虎のくひていきけるなめりと思ふに、 せん方なく悲しくて、太刀をぬきて、あしがたを尋て、山の方に行てみれば、 岩やのくちに、此兒をくひころして、腹をねぶりてふせり。太刀を持て走りよ れば、え逃げていかで、かいかゞまりてゐたるを、太刀にて頭をうてば、鯉の かしらをわるやうにわれぬ。つぎに、又、そばざまにくはんとて、走りよる背 中をうてば、せぼねを打きりて、くた++となしつ。さて、子をば死なせたれ ども、脇にかいはさみて、家にかへりたれば、その國の人々、見ておぢあさむ こと、かぎりなし。 △もろこしの人は、虎にあひて逃ることだにかたきに、かく、虎をばうちころ して、子をとり返してきたれば、もろこしの人は、いみじきことにいひて、猶 日本の國には、兵のかたはならびなき國也と、めでけれど、子死にければ、何 にかはせん。 一五七 或上達部中將の時召人にあふ事△卷一二ノ二一 △今は昔、上達部のまだ中將と申ける、内へ參り給ふ道に、法師をとらへて率 ていきけるを、「こはなに法師ぞ」と問はせければ、「年比使はれて候主を殺 して候者なり」といひたれば、「まことに罪重きわざしたるものにこそ。心う きわざしける者かな」と、なにとなくうちいひて過給けるに、此法師、あかき 眼なる目のゆゝしくあしげなるして、にらみあげたりければ、よしなき事をも いひてけるかなと、けうとくおぼしめしてすぎ給ひけるに、又男をからめて行 けるに、「こはなに事したる者ぞ」と、こりずまに問ひければ、「人の家に追ひ 入られて候つる。男は逃げてまかりぬれば、これをとらへてまかるなり」とい ひければ、別のこともなきものにこそ〔とて〕、そのとらへたる人を見知りたれ ば、乞ひゆるしてやり給。 △大方、此心ざまして、人のかなしきめを見るにしたがひて、たすけ給ひける 人にて、はじめの法師も、ことよろしくば、乞ひゆるさんとて、とひ給けるに、 罪の、ことの外に重ければ、さのたまひけるを、法師は、やすからず思ひける。 さて、程なく大赦のありければ、法師もゆりにけり。 △さて月あかかりける夜、みな人はまかで、あるは寢入りなどしけるを、この 中將、月にめでて、たゝずみ給ける程に、物の築地をこえておりけると見給程 に、うしろよりかきすくひて、とぶやうにして出でぬ。あきれまどひて、いか にもおぼしわかぬほどに、おそろしげなる物來集ひて、はるかなる山の、けは しく恐ろしき所へ率て行て、柴のあみたるやうなる物を、たかくつくりたるに さし置きて、「さかしらする人をば、かくぞする。やすきことは、ひとへに罪重 くいひなして、悲しきめを見せしかば、其答に、あぶりころさんずるぞ」とて、 火を山のごとくたきければ、夢などを見るここちして、わかくきびはなるほど にてはあり、物おぼえ給はず。あつさは唯あつになりて、たゞ片時に、死ぬべ くおぼえ給けるに、山のうへより、ゆゝしきかぶら矢を射おこせければ、ある 者ども、「こはいかに」と、さわぎける程に、雨のふるやうに射ければ、これら、 しばしこなたよりも射けれど、あなたには人の數おほく、え射あふべくもなか りけるにや、火の行衞もしらず、射散らされて逃て去にけり。 △其折、男ひとりいできて、「いかに恐ろしくおぼしめしつらん。おのれは、そ の月の其日、からめられてまかりしを、御徳にゆるされて、世にうれしく、御 恩むくひ參らせばやと思候つるに、法師のことは、あしく仰せられたりとて、 日比うかゞひ參らせつるを見て候ほどに、つげ參らせばやと思ひながら、わが 身かくて候へばと思ひつるほどに、あからさまに、きとたち離れ參らせ候つる 程に、かく候つれば、築地をこえていで候つるに、あひ參らせて候つれども、そ こにてとり參らせ候はば、殿も御きずなどもや候はんずらんと思ひて、こゝに てかく射はらひてとり參らせ候つるなり」とて、それより馬にかきのせ申て、た しかに、もとのところへ送り申てんげり。ほの※※と明るほどにぞ歸給ひける。 △年おとなになり給て、「かゝることにこそあひたりしか」と、人にかたり給 けるなり。四條の大納言のことと申は、まことやらん。 一五八 陽成院ばけ物の事△卷一二ノ二二 △今は昔、陽成院おりゐさせ給ての御所は、宮よりは北、西洞院よりは西、 油の小路よりは東にてなむありける。 △〔そこは物すむ所にてなんありける。〕大なる池の有ける釣殿に、番の者ねた りければ、夜中ばかりに、ほそ※※とある手にて、この男が顏をそと++なで けり。けむつかしと思て、太刀をぬきて、かた手にてつかみたりければ、淺黄 の上下着たる翁の、ことの外に物わびしげなるがいふやう、「我はこれ、昔住し ぬしなり。浦嶋が子の弟なり。いにしへより此所にすみて、千二百餘年になる なり。ねがはくはゆるし給へ。こゝにやしろを作りていはひ給へ。さらばいか にもまぼり奉らん」と云けるを、「わが心ひとつにてはかなはじ。此よしを院へ 申てこそは」といひければ、「にくき男の云事哉」とて、三度、上樣へ蹴上げ + して、なへ++くた++となして、落つるところを、口をあきて食ひたり けり。なべての人ほどなる男とみる程に、おびたゝしく大になりて、この男を 唯一口に食ひてけり。 一五九 水無瀬殿むさゝび〔の〕事△卷一二ノ二三 △後鳥羽院御時、水無瀬殿に、よな++山より、からかさ程の物の、光りて御 堂へ飛いること侍りけり。西面、北面の者ども、めん++に、「これを見あら はして、高名せん」と、心にかけて、用心し侍りけれども、むなしくてのみす ぎけるに、ある夜、かげかた、たゞ一人、中嶋にねて待けるに、例の光物、山 より池のうへを飛行けるに、おきむも心もとなくて、あふのきに寢ながら、よ く引て射たりければ、手ごたへして、池へおち入物あり。其後、人々に告げて、 火をともして、めん++見ければ、ゆゝしく大なるむさゝびの、年ふり、毛な どもはげ、しぶとげなるにてぞ侍りける。 一六〇 一條棧敷屋鬼の事△卷一二ノ二四 △今は昔、一條棧敷屋に、ある男とまりて、傾城とふしたりけるに、夜中ばか りに、風ふき、雨ふりて、すさまじかりけるに、大路に、「諸行無常」と、詠じ て過ぐる者あり。なに者ならんと思て、蔀をすこし押し明てみければ、長は軒 とひとしくて、馬の頭なる鬼なりけり。おそろしさに、蔀を懸けて、奧の方へ いりたれば、此鬼、格子押し明て、顏をさしいれて、「よく御覽じつるな+ 」 と申ければ、太刀をぬきて、いらばきらんとかまへて、女をばそばに置きて待 ちけるに、「よく++御覽ぜよ」といひて、いにけり。百鬼夜行にてあるやら んと、おそろしかりける。それより一條の棧敷屋には、又もとまらざりけると なん。 一六一 上緒の主得金事△卷一三ノ一 △今は昔、兵衞佐なる人ありけり。冠の上緒の長かりければ、世の人、「上緒 の主」となん、つけたりける。西の八條と京極との畠の中に、あやしの小家一 つあり。その前を行程に、夕立のしければ、此家に、馬よりおりて入りぬ。み れば、女ひとりあり。馬を引いれて、夕立をすごすとて、平なる小辛櫃のやう なる石のあるに、尻をうちかけてゐたり。小石をもちて、此石を、手まさぐり に、たゝき居たれば、うたれてくぼみたるところを見れば、金色になりぬ。 △希有のことかなとおもひて、はげたるところに、土をぬりかくして、女に問 ふやう、「此石はなぞの石ぞ」。女の云やう、「何の石にか侍らん。むかしより かくて侍るなり。昔、長者の家なん侍りける。此家は倉共の跡にて候なり」と。 誠に、みれば、大なる石ずゑの石どもあり。さて「その尻かけさせ給へる石は、 其倉のあとを畠につくるとて、うねほる間に、土の下より堀出されて侍也。そ れが、かく屋のうちに侍れば、かきのけんと思侍れど、女は力弱し。かきの くべきやうもなければ、憎む+ かくて置きて侍るなり」と云ければ、われ此 石とりてん、後に目くせある者もぞ見つくる、と思ひて、女にいふやう、「此石 われとりてんよ」といひければ、「よき事に侍り」といひければ、其邊に知り たる下人を、むな車をかりにやりて、つみて出でんとする程に、綿衣をぬぎて、 たゞにとらむが、罪得がましければ、この女にとらせつ。心も得でさわぎまど ふ。「この石は、女どもこそよしなし物と思ひたれども、我家にもていきて、 つかふべきやうのあるなり。されば、たゞにとらんが罪得がましければ、かく 衣をとらするなり」といへば、「思ひかけぬことなり。不用の石のかはりに、 いみじき寶の御衣の綿のいみじき、給らんものとは、あなおそろし」といひて、 掉の有にかけておがむ。 △さて車にかきのせて、家に歸りて、うち缺き+ 賣りて、もの共を買ふに、 米、錢、絹、綾など、あまたに賣りえて、おびたゝしき徳人になりぬれば、西 の四條よりは北、皇嘉門より西、人も住まぬうきのゆふ++としたる、一町ば かりなるうきあり。そこは買とも、あたひもせじとおもひて、たゞ少に買つ。 主は不用〔の〕うきなれば、畠にもつくらるまじ、家もえたつまじ、益なき所と 思ふに、價すこしにても買はんといふ人を、いみじきすきものと思ひて賣りつ。 △上緒の主、このうきを買ひとりて、津の國に行ぬ。舟四五艘ばかり具して、 難波わたりにいぬ。酒、かゆなどおほくまうけて、鎌又多うまうけたり。行か ふ人をまねきあつめて、「この酒、かゆ、參れ」といひて、「そのかはりに、此 あし苅りて、すこしづゝえさせよ」といひければ、悦てあつまりて、四五束、 十束、二三十束など苅てとらす。かくのごとく三四日苅らすれば、山のごとく 苅りつ。舟十艘斗につみ京へのぼる。酒多くまうけたれば、のぼるまゝに、こ の下人共に、「たゞに行かむよりは、この綱手ひけ」といひければ、この酒をの みつゝ、綱手をひきて、いと疾く賀茂川尻に引つけつ。 △それより車借に物をとらせつゝ、そのあしにて、このうきに敷きて、下人ど もをやとひて、そのうへに土はねかけて、家を思ふまゝにつくりてけり。南の 町は、大納言源貞といひける人の家、北の町は、この上緒の主の、うめてつく りける家なり。それを、この貞の大納言のかひとりて、二町にはなしたるなり けり。それいはゆる此比の西の宮なり。かくいふ女の家なりける金の石をとり て、それを本たいとして、造りたりけるなり。 一六二 元輔落馬事△卷一三ノ二 △今は昔、歌よみの元輔、内藏助になりて、賀茂祭の使しけるに、一條大路わ たりける程に、殿上人の、車おほく並べたてて、物見ける前わたる程に、おい らかにてはわたらで、人み給にと思ひて、馬をいたくあふりければ、馬くるひ て落ちぬ。年老いたるものの、頭をさかさまにて落ちぬ。君達、あないみじと 見るほどに、いと疾くおきぬれば、冠ぬげにけり。もとゞり露なし。たゞほと ぎをかづきたるやうにてなんありける。 △馬ぞひ、手まどひをして、冠をとりてきせさすれど、後ざまにかきて、「あ なさわがし。しばしまて。君達に聞ゆべき事あり」とて、殿上人どもの車のま へに歩みよる。日のさしたるに、頭きら++として、いみじう見苦し。大路の もの、市をなして、笑のゝしる事限なし。車、棧敷のものども、笑ひのゝしる に、一の車のかたざまに歩みよりていふやう、「君達、この馬よりおちて冠おと したるをば、をこなりとや思ひ給ふ。しか思ひ給まじ。その故は、心ばせある 人だにも、物につまづき倒るゝことは、つねの事なり。まして馬は心あるもの にあらず。この大路は、いみじう石たかし。馬は口を張りたれば、歩まんと思 ふだに歩まれず。と引きかう引、くるめかせば、倒れんとす。馬をあしと思ふ べきにあらず。唐鞍はさらなる、あぶみの、かくうべくもあらず。それに、馬 はいたくつまづけば落ちぬ。それ惡からず。又冠のおつる事は、物してゆふも のにあらず。かみをよくかき入たるに、とらへらるゝ物なり、それに、鬢は失 せにたれば、ひたぶるになし。されば、おちん事、冠恨むべき樣なし。例なき にあらず。何の大臣は、大嘗會の御禊におつ。なにの中納言は、その時の行幸 におつ。かくのごとく、例もかんがへやるべからず。しかれば、案内も知り給 はぬ此ごろのわかき君達笑給べきにあらず。笑ひ給はばをこなるべし」とて、 車ごとに、手を折りつゝかぞへて、いひきかす。 △かくのごとく言ひはてて、「冠もて來」というてなん、とりてさし入ける。 其時に、とよみて笑ひのゝしることかぎりなし。冠せさすとて、馬ぞひのいは く、「落ち給ふすなはち、冠を奉らで、などかくよしなしごとは、おほせらる ゝぞ」と問ければ「しれ事ないひそ。かく道理をいひきかせたらばこそ、この 君達は、のち++にも笑はざらめ。