元和古活字版『伊曾保物語』翻字 目録 伊曾保物語上目録 第一△本國の事 二△荷物を持つ事 三△柿を吐却する事 四△農人の不審の事 五△けだものの舌の事 六△風呂の事 七△しやんと潮飮まんと契約候事 八△棺槨の文字の事 九△さんの法事の事 十△りいひやより勅使の事 十一△伊曾保りいひやに行く事 十二△いそ保りいひやに居所を作る事 十三△商人かねをおとす公事の事 十四△中間とさぶらひと馬をあらそふ事 十五△長者と他國の商人の事 十六△いそほと二人のさぶらひ夢物語の事 十七△いそほ諸國をめぐる事 十八△いそほ養子をさだむる事 十九△ねたなを帝王不審の事 二十△ゑりみほいそほが事を奏聞の事 伊曾保物語中目録 第一△いそほ子息に異見の事 二△ゑしつとの帝王より不審の返答の事 三△ねたなをいそほに尋給ふ不審の事 四△いそほ帝王に答る物語の事 五△學匠不審の事 六△さぶらひ鵜鷹にすく事 七△いそほ人に請ぜらるゝ事 八△伊曾保夫婦の中なをしの事 九△いそほ臨終におゐて鼠蛙のたとへを △△いひて終る事 十△いそ保物のたとへを引きける條々 十一△狼と羊の事 十二△犬と羊の事 十三△犬と肉の事 十四△師子王・羊・牛・野牛の事 十五△日輪と盜((ぬすびと))の事 十六△鶴と狼の事 十七△獅子王と驢馬の事 十八△京・田舍の鼠の事 十九△狐と鷲の事 二十△鷲とかたつぶりの事 廿一△烏と狐の事 二△馬と犬の事 三△獅子王と鼠の事 四△燕と諸鳥の事 五△かはづが主君を望む事 六△鳶と鳩の事 七△烏と孔雀の事 八△蝿と蟻の事 九△鼬の事 三十△馬と師子王の事 卅一△獅子王とはすとるの事 卅二△馬と驢馬の事 三△鳥けだものと戰ひの事 四△かのしゝの事 五△庭鳥と狐の事 六△腹と五體の事 七△人と驢馬の事 八△狼とはすとる(の)事 九△猿と人の事 四十△獅子王と驢馬の事 伊曾保物語下目録 第一△蟻と蝉の事 二△狼といのしゝの事 三△狐と庭鳥の事 四△龍と人の事 五△馬と狼の事 六△狼と狐の事 七△狼夢物語の事 八△鳩と蟻の事 九△狼と犬の事 十△狐と狼の事 十一△野牛と狼の事 十二△鷲と烏の事 十三△師子王と驢馬の事 十四△野牛と狐の事 十五△ある人佛を祈る事 十六△鼠と猫の事 十七△鼠の談合の事 十八△男二女を持つ事 十九△■■の事 二十△孔雀と鶴の事 廿一△人を嫉むは身を嫉むといふ事 廿二△蛙と牛の事 三△童子と盜人の事 四△修行者の事 五△庭鳥こがねの卵を産む事 六△猿と犬の事 七△土器慢氣をおこす事 八△鳩と狐の事 九△出家とゑのこの事 三十△人の心のさだまらぬ事 卅一△鳥人に教化をなす事 二△鶴と狐の事 卅三△三人よき中の事 四△出家と盜人の事 伊曾保物語上 第一△本國の事 △去程に、えうらうはのうち、ひりしやの國とろやと云所に、あもうにやとい ふ里あり。その里にいそほといふ人ありけり。其時代、えうらうはの國中に、 かほどの見にくき人なし。其ゆへは、頭はつねの頭二つがさあり。まなこの玉 つはぐみ出でて、そのさきたいらかなり。顏かたち、色黒く、兩の頬うなたれ、 首ゆがみ、せい低く、足長くしてふとし。せなかかゞまり、腹ふくれ出でて、 まがれり。もの云ことおもしろげなり。その時代、此いそほ、人にすぐれてみ にくき物なきがごとく、その上、才覺又ならぶ人なし。 △されば、その里に戰ひおこつて、他國の軍勢亂れ入、かのいそほを搦め取り て、はるかの餘所へ聞えける、あてえるすと云國の、ありしてすといふ人に賣 れり。かの物の姿のみぐるしきを見て、なすべきわざなければとて、我領地に つかはし、百性等にひとしく、牛馬を飼はしむるわざをなんおこなふ。かくて 年經ぬれど、さるべき人とも知らずなん侍りける。折節、ある商人此者を買い 取る。ありしてす、得たり賢しとかの商人に賣り渡さる。なを別の人二人買い 添へ、以上三人召し具して、さんといふ所に難なく行けり。其里において、し やんとといへるやむごとなき知者の行きあひ、かの商人に尋ねていはく、「御 邊の召し具しける者どもは、なに事をかはし侍るぞ」とのたまへば、商人人答 云)、「一人は琵琶を引げに候」と申ければ、かのしやんと、すぐに二人の者に 問ひ給はく、「面々は、何事をし侍るぞ」と仰ければ、二人もろともに答云、 「あらゆるほどの事をば形のごとく知り侍る」と申。その後又いそほに、「汝 はいかなる物ぞ」と問ひ給へば、いそほ答云、「我はこれ骨肉也」と申けれ ば、「我汝に骨肉を問はず。汝いづくにて生れけるぞや」と仰ければ、いそほ 答いはく、「われはこれ母の胎内より生れ候」と申。「汝に母の胎内問はず。 汝が生れたる所はいづくの國ぞ」と仰ければ、伊曾保答へていはく、「われは これ母の産みたる所にて育たり候」と申。その時しやんと、「かれが返答は、た ゞ魚の島をめぐるがごとし。さて、汝はなに事をか知り侍」と問はせ給へば、 いそほ答云、「なに事をも知り侍らぬ者にて候」と申。その時、しやんとか さねて仰せけるは、「人として物のわざなき事あたはず。汝なにのゆへにかし わざなきや」と仰せければ、いそほ答へて云、「われなにをかなすと申べき。 その故は、件の兩人、あらゆるほどの事をば知るといへり。是に漏れて、われ なにをか知り候べきや」と申。その時、しやんといそほに問ひ給はく、「我汝 を買い取るべし。汝におゐていかん」と仰ければ、いそほ答云、「たゞ其事 は其身の心にあるべし。いかでかそれがしに尋ね給ふぞ」と申。しやむと、か さねての給ふは、「我汝を買ひ取るべし。その時逃げ去るべきや」と仰せけれ ば、伊曾保答云、「われこの所を逃げ去らん時、御邊の異見を受くべからず」 と申。 △かやうに、さま※※けうがる答へどもし侍りければ、心寄せに思ひて、いさ さかの價に買ひ取り、かの商人と行給ふに、ある關の前にて、かの伊曾保が姿 を見て、「あやしの者や「ととゞめおきて、」これはたれの召し具し給ふ物ぞ」 と尋ねければ、しやんとも商人も、あまりにいそほが見にくき事を恥ぢて、「知 らず。」と答ふ。いそほこの由うけ給はり、「あなうれしの事や。われに主なし」 といひて勇みあへる。その時、しやん共商人も、「是はわが所從にて候」との 給ひ、それよりしやんといそほを召つれ、わがもとへ歸り給也。 第二△荷物を持つ事 △ある時、しやんと旅行におもむかせ給ふに、下人どもに荷物をあておこなふ。 われも+ と輕き荷物をあらそひ取りて、これをもつ。こゝに食物を入たるも のありけり。その重きにおそれて、これを持つ物なし。「さらば」とて、いそほ 辭するにをよばず、「なに事も殿の御奉公ならば」とて、これを持つ。その日の 重荷、「いそ保に過ぎたる者なし」と皆人いひけり。 △日數經て行くほどに、この食物をつねに用ゆ。かるがゆへに日に添へて輕く なりけり。果てには、いと輕き荷物持ちてけり。「あつぱれ賢き心宛かな」と て、猜み給ふ人々ありけり。 第三△柿を吐却する事 △ある時、しやんとのもとへ柿をおくる人ありけり。かの所從ら、此柿を食い つくして、伊曾保が臥したりける懷に一つ二つをし入て、かれになん負せける。 やゝあつて後、しやむとかの柿を請ひいださる。をの++「知らず」と答。し やむと、あやしみ尋ねければ、をの++一口に申けるは、「その柿をばいそほ こそ知り侍らめ」といふ。「さらば」とて、いそ保を召しいだし、尋ね給ふに、 案のごとく懷に柿あり。「あはや」とこれを糺明するに、いそ保申けるは、「罪 科遁れがたく候。しかりとも、それがし申さん事を傍輩らにも仰つけさせ給へ かし」と申されければ、しやんとかれが望みをとげさせ給ふ。そのはかり事と いつぱ、「をの++傍輩らを御前に召しいだされ、酒をくだされて侍るならば、 吐却をせん事あるべし。その柿を吐却したらん者を、それがしによらず、其科 たるべし」と申。しやむとげにもと思ひて、其はかり事をなし給ふに、たな心 をさすがごとく、すこしもたがはず、かの柿をぬすみ食ひたる物ども、一度に 吐却す。さるによりて、いそほは科なく、傍輩どもは罪をかうむりける。伊曾 ほが當座の機轉奇特とぞ、人々感じ給ひける。 第四△農人の不審の事 △ある時、しやんと山野に逍遥して、いそほを召つれ給ふ。こゝに農人しやん とに尋ねて申。「それ天地の間に生ずる所の草木を見るに、たゞ雨露のめぐみ をもつて生長する事なし。此いはれいかに」と問ふ。しやんと答云、「たゞ是 天道のめぐみなり」との給ふ。その時、いそほあざ笑つていはく、「さやうの 御答へは、あまりをろかに候」と申ければ、「さらば」とてしやむと立ち返り、 かの農人に告げ給はく、「先に答うる所、その理にあたらず。我召し具し侍る 物に答へさすべし」と仰ければ、農人かのいそほが姿を見て、「仰にては候へ 共、かゝるあやしの者の、いかほどの事をか答候べき」と申ければ、いそほ聞 きて、「いかゞ、汝が云所道理に漏れたり。答うる所外れずは、なんぞ姿の見に くきによらんや。されば、さきに問所はなはだもつてわきまへやすし。汝繼子 と實子を知るやいなや。それ人間の習として、實子をばこれを愛し、繼子をば 是をうとんず。そのごとく、四大の中に生ずる、四大がために實子なり。人の たがやす田畠は、四大がために繼子なり。人の繼子と實子をもつて、四大が親 疎をわきまふなり」。 第五△けだものの舌の事 △ある時、しやんと客來のみぎり、いそほに仰て、「汝世中に珍しき物をもとめ きたれ」とありければ、いそほけだ物の舌をのみ調侍りける。