さらずは、口さがなき君達は、ながく笑ひ なんものをや」とぞ云ける。 △人笑はする事、やくにするなりけり。 一六三 俊宣まどはし神に合事△卷一三ノ三 △今は昔、三條院の八幡の行幸に、左京屬にて、くにのとしのぶといふもの の供奉したりけるに、長岡に寺戸といふ所の程行きけるに、人どもの、「此邊 にはまよひ神有なる邊ぞかし」と、いひつゝわたる程に、「としのぶも、さ聞く は」と、いひて行程に、過もやらで、〔日も〕やう++さがれば、今は山崎のわ たりには行つきぬべきに、あやしうおなじ長岡の邊を過ぎて、乙訓河のつらを すぐと思へば、又寺戸のきしをのぼる。寺戸過て、又行きもて行きて、乙訓川 のつらに來てわたるぞと思へば、又すこし桂川をわたる。 △やう++日も暮がたになりぬ。しりさき見れば、人ひとりも見えずなりぬ。 しりさきにはるかにうちつゞきたる人も見えず。夜の更ぬれば、寺戸の西のか たなる板屋の軒におりて、夜をあかして、つとめて思へば、我は左京の官人な り、九條にてとまるべきに、かうまで來つらん、きはまりてよしなし、それに、 おなじ所を、夜一夜めぐり歩きけるは、九條の程より、まよはかし神のつきて、 いてくるを知らで、かうしてけるなめりとおもひて、あけてなん、西京の家に は歸りきたりける。 △としのぶが、まさしうかたりしことなり。 一六四 龜を買て放つ事△卷一三ノ四 △昔、天竺の人、たからを買はんために、錢五十貫を子にもたせてやる。大な る川のはたをゆくに、舟に乘たる人あり。舟のかたを見やれば、舟より、龜、 くびをさしいだしたり。錢もちたる人、たちどまりて、此龜をば、「何の料ぞ」 と問へば、「ころして物にせんずる」といふ。「その龜買はん」といへば、此舟 の人いはく、いみじきたいせつのことありて、まうけたる龜なれば、いみじき 價なりとも、うるまじきよしをいへば、なほあながちに手をすりて、この五十 貫の錢にて、龜を買ひとりて放ちつ。 △心に思ふやう、親の、たから買に隣の國へやりつる錢を、龜にかへてやみぬ れば、親、いかに腹立給はんずらん。さりとて、また、親のもとへ行かである べきにあらねば、親のもとへ歸り行に、道に人のゐて云やう、「爰に龜うりつる 人は、このしもの渡りにて、舟うち返して〔死ぬ〕」と語るを聞て、親の家に歸 りゆきて、錢は龜にかへつるよしかたらんと思程に、親のいふやう、「何とてこ の錢をば返しおこせたるぞ」と問へば、子のいふ、「さることなし。その錢にて は、しか※※龜にかへてゆるしつれば、そのよしを申さんとて參りつるなり」 といへば、親の云やう、「黒衣きたる人、おなじやうなるが五人、おの++十 貫づゝもちてきたりつる。これ、そなる」とて見せければ、この錢いまだぬれ ながらあり。 △はや、買ひて放しつる龜の、その錢川におち入をみて、とりもちて、親のも とに、子の歸らぬさきにやりけるなり。 一六五 夢買人事△卷一三ノ五 △昔、備中國に郡司ありけり。それが子に、ひきのまき人といふ有けり。わか き男にて有ける時、夢をみたりければ、あはせさせんとて、夢ときの女のもと に行て、夢あはせて後、物語してゐたる程に、人々あまた聲して來なり。國守 の御子の太郎君のおはするなりけり。年は十七八ばかりの男にておはしけり。 心ばへはしらず、かたちはきよげなり。人四五人斗具したり。「これや夢とき の女のもと」と問へば、御供の侍「これにて候」といひて來れば、まき人は 上の方のうちに入て、部屋のあるに入りて、あなよりのぞきて見れば、此君、 いり給て、「夢をしか※※見つるなり。いかなるぞ」とて、かたりきかす。女、 聞きて、「よにいみじき夢なり。必、大臣までなりあがり給べき也。返々、め でたく御覧じて候。あなかしこ+ 、人にかたり給な」と申ければ、この君、 うれしげにて、衣をぬぎて、女にとらせて、かへりぬ。 △その折、まき人、部屋より出て、女にいふやう、「夢はとるといふ事のあるな り。この君の御夢、われらにとらせ給へ。國守は四年過ぬれば返りのぼりぬ。 我は國人なれば、いつもながらへてあらんずるうへに、郡司の子にてあれば、 我をこそ大事に思はめ」といへば、女「のたまはんまゝに侍べし。さらば、お はしつる君のごとくにして、いり給て、その語られつる夢を、露もたがはず語 り給へ」といへば、まき人悦て、彼君のありつるやうに、いりきて、夢がた りをしたれば、女おなじやうにいふ。まき人、いとうれしく思て、衣をぬぎて とらせてさりぬ。 △その後、文をならひよみたれば、たゞ通りに通りて、才ある人になりぬ。お ほやけ、きこしめして、試みらるゝに、誠に才深くありければ、もろこしへ、 「物よく++ならへ」とて、つかはして、久しくもろこしにありて、さま※※ の事どもならひつたへて歸りたりければ、御門、かしこき者におぼしめして、 次第になしあげ給て、大臣までになされにけり。 △されば夢とることは、げにかしこきことなり。かの夢とられたりし備中守 〔の〕子は、司もなきものにて止みにけり。夢をとられざらましかば、大臣まで も成なまし。されば、夢を人に聞かすまじきなりと、いひつたへける。 一六六 大井光遠妹強力事△卷一三ノ六 △今は昔、甲斐國の相撲、大井光遠は、ひきふとにいかめしく、力つよく、足 はやく、みめことがらよりはじめて、いみじかりし相撲なり。それが妹に、年 廿六七ばかりなる女の、みめことがら、けはひもよく、姿もほそやかなるあり けり。それはのきたる家に住けるに、それが門に、人に追はれたる男の、刀を ぬきて走入て、この女を質にとりて、腹に刀をさしあてて居ぬ。 △人はしり行て、せうとの光遠に、「姫君は質にとられ給ぬ」と告ければ、光遠 が云やう、「そのおもとは、薩摩の氏長ばかりこそは、質にとらめ」といひて、 なにとなくてゐたれば、告つる男、あやしと思て、たちかへりて、物よりのぞ けば、九月斗のことなれば、薄色の衣一重に、紅葉の袴をきて、口おほひして 居たり。男は大なる男のおそろしげなるが、大の刀をさかてにとりて、腹にさ しあてて、足をもて、後より抱きてゐたり。 △この姫君、左の手しては、顏をふたぎて泣く。右の手しては、前に矢篦のあ らづくりたるが、二三十ばかりあるを取て、手ずさみに、節のもとを指にて、 板敷に押しあててにじれば、朽木のやはらかなるを押しくだくやうにくだくる を、此盜人、目をつけて見るに、淺ましくなりぬ。いみじからんせうとの主、 金槌をもちてうちくだくとも、かくはあらじ、ゆゝしかりける力哉、此やう にては、たゞいまのまに我はとりくだかれぬべし、無益なり、逃なんと思て、 人めをはかりて、とびいでて、逃はしる時に、末に人共走あひて、とらへつ。 しばりて、光遠がもとへ具して行ぬ。 △光遠、「いかに思ひて逃つるぞ」と問へば、申やう、「大なる矢篦の節を、朽 木なんどのやうに、押しくだき給つるを、あさましと思て、おそろしさに逃 候つる也」と申せば、光遠、うち笑ひて、「いかなりとも、その御もとはよも つかれじ。つかんとせん手をとりて、かいねぢて、かみざまへつかば、肩の骨 は、かみざまへ出でてねぢられなまし。かしこく、おのれがかひなぬかれまし。 宿世ありて、御もとは、ねぢざりけるなり。光遠だにも、おれをば、て殺しに 殺してん。かひなをばねぢて、腹、むねをふまんに、おのれは、生きてんや。 それに、かの御もとの力は、光遠二人ばかりあはせたる力にておはするものを。 さこそほそやかに、女めかしくおはすれども、光遠が手たはぶれするに、とら へたるうでを、とらへられぬれば、手ひろごりてゆるしつべきものを。あはれ 男子にてあらましかば、あふかたきなくてぞあらまし。口惜しく女にてある」 といふを聞くに、この盜人、死ぬべき心ちす。女と思て、いみじき質を取たる と思てあれども、其儀はなし。「おれをば〔ころす〕べけれども、御もとの死ぬべ くはこそ殺さめ。おれ死ぬべかりけるに、かしこう、とく逃げてのきたるよ。 大なる鹿の角を膝にあてて、小さき枯木の、ほそきなんどを折やうにあるもの を」とて、追ひはなちてやりけり。 一六七 ある唐人、女の羊に生たる知らずして殺す事△卷一三ノ七 △今は昔、唐に、なにとかやいふ司になりて、下らんとする者侍き。名をば、 けいそくといふ。それがむすめ一人ありけり。ならびなくをかしげなりし。十 餘歳にして失せにけり。父母、泣かなしむことかぎりなし。 △さて二年ばかりありて、田舍にくだりて、したしき一家の一類はらから集め て、國へくだるべきよしをいひ侍らんとするに、市より羊を買取て、此人々に 食はせんとするに、その母が夢にみる樣、うせにしむすめ、青き衣をきて、白 きさいでして、頭をつゝみて、髪に、玉のかんざし一よそひをさしてきたり。 生きたりし折にかはらず。母にいふやう、「我生きて侍し時に、父母、われをか なしうし給て、よろづをまかせ給へりしかば、親に申さで、物をとりつかひ、 又人にもとらせ侍き。ぬすみにはあらねど、申さでせし罪によりて、いま羊の 身をうけたり。きたりて、その報をつくし侍らんとす。あす、まさにくび白き 羊に成て、殺されんとす。ねがはくは、我命をゆるし給へ」といふとみつ。 △おどろきて、つとめて、食物する所を見れば、まことに青き羊の、くび白き あり。はぎ、背中白くて、頭に、ふたつのまだら有。つねの人の、かんざしさす 所なり。母、これをみて、「しばし、この羊、なころしそ。殿歸おはしての後に、 案内申て、ゆるさんずるぞ」といふに、守殿、物より歸て、「など、人々參物は 遲き」とて、むつかる。「されば、此羊を調じ侍て、よそはんとするに、うへ の御前、「しばし、なころしそ。殿に申てゆるさん」とて、とどめ給へば」など いへば、腹立て、「ひがごとなせそ」とて、殺さんとてつりつけたるに、このま らう人ども、きて見れば、いとをかしげにて、顏よき女子の十歳ばかりなるを、 髮に繩つけて、つりつけたり。この女子のいふやう、「童は、此守の女にて侍し が、羊になりて侍也。けふの命を、御前たち、たすけ給へ」といふに、この人 々「あなかしこ+ 。ゆめ++殺すな。申てこん」とてゆく程に、この食ひ物 する人は、例の羊とみゆ。「さだめてををそしと腹だちなん」とて、うちころし つ。その羊のなく聲、この殺すものの耳には、たゞつねの羊のなく聲也。さて 羊をころして、いり、やき、さま※※にしたりければ、このまらう人どもは、 物もくはで歸にけり。あやしがりて、人々に問へば、しか※※なりと、はじめ より語りければ、悲しみて、まどひける程に、病になりて死にければ、田舍に もくだり侍らずなりにけり。 一六八 出雲寺別當、父鯰になりたるを知りながら殺食事△卷一三ノ八 △今は昔、王城の北、上つ出雲寺といふ寺、たててより後、年久しくなりて、 御堂も傾きて、はか※※しう修理する人もなし。この近う、別當侍き。その名 をば、上覺となんいひける。これぞ前の別當の子に侍ける。あひつぎつゝ、妻 子もたる法師ぞしり侍ける。いよ++寺はこぼれて、荒れ侍ける。さるは、傳 教大師のもろこしにて、天〔台〕宗たてん所をえらび給けるに、此寺の所をば、 繪にかきてつかはしける。「高雄、比叡山、かむつ寺と、三の中にいづれかよ かるべき」とあれば、「此寺の地は、人にすぐれてめでたけれど、僧なんらうが はしかるべき」とありければ、それによりて、とゞめたる所なり。いとやんご となき所なれど、いかなるにか、さなり果て、わろく侍なり。 △それに、上覺が夢にみるやう、我父の前別當、いみじう老て、杖つきて、い できて云やう、「あさて未時に、大風吹て、この寺倒れなんとす。しかるに、我、 この寺のかはらの下に、三尺斗の鯰にてなん、行方なく、水もすくなく、せば く暗き所に有て、淺ましう苦しき目をなんみる。寺倒れば、こぼれて庭にはひ ありかば、童部打殺してんとす。其時、汝が前にゆかんとす。童部に打せずし て、加茂川に放ちてよ。さらばひろきめもみん。大水に行て頼もしくなんある べき」といふ。夢さめて、「かゝる夢をこそみつれ」と語れば、「いかなること にか」といひて、日暮ぬ。 △その日になりて、午のときの末より、俄に空かきくもりて、木を折り、家を 破風いできぬ。人々あわてて、家共つくろひさわげども、風いよ++吹●りて、 村里の家どもみな吹倒し、野山の竹木倒れ折れぬ。此寺、誠に未時斗に、吹倒 されぬ。柱折れ、棟くづれて、ずちなし。さる程に、うら板の中に、とし比の 雨水たまりけるに、大なる魚共おほかり。