しやんとこれ を見て、「世間の珍しき物にけだものの舌をもとむる事なに事ぞ」と仰ければ、 いそほ答云、「夫世中)のありさまを見るに、舌三寸のさえづりをもつて、現 世は安穩にして、後生善所に到り候も、みな舌頭のわざなり。されば、諸肉の 中におゐて、舌は一の珍しき物にあらずや」と申。 △又ある時、「世間大一の惡物をもとめきたれ」とありければ、伊曾保又けだ ものの舌を調ふ。しやんとこれを見て、「これは世間大一珍しき物にてこそあ れ、惡しき物とはなに事ぞ」と有ければ、伊曾保答云、「しばらく世間の惡 事を案じ候に、是禍門也。三寸の舌のさえづりをもつて、五尺の身を損じ 候も、みな舌ゆへのしわざにて候はずや」と申に、しやんとこの事領掌して、 二つの返事を貴み給ふなり。 第六△風呂の事 △ある時、しやんといそほに仰けるは、「風呂は廣きや、見て參れ」とありけ れば、かしこまつてまかり出、其道におゐて、ある人いそほに行あふ。「汝いづ くよりいづかたへ行くぞ」と問ひければ、「知らず」と答う。かの人怒つてい はく、「奇怪なり、いそ保。人の問ふに、さる返事する物や。召しいましめん」 と議せられければ、いそ保答云、「さればこそ、さやうに人にいましめられ んことを知らざる事にて侍か」と申ければ、「こさんなれ」とてゆるされける。 △その門のかたはらに、出入に障りする石あり。此石にてあまた足をくじき、 あるひはうち裂くを、人これを見て、「あやしの石や」とて、これを除く。い そほこれを見て、しやんとに申ける。「風呂には人一人にて候と見え侍る」と 申ければ、「さらば」とて、しやんと風呂に入らる。しかる所に、風呂に入け る人、いくらといふ、その數を知らず。しやんと、いそほを召して仰けるは、 「汝なにのゆへをもつてか風呂には人一人といひけるぞ」と問ひ給へば、いそ ほ答云、「先に風呂の門に、出入りに障りする石ありけり。人あまた是に惱 まさるゝといへども、これを除く。それよりして出入り平案に候間、かの人一 人と申候」と答へけるなり。 第七△しやんと潮飮まんと契約候事 △ある時、しやんと酒に醉けるうちに、こゝかしこさまよふ所に、ある人しや んとを支へていはく、「御邊は大海の潮を飮みつくし給はんやいなや」と問へ ば、やすく領掌す。かの人かさねていはく、「もし飮み給はずは、なに事をか あたへ給ふべきや」といふ。しやむとのいはく、「もし飮み損ずるならば、わ が一跡を御邊に奉らん」と契約す。「あないみじ。此事たがへ給ふな」と申け れば、「いさゝかたがふ事あるべからず」とて、わが家に歸り、前後を知らず醉 ひ臥せり。 △醒めて後、いそほ申けるは、「今まではこの家の御主にてわたらせ給ひけれ ど、あすからはいかゞならせ給ふべくや。その故は、さきに人と御契約なされ しは、大海の潮を飮みつくし候べし。え飮み給はずは、わが一跡をあたへんと の給ひてあるぞ」と申ければ、しやんとおどろきさはぎ、「こは誠に侍るや。 なにとしてあの潮を二口共飮み候べき。いかに+ 」とばかりなり。かくて 有べきにもあらざられば、「此難を遁れまほしうこそ侍れ」と、いくたびか伊曾保 を頼給ふ。いそほ申けるは、「我譜代の所御ゆるし給はば、はかり事を教へ奉 るべき」と申。しやんと、「それこそやすき望みなれ。とく++その計略を教 へよ」と仰ければ、伊曾保答云、「明日海へ出給はん時、まづ其相手にの 給べきは、「我今この大海を飮みつくすべし。しからば、一々に大海へ流れ入 所の河を、こと※※く堰きとめ給へ」との給ふべし。しからば相手なにとか答 候べきや。その時、御あらがひも理運を開かせ給ふべけれ」と申ければ、「げに も」とよろこび給へり。 △すでにその日に臨みしかば、人々この由を傳へ聞きて、しやんとの果てを見 んとて、海の邊に貴賎群集をなす。その時、しやんと高所に走りあがり、かの 相手を招き寄せ、いそほの教へけるごとく仰ければ、相手一言の返答におよば ず、あまつさへ、しやんとを師匠とあがめ奉りけり。 第八△棺槨の文字の事 △ある時、しやんといそほを召しつれ、墓所を過ぎさせ給ふに、かたはらに棺 槨あり。其めぐりに七つの文字あり。一つにはよ、二つにはた、三つにはあ、 四つにはほ、五にはみ、六つにはこ、七つにはを、是也。いそほしやんとに申 けるは、「殿は智者にてわたらせ給へば、この文字の心を知らせ給ふや」とい ふ。しやむと、「是は古の字なり。世隔たり時移つて、今の人たやすく知る事 なし」と仰ければ、いそ保あざ笑つていはく、「此文字の心を■あらはすにお ゐては、いかばかりの御褒美にかあづからん」と申ければ、しやんと答云、 「此心をあらはすにおゐては、譜代の所をさしをくべし。しかのみならず、も しこの文字の下にあらん物、半分をあたへん」となり。伊曾保申けるは、「第 一によとは、四つといふ儀なり。二にたとは、たからといふ儀なり。三にあと は、有べしと書く儀なり。四に保とは、掘るべしと云儀なり。五にみとは、身 に付べからずと云義也。六にことは、こがねと云儀なり。七にをとは、おくと 云儀なり」と讀て、その下を掘りて見れば、文字のごとくあまたの黄金ありけ り。しやんと、これを見て欲念おこり、伊曾保に約束のごとくあたへず。 △なをその下を掘りて見れば、四方なる石に五つの文字あらはれたり。一つに はを、二つにはこ、三つにはみ、四つにはて、五つにはわ、これなり。いそほ 是を見て、しやんとに申けるは、「この黄金をみだりに取り給ふべからず。そ のゆへは此文字にあらはれ、大一をとは、おくといふ儀なり。大二ことは、こ がねといふ儀なり。大三みとは、見つくると云儀なり。大四てとは、帝王とい ふ儀なり。大五わとは、渡し奉るべしといふ儀なり。しからば、その金をほし ゐまゝに取り給ふべからず」と云。その時、しやんと仰天して、ひそかにいそ ほを近づけ、「この事他人に漏らすべからず」とて、かね半分をあたへける。 いそ保石にむかつて禮をする。そのゆへは、「このかねをばさきに給はるまじ きとさだめ給へど、この文字故にこそ給はりつれ」とて、石と文字とを禮拜す。 又、伊曾保申けるは、「此寶を取り出すにおいては、譜代の所を赦免あるべし と堅く契約ありければ、今より後は、御ゆるしなしとても、御譜代の所をばゆ るされ申べし」といひけるなり。 第九△さんの法事の事 △ある時、その里にて大法事を執行ことありけり。よつて、在所の老若男 女袖をつらねてこれを聽聞す。然所に、さむの守護、よそほひゆゝしくして、 めでたうおはしける所に、鷲一つ飛びきたりて、かの守護のゆびがねを掴み取 りて、いづく共なく飛び去りぬ。これによつて、法事興さめて、諸人あやしみ をなせり。「是たゞことにてあるべからず。しやんとに迎い奉る」と人々申あ へり。守護識よりしやんとのもとに使者を立てて、法事の庭に召し請、「此事 いかに」と問ひ給へば、庭に竝み居たる人々も、これを聞かんと頭をうなたれ、 耳をそばだてて、荒き息をもせず。四方しづまつて後、しやんと物知り顏にう ち案じて、「これいみじき御大事にて候へ。たやすく申べき事にあらず。日數 經てしづかに勘へ奉り、後日にこそ申べけれ」とて立たれければ、人々その日 をさだめて退散せり。 △しやんと、それよりわが屋に歸りて、日夜これを安ずるに、更になに事共わ きまへず。いたづらに工夫を費やすのみなり。伊曾保この由を見て、「殿は何 事を御案じ給ふぞ」と申ければ、しやむとのいはく、「この事をこそ案じけれ」 とも、件の字の子細を初め終り語給へば、いそほ申けるは、「げにもこれはも つての外に知りがたき事にて候。たゞ、それがしを各々の前に召し出され、其 子細を問給ふべし。其故は、我下人の身として、申あやまち候へばとて、させ る恥辱にもあらず。殿の仰をあやまたせ給はば、もつての外御恥辱たるべし」 と申ければ、「げにも」とて、その日に臨んで儀定の庭に召出しければ、人々 「あやしの物の帶佩や」とて笑ひざゞめきあへり。しかりといへども、伊曾保 少も臆せずその所をまかり過ぎ、高座にのぼりて申けるは、「我姿のおかし げなるをあやしめ給ふや。それ君子は、いやしきにおれども、いやしからず。 ■袍を着ても恥ぢず。なんぞ姿のよしあしによらんや。道理こそ聞かまほしけ れ」といひければ、人々げにもと感じあへり。 △やゝあつて後、いそほいひけるは、「我はこれしやんとの下臈なり。人々召 使はるゝ物の習ひとて、その主の前におゐて物いふ事すみやかならず」といひ ければ、人々げにもと合點して、しやんとにむかひて申されけるは、「いそほ 申所、道理至極なり。此上は譜代の所をゆるし給ひ、その子細をいはせ給へか し」と申されければ、しやんと少しも服膺せず。守護人此由を聞きて、「惜し み給ふ所もことはりなれども、この子細を聞かんにおゐては、なに事をか報ず べきや。もし人なくは代りをこそ參らすべけれ」と云ければ、しやんと惜しむ におよばず領掌せらる。さるによつて、群集の中におゐて、「今より以後、伊 曾保はわが譜代にあらず」と申されければ、いそほかさねて申けるは、「此日 比心地ち)惡しき事あつて、其聲高く出給ふべからず。聲能人に仰て、譜代の赦免 をゆるすと高くよばゝらせ給へ」と望みければ、いそ保が云ごとくよばゝりけり。 △やゝあつて後、いそほ高座の上より云けるは、「鷲守護の御ゆびがねを奪い 候事は、鷲は諸鳥の王たり。守護は王に勝つ事なし。いか樣にも他國の王より この國の守護を進退せさせ給ふべきや」と云ける。 第十△りいひやより勅使の事 △去程に、いそほが申せしごとく、りいひやの國王けれそと申御門より、さん に勅使を立て給はく、「その所より年ごとに御調物を奉るべし。しからずは、 武士に仰て攻めほろぼさせ給ふべし」との勅定なり。これによつて、地下の 年寄以下評定し給ひけるは、「その攻めをかうむらんよりは、しかじ、御調物 を奉るべし」となり。「去ながら、いそ保に尋ねよ」とて、この由を語ければ、 いそほ申けるは、「それ人の習ひ、其身を自由にをかんも、人に從はんも、た だその望みにまかするものなり」と云ければ、げにもとて勅定を背かす。勅使 歸つてこの由を奏聞す。御門そのゆへを問はせ給ふに、勅使申けるは、「かの 所にいそほといふ者あり。才智世にすぐれ、思案人に超えたる者にて候。此所 を從へ候はんにおゐては、まづ此者を召しをかるべし」と申ければ、もつとも と叡感あつて、さだめてさんに勅使を下さる。「御調物をばゆるし給ふべし。 伊曾保を御門へ參らせよ」との勅定なり。地下の人々訴訟していはく、「さら ば、いそほを參らせん」となり。 △い曾保この由を聞きて、たとへをもつていひけるは、「昔狼一つの羊を服 せんとす。羊この由をさとつて、あまたの犬を引き語らふ。これに、狼、羊を 犯す事なし。狼のはかり事に、「今よりして犬を犯す事あるべからず。犬をわ れにあたへよ」と云。羊、「さらば」とて犬を狼につかはす。狼先此犬をほろ ぼして後、終に羊を食いてけり。その國の王をほろぼさむとては、まづ忠臣を 招くものなり」といひて、つゐに勅使に具せられてりいひやの國に到りぬ。 十一△いそほりいひやに行く事 △さる程に、伊曾保りいひやの國にまかりのぼり、勅使と共に參内す。御門こ の由叡覽あつて、「あやしの物の帶佩やな。かゝるみにくき物の下知によつて、 さんの者ども我命を背きけるや」と逆鱗ある事輕からず。すでにいそほが一命 もあやうく見え侍りければ、いそ保叡慮を察して言上しけるは、「我に片時の いとまをたべ」と申ければ、「しばらく」とて御ゆるされをかうむる。その時、 いそ保申けるは、「ある人、螽を取つて殺さむとて行きける道にて、蝉を殺 さんとす。蝉愁いていはく、「我罪なうしていましめをかうぶり、五穀にわざ もなさず、人に障りする事なし。夏山の葉隱れには、わがすさまじき癖あらは しぬれば、暑き日影も忘れ井の慰めぐさと成侍れ。甲斐なく命を果たされ給は ん事、歎きてもなをあまりあり」と申ければ、「げにも」とてたちまち赦免す。 其ごとく、わが姿かたちはおかしげに侍れど、わが教へに從ふ所は、國土平安 にして、萬民すなほに富み榮へて、善をもつぱらに教ゆる者にてこそ侍れ。蝉 とわれとそのたがはず」と申ければ、御門大きに叡感あつて、「さらば」とて 勅勘を赦免なされ、「此上は、汝が心に望む事あらば、奏聞申せ」と仰ければ、 いそほ謹(つ)しんで申あげけるは、「われにことなる望なし。われさんに年久敷 あつて、人の下臈にて侍りけるを、所の人々申ゆるされ、獨身とまかなりて、 心やすく侍りき。その恩を報じがたく候へば、かの所より奉るべき物をゆるさ せ給へかし」といひければ、御門この由叡覽あつて、かれが望みを達せんため、 さんの御調物をゆるされけり。 十二△伊曾保りいひやに居所を作る事 △いそほりいひやに居所せしむ。その御赦免を報ぜんがために、一七日にこの 書を集め、奉る。御門叡覽あつて、誠に不思議の思ひをなし給へり。「かゝる 才人世にあるまじ」とて、あまたの祿をくだされける。いそほ、此たまものを 船に積み、さんへ二たび下にけり。さむの人々此由を聞きて、伊曾保を迎へん とて、樓船を飾り、舞樂を奏し、海中の魚鱗もおどろくばかり、ざゞめきあへ り。 △去程に、いそほはほどなくさんに付て、高きいやしき擇ばず召しいだし、其 身は高座にのぼり、「いかに人々聞給へ。われこの年月此所にあつて、面々の 御あわれみをかうむる事かぎりなし。しかのみならず、人の譜代たりし物を請 いゆるされてける事に至るまで、この所の御恩にあらずと云事なし。しかるを、 不慮の災禍によつて、りいひやの國王より御調物をゆるし給ふこと、これわが 才智のなす所なり。これにあらずんば、いかでか御恩を報ずべけんや。是もひ とへに天道の御めぐみにてこそ候へ」と語ければ、その守護人を初めとして、 よろこびあへる事かぎりなし。それよりして、さんの事は申におよばず、あた り近き國里までも、いよ++いそほを貴みあへりけり。 十三△商人かねをおとす公事の事 △ある商人、さんにおゐて三貫目の銀子をおとすによつて、札を立ててこれを もとむ。その札にいはく、「此かねを拾ひける者のあるにおゐては、我に得さ せよ。その褒美として三分一をあたへん」となり。然に、ある者是を拾ふ。 我家に歸り、妻子に語つていはく、「われ貧苦の身として、汝等を養ふべき財 なし。天道これを照覽あつて、給はるや」とよろこぶ事かぎりなし。しかりと いへども、この札のおもてを聞きていふやう、「その主すでに分明なり。道理 を枉げんもさすがなれば、この銀を主へ返し、三分一を得てまし」といひ、か の主がもとへ行て、そのありやうを語る所に、主俄に欲念おこつて、褒美のか ねを難澁せしめんがため、「わがかねすでに四貫目ありき。持ちきたれるとこ ろは三貫目なり。そのまゝおき、汝はまかり歸れ」といふ。かの者愁へていは く、「我正直をあらはすといへども、御邊は無理をの給ふ也。詮ずる所、守護 識に出て、理非を決斷せん」といふ。 △さるによつて、二人ながら糺明の庭にまかり出る。かれとこれとあらそふ所 決しがたし。かの主、誓斷をもつて「四貫目ありき」と云。かの者は、「三貫目 ありき」と云。奉行も理非を決しかねて、いそ保に「紀明し給へ」と云。伊曾 保聞きていはく、「本主の云所明白なり。しかのみならず、誓斷あり。眞實こ れに過ぐべからず。しかれば、此かねは、かの主のかねにてはあるべからず。 其故は、おとす所のかねは三貫目なり。拾ひたる物に、これをたまはりて歸れ」 とのたまひければ、その時本の主をどろきさはぎ、「今はなにをかつゝむべき。 此かねすでにわがかねなり。褒美の所を難澁せしめんがため、私曲を構へ申な り。あはれ三分一をばかれにあたへ、殘りをわれにたべかし」と云ふ。その時、 いそ保笑つていはく、「汝が欲念亂れがはし。今より以後は停止せしめよ。さ らば汝につかはす。」とて、三分二をば主に返し、三分一を拾ひ手にあたう。そ の時、袋を開いて見れば、日記即ち三貫目なり。「前代未聞の檢斷なり」と人々 感じ給ひけり。 十四△中間とさぶらひと馬をあらそふ事 △ある中間、主人の馬に乘りて、はるかの餘所へおもむく所に、さぶらひ一人 行あひ、則怒つて云、「我侍の身としてかちにて行くに、汝は人の所從な り。その馬よりおりて、我を乘せよ。しからずは、細首斬つて捨てん」といふ。 中間心に思ふやう、「此途中にて訴うべき人なし。とかく難澁せば、頭を刎ね られん事疑ひなし」。是非にをよばず、馬よりおりけり。侍わが物顏にうち乘 (っ)て、かれを召つれ行くほどに、さんといふ所に難なく着きける。中間そこ にてのゝしるやう、「わが主人の馬なり。返し給へ」と云。侍馬に乘ながら、 「狼藉なり。二たび其聲のゝしるにおゐては、運氣を刎ねん」といひければ、 中間いんともせずして、その所の守護識に行きて、この由を訴う。 △去によつて、守護より武士をつかはし、かの侍を召し具しけり。かれとこ れとあらそう所決しがたし。守護に理非を分けかねて、伊曾保をよびて檢斷せ しむ。いそ保これを聞きて、まづ中間を語らうてひそかに云、「かのさぶらひ 糺明せん時、汝あはてゝ物いふ事なかれ」といましめらる。中間謹しんでかし こまる時に、伊曾保のはかり事に、うはぎを脱いでかの馬のつらに投げかけ、 さぶらひに問ひけるは、「此馬のまなこ、いづれかつぶれけるか」と問。侍返 事に堪へかねて、思安する事千萬なり。思ひわびて、「左の目こそつぶれたる」 と申。其時うはぎを引きのけて見れば、兩眼誠にあきらかなり。これによつて、 馬をば中間にあたへ、かのさぶらひをば恥ぢしめて、時の是非をば分けられけり。 十五△長者と他國の商人の事 △さる程に、さんといふ所にならびなき長者ありけり。外には正直をあらはす といへ共、内心すでに●曲なり。ある時、片田舍の商人、銀子十貫目持ち來て、 此長者を頼けるは、「我此所よりえしつに到りぬ。遠路の財寶あやうければ、 預け奉らん」と云。長者たやすく預かりける。 △この商人、ゑしつより歸りて、この銀子を請ふ。長者あらがひて云、「我汝 が銀を預かる事なし。證跡あるや」と問((とふ))。商人、いかんと申事なく して、いそほのもとへ行て、この由を歎きければ、伊曾保教へて云、「その人は、 この所にて譽ある長者なり。證據はなければ、糺明しがたし。汝に計略を教へん。 そのごとし給へ」と教へければ、商人謹しんで承。その計略にいはく、「一尺 四方の箱一つこしらへ、上をばうつくしく作り飾りて、中には石多く入て、汝 が國の人に持たせて、これを玉ぞと僞つて、かの長者のもとへ預けさせよ。そ の時に臨んで、汝かのかねを請ゑ。玉を預からんがため、銀子をば汝に返すべ し。」商人是をこしらへて、いそほの教へのごとく、同國の者に持たせ、かの長 者の所へ行きて、これを預くる。