其わたりの者ども、桶をさげて、み なかき入れさわぐほどに、三尺ばかりなる鯰の、ふた++として庭にはひ出た り。夢のごとく、上覺がまへに來ぬるを、上覺思ひもあへず、魚の大にたのし げなるにふけりて、かな杖の大なるをもちて、頭につきたてて、我太郎童部を よびて、「これ」といひければ、魚大にてうちとられねば、草苅鎌といふものを もちて、あぎとをかききりて、物につゝませて、家にもて入ぬ。さて、こと魚 などしたゝめて、桶に入て、女どもにいたゞかせて、我坊にかへりたれば、妻 の女「この鯰は夢にみえける魚にこそあめれ。なにしに殺し給へるぞ」と、心 うがれど、「こと童部の殺さましもおなじこと。あへなん、我は」などといひ て、「こと人まぜず、太郎、次郎童など食たらんをぞ、故御房はうれしとおぼ さん」とて、つぶ++ときり入て、煮て食て、「あやしう、いかなるにか。こ と鯰よりもあぢはひのよきは、故御房の肉なれば、よきなめり。これが汁す ゝれ」など、あひして食ける程に、大なる骨喉にたてて、えう++といひける 程に、とみに出ざりければ、苦痛して、遂に死侍り。妻はゆゝしがりて、鯰を ば食はずなりにけりとなん。 一六九 念佛僧魔往生事△卷一三ノ九 △昔、美濃國伊吹山に、久くおこなひける聖ありけり。阿彌陀佛よりほかのこ としらず、他事なく念佛申てぞ年經にける。夜深く、佛の御前に念佛申てゐた るに、空に聲ありて、告て云、「汝、ねんごろに我をたのめり。今は念佛の數お ほくつもりたれば、あすの未の時に、かならず+ 、きたりて迎べし。ゆめ++、 念佛おこたるべからず」といふ。その聲をきゝて、かぎりなくねんごろに念佛 申て、水をあみ、香をたき、花を散して、弟子ども〔に〕念佛もろともに申させて、 西にむかひてゐたり。やう++ひらめく樣にする物あり。手をすりて、念佛申 て見れば、佛の御身より金色の光を放て、さしいりたり。秋の月の、雲間より あらはれ出たるがごとし。さま※※の花をふらし、白毫の光、聖の身をてらす。 此時、聖、しりをさかさまになして、おがみ入。數珠の緒もきれぬべし。觀音、 蓮臺をさしあげて、聖のまへにより給に、紫雲あつくたなびき、聖、はひより て、蓮臺にのりぬ。さて西のかたへさり給ぬ。坊にのこれる弟子ども、なく ++たうとがりて、聖の後世をとぶらひけり。 △かくて、七八日すぎて後、坊の下種法師ばら、念佛の僧に、湯わかして浴せ奉 らんとて、木こりに、奧山にいりたりけるに、はるかなる瀧にさしおほひたる 杉の木あり。その木の梢に、さけぶ聲しけり。あやしくて見上げたれば、法師 をはだかになして、梢にしばりつけたり。木のぼりよくする法師、のぼりて見 れば、極樂へ迎られ給し我師の聖を、かづらにてしばりつけて置たり。此法師、 「いかに我が師は、かゝる目をば御覽ずるぞ」とて、よりて繩を解きければ、 「いま迎へんずるぞ、其程しばしかくてゐたれとて、佛のおはしましゝをば、 何しにかく解きゆるすぞ」といひけれども、よりて解きければ、「阿彌陀佛、 われを殺人あり。をう++」とぞ、さけびける。されども法師ばら、あまたの ぼりて、解きおろして、坊へ具して行たれば、弟子ども、心うきことなりと、 歎まどひけり。聖は、人心もなくて、二日三日ばかりありて死にけり。 △智惠なき聖は、かく天狗にあざむかれけるなり。 一七〇 慈覺大師入纐纈城行事△卷一三ノ一〇 △昔、慈覺大師、佛法をならひ傳へんとて、もろこしへ渡給ておはしける程に、 會昌年中に、唐武宗、佛法をほろぼして、堂塔をこぼち、僧尼をとらへて失 ひ、或は還俗せしめ給亂に合給へり。大師をもとらへむとしけるほどに、逃て、 ある堂のうちへ入給ぬ。その使、堂へ入りてさがしける間、大師、すべきかた なくて、佛の中に逃いりて、不動を念給ける程に、使求けるに、あたらしき不 動尊、佛の御中におはしける。それ〔を〕あやしがりて、いだきおろしてみるに、 大師もとの姿になり給ぬ。使、おどろきて、御門に此よし奏す。御門仰られけ るは、「他國の聖なり。すみやかに追ひ放つべし」と仰ければ放ちつ。 △大師、喜て、他國へ逃給に、はるかなる山をへだてて、人の家あり。築地高 くつきめぐらして、一の門あり。そこに、人たてり。悦をなして、問ひ給に、 「これは、ひとりの長者の家なり。わ僧は何人ぞ」と問ふ。答ていはく、「日本 國より、佛法ならひつたへむとて、わたれる僧なり。しかるに、かく淺ましき 亂れにあひて、しばしかくれてあらんと思なり」といふに、「これは、おぼろけ に人のきたらぬ所也。しばらくこゝにおはして、世しづまりてのち出て、佛法 も習給へ」といへば、大師喜をなして、内へいりぬれば、門をさしかためて、 おくのかたに入に、しりにたちて行て見れば、さま※※の屋どもつくりつゞけ て、人多くさわがし。かたはらなる所に据ゑつ。 △さて佛法ならひつべき所やあると、見ありき給に、佛經、僧侶等すべて見え ず。うしろの方、山によりて一宅あり。よりて聞けば、人のうめく聲あまたす。 あやしくて、垣のひまより見給へば、人をしばりて、上よりつりさげて、下に つぼどもを据ゑて、血をたらし入る。淺ましくて、故を問へども、いらへもせ ず。大にあやしくて、又異所を聞けば、おなじくによふ音す。のぞきて見れば、 色あさましう青びれたる者どもの、やせ損じたる、あまた臥せり。一人を招き よせて、「これはいかなることぞ。かやうにたへがたげには、いかであるぞ」と 問へば、木のきれをもちて、細きかひなを差しいでて、土に書をみれば、「こ れは纐纈城なり。これへきたる人には、まづ物いはぬ藥を食はせて、次に肥ゆ る藥を食はす、さてその後、高き所につりさげて、ところ※ をさし切りて、 血をあやして、その血にて纐纈をそめて、うり侍なり。これをしらずして、か ゝる目をみるなり。食物の中に、ごまのやうにて、くろばみたるものあり。そ れは物いはぬ藥なり、さる物參らせたらば、食まねをして捨給へ。さて人の物 申さば、うめきのみうめき給へ。さて後に、いかにもして、逃べきしたくをし て、逃給へ。門はかたくさして、おぼろけにて逃べきやうなし」と、くはしく 教へければ、有つる居所に歸ゐ給ぬ。 △さる程に、人、食物もちてきたり。教へつるやうに、氣色のあるもの、中に あり。食ふやうにして、ふところに入て、のちにすてつ。人來りて物を問へば、 うめきて物ものたまはず。今はしおほせたりと思て、肥べき藥を、さま※※に して食はすれば、おなじく、食ふまねして食はず。人の立ちさりたるひまに、 丑寅の方にむかひて、「我山の三寶、たすけ給へ」と、手をすりて祈請し給に、 大なる犬一ぴき出できて、大師の御袖をくひて引。樣ありとおぼえて、引かた に出給に、思かけぬ水門のあるよりひき出しつ。外に出ぬれば、犬は失にけり。 △今はかうとおぼして、足のむきたるかたへ走り給ふ。はるかに山をこえて人 里あり。人あひて、「これは、いづかたよりはおはする人の、かくは走給ぞ」と 問ひければ、「かゝる所へ行たりつるが、逃てまかるなり」とのたまふに、「哀、 淺ましかりける事かな。それは纐纈城なり。かしこへ行ぬる人の歸ことなし。 おぼろけの佛の御助ならでは、出べきやうなし。あはれ、貴くおはしける人か な」とて、おがみてさりぬ。 △それよりいよ++逃のきて、又都へ入て、しのびておはするに、會昌六年に 武宗崩じ給ぬ。翌年大中元年、宣宗位につき給て、佛法ほろぼすことやみぬれ ば、思ひのごとく佛法ならひ給て、十年といふに、日本へ歸給て、眞言をひろ め給ひけりとなん。 一七一 渡天僧穴にいる事△卷一三ノ一一 △今は昔、唐に有ける僧の、天竺にわたりて、他事にあらず、たゞ物のゆかし ければ、物見にしあリきければ、所々みゆきけり。あるかた山に、大なる穴あ り。牛の在けるが、此穴に入けるを見て、ゆかしくおぼえければ、牛の行につ きて、僧も入けり。はるかに行きて、明き所へいでぬ。みまはせば、あらぬ世 界とおぼえて、見も知らぬ花の色いみじきが、咲きみだれたり。牛、此花を食 けり。試みにこの花を一房とりて食ひたりければ、うまきこと、天の甘露もか くあらんとおぼえて、目出かりけるまゝに、おほく食ひたりければ、たゞ肥に 肥えふとりけり。 △心えず、おそろしく思て、ありつる穴のかたへかへり行に、はじめはやすく 通りつる穴、身の太くなりて、せばくおぼえて、やう++として、穴の口まで は出でたれども、え出でずして、たへがたきことかぎりなし。まへを通る人に、 「これたすけよ」と、よばはりけれども、耳に聞きいるゝ人もなし。助る人も なかりけり。人の目にも何と見えけるやらん、ふしぎ也。日比重て死ぬ。後 は石に成て、穴の口に頭をさし出たるやうにてなん有ける。 △玄弉三藏天竺に渡給たりける日記に、此よし記されたり。 一七二 寂昭上人飛鉢事△卷一三ノ一二 △今は昔、三河入道寂昭といふ人、唐にわたりてのち、唐の王、やんごとなき 聖どもを召しあつめて、堂をかざりて、僧膳をまうけて、經を講じ給けるに、 王のたまはく、「今日の齋莚は、手ながの役あるべからず。おの++我鉢を飛せ やりて、物はうくべし」とのたまふ。其心は、日本僧を試んがためなり。 △さて諸僧、一座より次第に鉢を飛せて、物をうく。三川入道末座につきたり。 其番にあたりて、鉢をもちて立たむとす。「いかで。鉢をやりてこそうけめ」と て、人々制しとゞめけり。寂昭申けるは、「鉢を飛する事は、べつの法をおこな ひてするわざなり。しかるに、寂昭いまだこの法を傅行はず。日本國に於ても、 此法行ふ人ありけれど、末世には行ふ人なし。いかでか飛さん」といひてゐた るに、「日本の聖、鉢遲し+ 」とせめければ、日本の方に迎て祈念して云、 「我國の三寶△神祇たすけ給へ。恥見せ給な」と念じ入てゐたる程に、鉢こま つぶりのやうにくるめきて、唐の僧の鉢よりもはやく飛て、物をうけて歸ぬ。 その時、王よりはじめて、「止ことなき人なり」とて拝けるとぞ申傅たる。 一七三 清瀧川聖事△卷一三ノ一三 △今は昔、清瀧河のおくに、柴の庵をつくりておこなふ僧有ける。水ほしき時 は、水瓶を飛して、くみにやりて呑けり。年經にければ、かばかりの行者はあ らじと、時々慢心おこりけり。 △かゝりける程に、我ゐたる上ざまより、水瓶來て、水をくむ。いかなる者の、 又かくはするやらんと、そねましくおぼえければ、みあらはさんと思ふ程に、 例の水瓶飛來て、水をくみて行。其時、水瓶につきて行てみるに、水上に五六 十町上りて、庵見ゆ。行て見れば、三間斗なる庵あり。持佛堂、別にいみじく 造たり。まことに、いみじう貴とし。物きよくすまひたり。庭に橘の木あり。 木下に行道したる跡あり。閼伽柵のしたに、花がら多くつもれり。みぎりに苔 むしたり。かみさびたること限なし。窓のひまよりのぞけば、机に經多く卷さ したるなどあり。不斷香の煙みちたり。能見れば、歳七八十ばかりなる僧の貴 げなり。五鈷をにぎり、脇息におしかゝりて、眠ゐたり。 △此聖を試みんと思て、やはらよりて、火界咒をもちて加持す。火焔俄におこ りて庵につく。聖、眠ながら散杖をとりて、香水にさしひたして、四方にそゝ く。そのとき庵の火はきえて、我衣に火つきて、たゞやきにやく。下の聖、大 聲をはなちてまどふ時に、上の聖、めをみあげて、散杖を持て、下の聖の頭に そゝく。其時火きえぬ。上の聖いはく、「何料にかゝるめをばみるぞ」と問。 こたへて云、「これは、とし比、川のつらに庵をむすびて、おこなひ候修行者 にて候。此程、水瓶の來て、水をくみ候つるときに、いかなる人のおはします ぞと思候て、みあらはし奉らんとて參たり。ちと試みたてまつらんとて、加持 しつるなり。御ゆるし候へ。けふよりは御弟子になりて仕侍らん」といふに、 聖、人は何事いふぞとも思はぬげにてありけりとぞ。 △下の聖、我ばかり貴き者はあらじと、驕慢の心のありければ、佛の、にくみ て、まさる聖をまうけて、あはせられけるなりとぞ、かたり傅たる。 一七四 優婆崛多弟子事△卷一三ノ一四 △今は昔、天竺に、佛の御弟子優婆崛多といふ聖おはしき。如來滅後百年ばか りありて、其聖に弟子ありき。いかなる心ばへをか見給たりけん、「女人に近 づくことなかれ。女人に近づけば、生死にめぐること車輪のごとし」と、つね にいさめ給ければ、弟子の申さく、「いかなる事を御覽じて、たびたび、かや うにうけたまはるぞ。我も證果の身にて侍れば、ゆめ女に近づくことあるべか らず」と申。 △餘の弟子共も、此中にはことに貴き人を、いかなればかくのたまふらんと、 あやしく思けるほどに、この弟子の僧、物へ行とて河をわたりける時、女人出 來て、おなじく渡りけるが、たゞ流に流れて、「あらかなし。