其時商人かねを請う。案のごとく、かの玉を 預からんがために、商人にいふやう、「いかなれば御邊はかねを取り給はぬぞ。 これこそおことのかねぞ」とて、もとの銀子をあたへてけり。そのゆへは、「此 箱の内の明珠、十貫目の南鐐よりそくばくまさるべし」と思ふによつてなり。 則、箱一つ預けてかねをば取りて歸りけり。「あはれ賢き教へかな」とて、讚 めぬ人こそなかりけり。 十六△いそほと二人の侍夢物語の事 △ある時、さんといふ所のさぶらひ二人、いそほを誘引して、夏の暑さをしの がんため、涼しき所をもとめて到りぬ。その所に着ゐて、三人さだめていはく、 「こゝによき肴一種有。空しく食はんもさすがなれば、しばらくこの臺にまど ろみて、よき夢見たらん物此肴を食はん」となり。さるによつて、三人同枕 に臥しけり。二人のさぶらひは、前後も知らず寢入りければ、いそほはすこし もまどろまず、あるすきまをうかゞいてひそかに起きあがり、此肴を食いつく して、又同ごとくにまどろみけり。 △しばらくありて後、ひとりの侍起きあがり、今一人をおこしていはく、「それ がしすでに夢をかうむる。そのゆへは、天人二體天降らせ給ひ、われを召し具 して、あまの快樂をかうむると見し」といふ。今一人が云やう、「我夢はなは だ是にことなり。天朝二體我を介錯して、ゐんへる野へ到りぬと見る」。其時 兩人僉議してかの伊曾保をおこしければ、寢入らぬいそほが、夢の覺めたる心 地しておどろく氣色に申やう、「御邊たちは、いかにしてか此所にきたり給ふ ぞ。さも不審なる」と申ければ、兩人の物あざ笑つて云、「いそ保は何事をの 給ふぞ。我この所を去事なし。御邊と友にまどろみけり。わが夢はさだまりぬ。 御邊の夢はいかに」と問。伊曾保答云、「御邊は天に到り給ぬ。今一人はゐん へる野へ落ちぬ。二人ながらこの界にきたる事あるべからず。然ば、肴をおき てはなにかはせんと思ひて、それがしこと※※く給はりぬと夢に見侍る」とい ひて、かの肴の入物をあけて見れば、いひしごとくに少も殘さず。その時、ふ たりの者笑ひていはく、「かのいそほの才覺は、ぐわんのうかがふところにあ らず」と、いよ++敬ひ侍るべし。 十七△いそほ諸國をめぐる事 △去程に、いそほはそれより諸國をめぐりあるきけるに、はひらうにやの國り くるすと申帝王、これを愛し給ふ事かぎりなし。國王のもてなし給ふ上は、百 官卿相を始として、あやしの者に至るまでも、これをもてなす事かぎりなし。 △その此の習ひとして、餘の國の帝王より種々の不審をかけあはせ給ふに、も しその不審を啓かせ給はねば、其返報に寶祿を奉る。しかのみならず、不審を 啓かせ給はぬ帝王をば、ひとへにその臣下のごとし。これによつて、諸國の不 審區なり。然に、はひらうにやの帝王へかけさせ給ふ不審啓かせ給はぬ事な し。是ひとへにいそ保が才學とぞ見えける。又、はひらうにやより餘の國へか け給ふ不審は、い曾保がかけ給ふ不審なれば、一つも啓かせ玉ふ國王なし。そ の返報として、あまたの財寶を取らせ給。そのめぐみによりて、いそほもめで たく榮へける事限なし。才智は是朽ちせぬ財とぞ見えける。 十八△伊曾保養子をさだむる事 △さるほどに、いそほいみじく榮へけれ共、年たけ齡おとろゆるに至るまで實 子なし。さるによつて、えうぬすといふさぶらひを養ひて、わが跡を繼がせん。 △ある時、えうぬす大きなる罪科ありけり。心に思ふやう、「此事いそ保知ら るゝならば、たちまち國王へ奏聞して、いかなる流罪にかおこなはれん」と思、 「詮ずる所、たゞ伊そ保を失はばや」と思ふ心出來て、謀書を調へ、「我親い そ保こそりくうるすの帝王に心を合はせ、すでに敵とまかりなり候」と奏しけ れ共、御門敢へて信じ給はず。かるがゆへに、えうぬす二たび謀書を作りて、 叡覽に備ふ。御門此由御覽あつて、「さては疑ふ所なし。急ぎ誅せん」とて、 ゑりみほといふ臣下に仰せて、いそほを誅すべき由綸言ある。 △ゑりみほ勅定の旨を承て、いそほの館へ押し寄せ、則い曾保を搦め取 つて、すでに誅せんとしたりけるが、よく++心に思やう、「世に隱れなき才仁 を失はんも心憂し。たとひわが命は捨つるとも、助けばや」と思ひ、かたはら に古き棺槨ありけるにいそほをおし入て、わが宿に歸り、身をきよめ、急ぎ内 裏へ馳せ參(っ)て、「い曾ほこそ誅つかまつりて候」と申上ければ、御門もいと ゞ御涙に咽ばせ給ひ、惜しませ給ふも御ことはりとぞ見えける。 十九△ねたなを帝王不審の事 △さるほどに、いそほ誅せられける由隱れなし。これによつて、諸國より不審 をかくる事ひまもなし。中にもえしつとの國、ねたなをと申御門よりかけさせ 給ふ御不審にいはく、「我虚空に一つの殿閣を建てむとす。其建てやう以下を 示し給へ。御工匠によつて殿閣たちまち造畢せば、あまたの寶を奉り、その上 年々に御調物を參らすべし。すみやかに此不審を啓き給へ」と書き止め給ふ。 御門此由叡覽あつて、、百官卿相、その外才智學藝にたづさはる程の者どもを召 出され、「この事いかゞ」と問ひ給へ共、少も不審を啓くことなし。是によつ て、御門御無興の御事とぞ聞えける。上下萬民の人々、竝み居て歎き悲しみあ へり。主上御悲しみの餘にの給ひけるは、「さてもいそほを失ひ給事、我 なすわざといひながら、ひとへにわが國のほろびなん基」とぞのたまひける。 「もしこの不審を啓かずは、後日の恥辱量りがたし。いかに+ 」と計にて、 兩眼より御涙がちにて渡らせ給ふ。 廿△ゑりみほ伊曾保が事を奏聞の事 △ある時、ゑりみほひそかに奏聞申けるは、「御歎きを見奉るに、御命もあや うく見えさせ侍る也。今はなにをかつゝみ申べき。いそ保誅すべき由仰付ら れ候時、あまりに惜しく存、公の私をもつて、今まで助けをきて候。違勅の 物を助けをく事、かへつてわが罪も輕からず候へども、かゝる不審も出來なら ば、國中の障り共なりなんとおほせ侍れば、助けてこそ候へ」と申侍れば、御 門なのめならずによろこばせ給ひ、「こは誠にて侍るや。とく++かれを參ら せよ」とて、かへつて御感にあづかりし上は、敢へて勅勘の沙汰すこしもなし。 △これによつて、急ぎいそほを召返さる。伊曾保則參内して、御前にかし こまる。御門此由叡覽あるに、久しく篭居せし故、いとゞ姿もやつれ果て、お かしといふもをろかなるさまなり。御門臣下に仰つけられ、「いそほをよきに いたはり侍るべし」とのたまへば、人々いやましにぞもてなされける。その後、 御門いそ保を召して、かの不審を「いかに」と仰ければ、「いとやすき不審に てこそ候へ。いかさまにも是より御返事あるべき由、仰返させ給ふべし」と奏 しける。申がごとくせさせ給ふ。 △去程に、いそ保を召なをされける上は、かのえうぬすが罪科遁れずして、 かれを、死罪におこなはれんとの勅定なり。然所に、いそほ支へ申けるは、 「とても我をあはれみ給ふ上は、かれをも御ゆるされをかうむりたくこそ候へ。 かの物に諌めをなさば、惡心たちまち飜りて、忠臣となさん事疑ひなし」と奏 しければ、「ともかくも」とてゆるされけり。 伊曾保物語上終 伊曾保物語中 第一△いそほ子息に異見の條々 一△汝此事をよく聞べし。他人に能道を教ゆるといへども、わが身に保たざる △△ことあり。 二△それ人間のありさまは、夢幻のごとし。しかのみならず、わづかなるこ △△の身を助けんがため、やゝもすれば惡道には入やすく、善人には入りがた △△し。事にふれてわが身のはかなき事をかへりみるべし。 三△つねに天道を敬ひ、事ごとに天命ををそれ奉るべし。 四△君に二心なく、忠節をつくすまゝに、命を惜しまず、眞心に仕へ奉るべ △△し。 五△夫人として法度を守らざれば、たゞ畜類にことならず。ほしゐまゝの惡道 △△を修せば、則天罸を受けん事、踵をめぐらすべからず。 六△難儀出で來ん時、廣き心をもつて其難を忍ぶべし。しかれば、たちまち自 △△在の功徳となつて、善人に至るべし。 七△人として重からざる時は威なし。敵必これをあなどる。しかりといへど △△も、したしき人には輕く柔かにむかふべし。 八△我妻女につねに諌めをなすべし。すべて女は邪路に入やすく、能道には入 △△りがたし。 九△慳貪放逸の者にともなふ事なかれ。 十△惡人の威勢をうらやむ事なかれ。ゆへいかにとなれば、のぼる物はつゐに △△は下る物なり。 十一△我言葉を少なくして、他人の語を聞くべし。 十二△△つねにわが口に能道の轡を銜むべし。ことに酒宴の座につらなる時、物 △△いふ事を愼しむべし。ゆへいかんとなれば、酒宴の習ひ、よきことばを退 △△けて狂言綺語を用ゆるものなり。 十三△能道を學する時、その憚りをかへりみざれ。習ひ終れば君子となるもの △△なり。 十四△權威をもつて人を從へんよりは、しかじ、柔かにして人になつかしんぜ △△られよ。 十五△祕す事を女に知らすべからず。女は心はかなうして、外に漏らしやすき △△物なり。それによつて、たちまち大事も出できたれ。 十六△汝乞食非人をいやしむる事なかれ。かへつて慈悲心ををこさば、天帝の △△助けに預べし。 十七△事の後に千萬悔ゐんよりは、しかじ、事のさきに一たび案ぜよ。 十八△極惡の人に教化をなす事なかれ。まなこを愁うる者のためには、ひとり △△かへつて障りとなるがごとし。 十九△病を治するには藥をもつてす。人の心のまがれるをなをすには、能教 △△へをもつてするなり。 廿△老者の異見を輕しむる事なかれ。老いたる者は、その事、我身にほだされ △△てなり。汝も年老い齡かさなるに從つて、其事たちまち出來すべし。 第二△ゑしつとの帝王より不審の返答の事 △去程に、いそほかのはかり事に巧みけるは、きりほといふ大なる鳥を四つ生 きながら取つて、その足に篭を結いつけ、その中に童子一人づゝ入おき、其鳥 の衣食を持たせ、餌食をあぐる時は飛びあがり、さぐる時は飛びさがるやうに して、以上四つこしらへたり。是をこゝろむるにつゝがなし。此由を奏聞すれ ば、御門大きに御感あり。さらばとてゑしつとに到りぬ。ゑしつとの人々、い そほが姿のおかしげなるを見て、笑ひあざける事かぎりなし。されども、いそ 保少も憚る氣色もなく庭上にかしこまる。國王此由叡覽あつて、「はひらうに やの御使は、御邊にて侍るか。虚空に殿閣立べきとの不審はいかに」とのたま へば、「承候」とてわが屋に歸りぬ。 △されば、此事風聞して、都鄙なんきやうの者共是を見んとて都にのぼりぬ。 その日に臨んで、かのきりほをこしらへ、庭上に据へ、「所はいづくぞ」と申 ければ、「あの邊こそよかんめれ」と仰ければ、その邊にさし放す。四つの鳥 四所に立ちてひらめきける所に、篭の中よりわらべの聲としてよばゝりけるは、 「この所に殿閣を建てん事やすし。早く土と石を運びあげ給へ」とのゝしりけ れば、御門を始め奉り、月卿雲客、女房達に至るまで、「げにことはりなる返 答かな」とあきれ果ててぞおはしける。御門此由叡覽あつて、「いと賢き謀 かな」とて、いそ保を貴み給ふ。「けふよりして我師たるべし」とさだめ給ひけ るとぞ。 三△ねたなを伊曾保に尋給ふ不審の事 △ねたなを帝王、いそ保に問給はく、「けれしやの國の駒いな鳴時は、當國の ■驛胎む事あり。いかん」との給へば、いそ保申けるは、「たやすく答がたふ 候。いかさまにも明日こそ奏すべけれ」とて、御前をまかり立つ。 △伊曾ほ、その夜猫を打擲す。所の人これをあやしむ。そのゆへは、かの國に は天道を知らず、猫をおもてと敬ひける。かるが故に、これを奏聞に達す。御 門この由きこし召ていそほを召し出され、「汝なにによつてか猫を打つや」との 給へば、いそほ答云、「今夜この猫、我國の庭鳥を食ひ殺し候程に、さてこ そいましめて候へ」と申ければ、「いかでかさる事のあるべき。當國とその國 とは、はるかにほど遠き所なれば、一夜がうちに行かん事いかに」との給へば、 いそほ申けるは、「けれしやの國の駒いななきける時、當國の■驛胎む事あり。 そのごとく、當國の猫もわが國の庭鳥をも■らひ候」と申ければ、「げにも」と のたまひけり。 四△伊曾保帝王に答る物語の事 △去ほどに、ねたなを國王いそ保を語らひ、よな++昔今の物語どもし給ふ。 ある夜、伊曾ほ、夜ふけて、やゝもすれば眠りがちなり。「奇怪なり。語れ + 」と責め給へば、いそ保謹しんで承、叡聞に備へて云、「近き比、ある人 千五百疋の羊を飼ふ。其道に河あり。底深くして、かちにて渡る事かなはず。 つねに大船をもつてこれを渡る。有時、俄に歸りけるに、船をもとむるによし なし。いかん共せんかたなくして、こゝかしこ尋ねありきければ、小舟一艘 汀にあり。又ふたりとも乘るべき舟にもあらず。羊一疋我とともに乘りて渡 る。殘りの羊、數多ければ、そのひまいくばくの費へぞや」といひて、又眠る。 △その時、國王逆鱗あつて、いそ保を諌め給ふ。「汝が睡眠狼藉也。語果たせ」 と綸言あれば、いそほおそれ+ 申けるは、「千五百疋の羊を小舟にて一疋づ つ渡せば、その時刻いくばくかあらん。その間に眠り候」と申ければ、國王大 きに叡感あつて、「汝が才覺量りがたし」。「御さんあれ」とていとまを請ふ。 おかしくも又感情も深かりけり。 五△學匠不審の事 △去程に、ねたなを帝王、國中の道俗學者を召寄せ、「汝らが心におゐて思ふ 不審あらば、此いそ保に尋よ」との給へば、ある人進み出て申けるは、「ある 伽藍の中に柱一本あり。其柱の上に十二の里あり。その里の棟木卅あり。かの 一つの柱、■驛二疋つねにのぼり下る事いかん」。伊曾ほ答云、「いとやすき 事にて候。われらが國には、おさなき者までも是を知る事に候。ゆへいかんと なれば、大伽藍とはこの界の事なり。一本の柱とは一年の事なり。十二里とは 十二か月の事なり。三十の棟木とは卅日の事なり。二疋の■驛とは日夜の事な り」と申ければ、かさねて「いな」と云事なし。 △ある時、御門を始め奉り、月卿雲客袖をつらね、殿上に竝み居給ふ中におゐ て、御門仰けるは、「天地開け始めてよりこのかた、見もせず聞きもせぬ物い かん」とのたまへば、いそほ申けるは、「いかさまにも明日こそ御返事申べけ れ」とて、御前をまかり立つ。さて、其日に臨んで、いそ保參内申ければ、人 々これを聞かんとてさしつどひ給へり。その時、いそ保懷より小文一つ取り いだし、「今日こそわが國へまかり歸る」とて奉りければ、御門開ひて叡覽あ るに、「それりくうるすといふけれしやの帝王より、三十萬貫を借り候所、實 正明白なり」とありければ、御門大きにおどろかせ給ひ、「われ此事を知らず。 汝は知るや」と仰ければ、をの++口をそろへて、「見た事も聞き奉る事もな し」といひければ、その時いそほいひけるは、「さてはきのふの御不審は啓け て候」といひければ、人々「げにも」とぞ云ける。 六△さぶらひ鵜鷹にすく事 △去程に、えしつとの國のさぶらひ共、鵜鷹逍遥を好む事はなはだし。國王是 を諌め給へ共、勅命をもおそれずこれに長ず。御門いそほに仰けるは、「臣下 殿上にまかり出でん時、此費へを語り候へかし」とありければ、かしこまつて 承る。折節官人伺候のみぎり、申いだし給ふやうは、「我國に損人をな をす醫師あり。その養性といふは、器に泥を入れて、その病人をつけ浸す事 日久し。ある病者やうやく十に九つなをりける時、外に出でんとすれども、こ れを制して、門外を出ず、その内を慰みありきける折節、あるさぶらひ馬上に 鷹を据へ、十人に犬牽かせて通りけるを、かの住人走り出、馬の■に取り付き、 支へて申けるやうは、「此乘り給ふ物はなに物ぞ」侍答云)、「是は馬といひ て、人の歩みを助くるものなり」「手に据ゑさせ給ふはなに物ぞ」と問ふ。「こ れは鷹といひて、鳥を取る物なり」「跡に牽かせ給ふはなにものぞ」「これは犬 とて、この鷹の鳥を取る時、下狩する物なり」といふ。住人安じて云、「其費 へいくばくぞや」侍答云)、「毎年百貫あてなり」といふ。「その徳いかほど あるぞ」と問。侍答云)、「五貫三貫の間」といふ。住人笑つていはく、「御 邊この所を早く過ぎさせ給へ。この内の醫者は狂人を治す人なり。もしこの醫 者の聞かるゝならば、御邊を取つて泥の中へをし入らるべし。そのゆへは、百 貫の損をして五三貫の徳ある事を好む人は、たゞ狂人にことならず」といふ。 さぶらひげにもとや思ひけん、それよりして鵜鷹の逍遥をやめ侍りける」とぞ 申ける。此物語を聞きける人々、げにもとや思はれけん、鵜鷹のの藝をやめ けるとぞ。 七△伊曾保人に請ぜらるゝ事 △えしつの都にやんごとなき學匠ありけり。顏かたち見ぐるしき事、いそほに まさりてみにくゝ侍れど、をのれが身の上は知らず、いそほが姿の惡しきを見 て笑ひなんどす。 △ある時、わざと金銀綾羅をもつて座敷を飾り、玉を磨きたるごとくにして、 山海の珍物を調へ、いそほをなん請じける。伊曾保この座敷のいみじきありさ まを見ていはく、「かほどにすぐれて見事なる座敷、世にあらじ」と讚めて、 なにとか思ひけん、かの主のそばへつゝと寄り、顏と唾を吐きかけけるに、主 怒つて云、「こはいかなる事ぞ」と咎めければ、いそ保答云、「我この程心 地惡しきことあり。然に、唾を吐かんとてこゝかしこを見れ共、誠に美々しく 飾られける座敷なれば、いづくにおゐても、御邊の顏にまさりてきたなき所な ければ、かく唾を吐き侍る」といへば、主答へて、「さてもかのいそ保にまさ りて才智利性の人あらじ」と笑ひ語りけり。 八△いそほ夫婦の中なをしの事 △ゑしつとのうち、かさといふ在所に、のとといへる人のありけり。是は富み 榮へて侍れども、其妻のかたは貧しくして、たよりなき父母を持ちて侍りき。 かの妻、もとより腹惡しくて、つねに夫の氣に逆へり。 △ある時、夫に隱れ親のかたへ歸りぬ。其時夫歎き慕ふ事かぎりなし。人を やりてよべども、かつていらへもせず。男あまりの悲しさに、伊曾保を請じて ありのまゝを語、「いかにとしてよび返さんや」と問ひければ、いそ保、「是い とやすき事なり。けふのうちによび返すべき謀を教へ奉らん。」といふ。その 謀に、まづおとづれ物に色々の鳥けだ物を荷はせて、妻のありしもとに行き ていふやう、「我頼みたる人けふ女房を迎へられけるが、砂糖なし。もし此家 にあるか」と問へば、妻これを聞きて、「すはや」とおどろきさはぎて、「われ を捨てて餘の妻をよぶ事無念なり」とて、そのまゝ男のかたへ走り行て、「なん ぞ御邊はことなる妻をよぶとや。ゆめ++その儀かなはじ」などと怒りければ、 男笑つていはく、「けふ汝歸らるべしと思ひ侍れば、そのよろこびのために、 かく珍しき物を買いもとむる」といひて、又いはく、「このはかり事はいそほの 才覺なり」とぞよろこびける。 △それよりいそほは、えしつとの御門の御暇を給はりて本國へ歸りける時、御 約束の寶祿をも取りて致れる。これによつて、御門大きに御感あり。