われをたすけ給へ。 あの御坊」といひければ、師ののたまひし事あり。耳に聞入じと思けるが、た ゞ流れにうきしづみ流れければ、いとほしくて、よりて手をとりて引わたしつ。 手のいと白くふくやかにて、いとよかりければ、この手をはなしえず。女、「今 [は]手をはづし給へかし」、物おそろしきものかなと、思たるけしきにていひ ければ、僧のいはく、「先世の契ふかきことやらん。きはめて心ざしふかく思ひ 聞ゆ。わが申さんこと、きゝ給ひてんや」といひければ、女こたふ、「たゞいま 死ぬべかりつる命を助け給たれば、いかなることなりとも、なにしにかは、い なみ申さん」といひければ、うれしく思て、萩、すゝきのおひ茂りたるところ へ、手をとりて、「いざ給へ」とて、引いれつ。 △おしふせて、たゞ犯に犯さんとて、股にはさまりてある折、この女を見れば、 我師の尊者なり。淺ましく思ひて、ひきのかんとすれば、優婆崛多、股につよ くはさみて、なんの料に、此老法師をば、かくはせたむるぞや。これや汝、女 犯の心なき證果の聖者なる」とのたまひければ、物學ず、はづかしくなりて、 はさまれたるを逃れんと〔すれど〕も、すべて強くはさみてはづさず。さてかく のゝしり給ければ、道行人集りてみる。あさましく、はづかしきこと限なし。 △かやうに諸人に見せて後、おき給て、弟子をとらへて寺へおはして、鐘をつ き、衆會をなして、大衆にこのよし語り給。人々笑ふ事かぎりなし。弟子の僧、 生きたるにもあらず、死たるにもあらずおぼえけり。かくのごとく、罪を懺悔 してければ、阿那含果をえつ。尊者、方便をめぐらして、弟子をたばかりて、 佛道に入しめ給けり。 一七五 △海雲比丘弟子童事△卷一四ノ一 △今は昔、海雲比丘、道を行給に、十餘歳斗なる童子、みちにあひぬ。比丘、 童に問て云、「何の料の童ぞ」とのたまふ。童答云、「たゞ道まかる者にて候」 といふ。比丘云、「なんぢは法華經はよみたりや」ととへば、童云、「法華經と 申らん物こそ、いまだ名をだにも聞き候はね」と申。比丘又いふ、「さらば我房 に具して行て、法華經教へん」とのたまへば、童「仰にしたがふべし」と申て、 比丘の御供に行。五臺山の坊に行きつきて、法華經を教へ給。 △經を習ほどに、小僧常に來て物語を申。たれ人としらず。比丘ののたまふ、 「つねに來る小大徳をば、童はしりたりや」と。童「しらず」と申。比丘の云、 「是こそ此山に住給文殊よ。我に物語しに來給也」と。かうやうに教へ給へ ども、童は文殊と云事もしらず候なり。されば、何とも思奉らず。比丘、童に のたまふ、「汝、ゆめ++女人に近づくことなかれ。あたりを拂て、なるゝこと なかれ」と。童、物へ行ほどに、葦毛なる馬に乘たる女人の、いみじく假粧し てうつくしきが、道にあひぬ。この女の云、「われ、この馬のくち引きてたべ。 道のゆゝしくあしくて、落ちぬべくおぼゆるに」といひけれども、童、みゝに も聞きいれずして行に、この馬あらだちて、女さかさまに落ちぬ。恨て云、「わ れを助よ。すでに死べくおぼゆるなり」といひけれども、猶みゝに聞入ず。我 師の、女人のかたはらへよることなかれとのたまひしにと思て、五臺山へかへ りて、女のありつるやうを比丘にかたり申て、「されども、みゝにも聞きいれ ずして歸ぬ」と申ければ、「いみじくしたり。その女は、文殊の化して、なんぢ が心を見給にこそあるなれ」とて、ほめ給ける。 △さる程に、童は法華經を一部よみ終にけり。其時、比丘のたまはく、「なん ぢ法華經をよみはてぬ。今は法師となりて受戒すべし」とて、法師になされぬ。 「受戒をば〔我は〕さづくべからず。東京に禪定寺にいまする、りん法師と申人、 この此おほやけの宣旨を蒙て、受戒を行給人なり。其人のもとへ行て受くべ きなり。たゞいまは汝を見るまじきことのあるなり」とて、泣給こと限りなし。 童の〔申〕、「受戒仕ては、則歸參り候べし。いかにおぼしめして、かく は仰候ぞ」と。又「いかなれば、かく泣かせ給ぞ」と申せば、「たゞかなしき ことの有なり」とて泣き給。さて童に、「戒師の許に行たらんに、「いづかたよ りきたる人ぞ」と問はば、「清涼山の海雲比丘のもとより」と申べきなり」と教 へ給て、なく++見送り給ぬ。 △童、おほせにしたがひて、りん法師のもとにゆきて、受戒すべきよし申けれ ば、案のごとく、「いづかたより來る人ぞ」と問給ければ、教へ給つるやう申け れば、りん法師驚て、「貴き事なり」とて、禮拝して云、「五臺山には文殊の かぎり住給所なり。なんぢ沙彌は、海雲比丘の善知識にあひて、文殊をよくお がみ奉りけるにこそありけれ」とて、貴ぶ事限なし。さて受戒して、五臺山へ 歸て、日ごろゐたりつる坊の在所を見れば、すべて人の住たるけしきなし。泣 々ひと山を尋ありけども、つひに在所なし。 △これは優婆崛多の弟子の僧、かしこけれども、心よはく、女に近づきけり。 これはいとけなけれども、心つよくて、女人に近づかず。かるが故に、文殊、 これを、かしこき者なれば、教化して佛道に入しめ給なり。されば世の人、戒 をばやぶるべからず。 一七六 △寛朝僧正勇力の事△卷一四ノ二 △今は昔、遍照寺僧正寛朝といふ人、仁和寺をもしりければ、仁和寺のやぶれ たるところ修理せさすとて、番匠どもあまたつどひて作けり。日暮て、番匠ど も、おの++出でてのちに、けふの造作はいかほどしたるぞとみむと思て、僧 正、中結ひうちして、たかあしだはきて、たゞひとり歩みきて、あかるくいど も結ひたるもとにたちまはりて、なま夕暮にみられける程に、くろき裝束した る男の、烏帽子引たれて、かほたしかにも見えずして、僧正の前に出來て、つ いゐて、刀をさかさまにぬきて、ひきかくしたるやうにもてなして居たりけれ ば、僧正「かれは何者ぞ」と問けり。男、かた膝をつきて、「わび人に侍り。寒 さのたへがたく侍に、そのたてまつりたる御衣、一二、おろし申さんと思給な り」といふまゝに、飛かゝらんと思たるけしきなりければ、「ことにもあらぬこ とにこそあんなれ。かくおそろしげにおどさずとも、たゞ乞はで、けしからぬ ぬしの心ぎはかな」といふまゝに、〔ちうと立ちめぐりて、尻をふたと蹴たりけ れば、蹴らるるまゝに〕、男かきけちて見えずなりにければ、やはら歩み歸て、 坊のもと近く行て、「人やある」と、たかやかによびければ、坊より、小法師走 來にけり。僧正「行て火ともして來よ。こゝに我衣はがんとしつる男の、俄に 失ぬるがあやしければ、見んと思ふぞ。法師ばら、よび具して來」と、のたま ひければ、小法師、走かへりて、「御坊ひはぎにあはせ給たり。御房たち、參 り給へ」と、よばゝりければ、坊々にありとある僧ども、火ともし、太刀さげ て、七八人、十人と出できにけり。 △「いづくにぬす人はさぶらふぞ」と問ければ、「爰にゐたりつる盜人の、我衣 をはがむとしつれば、はがれては寒かりぬべくおぼえて、しりをほうと蹴たれ ば、うせぬるなり。火を高くともして、かくれ居るかと見よ」とのたまひけれ ば、法師ばら「をかしくも仰らるゝかな」とて、火をうちふりつゝ、かみざま を見るほどに、あかるくいの中におちつまりて、えはたらかぬ男あり。「かしこ にこそ人は見え侍けれ。番匠にやあらんと思へども、くろき裝束したり」とい ひて、のぼりて見れば、あかるくいの中におちはさまりて、みじろぐべきやう もなくて、うんじ顏つくりてあり。さかてにぬきたりける刀は、いまだ持た り。それを見つけて、法師ばらよりて、刀も、もとどりも、かいなとを、とり てひきあげて、おろして率て參りたり。具して坊に歸りて、「今より後、老法師 とて、なあなづりそ。いとびんなきことなり」といひて、着たりける衣の中に、 綿あつかりけるをぬぎて、とらせて、追ひいだしてやりてけり。 一七七 經頼蛇にあふ事△卷一四ノ三 △昔、經頼といひける相撲の家のかたはらに、ふる河の有けるが、ふかき淵な る所ありけるに、夏、その川ちかく、木陰のありければ、かたびらばかり着て、 中ゆひて、あしだはきて、またぶり杖といふものつき、小童ひとり供に具して、 とかく歩きけるが、涼まんとて、そのふちのかたはらの木陰に居にけり。ふち 青くおそろしげにて、底もみえず。あし、こもなどいふ物、おひしげりたりけ るを見て、汀ちかくたてりけるに、あなたの岸は、六七たんばかりはのきたる らんと見ゆるに、水のみなぎりて、こなたざまに來ければ、なにのするにかあ らんと思程に、このかたの汀ちかくなりて、蛇の頭をさし出でたりければ、 「この蛇大ならんかし。とざまにのぼらんとするにや」と見立てりけるほどに、 蛇、かしらをもたげて、つく※※とまもりけり。 △いかに思ふにかあらんと思ひて、汀一尺ばかりのきて、はた近く立てみけ れば、しばしばかり、まもり+ て、頭を引入てけり。さてあなたの岸ざまに、 水みなぎると見ける程に、又こなたざまに水波たちてのち、蛇の尾を汀よりさ しあげて、わが立てる方ざまにさしよせければ、「この蛇、思ふやうのあるにこ そ」とて、まかせて見立てりければ、猶さしよせて、經頼が足を三四返ばかり まとひけり。いかにせんずるにかあらんと思て、立てるほどに、まとひ得て、き し++とひきければ、川に引きいれんとするにこそありけれと、その折に知り て、ふみつよりて立てりければ、いみじうつよく引と思ふほどに、はきたるあ しだのはをふみ折りつ。引倒されぬべきを、かまへてふみ直りて立てれば、つ よくひくともおろかなり。ひきとられぬべくおぼゆるを、足をつよくふみ立て ければ、かたつらに五六寸斗足をふみいれて立てりけり。よくひくなりと思 ふほどに、繩などの切るゝやうに切るゝまゝに、水中に血のさつとわき出づる 樣にみえければ、きれぬる也とて、足をひきければ、蛇引さしてのぼりけり。 △そのとき、足にまとひたる尾をひきほどきて、足を水にあらひけれども、蛇 の跡うせざりければ、「酒にてぞあらふ」と、人のいひければ、酒とりにやりて あらひなどしてのちに、從者共よびて、尾のかたを引あげさせたりければ、大 きなりなどもおろかなり。きり口の大さ、わたり一尺ばかりあるらんとぞ見え ける。かしらの方のきれを見せにやりたりければ、あなたの岸に大なる木の根 のありけるに、かしらのかたを、あまたかへりまとひて、尾をさしおこして、 あしをまとひて引なりけり。力おとりて、中より切れにけるなめり。我身の切 るゝをもしらず引きけん、あさましきことなりかし。 △其後蛇の力のほど、いくたりばかりの力にかありしとこゝろみんとて、大 なる繩を、蛇の卷たる所につけて、人十人ばかりして引かせけれども、「猶たら ず+ 」といひて、六十人ばかりかゝりて引きける時にぞ、「かばかりぞおぼえ し」といひける。それを思ふに、經頼が力は、さは百人ばかりが力をもたるに やとおぼゆるなり。 一七八 △魚養事△卷一四ノ四 △今は昔、遣唐使の、もろこしにあるあひだに、妻をまうけて、子を生せつ。 その子いまだいとけなき程に、日本に歸る。妻に契ていはく、「異遣唐使いかん につけて、消息やるべし、又此子、乳母はなれんほどには、むかへとるべし」 と契りて、歸朝しぬ。母、遣唐使のくるごとに、「消息やある」と尋れど、あへ て音もなし。母、おほきにうらみて、この兒をいだきて、日本へむきて、兒の くびに、「遣唐使それがしが子」といふふだ書きて、ゆひつけて、「宿世あら ば、親子の中に行合なん」といひて、海になげ入て歸ぬ。 △父、あるとき難波の浦のへんを行に、沖のかたに、鳥のうかびたるやうにて、 しろき物見ゆ。海ちかくなるまゝに見れば、童にみなしつ。あやしければ、馬 をひかへてみれば、いとちかくより來るに、四ばかりなる兒の、しろくおかし げなる、波につきてよりきたり。馬をうちよせてみれば、大なる魚のせなかに 乘り。從者をもちて、いだきとらせてみければ、くびにふだあり。「遣唐使そ れがしが子」と書けり。さは我子にこそありけれ、もろこしにていひ契し兒を 問はずとて、母が腹だちて、海になげいれてけるが、しかるべき縁ありて、か く魚にのりてきたるなめりと、あはれにおぼえて、いみじうかなしくてやしな ふ。遣唐使の行きけるにつけて、此よしを書きやりたりければ、母も、今はは かなき物に思けるに、かくと聞きてなん、希有のことなりと、よろこびける。 △さてこの子、おとなになるまゝに、手をめでたく書けり。魚にたすけられた りければ、名をば魚養とぞつけたりける。