その外、 ゑしつとにてなしける所のことはりども、こま※※と語りければ、「誠にこの いそほはたゞ人ともおぼえぬ者かな」と、人々申あへりけり。 九△伊曾保臨終におゐて鼠蛙のたとへをいひて終る事 △去程に、いそ保りくうるす帝王にも御いとまをたまはつて、諸國修行とぞ心 ざしける。こゝにけれしやの國に到り、諸人によき道を教へければ、人々貴み あへり。又その國のかたはら、てるほすといふ島に渡つて、我道を教けるに、 その所の心惡に極まり、一向これを用いず。いそほ力およばず、歸らんとする 時に、人々評儀して云、「此者を外國へ歸すならば、この島のありさまを謗り なんず。かれが荷物に黄金を入れ、道にておつかけ、盜賊人と號し、失はばや」 とぞ申ける。 △評定してその日にもなりしかば、道にておつかけ、黄金をさがし、盜賊人 と號して、すでに篭者せしむ。やうやく命もあやうく見えしかば、「終り近づ きぬ」とや思ひけん、末胡に云をく事有けり。「されば、古鳥けだ物のたぐひ 交はりをなしける時、鼠蛙)を請じて、いつきかしづきもてなす事極まりなし。 その後、又蛙鼠を請待す。其きたるに臨んで、蛙迎ひに出、蛙鼠にむかつて 云やう、「我もとは此邊なり。さだめて安内知らせ給ふまじとおぼえ候ほどに、 御迎ひにまかり出侍る」と申ければ、鼠かしこまつてよろこび、その時、蛙細 き繩を取り出して、「導き奉らん」とて鼠の足にこれを結いつけたり。かくて たがひに河のほとりに歩み寄つて、つゐに水の中へ入。鼠あはてさはいで蛙に 申けるは、「情なし御邊をばさま※※にもてなし侍けるに、われををばかゝ る憂き目にあはせ給ふや」とつぶやきける所に、鳶此由を見て、「いみじき餌食 かな」と二つながら掴み、つゐに衣食となしてけり。其ごとく、今伊曾保は鼠 のやうにて、御邊たちによき道を教へ侍らんとすれど、御邊たちは蛙のごとく に我をいましめ給ふなり。しかりといへども、鳶となるはひらうにやのえしつ との國王より、さだめて島を攻めらるべし。と申けれぱ、聞きもあへず、傍若 無人のやつばらが、天下無雙の才人を峨々たる山の巖より取つて下に押しをと す。其時いそほ果てにけるとかや。案のごとく、西國の帝王より武士に仰てか の島を攻められける。それよりして、かのいそほが物語を世に傅へ侍也。 十△いそほ物のたとへを引きける事 △つら++人間のありさまを案ずるに、色にめで香に染めける事をもととして、 よき道を知る事なし。されば、この卷物を一本のうへ木には、必花實)あり。 花は色香をあらはす物なり。實はその誠をあらはせり。されば、庭鳥になぞら へてその事を知るべし。庭鳥塵芥にうづもれて餌食をもとむる所に、いとめで たき玉を掻きいだせり。庭鳥かつてこれを用いず、踏みのけてをのれが餌食を もとむ。そのごとく、あやめも知らぬ人には、たゞ庭鳥にことならず。玉のご とくなるよき道をばすこしも用ず、芥なる色香に染みて一生をくらすものなり とぞ見え侍りける。 十一△狼と羊の事 △ある河のほとりに、狼羊と水を飮む事ありけり。狼は上にあり、羊は河裾 にあり。狼羊を見てかのそばに歩み近づき、羊に申けるは、「汝なにの故にか 我飮む水を濁しけるぞ」と云。羊答云、「われ此河裾にあつて濁しける程 に、いかでか河の上の障りとならんや」と申ければ、狼又云、「汝父六か月以前 に河上にきたつて水を濁す。それによつて、汝が親の科を汝にかくる」といへ り。羊答云、「われ胎内にして父母の科を知る事なし。御免あれ」と申けれ ば、狼怒つて云、「その科のみにあらず。われ野山の草をほしいまゝに損ざす 事奇怪なり」と申ければ、羊答云、「いとけなき身にして草を損ざす事なし」 といふ。狼申けるは、「汝何のゆへにか惡口しけるぞ」と怒りければ、羊かさ ねて申けるは、「わが惡口をいふにあらず。そのことはりをこそ述べ候へ」と いひければ、狼のいふやうは、「詮ずる所、問答をやめて汝をこそ服すべけれ」 となんいひける。 △其ごとく、理非を聞かぬ惡人には、是非を論じて所詮なし。たゞ權威と堪忍 とをもつてむかふべし。 十二△犬と羊の事 △ある時、犬羊に行きあひていふやう、「汝に負せける一石の米をたゞ今返せ。 しからずは汝を失はん」といふ。羊大きにをどろき、「御邊の米をば借り奉る 事なし」と云。犬、「こゝに訴人あり」とて、狼ぞ烏ぞ鳶ぞといふものを相語 らひ、奉行のもとへ行きて、この旨を申あらそふ。狼進み出でゝ、申けるは、「此 羊よねを借りける事誠にて侍る」といふ。鳶又出でて申けるは、「我も其訴人 にて候」と申。烏も又同前なり。これによつて、犬にその理を付けられたり。 羊せんかたなさのあまりに、わが毛を削つてこれにあたふ。 △そのごとく、善人と惡人とは、惡人のかたへは多く、善人の味方は少なし。 それによつて、善人といへども、その理を枉げて斷らずといふ事ありけり。 十三△犬と肉の事 △ある犬、肉をくはへて河を渡る。まん中ほどにてその影水に映りて大きに見 えければ、「わがくはゆる所の肉より大きなる」と心得て、これを捨ててかれ を取らんとす。かるがゆへに、二つながら是を失ふ。 △そのごとく、重欲心の輩は、他の財をうらやみ、事にふれて貪る程に、たち まち天罸をかうむる。わが持つ所の財をも失う事ありけり。 十四△師子王・羊・牛・野牛の事 △ある時、獅子王・羊・牛・野牛の四つ、山中をともなひ行くに、いのしゝに 行あひ、則是を殺す。其四つの肢を分けて取らんとす。獅子王支へて申ける は、「われけだ物の王たり。その徳にまづ肢一つわれに得させよ。又、我力、 威勢世にすぐれり。汝らにすぐれて驅けり廻つてこれを殺す。それによつて、 肢一つ得させよ。今一つの相殘る肢をば、たれにてもあれ、手をかけたらん者 は、わが敵たるべし」。これによつて、各々空しくまかり歸る。 △そのごとく、人はたゞわれに似たる者とともなふべし。我より上なる人とと もなへば、いたづがはしき事のみあつて、その徳一つもなき物なり。 十五△日輪と盜人の事 △ある所に盜人一人ありけり。其所の人、「かれに妻をあたへん」といふ。さ りながらとて、學者のもとに行きてこれを問ふに、學者たとへをもつていはく、 「されば、人間天道に仰ぎ申けるは、「日輪妻を持たぬやうに計らひ給へ」と いふ。天道、「いかに」と問ひ給へば、人間答云、「日輪たゞ一つ有さへ炎天 の比は暑さを忍びがたし。しかのみならず、ある時は五穀を照り損ふ。若此日 輪、妻子眷屬盤昌せば、いかゞし奉らん」と申。そのごとく、盜人一人あるだ に物さはがしくかまびすしきに、妻をあたへて子孫繁昌せん事いかん」との給 へば、「げにも」とぞ人々申ける。 △そのごとく、惡人には力を添ゆる事、雪に霜を添ゆるがごとし。仇をば恩に て報ずるなれば、惡人にはその力をおとさする事、かれがためにはよき助けた るべし。 十六△鶴と狼の事 △ある時、狼喉に大きなる骨を立てて、すでに難儀におよびける折節、鶴此由 を見て、「御邊はなに事を悲しみ給ふぞ」といふ。狼泣く++申けるは、「我喉 に大きなる骨を立て侍り。これをば御邊ならでは救ひ給ふべき人なし。ひたす らに頼奉る」と云ければ、鶴件のくちばしを伸べ、狼の口をあけさせ、骨を くはへてゑいやと引きいだす。その時、鶴狼に申けるは、「今より後、此報恩 によつてしたしく申語べし」と云ければ、狼怒つていふやうは、「なん條。汝 がなにほどの恩を見せけるぞや。汝が頚しやふつと食いきらぬも、今それがし が心にありしを、助けをくこそ汝がためには報恩なり」といひければ、鶴力に およばず立ち去りぬ。 △そのごとく、惡人に對して能事を教といへども、かへつてその罪をなせり。 然といへども、惡人に對してよき事を教へん時は、天道に對し奉りて御奉公 と思ふべし。 十七△獅子王と驢馬の事 △ある師子王通りける所を、驢馬是をあざける。獅子王此由を聞きて、「あつ ぱれ食い殺してんや」と怒りけるが、「しばし」とてゆるす心出來ける。その ゆへは、「われとひとしき者にもあらば、其あらそひもおよび侍るべけれ共、 かれらがごとく宿世つたなき者に、あたら口をけがさんもさすがなれば」とて ゆるし侍りき。 △其ごとく、無智の輩にむかつて是非を論ずべからず、といへる心なるべし。 驢馬とは、無知の輩をさすべし。獅子王とは、才知儀しかる者をたとふるなり。 十八△京田舍の鼠の事 △ある時、都の鼠片田舍に下侍りける。夷中の鼠ども、これをいつきかしづく 事かぎりなし。これによつて夷中の鼠を召し具して上洛す。しかもその住所は、 都の有徳者の藏にてなん有ける。かるがゆへに、食物足つて乏しき事なし。 都の鼠申けるは、「上方にはかくなんいみじき事のみおはすれば、いやしき夷 中に住み習ひてなににかはし給ふべき」など語慰む所に、家主藏に用ある事 あつて、俄に戸を開く。京の鼠は、もとより安内者なれば、わが穴に逃げ入ぬ。 夷中の鼠は、もとより無安内の事なれば、あはてさはぎて隱れ所もなく、から うじて命計助かりける。その後、田舍の鼠、參會して此由を語るやう、「御 邊は宮古をいみじき事のみありとの給へど、たゞ今の氣づかひ、一夜白髮とい ひつべく候。田舍にては事足らぬことも侍れ共、かゝる氣づかひなし」となん 申ける。 △そのごとく、いやしき物は、上つかたの人にともなふ事なかれ。もししゐて これとともなふ時は、いたづがはしき事のみにあらず、たちまちわざはひ出 來すべし。「家貧の樂しむ者は、萬事かへつて滿足す」と見えたり。かるが故に、 ことわざにいはく、「貧樂」とこそいひ侍き。 十九△狐と鷲の事 △ある時、鷲我子の餌食となさんがため、狐の子を奪ひ取つて飛び去りぬ。狐 天に仰ぎ地に臥して歎き悲しむといへども、その甲斐なし。狐心に思ふやう、 「いかさまにも鷹の仇には煙にしく事なし」とて、柴といふ物を鷲の巣のもと に集めて、火をなんつけければ、鷲の子焔のうちに悲しむありさま、誠にあは れに見えける。その時、鷲千たび悲しめ共甲斐なし。つゐに燒きおとされて、 たちまち狐のために其子を■らはる。 △そのごとく、當座我勝手なればとて、下ざまの者に仇をなしをく事なかれ。 人の思ひの積りぬれば、つゐにはいづくにか遁るべき。「高き堤も蟻の穴より くづれ始むる」となんいひける。 二十△鷲とかたつぶりの事 △有時、鷲かたつぶりを■らはばやと思ひけれど、いかんともせん事を知らず、 思ひわづらふ所に、烏かたはらより進み出て申けるは、「此かたつぶりをほろ ぼさん事、いとやすき事にてこそ侍。我申ベきやうにし給ひて後、我に其半分 をあたへ給はば、教へ奉らん」といふ。鷲うけがうてその故を問ふに、烏申け るは、「かのかたつぶりを掴みあがり、高き所よりおとし給はば、その殻たち まちに碎けなん」といふ。案のごとくし侍ければ、たやすく取つてこれを食ふ。 △そのごとく、たとひ權門高家の人成共、わが心をほしゐまゝにせず、智者の 教へに從ふべし。そのゆへは、鷲と烏をくらべんに、その徳などかはまさるべ きなれども、かたつぶりのしはざにおゐては、烏もつともこれを得たる。事に ふれて事ごとに人に問ふべし。 廿一△烏と狐の事 △ある時、狐餌食をもとめかねて、こゝかしこさまよふ所に、烏肉をくわへ て木の上におれり。狐心に思ふやう、われ此肉を取らまほしくおぼえて、烏の 居ける木のもとに立寄り、「いかに御邊、御身は萬の鳥の中にすぐれてうつくし く見えさせおはします。しかりといへども、すこし事足り給はぬ事とては、御 聲の鼻聲にこそ侍れ。たゞし、この程世上に申しは、「御聲もことの外によく わたらせ給ふ」など申てこそ候へ。あはれ一節聞かまほしうこそ侍れ」と申け れば、烏此儀を誠と心得て、「ものことに、さらば聲をいださん」とて口をはた けけるひまに、終に肉をおとしぬ。狐是を取つて逃げ去ぬ。 △そのごとく、人いかに讚むるといふとも、いさゝか眞と思ふべからず。もし この事をすこしも信ぜば、慢氣出來せん事疑ひなし。人の讚めん時は、謹(つ) しんでなを謙るべし。 廿二△馬と犬との事 △ある人、ゑのこをいといたはりけるにや、その主人外より歸りける時、かの えのこその膝にのぼり、胸に手をあげ、口のほとりを舐り廻る。これによつて、 主人愛する事いやましなり。馬ほのかに此由を見て、うら山しくや思ひけん、 「あつぱれ我もかやうにこそし侍らめ」と思ひさだめて、ある時、主人外より 歸りける時、馬主人の胸にとびかゝり、顏を舐り、尾を振りてなどしければ、 主人是を見てはなはだ怒りをなし、棒をおほ取(っ)て、もとの厩におし入ける。 △そのごとく、人の親疎をわきまへず、わがかたより馳走顏こそはなはだもつ ておかしき事なれ。我程々に從つて、其挨拶をなすべき也。 廿三△師子王と鼠の事 △ある時、師子王前後も知らず臥しまどろみける所に、鼠あまたさしつどい、 あそびたはぶれける程に、臥たる獅子王の上に鼠一つとびあがりぬ。其時、獅 子王めさめをどろき、この鼠を取りて提げ、すでにうち碎かんとしけるが、獅 子王心に思やう、「これほどの者共を失ひければとて、いかほどの事あるべき や」といひて、助け侍りき。鼠命を拾い、「さらに我ら巧みける事に侍らず。 あまりにあそびたはぶれける程に、まことのけがにて侍れ」と、かの獅子王を 禮拜して去りぬ。 △其後、獅子王有所にてわなにかゝり、すでに難儀におよびける時、鼠此由を 聞きて、急ぎ師子王前に馳せ參じ、「いかに師子王、きこしめせ。いつぞやわ れらを助け給ふその御恩に、今又助け侍らん」とて、かのわなの端々を食ゐ切 り、獅子王を救ひてけり。 △そのごとくに、あやしの物なりとて、したしくなつけ侍らんに、いかでかそ の徳を得ざらん。たゞ威勢あればとて、凡下の者をいやしむべからず。 廿四△燕と諸鳥の事 △ある所に、燕と萬の鳥と集まり居けるほどに、燕申やう、「こゝに麻といふ 物蒔く所あり。をの++是を引き捨て給へかし」と歎きければ、諸鳥是に與せ ぬのみならず、かへつて燕をあざける。燕申やう、「御邊たちなに事を笑給ふ ぞ。この麻と申は、苧といふ物になん成て、わなぞかづらぞとて、われらがた めには大敵也。をの++は後日のわざはひを知り給はず」と申けれども、諸鳥 とも同心せず。その時、燕申やう、「所詮、御邊たちと向後與する事あるべか らず」とて、諸鳥に變つて、燕は人の内に巣をくふ事も、これや初にて有ける。 △そのごとく、あまたの人の中をひ出て能道を示すといへ共、用いずは卷ひて 懷にす。又、いかに人同やうに惡ししと云共、其味をなめ心みよ。智者のい ふこと、などかは惡かるべき。 廿五△かはづが主君を望む事 △あてえるすといふ所に、その主君なくて、何事も心にまかせなんありける。 その所の人あまりに誇りけるにや、「主人をさだめばや」なんどと議定して、 すでに主人をぞさだめける。かるが故に、いさゝかの僻事あれば、その人罪科 におこなふ。これによ(っ)て、里の人に主君をさだめけるを悔ゐ悲しめども、 甲斐なし。 △その比、いそほその所に到りぬ。所の人々此ことを語に、そのよしあしをば いはず、たとへを述べて云、「昔ある河に、あまたの蛙集まり居て、「我主人 をさだめばや」と議定し侍りき。「もつとも然るべし」とて、各天に仰、「我 主人をあたへ給へ」と祈誓す。天道是をあはれんで、柱を一つ給りけり。その 柱の河におち入音、底に響きておびたゝし。此聲におそれて、蛙ども水中に沈 み隱る。しづまつて後、淤泥の中よりまなこを見あげ、「なに事もなきぞ。ま かり出よ」とて、をの++渚にとびあがりぬ。さてこの柱を圍繞して、我主人 とぞもてなしける。されども、無心の柱なれば、終にあざけつて、各此上に とびあがり、又天道に仰ぎけるは、「主人は心なき木也。同は心あらん物をた べかし」と祈りければ、「憎ひしやつばらが物好みかな」とて、このたびは鳶 を主人とあたへ玉ふ。主君によ(っ)て、蛙かの柱の上にあがる時は、鳶是をも つて餌食とす。其時、蛙千たび後悔すれ共、甲斐なし」。 △そのごとく、人はたゞわが身にあたはぬ事を願ふ事なかれ。初より人に從ふ 者の、今さら獨身とならんもよしなき事也。又、自由に有ける人の、主人を頼 むも僻事なり。たゞそれ++にあたる事を勤むべき事もつぱらなり。 廿六△鳶と鳩の事 △ある時、鳩と鳶と竝び居ける所に、鳶此鳩をあなどつて、やゝもすれば餌食 とせんとす。その鳩僉議評定して、鷲のもとに行きて申けるは、「鳶と云下 賎の無道仁有。やゝもすればわれらにこめみせ顏なり。今より以後、その振 舞をなさぬやうに計らひ給はば、主君と仰ぎ奉らん」といひければ、鷲やすく うけがつて、鳩を一度に召し寄せ、片端に捻ぢ殺しぬ。その殘る鳩申けるは、 「これ人のしわざにあらず。われとわが身をあやまつなり。鷲の計らひ給ふ所、 道理至極なり」となんいひける。 △そのごとく、いまだ我身に初めよりなき事をあたらしくしいだすは、かへつ てその悔ゐある物なり。「事の後に千たび悔ゐんよりは、事のさきに一たびも 案ぜんにはしかじ」とぞ見えける。いさゝかの歎きを忍びかねて、かゑつて大 難を受くる物多し。かるがゆへに、ことわざにいふ、「小難をしのぐ。されば、 かへつて大謀を亂る」とも見えたり。 廿七△烏と孔雀の事 △ある時、烏孔雀を見て、かのつばさにさま※※のあやある事をうらやみ、と ある木蔭に孔雀の羽の落ちけるを拾ひ取つて、我尾羽にさし添へて、孔雀の振 舞をなし、わが傍輩をあなづりけり。孔雀此由を見て、「汝はいやしき烏の身 となり、なんぞわれらが振舞なしけるぞ」とて、思ふまゝにいましめて、交は りをなさず。その時、烏もとの傍輩にいふやう、「我よしなき振舞をなして、 恥辱を受くるのみならず、さん※※にいましめられぬ。御邊たちは若き人なれ ば、向後その振舞をなし給ふな」とて申ける。 △其ごとく、身いやしうして上つ方の振舞をなし、あるひは交はりをなせば、 つゐ((ひ))にをのれがもとの姿をあらはすによ(っ)て、恥辱を受くる事 さだまれる儀なり。惡人として、一旦善人の振舞をなせども、終にわが本性を あらはす物也。これを思へ。 廿八△蝿と蟻との事 △ある時、蝿蟻にむかつて誇りけるは、「いかに蟻殿、謹(つ)しんで承はれ。 われほど果報いみじき物は世に有まじ。其ゆへは、天道に奉る、あるひは國王に 備はる物も、まづわれさきになめこゝろむ。しかのみならず、百官卿相の頂 をもおそれず、ほしゐまゝにとびあがり候。わとのばらが有さまは、あつぱれ つたなきありさま」とぞ笑ひ侍りき。蟻答云、「もつとも御邊はさやうにこ そめでたくわたらせ給へ。但世に沙汰し候は、御邊ほど人にきらはるゝものな し。さらば、蚊ぞ蜂ぞなどのやうにかひ※※しく仇をもなさで、やゝもすれば 人に殺さる。しかのみならず、春過夏去りて、秋風立ぬる比は、やうやくつば さをたゝき、頭を撫でて手をするさまなり。秋深くなるに從つて、つばさより 腰拔けて、いと見ぐるしきさまとぞ申傳へける。わが身はつたなき者なれども、 春秋の移るをも知らず、ゆたかにくらし侍るなり。