七大寺の額どもは、是が書きたるな りけりと。 一七九 新羅國后金榻事△卷一四ノ五 △是も今は昔、新羅國に后おはしけり。その后、忍てみそか男をまうけてけり。 御門このよしを聞き給て、后をとらへて、髮に繩をつけて上へつりつけて、あ しを二三尺引あげておきたりければ、すべきやうもなくて、心のうちに思給け るやう、かゝる悲しきめをみれども、たすくる人もなし、つたへてきけば、こ の國より東に、日本といふ國あなり、その國に長谷觀音と申佛現じ給なり、菩 薩の御慈悲、此國まで、聞えて、はかりなし、たのみをかけ奉らば、などかは助 給はざらんとて、めをふさぎて、念じ入給程に、金の榻足のしたにいできぬ。 それをふまへてたてるに、すべてくるしみなし。人の見るには、この榻見えず。 日比ありて、ゆるされ給ぬ。 △後に、后、もち給へる寶共をおほく、使をさして長谷寺に奉り給。その中に 大なるすゞ、かゞみ、かねのすだれ、今にありとぞ。かの觀音念じたてまつれ ば、他國の人もしるしを蒙らずといふことなしとなん。 一八〇 玉の價はかりなき事△卷一四ノ六 △これも今は昔、筑紫に大夫さだしげと申者ありけり。このごろある箱崎の大 夫のりしげが祖父なり。そのさだしげ、京上しけるに、故宇治殿に參らせ、又 わたくしの知りたる人々にも心ざゝむとて、唐人に、物を六七千疋が程借とて、 太刀を十腰ぞ質に置きける。 △さて京にのぼりて、宇治殿に參せ、思のまゝにわたくしの人々にやりなどし て、歸りくだりけるに、淀にて舟に乘けるほどに、人まうけしたりければ、こ れうくひなど、してゐたりける程に、はし舟にてあきなひする者どもよりきて、 「その物やかふ。かの物やかふ」など、尋問ひける中に、「玉をやかふ」といひ けるを、聞入る人もなかりけるに、さだしげが舍人のつかへけるをのこ、舟の へにたてりけるが、「こゝへもておはせ。見ん」といひければ、袴の腰より、あ こやの玉の、大なる豆斗ありけるを取出して、とらせたりければ、着たりける 水干をぬぎて、「これにかへてんや」といひければ、玉のぬしの男、所得したり と思けるに、まどひとりて、舟さしはなちていにければ、舍人も、たかくかひ たるにやと思けれども、まどひいにければ、くやしと思ふ+ 、袴の腰につゝ みて、こと水干着かへてぞありける。 △かゝるほどに、日數つもりて、博多といふ所に行つきにけり。さだしげ、舟 よりおるゝまゝに、物かしたりし唐人のもとに、「質はすくなかりしに、物はお ほくありし」などいはんとて、行たりければ、唐人も待悦て、酒のませなど して物語しける程に、此玉もちのをのこ、下種唐人に相て、「玉やかふ」といひ て、袴の腰より玉をとり出てとらせければ、唐人、玉をうけとりて、手のう へに置て、うちふりてみるまゝに、あさましと思たる顏けしきにて、「これはい くら程」と問ければ、ほしと思ひたる顏けしきをみて、「十貫」と云ければ、ま どひて、「十貫にかはん」といひけり。「まことは廿貫」といひければ、それを もまどひ、「かはん」といひけり。さては價たかきものにやあらんと思て、「た べ。まづ」と、乞ひけるを、惜しみけれども、いたく乞ひければ、我にもあら でとらせたりければ、「いまよく定めてうらん」とて、袴の腰につゝみて、のき にければ、唐人すべきやうもなくて、さだしげとむかひたる船頭がもとに來て、 其事ともなくさへづりければ、此船頭、うちうなづきて、さだしげにいふやう、 「御從者の中に、玉もちたるものあり。その玉とりて給はらん」といひければ、 さだしげ、人をよびて、「このともなる者の中に、玉もちたる者やある。それ尋 てよべ」といひければ、此さへづる唐人、走いでて、やがてそのをのこの袖を ひかへて、「くは、これぞ+ 」とて、引いでたりければ、さだしげ、「まこと に玉やもちたる」と問ければ、しぶ++に、さぶらふ由をいひければ、「いで、 くれよ」と乞はれて、袴の腰よりとり出たりけるを、さだしげ、郎等してとら せけり。それをとりて、向ゐたる唐人、手にいれうけ取て、うちふりてみて、 たち走り、うちにいりぬ。何事にかあらんとみる程に、さだしげが七十貫が質 に置きし太刀共を、十ながらとらせたりければ、さだしげは、あきれたるやう にてぞ有ける。古水干一にかへたる物を、そこばくの物にかへてやみにけん、 げにあきれぬべきことぞかし。 △玉の價はかぎりなき物といふことは、今始たることにはあらず。筑紫に、た うしせうずといふ者あり。それがかたりけるは、物へ行ける道に、をのこの、 「玉やかふ」といひて、反故のはしにつゝみたる玉を、ふところよりひき出て、 とらせたりけるをみれば、もくれんじよりも小き玉にてぞありける。「これは いくら」と問ひければ、「きぬ廿疋」といひければ、あさましと思て、物へいき けるをとゞめて、玉持のをのこ具して家に歸て、きぬのありけるまゝに、六十 疋ぞとらせたりける。「これは廿疋のみはすまじきものを。すくなくいふがい とほしさに、六十疋をとらする也」といひければ、をのこ悦ていにけり。 △その玉をもちて、唐にわたりてけるに、道のほどおそろしかりけれども、身 をもはなたず、まもりなどのやうに、くびにかけてぞありける。あしき風の吹 ければ、唐人は、あしき波風に合ぬれば、舟のうちに一の寶と思ふ物を海に入 なるに、「このせうずが玉を海にいれん」といひければ、せうずがいひけるやう は、「この玉を海にいれては、生きてもかひあるまじ。たゞわが身ながら入ばい れよ」とて、かゝへてゐたり。さすがに人をいるべきやうもなかりければ、と かくいひけるほどに、玉うしなふまじき報やありけん、風直りにければ、よろ こびて、いれずなりにけり。その舟の一の船頭といふ者も、大なる玉もちたり けれども、それはすこしひらにて、此玉にはおとりてぞありける。 △かくて唐に行つきて、「玉かはん」といひける人のもとに、船頭が玉を、この せうずにもたせてやりけるほどに、みちに落してけり。あきれさわぎて、歸も とめけれども、いづくにあらんずると思わびて、我玉を具して、「そこの玉落 しつれば、すべきかたなし。それがかはりにこれをみよ」とて、とらせたれば、 「我玉はこれにはおとりたりつるなり。その玉のかはりに、この玉を得たらば、 罪ふかゝりなん」とて、かへしけるぞ、さすがにこゝの人にはたがひたりける。 この國の人ならば取らざらんやは。 △かくて、此うしなひつる玉のことを歎く程に、あそびのもとにいにけり。ふ たり物語しけるついでに、むねをさぐりて、「などむねはさわぐぞ」と問ひけれ ば、「しか※※の人の玉を落して、それが大事なる事を思へば、むねさわぐぞ」 といひければ、「ことわりなり」とぞ云ける。 △さて歸て後、二日斗ありて、このあそびのもとより、「さしたることなんいは んと思ふ。今の程、時かはさず來」といひければ、何事かあらんとて、いそぎ 行たりけるを、例の入方よりは入れずして、かくれ〔の〕かたよりよび入れけれ ば、いかなる事にかあらんと、思ふ+ 入りたりければ、「これは、もしそれに 落したりけん玉か」とて、とり出たるを見れば、たがはずその玉なり。「こは いかに」と、あさましくて問へば、「こゝに玉うらんとてすぎつるを、さる事 いひしぞかしと思て、よび入れてみるに、玉の大なりつれば、もしさもやと思 て、いひとゞめて、よびにやりつるなり」といふに、「こともおろかなり。いづ くぞ、その玉もちたりつらん者は」といへば、「かしこにゐたり」といふを、よ びとりてやりて、玉の主のもとに率て行て、「これは、しかじかして、其程に 落したりし玉なり」といへば、えあらがはで、「其程にみつけたる玉なりけり」 とぞいひける。いさゝかなるものとらせてぞやりける。 △さて、その玉を返してのち、唐綾一をば、唐には美濃五疋が程にぞ用ゐるな る。せうずが玉をば、唐綾五千たんにぞかへたりける。その價のほどを思ふに、 爰にては、絹六十疋にかへたる玉を、五萬貫にうりたるにこそあんなれ。それ を思へば、さだしげが七十貫が質をかへしたりけんも、おどろくべくもなきこ とにてありけりと、人のかたりしなり。 一八一 北面女雜仕六事△卷一四ノ七 △是も今は昔、白川院の御時、北おもてのざうしにうるせき女ありけり。名を ば六とぞいひける。殿上人ども、もてなし興じけるに、雨うちそぼふりて、つ れ※※なりける日、ある人、「六よびて、つれ※※なぐさめん」とて、使をやり て、「六よびて來」といひければ、ほどもなく、「六召して參りて候」といひけ れば、「あなたより内の出居のかたへ具して来」といひければ、さぶらひ、いで きて、「こなたへ參り給へ」といへば、「びんなく候」などいへば、侍、歸きて、 「召し候へば、「びんなくさぶらふ」と申て、恐申候なり」といへば、つきみ て云にこそと思ひて、「などかくはいふ。たゞ來」といへども、「ひが事にてこ そ候らめ。さき※※も内御出居などへ參事も候はぬに」といひければ、このお ほくゐたる人々「たゞ參り給へ。やうぞあるらん」とせめければ、「ずちなき恐 に候へども、めしにて候へば」とて參る。 △このあるじ見やりたれば、刑部録といふ廳官、びんひげに白髮まじりたる が、とくさの狩衣に青袴きたるが、いとことうるはしく、さや++となりて、 扇を笏にとりて、すこしうつぶして、うずくまり居たり。大かたいかにいふべ しともおぼえず、物もいはれねば、此廳官、いよ++おそれかしこまりてう つぶしたり。あるじ、さてあるべきならねば、「やゝ廳には又何者か候」と いへば、「それがし、かれがし」といふ。いとげに++しくもおぼえずして、廳 官、うしろざまへすべりゆく。此あるじ、「かう宮仕へするこそ、神妙なれ。 見參には必いれんずるぞ。とう罷りね」とこそやりけれ。 △此六、のちに聞て笑ひけるとか。 一八二 仲胤僧都連歌事△卷一四ノ八 △是も今は昔、青蓮院の座主のもとへ、七宮わたらせ給たりければ、御つれ ※※なぐさめ參らせんとて、若き僧網、有職など、庚申して遊けるに、上童の いとにくさげなるが、瓶子取などしありきけるを、ある僧、しのびやかに、 △△うへわらは大童子にも劣りたり と連歌にしたりけるを、人々しばし案ずる程に、仲胤僧都、その座にありける が、「やゝ、胤、はやうつきたり」といひければ、わかき僧たち、「いかに」と、 かほをまもりあひ侍けるに、仲胤は、 △△祇園の御會を待ばかりなり とつけたりけり。 △これを、おの++、「此連歌はいかにつきたるぞ」と、忍びやかにいひあひけ るを、仲胤、きゝて、「やゝ、わたう、連歌だにつかぬとつきたるぞかし」とい ひたりければ、これを聞つたへたる者ども、一度に、はつと、とよみ笑ひけりとか。 一八三 大將つゝしみの事△卷一四ノ九 △是も今は昔、「月の、大將星をおかす」と云勘文を奉れり。よりて「近衞大將、 重くつゝしみ給べし」とて、小野宮右大將は、さま※※の御祈共ありて、春 日社、山階寺などにも、御祈あまたせらる。 △其時の左大將は、枇杷左大將仲平と申人にてぞおはしける。東大寺の法藏僧 都は、この左大將の御祈りの師也。さだめて御祈りのことありなんと待に、音 もし給はねば、覺束なきに京に上りて、枇杷殿に參りぬ。殿、あひ給て、「何事 にてのぼられたるぞ」とのたまへば、僧都申けるやう、「奈良にてうけたまはれ ば、左右大將つゝしみ給べしと、天文博士かんがへ申たりとて、右大將殿は、 春日社、山階寺などに御祈りさま※※に候へば、殿よりもさだめて候なんと思 給て、案内つかうまつるに、さることもうけたまはらずと、皆申候へば、おぼつ かなく思給て參り候つるなり。猶御祈候はんこそよく候はめ」と申ければ、左 大將のたまふやう、「もともしかるべきことなり。されどおのが思ふやうは、大 將のつゝしむべしと申なるに、おのれもつゝしまば、右大將のためにあしうも こそあれ。かの大將は、才もかしこくいますかり。年もわかし。ながくおほや けにつかうまつるべき人なり。おのれにおきては、させることもなし。年も老 たり。いかにもなれ、何條ことかあらんと思へば、いのらぬなり」とのたまひ ければ、僧都、ほろ++と打泣て、「百萬の御祈にまさるらん。この御心の定に ては、ことのおそり更に候はじ」といひてまかでぬ。 △されば、實に事なくて、大臣になりて、七十餘までなんおはしける。 一八四 御堂關白御犬晴明等奇特の事△卷一四ノ一〇 △今は昔、御堂關白殿、法成寺を建立し給て後は、日ごとに、御堂へ參らせ給 けるに、白き犬を愛してなん飼せ給ければ、いつも御身をはなれず御供しけり。 ある日例のごとく御供しけるが、門を入らむとし給へば、この犬、御さきにふ たがるやうにまはりて、うちへ入れたてまつらじとしければ、「何條」とて、車 よりおりて、入らんとし給へば、御衣のすそをくひて、ひきとゞめ申さんとし ければ、「いかさま、樣ある事ならん」とて、榻を召しよせて、御尻をかけて、 晴明に、「きと參れ」と、召につかはしたりければ、晴明則參りたり。 △「かゝることのあるはいかゞ」と尋給ければ、晴明、しばしうらなひて、申 けるは、「これは君を呪咀し奉りて候物を、みちにうづみて候。御越あらまし かば、あしく候べき。犬は通力のものにて、つげ申て候なり」と申せば、「さて、 それはいづくにかうづみたる。あらはせ」とのたまへば、「やすく候」と申て、 しばしうらなひて、「こゝにて候」と申所を、掘らせてみ給に、土五尺ばかり堀 たりければ、案のごとく物ありけり。土器を二うちあはせて、黄なる紙捻にて 十文字にからげたり。ひらいて見れば、中には物もなし。朱砂にて、一文字を 土器のそこに書きたる斗なり。「晴明が外には、しりたる者候はず。もし道摩 法師や仕たるらん。糺して見候はん」とて、ふところより紙をとり出し、鳥 のすがたに引むすびて、呪を誦じかけて、空へなげあげたれば、たちまちに、 しらさぎになりて、南をさして飛行けり。「此鳥のおちつかん所をみて參れ」 とて、下部を走らするに、六條坊門萬里小路邊に、古たる家の諸折戸の中へお ち入にけり。すなはち、家主、老法師にてありける、からめ取て參りたり。呪 咀の故を問るゝに、「堀川左大臣顯向公のかたりをえて仕たり」とぞ申ける。 「このうへは、流罪すべけれども、道摩がとがにはあらず」とて、「向後、かゝ るわざすべからず」とて、本國播磨へ、追ひくだされにけり。 △此顯光公は、死後に怨靈となりて、御堂殿邊へはたゝりをなされけり。惡靈 左府となづく云々。犬はいよ++不便にせさせ給けるとなん。 一八五 △高階俊平が弟入道算術事△卷一四ノ一一 △これも今は昔、丹後前司高階俊平といふ者有ける。のちには法師になりて、 丹後入道とてぞ有ける。それが弟にて、司もなくてあるものありけり。それが、 主のともにくだりて、筑紫に在けるほどに、あたらしく渡りたりける唐人の、 算いみじく置く有けり。それにぞあひて、「算置くことならはん」といひければ、 はじめは心にも入で、教へざりけるを、すこし置かせてみて、「いみじく算置き つべかりけり。日本にありては、何にかはせん。日本にさん置く道、いとしも かしこからぬ所なり。我に具して唐にわたらんと言はば、教へん」といひけれ ば、「よくだに教へて、その道にかしこくだにもなりなば、いはんにこそしたが はめ。唐にわたりても、用られてだにありぬべくは、いはんにしたがひて、唐 にも具せられていかん」なんど、ことよく言ひければ、それになんひかれて、 心に入て教ける。 △教ふるにしたがひて、一事をきゝては、十事もしるやうになりければ、唐人 もいみじくめでて、「我國にさん置くものはおほかれど、汝ばかりこの道に心得 たるものはなきなり。かはらず我に具して、唐へわたれ」といひければ、「さ らなり。いはんにしたがはむ」と云ゐけり。「この算の道には、病する人を置 やむる術もあり。又病せねども、にくし、ねたしと思ふものを、たち所に置き 殺す術などあるも、さらに惜しみかくさじ。ねんごろにつたへむとす。たしか にわれに具せんといふちか事たてよ」といひければ、まほにはたてず、すこし はたてなどしければ、「なほ人殺す術をば、唐へわたらん舟の中にて傳む」と て、異事どもをば、よく教へたりけれども、その一事をばひかへて、教へざり けり。 △かゝるほどに、よく習ひつたへてけり。それに、俄に、主の、ことありての ぼりければ、そのともにのぼりけるを、唐人、聞きてとゞめけれども、「いかで、 とし比の君の、かゝることありて、にはかにのぼり給はん、送りせではあらん。 思ひしり給へ。約束をばたがふまじきぞ」などすかしければ、げにと唐人思ひ て、「さは、かならず歸りてこよ。けふあすにても、唐へかへらんと思ふに、君 のきたらんを待つけて、わたらん」といひければ、その契りをふかくして、京 にのぼりにけり。世中のすさまじきまゝには、やをら唐にや渡りなましと思ひ けれども、京にのぼりにければ、したしき人々にいひとゞめられて、俊平入道 など聞きて、制しとゞめければ、筑紫へだに、え行かずなりにけり。 △この唐人は、しばしは待ちけるに、音もせざりければ、わざと使おこせて、 文を書て、恨おこせけれども、「年老たる親のあるが、けふあすともしらねば、 それがならんやう見はてて、いかむと思也」といひやりて、行かずなりにけれ ば、しばしこそ待けれども、はかりけるなりけりと思へば、唐人は唐に歸渡て、 よくのろひて行にけり。はじめは、いみじく、かしこかりけるものの、唐人に のろはれてのちには、いみじくほうけて、ものもおぼえぬやうにてありければ、 しわびて、法師になりてけり。入道の君とて、ほうけ+ として、させる事な き者にて、俊平入道がもとと、山寺などに通てぞありける。 △ある時、わかき女房どものあつまりて、庚申しける夜、此入道君、かたすみ に、ほうけたるていにて居たりけるを、夜ふけけるまゝに、ねぶたがりて、中 にわかくほこりたる女房のいひけるやう、「入道の君こそ。かゝる人はをかし き物語などもするぞかし。人々わらひぬべからん物語し給へ。わらひてめをさ まさん」といひければ、入道、「おのれは口てづゝにて、人の笑給ばかりの物 語は、えしり侍らじ。さは有ども、わらはんとだにあらば、わらはかし奉て んかし」と云ければ、「物語はせじ、たゞわらはかさんとあるは、猿樂をし給 ふか。それは物語よりは、まさることにてこそあらめ」と、まだしきに笑ひけ れば、「さも侍らず。たゞ、わらはかし奉らんと思なり」といひければ、「こは 何事ぞ。とく笑はかし給へ。いづら+ 」とせめられて、なににかあらん、物 もちて、火のあかき所へ出来りて、何事せんずるぞと見れば、算の袋をひきと きて、算をさら++と出しければ、これをみて、女房ども、「これ、をかしきこ とにてあるかあるか、いざ++わらはん」など、あざけるを、いらへもせで、 さんをさら++と置きゐたりけり。 △置きはてて、ひろさ七八分斗の算の有けるを一取いでて、手にさゝげて、「御 ぜんたち、さは、いたく笑ひ給て、わび給なよ。いざ、わらはかし奉らん」と いひければ、「そのさむさゝげ給へるこそ、をこがましくてをかしけれ。なに ごとにて、わぶ斗は笑はんぞ」など、いひあひたりけるに、その八分ばかりの さんを、置き加ふると見れば、ある人みなながら、すゞろにゑつぼに入にけり。 いたく笑て、とゞまらんとすれどもかなはず。腹のわた、きるゝ心ちして、死 ぬべくおぼえければ、涙をこぼし、すべきかたなくて、ゑつぼにいりたるもの ども、物をだにえ言はで、入道にむかひて、手をすりければ、「さればこそ申つ れ。笑ひあき給ぬや」といひければ、うなづきさわぎて、ふしかへり、笑ふ+ 手をすりければ、よくわびしめてのちに、置たるさむを、さら++とおしこぼ ちたりければ、笑ひさめにけり。「いましばしあらましかば、死なまし。又かば かりたへがたきことこそなかりつれ」とぞいひあひける。笑ひこうじて、あつ まりふして、病むやうにぞしける。かゝれば、「人を置きころし、置きいくる術 ありといひけるをも傳へたらましかば、いみじからまし」とぞ、人もいひける。 △算の道は恐しきことにぞありけるとなん。 一八六 清見原天皇と大友皇子と合戰の事△卷一五ノ一 △今は昔、天智天皇の御子に、大友皇子といふ人ありけり。太政大臣になりて、 世の政を行てなん有ける。心の中に、御門うせ給なば、次の御門には我ならん と思給けり。清見原の天皇、そのときは春宮にておはしましけるが、此けしき をしらせ給ければ、大友皇子は、時の政をし、世のおぼえも威勢も猛なり、 我は春宮にてあれば、勢も及べからず、あやまたれなんと、おそりおぼして、 御門やまひつき給すなはち、「吉野山の奧に入て、法師になりぬ」といひて、こ もり給ぬ。 △其時、大友皇子に、人申けるは、「春宮を吉野山にこめつるは、虎に羽をつけ て、野に放ものなり。おなじ宮に据ゑてこそ、心のまゝにせめ」と申ければ、 げにもとおぼして、軍をとゝのへて、迎奉るやうにして、殺し奉んとはかり 給ふ。此大友皇子の妻にては、春宮の御女ましければ、父の殺され給はんこと をかなしみ給て、いかで、此こと告申さむとおぼしけれど、すべきやうなかり けるに、思わび給て、鮒のつゝみやきのありける腹に、小さくふみをかきて、 押しいれて奉り給へり。春宮これを御覽じて、さらでだにおそれおぼしけるこ となれば、「さればこそ」とて、いそぎ下種の狩衣、袴を着給うて、藁沓をは きて、宮のひとにもしられず、たゞ一人、山を越て、北ざまにおはしける程に、 山城國田原といふ所へ、道もしり給はねば、五六日にぞ、たどる+ おはしつ きにける。其里人、あやしく、けはひのけだかくおぼえければ、高杯に栗をや き、またゆでなどして參らせたり。その二色の栗を、「思ふ事かなふべくは、お ひ出て木になれ」とて、かたやまのそへにうづみ給ぬ。里人これをみて、あや しがりて、しるしをさして置きつ。 △そこを出で給て、志摩國ざまへ、山にそひて出給ぬ。その國の人、あやしが りて、問たてまつれば、「道にまよひたる人なり。喉かはきたり。水のませよ」 と、仰られければ、大なるつるべに、水をくみて、參らせたりければ、喜て仰 られけるは、「なんぢが族に、此國の守とはなさむ」とて、美濃國へおはしぬ。 △この國のすのまたのわたりに、舟もなくて立給たりけるに、女の、大なる舟 に布いれて、あらひけるに、「この渡り、なにともして渡してんや」とのたまひ ければ、女申けるは、「一昨日、大友の大臣の御使といふ者きたりて、渡の舟ど も、みなとりかくさせていにしかば、これを渡し奉りたりとも、おほくの渡り、 え過させ給まじ。かくはかりぬることなれば、いま、軍責きたらんずらん。い かゞしてのがれ給べき」といふ。「さてはいかゞすべき」とのたまひければ、女 申けるは、「見奉るやう、たゞにはいませぬ人にこそ。さらばかくし奉む」と いひて、湯舟をうつぶしになして、その下にふせ奉りて、上に布をおほく置き て、水くみかけて、あらひゐたり。しばしばかりありて、兵四五百人斗きた り。女に問うていはく、「是より人やわたりつる」といへば、女のいふやう、 「やごとなき人の、軍千人ばかり具しておはしつる。今は信濃國には入給ぬら ん。いみじき龍のやうなる馬に乘て、飛がごとくしておはしき。この少勢にて は、追ひつき給たりとも、みな殺され給なん。これより歸て、軍をおほくとゝ のへてこそ追ひ給はめ」と云ければ、まことに思て、大友皇子の兵、引かへ しにけり。 △そののち、女に仰られけるは、「この邊に、軍催さんに、出きなんや」と、問 ひ給ければ、女走まどひて、その國の、宗とあるものどもを、もよほしかたら ふに、すなはち二三千人ばかり、兵出來にけり。それをひき具して、大友皇 子を追ひ給に、近江の國大津といふ所に、追ひつけてたゝかふに、皇子の軍や ぶれて、ちり※※に逃ける程に、大友皇子、遂に山崎にてうたれ給て、頭をと られぬ。それより春宮、大和國に歸おはしてなん、位につき給けり。 △田原にうづみ給し燒栗、ゆで栗は、かたちもかはらず生出けり。今に、田原 の御栗とて、奉るなり。志摩の國にて水めさせたる者は、高階氏の者なり。さ ればそれが子孫、國守にてはあるなり。その水めしたりしつるべは、いまに藥 師寺にあり。すのまたの女は、不破の明神にてまし++けりとなん。 一八七 △頼時が胡人みたる事△卷一五ノ二 △今は昔、胡國といふは、唐よりもはるかに北ときくを、陸奧の地につゞきた るにやあらんとて、宗任法師とて、筑紫にありしが、かたり侍けるなり。 △この宗任が父は頼時とて、陸奧のゑびすにて、おほやけに隨がひ奉らずとて、 せめんとせられけるほどに、「いにしへより今にいたるまで、おほやけに勝奉る ものなし。我はあやまたずと思へども、責をのみかうぶれば、はるくべきかた なきを、おく地より北にみ渡さるゝ地あんなり。そこにわたりて、ありさまを みて、さてもありぬべき所ならば、我にしたがふ人のかぎりを、みな率てわた して、住まん」といひて、まづ舟一をとゝのへて、それにのりて行たりける人 々、頼時、厨川の二郎、鳥海の三郎、さては又、むつまじき郎等ども廿人ば かり、食物、酒などおほくいれて、舟を出してければ、いくばくもはしらぬほ どに、見わたしなりければ、わたりけり。 △左右は、はるかなるあしはらぞ有ける。大なる川の湊をみつけて、その湊に さしいれにけり。「人や見ゆる」と見けれども、人げもなし。「陸にのぼりぬべ き所や有」と見けれども、あしはらにて、道ふみたるかたもなかりければ、「も し人氣する所やある」と、川をのぼりざまに、七日までのぼりにけり。それが、 たゞおなじやうなりければ、「あさましきわざかな」とて、猶廿日ばかりのぼり けれども、人のけはひもせざりけり。 △三十日ばかりのぼりけるに、地のひゞくやうにしければ、いかなることのあ るにかと、おそろしくて、あしはらにさしかくれて、ひゞくやうにするかたを のぞきて見ければ、胡人とて繪にかきたるすがたしたるものの、あかき物にて 頭ゆひたるが、馬に乘つれて、うち出たり。「これはいかなる者ぞ」とみる程、 うちつゞき、かずしらず出きにけり。 △川原のはたにあつまりたちて、聞きもしらぬことをさへづりあひて、川には ら++と打入て渡ける程に、千騎ばかりやあらんとぞ見えわたる。これが足音 のひゞきにて、はるかに聞えけるなりけり。かちの者をば、馬にのりたる者の そばに、引つけ+ して渡りけるをば、たゞかち渡りする所なめりと見けり。 三十日ばかりのぼりつるに、一所も瀬なかりしに川なれば、かれこそわたる瀬 なりけれと見て、人過てのちにさしよせて見れば、おなじやうに、そこひもし らぬ淵にてなんありける。馬筏をつくりて泳がせけるに、かち人はそれにとり つきて渡りけるなるべし。 △猶のぼるとも、はかりもなくおぼえければ、おそろしくて、それより歸にけ り。さていくばくもなくてぞ、頼時は失にける。されば胡國と日本の東のおく の地とは、さしあひてぞあんなると申ける。 一八八 賀茂祭かへり武正兼行御覽事△卷一五ノ三 △是も今は昔、賀茂祭のともに、下野武正、秦兼行つかはしたりけり。そのか へさ、法性寺殿、紫野にて御覽じけるに、武正、兼行、殿下御覽ずと知りて、 ことに引つくろひてわたりけり。武正ことに氣色してわたる。つぎに兼行又わ たる。おの++、とり※※にいひ知らず。 △殿、御覽じて、「今一度北へわたれ」と仰ありければ、又北へわたりぬ。さて あるべきならねば、また南へ歸わたるに、このたびは、兼行さきに南へわたり ぬ。つぎに武正わたらんずらんと、人々まつほどに、武正やゝ久しく見えず。 こはいかにと思ふ程に、むかひに引たる幔より東をわたるなりけり。いかに + と待けるに、幔の上より冠のこじばかり見えて南へわたりけるを、人々、 猶すぢなきものの心ぎはなりと、ほめけりとか。 一八九 門部府生海賊射かへす事△卷一五ノ四 △これもいまは昔、門部の府生といふ舍人ありけり。わかく、身はまづしくて ぞありけるに、まゝきを好みて射けり。よるも射ければ、わづかなる家のふき 板をぬきて、ともして射けり。妻もこの事をうけず、近邊の人も、「あはれ、よ しなき事し給ものかな」といへども、「我家もなくて的射むは、たれもなにか苦 しかるべき」とて、なをふき板をともして射る。これをそしらぬもの、ひとり もなし。 △かくするほどに、ふき板みなうせぬ。はてには、たる木、こまいを、わりた きつ。又後には、むね、うつばり、燒つ。のちには、けた、柱、みなわりたき、 「これ、あさましきもののさまかな」と、いひあひたるほどに、板敷、したげ たまでも、みなわりたきて、隣の人の家にやどりけるを、家主、此人のやうた いを見るに、此家もこぼちたきなんぞと思て、いとへども、「さのみこそあれ、 待給へ」などいひてすぐるほどに、よく射よし聞えありて、めし出されて、の りゆみつかうまつるに、めでたく射ければ、叡感ありて、はてには相撲の使に くだりぬ。 △よき相撲どもおほく催し出ぬ。又かずしらず物まうけて、のぼりけるに、か ばね嶋といふ所は、海賊のあつまる所なり。すぎ行程に、具したるもののいふ やう、「あれ御覽候へ。あの舟共は、海賊の舟どもにこそ候めれ。こはいかゞせ させ給べき」といへば、この門部の府生いふやう、「をのこ、なさわぎそ。千萬 人の海賊ありとも、いまみよ」といひて、皮子より、のりゆみの時着たりける 裝束とりいでて、うるはしく裝束きて、冠、老懸など、あるべき定にしければ、 從者ども「こは物にくるはせ給か。かなはぬ迄も、たてづきなどし給へかし」 と、いりめきあひたり。うるはしくとりつけて、かたぬぎて、めて、うしろ見 まはして、屋形のうへに立て、「今は四十六歩により來にたるか」といへば、 從者ども「大かたとかく申に及ばず」とて、黄水をつきあひたり。「いかに、か くより來にたるか」といへば、「四十六歩に、ちかづきさぶらひぬらん」といふ 時に、上屋形へ出て、あるべきやうに弓立して、弓をさしかざして、しばしあ りて、うちあげたれば、海賊が宗徒のもの、くろばみたる物着て、あかき扇を ひらきつかひて、「とく++こぎよせて、のりうつりて、うつしとれ」といへど も、この府生、さわがずして、ひきかためて、とろ++とはなちて、弓倒して見 やれば、この矢、目にもみえずして、宗徒の海賊がゐたる所へ入ぬ。はやく左 の目に、いたつきたちにけり。海賊、「や」といひて、扇をなげすてて、のけざ まに倒れぬ。矢をぬきて見るに、うるはしく、たゝかひなどする時のやうにも あらず、ちりばかりの物なり。これをこの海賊ども見て、「やゝ、これは、うち ある矢にもあらざりけり。神箭なりけり」といひて、「とく++、おの++こぎ もどりね」とて、逃にけり。 △其時、門部府生、うす笑ひて、「なにがしらがまへには、あぶなくたつ奴ばら 哉」といひて、袖うちおろして、こつばきはきてゐたりけり。海賊、さわぎ逃 げける程に、ふくろひとつなど、少々物ども落したりける、海にうかびたりけ れば、此府生とりて、笑てゐたりけるとか。 一九〇 土佐判官代通清人違して關白殿にあひ奉る事△卷一五ノ五 △これもいまは昔、土佐判官代通清といふものありけり。歌をよみ、源氏、狹 衣などをうかべ、花の下、月の前とすきありきけり。かゝるすき者なれば、後 徳大寺左大臣「大内の花みんずるに、かならず」といざなはれければ、通清、 めでたきことにあひたりと思て、やがて破車にのりてゆくほどに、跡より車二 三斗して人のくれば、うたがひなきこの左大臣のおはすると思て、尻の簾をか きあげて、「あなうたて+ 、とく++おはせ」と、扇をひらいてまねきけり。 はやう關白殿の物へおはしますなり〔けり〕。招くを見て、御ともの隨身、馬を 走らせてかけよせて、車の尻の簾を、かり落してけり。其時ぞ、通清あわてさ わぎて、まへより、まろびおちけるほどに、烏帽子おちにけり。いと++ふび んなりけりとか。 △すきぬるものは、すこしをこにもありけるにや。 一九一 極樂寺僧施仁王經驗事△卷一五ノ六 △是もいまはむかし、堀川太政大臣と申人、世心地大事にわづらひ給ふ。御 祈ども、さま※※にせらる。世にある僧どもの、參らぬはなし。參りつどひて、 御祈どもをす。殿中さわぐことかぎりなし。 △爰に、極樂寺は、殿の造給へる寺也。その寺に住ける僧ども、「御祈りせよ」 といふ仰もなかりければ、人もめさず。このときに、ある僧の思けるは、「御寺 にやすく住ことは、殿の御徳にてこそあれ。殿うせ給なば、世にあるべきやう なし。めさずとも參らん」とて、仁王經をもち奉りて、殿に參て、物さわがし かりければ、中〔門〕の北の廊のすみにかゞまりゐて、つゆめも見かくる人もな きに、仁王經他念なくよみ奉る。 △二時斗有て、殿仰らるゝやう、「極樂寺の僧、なにがしの大徳やこれにある」 と尋給に、ある人、「中門のわきの廊に候」と申ければ、「それ、こなたへよべ」 と仰せらるゝに、人々あやしと思、そこばくのやんごとなき僧をば召さずして、 かく參りたるをだに、よしなしと見ゐたるをしも、めしあれば、心もえず思へ ども、行て、召すよしをいへば、參る。高僧共の着並びたる後の縁に、かゞま りゐたり。「さて參りたるか」と問はせ給へば、南のすのこに候よし申せば、 「内へよび入よ」とて、臥給へる所へめし入らる。むげにものも仰せられず、 重くおはしつるに、この僧めすほどの御氣色、こよなくよろしく見えければ、 人々あやしく思けるに、のたまふやう、「ねたりつる夢に、おそろしげなる鬼ど もの、我身をとり※※にうちれうじつるに、びんづらゆひたる童子の、ずはえ 持たるが、中門の方より入りきて、ずはえして、この鬼どもをうちはらへば、 鬼どもみな逃ちりぬ、「何ぞの童のかくはするぞ」と問ひしかば、「極樂寺のそ れがしが、かくわづらはせ給事、いみじう歎き申て、年來よみたてまつる仁王 經を、けさより中門のわきにさぶらひて、他念なくよみ奉て祈申侍る。そ の聖の護法の、かくやませたてまつる惡鬼どもを、追ひ拂侍る也」と申とみて、 夢さめてより、心地のかいのごふやうによければ、その悦いはんとて、よびつ るなり」とて、手をすりて拜ませ給て、棹にかゝりたる御衣を召て、かづけ給。 「寺に歸て、なほ++御祈りよく申せ」と仰らるれば、よろこびてまかり出る ほどに、僧俗の見思へるけしき、やんごとなし。中門の脇に、ひめもすにかゞ みゐたりつる、おぼえなかりしに、ことの外美々しくてぞまかり出にける。 △されば、人の祈りは、僧の淨、不淨にはよらぬ事なり。たゞ心に入たるが驗 あるもの也。「母の尼して、祈りをばすべし」と、昔よりいひつたへたるも、こ の心なり。 一九二 △伊良縁野世恒 沙門御下文事△卷一五ノ七 △今は昔、越前の國に、伊良縁の世恒といふ者ありけり。とりわきてつかうま つる●沙門に、物もくはで、物のほしかりければ、「助給へ」と申ける程に、 「かどにいとをかしげなる女の、家あるじに物いはんとのたまふ」といひけれ ば、「たれにかあらん」とて、出あひたれば、土器に物を一盛、「これくひ給へ。 物ほしとありつるに」とて、とらせたれば、よろこびてとりていりて、たゞす こし食たれば、やがて飽きみちたる心地して、二三日は物もほしからねば、是 を置きて、物のほしき折ごとに、すこしづゝ食ひてありけるほどに、月此すぎ て、この物もうせにけり。 △「いかゞせんずる」とて、又念じ奉りければ、またありしやうに、人の告 げければ、始にならひて、まどひ出て見れば、ありし女房、のたまふやう、「こ れ下し文奉らん。これより北の谷、嶺百町をこえて、中にたかき嶺あり。それ に立て、「なりた」とよばば、もの出できなん。それにこの文を見せて、奉らん 物をうけよ」と、いひていぬ。この下文をみれば、「米二斗わたすべし」とあり。 やがてそのまゝ行て見ければ、寔に高き峯あり。それにて、「なりた」とよべば、 おそろしげなる聲にていらへて、出できたるものあり。みれば、額に角生ひて、 目一ある物、あかきたふさぎしたる物出來て、ひざまづきてゐたり。「これ御 下文也。この米えさせよ」といへば、「さること候」とて、下文を見て、「これ は二斗と候へども、一斗を奉れとなん候つるなり」とて、一斗をぞとらせたり ける。そのまゝに、うけとりて歸て、その入たる袋の米をつかふに、一斗盡き せざりけり。千萬石とれども、たゞおなじやうにて、一斗は失せざりけり。 △これを國守聞きて、この世恒をめして、「その袋、我にえさせよ」といひけれ ば、國のうちにある身なれば、えいなびずして、「米百石の分奉る」といひて、 とらせたり。一斗とれば、又出でき+ してければ、いみじき物まうけたりと 思て、もたりけるほどに、百石とりはてたれば、米失せにけり。袋ばかりにな りぬれば、本意なくて、返しとらせたり。世恒がもとにて、また米一斗出でき にけり。かくて、えもいはぬ長者にてぞありける。 一九三 △相應和尚都卒天にのぼる事・染殿の后祈たてまつる事△卷一五ノ八 △今は昔、叡山無動寺に、相應和尚と云人おはしけり。比良山の西に、葛川の 三瀧といふ所にも、通て行給けり。其瀧にて、不動尊に申給はく、「我を負ひ て、都卒の内院、彌勒菩薩の御許に率て行給へ」と、あながちに申ければ、「極 てかたき事なれど、強ひて申事なれば、率てゆくべし。其尻をあらへ」と仰け れば、瀧の尻にて、水あみ、尻よくあらひて、明王の頭に乘て、都卒天にのぼ り給ふ。 △こゝに、内院の門の額に、妙法蓮華とかゝれたり。明王のたまはく、「これ へ參入の者は、此經を誦して入。誦せざればいらず」とのたまへば、はるかに 見上て、相應のたまはく、「我、此經、讀は讀み奉る。誦すること、いまだかな はず」と。明王、「さては口惜事なり。其儀ならば、參入かなふべからず。歸て 法華經を誦してのち、參給へ」とて、かき負ひ給て、葛川へ歸給ければ、泣か なしみ給事かぎりなし。さて本尊の御前にて、經を誦し給てのち、本意をとげ 給けりとなん。その不動尊は、いまに無動寺におはします等身の像にてぞまし ++ける。 △其和尚、かやうに奇特の効驗おはしければ、染殿后、物のけに惱み給ける を、或人申けるは、「慈覺大師御弟子に、無動寺の相應和尚と申こそ、いみじき 行者にて侍れ」と申ければ、めしにつかはす。則御使につれて、參りて、中門 にたてり。人々見れば、長高き僧の、鬼のごとくなるが、信濃布を衣にき、椙 のひらあしだをはきて、大木■子の念珠を持り。「その躰、御前に召上べき者 にあらず。無下の下種法師にこそ」とて、「たゞ簀子の邊に立ながら、加持申べ し」と、おの++申て、「御階の高欄のもとにて、たちながら候へ」と仰下しけ れば、御階の東の高欄に立ちながら、押しかゝり祈奉る。 △宮は寢殿の母屋にふし給。いとくるしげなる御聲、時々、御簾のほかに聞ゆ。 和尚、纔に其聲をきゝて、高聲に加持したてまつる。その聲、明王も現じ給ぬ と、御前に候人々、身の毛よだちておぼゆ。しばしあれば、宮、紅の御衣二 斗に押しつゝまれて、鞠のごとく簾中よりころび出させ給うて、和尚の前の簀 子になげ置き奉る。人々さわぎて「いと見ぐるし。内へいれたてまつりて、和 尚も御前に候へ」といへども、和尚、「かゝるかたゐの身にて候へば、いかでか、 まかりのぼるべき」とて、更にのぼらず。はじめ、めし上げられざりしを、や すからず、いきどほり思て、たゞ簀子にて、宮を四五尺あげて打奉る。人々、 しわびて、御几帳どもをさしいだして、たてかくし、中門をさして、人をはら へども、きはめて顯露なり。四五度ばかり、打たてまつ〔り〕て、なげ入+ 、 祈ければ、もとのごとく、内へなげいれつ。其後、和尚まかりいづ。「しばし 候へ」と、とゞむれども、「ひさしく立ちて、腰いたく候」とて、耳にも聞きい れずしていでぬ。 △宮はなげいれられて後、御物のけさめて、御心地さはやかになり給ぬ。驗徳 あらたなりとて、僧都に任ずべきよし、宣下せらるれども、「かやうのかたゐは、 何條僧綱になるべき」とて、返し奉る。その後も、めされけれど、「京は、人を いやしうする所なり」とて、さらに參らざりけるとぞ。 一九四 △仁戒上人往生事△卷一五ノ九 △是も今は昔、南京に仁戒上人といふ人ありけり。山階寺の僧なり。才學、寺 中にならぶ輩なし。しかるに、俄に道心をおこして、寺を出でんとしけるに、 その時の別當、興正僧都いみじう惜て、制しとゞめて出し給はず。しわびて、 西のさとなる人の女を妻にして通ければ、人々やう++さゝやきたちけり。人 にあまねく知らせんとて、家の門に、此女の頭にいだきつきて、うしろにたち そひたり。行通る人みて、あさましがり、心うがることかぎりなし。いたづら 者になりぬと、人に知らせんため也。さりながら、此妻とあひ具しながら、さ らに近づく事なし。堂に入て、よもすがら眠ずして、涙をおとして行ひけり。 此ことを、別當僧都聞きて、いよ++貴とみて、呼よせければ、しわびて逃て、 葛下郡の郡司が聟になりにけり。念珠などをも、わざともたずして、只心 中の道心は、彌堅固に、行ひけり。 △こゝに添下郡の郡司、この上人にめをとゞめて、ふかく貴とみ思ければ、あ とも定ずありきけるしりにたちて、衣食、沐浴等をいとなみけり。上人思やう、 いかに思て、此郡司夫妻は、ねんごろに我を訪らんとて、その心をたづねけれ ば、郡司こたふるやう、「何事か侍らん。たゞ貴く思侍れば、かやうに仕也。 たゞし、一事、申さむと思ことあり」と云。「何事ぞ」と問へば、「御臨終の時、 いかにしてか、値申べき」といひければ、上人、心にまかせたることのやうに、 「いと易きことにありなん」と答ふれば、郡司、手をすりてよろこびけり。 △さて年比すぎて、ある冬、雪ふりける日、暮がたに、上人、郡司が家に來ぬ。 郡司悦て、例の事なれば、食物、下人共にもいとなませず、夫婦手づから自 して召させけり。湯などもあみて、ふしぬ。曉は又、郡司夫婦とくおきて、く ひ物種々いとなむに、上人の臥給へる方、かうばしき事限なし。匂ひ、一家 に充滿り。是は名香などたき給ふなめりと思ふ。「曉はとくいでん」とのたまひ つれども、上人、夜明るまで、おき給はず。郡司、「御粥出きたり。此よし申 せ」と、御弟子にいへば、「はらあしくおはする上人也。あしく申て、うたれ 申さん。いま起給なん」といひて居たり。 △さるほどに、日も出ぬれば、例は、かやうにひさしくは、寢給はぬに、あや しと思て、よりておとなひけれど、音なし。引あけてみければ、西にむかひ、 端座合掌して、はや死給へり。あさましきことかぎりなし。郡司夫婦、御弟 子共など、かなしみ泣きみ、かつは貴みおがみけり。曉かうばしかりつるは、 極樂の迎也けりと思合す。終りにあひ申さんと申しかば、爰に來り給てけるに こそと、郡司、泣く++葬送の事もとり沙汰しけるとなん。 一九五 秦始皇天竺より來僧禁獄の事△卷一五ノ一〇 △今は昔、もろこしの秦始皇の代に、天竺より僧わたれり。御門あやしみ給て、 「これはいかなる者ぞ。何事によりて來れるぞ」。僧申ていはく、「釋迦牟尼佛 の御弟子也。佛法をつたへんために、遥に西天より來りわたれるなり」と申け れば、みかど、腹だち給て、「その姿きはめてあやし。かしらの髮、かぶろな り。衣の躰、人にたがへり。佛の御弟子と名乘。佛とはなに者ぞ。これはあや しき者なり。たゞにかへすべからず。人屋にこめよ。今よりのち、かくのごと くあやしきこといはむ者をば、ころさしむべきものなり」といひて、人屋に据 ゑられぬ。「ふかくとぢこめて、重くいましめて置け」と、宣旨をくだされぬ。 △人屋の司の者、宣旨のまゝに、重くつみある者置く所にこめて置きて、戸に あまた、じやうさしつ。此僧「惡王にあひて、かく悲しきめをみる。わが本師 釋迦牟尼如來、滅後なりとも、あらたにみ給らん。われを助給へ」と、念じい りたるに、釋迦佛、丈六の御すがたにて、紫磨黄金の光を放て、空より飛來り 給て、此獄門をふみ破りて、この僧をとりて、さり給ぬ。其次に、おほくの盜 人ども、みな逃さりぬ。獄の司、空に物のなりければ、出てみるに、金の色し たる僧の、光をはなちたるが、大さ丈六なる、空より飛來りて、獄の門をふみ 破て、篭られたる天竺の僧を、とりて行音也ければ、このよしを申に、帝、い みじく、おぢおそり給けりとなん。 △其時に渡らんとしける佛法、世くだりての漢には渡りけるなり。 一九六 後の千金の事△卷一五ノ一一 △今は昔、もろこしに、莊子と云人ありけり。家いみじうまづしくて、けふの 食物たえぬ。隣に、監河侯といふ人有けり。それがもとへ、けふ食べき料の粟 を乞ふ。 △河侯がいはく、「いま五日ありて、おはせよ。千兩の金をえんとす。それを 奉らむ。いかでか、やんごとなき人に、けふ參るばかりの粟をば奉らん。返々 おのが恥なるべし」といへば、莊子の云く、「昨日道をまかりしに、跡によば ふ聲有。かへりみれば人なし。たゞ車の輪跡のくぼみたる所にたまりたる少水 に、鮒一ふためく。なにぞの鮒にかあらんと思て、よりてみれば、少ばかり の水に、いみじう大なる鮒有。「何ぞの鮒ぞ」と問へば、鮒の云、「我は河伯神 の使に、江湖へ行なり。それが飛そこなひて、この溝におち入たる也。喉かは き、死なんとす。われをたすけよと思て、よびつる也」といふ。答ていはく、 「吾今二三日ありて、江湖もとといふ所に、あそびしに行かむとす。そこにも て行て、はなさむ」といふに、魚のいはく、「さらにそれ迄、え待つまじ。たゞ けふ一提斗の水をもて、喉をうるへよ」といひしかば、さてなんたすけし。鮒 のいひしこと、わが身にしりぬ。さらにけふの命、もの食はずは、いくべから ず。後の千の金、さらに益なし」とぞいひける。 △それより「後の千金」と云こと名譽せり。 一九七 △盜跖と孔子と問答事△卷一五ノ一二 △これも今は昔、もろこしに、柳下恵といふ人ありき。世のかしこき者にして、 人に重くせらる。其おとうとに、盜跖と云ものあり。一の山のふところに住て、 もろ++のあしき者をまねき集て、おのが伴侶として、人の物をば我物とす。 ありく時は、此あしき者どもを具する事、二三千人なり。道にあふ人をほろぼ し、恥を見せ、よからぬことの限を好みて過すに、柳下惠、道を行時に、孔子 にあひぬ。 △「いづくへおはするぞ。自對面して聞えんと思ふことのあるに、かしこく あひ給へり」と云。柳下惠「いかなる事ぞ」と問ふ。「教訓し聞えむと思ふ事 は、そこの舍弟、もろ++のあしきことの限りをこのみて、多くの人を歎かす る、など制し給はぬぞ」。柳下惠、答て云、「おのれが申さむことを、あへて用 べきにあらず。されば歎ながら年月を經る也」といふ。孔子のいはく、「そこ 教へ給はずは、われ行て教へん。いかゞあるべき」。柳下惠云、「さらにおはす べからず。いみじき言葉をつくして教へ給ふとも、なびくべき者にあらず。返 てあしき事いできなん。有べき事にあらず」。孔子云、「あしけれど、人の身を えたる者は、おのづからよきことをいふにつく事もある也。それに、「あしかり なん、よも聞かじ」といふ事は、ひがごと也。よし、見給へ。教へて見せ申さ ん」と、言葉をはなちて、盜跖がもとへおはしぬ。 △馬よりおり、門にたちて見れば、ありとあるもの、しゝ、鳥をころし、もろ ++のあしき事をつどへたり。人をまねきて、「魯の孔子と云ものなん參りた る」と、いひ入るゝに、即使かへりていはく、「音にきく人なり。何事により て來れるぞ。人を教ふる人と聞。我を教へに來れるか。わが心にかなはば、用 ひん。かなはずは、きもなますにつくらん」と云。其時に、孔子すゝみ出て、 庭にたちて、先盜跖をおがみて、のぼりて座につく。盜跖をみれば、頭の髮は 上ざまにして、みだれること蓬のごとし。目大にして、見くるべかす。鼻を ふきいからかし、きばをかみ、鬚をそらしてゐたり。 △盜跖が云、「汝來れる故はいかにぞ。慥に申せ」と、いかれる聲の、たかく、 恐ろしげなるをもていふ。孔子思給、かねても聞きしことなれど、かくばかり おそろしき者とは思はざりき。かたち、有樣、聲迄、人とはおぼえず。きも心 もくだけて、ふるはるれど、思ひ念じていはく、「人の世にある樣は、道理をも て、身のかざりとし、心のおきてとするもの也。天をいたゞき、地をふみて、 四方をかためとし、おほやけをうやまひ奉る。下を哀みて、人になさけをいた す〔を〕事とするもの也。しかるに、承れば、心のほしきまゝに、あしき事をの み事とするは、當時は心にかなふやうなれども、終りあしきものなり。されば 猶、人はよきにしたがふをよしとす。然れば申にしたがひていますかるべきな り、其事申さむと思ひて、參りつるなり」といふときに、盜跖、いかづちのや うなる聲をして、笑ていはく、「なんぢがいふ事ども、一もあたらず。其故は、 昔、尭、舜と申二人のみかど、世にたうとまれ給ひき。しかれども、その子 孫、世に針さすばかりの所をしらず。又、世にかしこき人は、伯夷、叔齊なり。 首陽山にふせり、飢ゑ死き。又、そこの弟子に、顏囘といふものありき。かし こく教へ給しかども、不幸にして、いのちみじかし。又、おなじき弟子にて、 子路といふものありき。衞の門にしてころされき。しかあれば、かしこき輩は、 つひに賢き事もなし。我又、あしきことを好めども、災、身に來らず。ほめら るゝもの、四五日に過ず。そしらるゝもの、また四五日に過ぎす。あしき事も よきことも、ながくほめられ、ながくそしられず。しかれば、わが好みに隨、 ふるまふべき也。汝また木を折りて冠にし、皮をもちて衣とし、世をおそり、 おほやけにおぢたてまつるも、二たび魯にうつされ、あとを衞にけづらる。な どかしこからぬ。汝がいふ所、まことにおろかなり。すみやかに、はしりかへ りね。一も用ゆべからず」と云時に、孔子、また云べきことおぼえずして、座 をたちて、いそぎ出て、馬に乘給ふに、よく臆しけるにや、轡を二たびとりは づし、あぶみをしきりにふみはづす。 △これを、世の人「孔子倒れす」と云なり。 本稿は、 国文学研究資料館編「日本古典文学本文データベース」所収のデータを基に 一部改変して成したものである。