みだりに人をあなづり玉ふ 物かな」と恥ぢしめられて立ち去りぬ。 △そのごとく、いさゝかわが身にわざあればとて、みだりに人をあなづる時は、 かれ又をのれをあなづるものなり。 廿九△鼬の事 △ある時、鼬鼠のわなにかゝる事ありけり。その主是を見つけて、たちまち殺 さんとす。鼬支へて申けるは、「いかに主人聞召せ。われを殺し給ふべきこと はりなし。その故は、御内に徘徊する鼠といふいたづら物をばほろぼし候。そ の上、いささか御障りともなる事候はず」と申ければ、主答云)、「なにをも つてか助くべき道理とせんや。鼠をほろぼすといふも、我潤色にあらず、汝 が餌食とせんためなり。いはれなし」とてうち殺しぬ。 △其ごとく、我難儀出來するとて、あはててことばをいふべからず。初め終り を思案すべし。命を失はんのみならず、後日のあざけり口おししとなり。 卅△馬と師子王の事 △ある時、馬野ヘ出て草をはげみける所に、師子王ひそかに是を見て、「かの 馬を食せん」と思ひしが、「まづ武略をめぐらしてこそ」と思ひ、馬の前にか しこまつて申けるは、「御邊は此程何事をかは習ひ給ふぞ。我はこのごろ醫學 をなんつかまつり候」となん申ければ、馬獅子王の惡念をさとつて、「我もた ばからばや」と思ひ、獅子王にむかつて申ける。「そも++御邊は、うら山し くも醫學を習はせ給ふ物哉。幸わが足に株を踏み立ててわづらふなり。御覽じ てたべかし」となんいひける。師子王得たりと見んといふ。さらばとて、馬片 足をもたげければ、獅子王なに心もなくあをのきになつて、爪のうらを見る所 を、もとより巧みし事なれば、したゝかに獅子王のつらを續けさまに踏んだり ける。さしも猛き獅子王も、氣を失ひて起きもあがらず。そのひまに、馬はは るかに驅け去りぬ。その後、師子王はう++と起きあがり、身震ひして、ひと りごとを申けるは、「よしなきそれがしがはかり事にて、すでに命を失はんと す。道理の上よりもつて、いましめをかうぶる事、これ馬のわざにあらず、た だ天道の御いましめ」とぞおぼえける。 △そのごとく、一切の人間も、知らぬ事を知り顏に振舞はば、たちまち恥辱を 受けん事疑ひなし。知る事を知るとも、知らざる事をば知らずとせよ。ゆるか せに思ふ事なかれ。 卅一△獅子王とはすとる事 △ある時、師子王其足に株を立て、その難儀におよびける時、悲しみのあまり はすとりのほとりに近づく。はすとるこれをおそれて、我羊をあたへてけり。 師子王、羊を犯さず、わが足をはすとりの前にもたぐ。はすとりこれを心得て、 その株を拔いて、藥をつけてあたへぬ。それより獅子王山中に隱れぬ。 △ある時、かの師子王狩に囚はれて篭に入られ、罪人を入れて是を■らはしむ。 又、かのはすとり、その罪あるによ(っ)て、かの獅子篭にをし入。獅子王敢へて これを犯さず。かへつて涙を流いてかしこまりぬ。しばらくあつて、人々篭の 内を見るに、さしもに猛き獅子王、耳を垂れ、膝を折つて、かのはすとるを警 固す。物の具を入れて犯さんとするに、獅子王是をかなぐり捨つ。主此事を聞 きて、「汝なにのゆへにかかくけだものにあはれまれけるぞ」といひければ、件 の子細を申あらはす。人々此由を感じて、「かゝる畜生に至るまで、人の恩を ば報じけるぞや」と感じあはれみける。これによ(っ)て、獅子王もはすとるを もゆるされぬ。 △其ごとく、人として恩を知らぬは、畜生にも劣る物也。人に恩をなす時は、 天道これを受け玉ふなり。いさゝかの恩をも人に請ば、これを報ぜんとつねに 思へ。 卅二△馬と驢馬の事 △ある時、能馬、能皆具おゐて、その主を乘せて通りける。かたはらに驢馬一 疋行あひたり。かの馬怒つて云、「驢馬、なにとて禮拜せぬぞ。汝を踏み殺さ んもいとやすき事なれども、汝らがごときの物は、從へても事の數にならぬは」 とて、そこを過ぬ。 △其後、何とかしたりけん、かの馬二つの足を踏み折つて、なにの用にも立ぬ やうもなし。これによ(っ)て、土民の手に渡り侍りき。いやしきしづの屋に使 ひける習ひ、糞土を負せて牽きありきぬ。その馬のさまも、痩せおとろへ、あ るかなきかの姿になり侍りぬ。 △ある時、この馬糞土を背負ふて通りけるに、件の驢馬行あひけり。かの驢馬 つく※※と此馬を見て、「さても+ 御邊は、いつぞやわれらをのゝしり給ふ 廣言の馬にてわたらせ給はずや。なにとしてかはかゝるあさましき姿となつて、 かほどいやしき糞土をば負い給ふぞ。我いやしく住みなれ候へども、いまだか かる糞土をば負はず。いつぞやのよき皆具共は、いづくにをかせ給ふぞ」と恥 ぢしめければ、返事もなふて逃げ去りぬ。 △そのごとく、人の世にあつて、高き位に有といふ共、下臈の者をあなづる事 なかれ。有爲無常の習ひ、けふは人の上、あすは我身の上と知るべし。一旦の 榮華に誇つて、人をあやしむる事なかれ。 卅三△鳥けだものと戰ひの事 △有時、鳥、けだものとすでに戰ひにおよぶ。鳥の云、軍に負けて今はかうよ と見えける時、かうもり畜類にこしらへ返る。鳥ども愁へて云、「かれらがご ときの物さへけだものに降りぬ。今はせんかたなし」と悲しむ所に、鷲申)け るは、「なに事を歎くぞ。われこの陳にあらんほどは頼もしく思へ」と諌めて、 又けだものの陳に押し寄せ、このたびは鳥の軍よかんめれ、たがひに和睦して んげり。その時、鳥ども申けるは、「さてもかうもりは二心ありける事、いか なる罪科をかあたへん」といふ。中に故老の鳥敢へて申けるは、「あれ程の物 をいましめてもよしなし。所詮けふよりして、鳥の交はりをなすべからず。白 日に徘徊する事なかれ」といましめられて、鳥のつばさを剥ぎ取られ、今は澁 紙の破れを着て、やう++日暮にさし出けり。 △そのごとく、人も、したしき中を捨てて、無益の物と與する事なかれ。「六 親不案なれば、天道にも外れたり」と見えたり。 卅四△かのしゝの事 △ある時、かのしゝ河のほとりに出でて水を飮みける時、汝が角の影水に映(っ) て見えければ、此角のありさまを見て、「さてもわが戴きける角は、萬のけだ ものの中に、又ならぶ物あるべからず」と、かつは高慢の思ひをなせり。又、 わが四つ足の影水底に映(っ)て、いとたよりなく細くして、しかも蹄二つに割れ たり。又しゝ心に思ふやう、「角はめでたふ侍れど、わが四つの足はうとまし げなり」と思ひぬる所に、心より人の聲ほのかに聞え、其外犬の聲もしけり。 是によ(っ)て、かのしゝ山中に逃げ入、あまりにあはてさはぐ程に、ある木のま たにをのれが角を引きかけて、下へぶらりとさがりにけり。拔かん+ とすれ どもよしなし。しゝ心に思ふやう、「よしなきたゞ今のわが心や。いみじく誇 りける角も我あとになつて、うとんじて、四つの肢こそ我助ける物を」と、 ひとりごとして思ひ絶へぬ。 △そのごとく、人もまた是に變らず。「いつきかしづきける物は仇となつて、 うとんじ退けぬるものは我助けとなる物を」と後悔する事、これありける物な り。 卅五△庭鳥と狐との事 △ある時、狐餌食にもとめかね、こゝかしこをさまよう所に、庭鳥行きあひた り。得たりや賢しとこれを取りて■らはんとす。庭鳥此事をさとりて、ある木 の枝に飛びあがりぬ。狐手を失ふてせんかたなさに、「所詮庭鳥をたぶらかし てこそ食はめ」と思ひて、かの木のもとに立ち寄つて、「いかに庭鳥、きこし めせ。このごろ、萬の鳥けだものの中なをりする事ありけり。御邊は知らせ給 はぬか。久しく申承はらぬによ(っ)て、わざとこそ是まで參りて候へ」と、い と睦ましげに語ければ、庭鳥狐の武略をさとつて、「誠にかゝる折節に生れあ ひぬる事こそめでたふ候へ。よくあひたり。犬能やうに計らひ玉ふべし」とい ひて、さらにおりず。狐かさねて申けるは、「まづ此所にをりさせ給へ。ひそ かに申べき事あり」と、しきりによべどもつゐにおりず。庭鳥用ありさうにあ なたのかたをながめければ、狐下より見あげて、「御邊は何事を見給ふぞ」と 申ければ、「さればとや、たゞ今御邊の物語し給ふ事を告げ知らせんとや思は れけん、犬二疋馳せきたられ候」と申ければ、狐あはてさはひで、「さらばま づそれがしは、御いとま申」とて去らんとす。庭鳥申けるは、「いかに狐、鳥 けだものの中なをりしける折節、なに事かは候べき。そこに待ちて、犬と交は り給へ」と支へければ、狐かさねて申やう、「もしかの犬中なをる事知らずは、 わがために惡しかりなん」とて逃げ去りぬ。 △そのごとく、たとひ人我に仇をなすべき者とさとるとも、仇をもつてむかふ べからず。かれが武略にてむかはば、我も武略をもつて退くべし。 卅六△腹と五體の事 △ある時、五體、六根をさきとして、腹を猜んで申けるは、「われら面々は、 幼少の時よりその營みをなすといへども、件の腹といふものは、若うより終に なす事なくて、あまつさへわれらを召し使ふわざをなんしける。言語道斷、奇 怪の次第なり。今より以後、かの腹に從ふべからず」とて、五三日は五體六根 何事もせず、食事をもとゞめておるほどに、初は腹一人の難儀とぞ見えける。 かくて日數經にけるほどに、なじかはよかるべき。五體六根迷惑して、つゐに くたびれ極まる。困窮するにおよびて、「もとのごとく腹に從ふべし」といふ。 △そのごとく、人としても、今までしたしき中を捨てて、從ふべき者に從はざ れば、天道にも背き、人愛にも外れなんず。かるが故に、ことわざに云、「鳩 をにくみ豆作らぬ」とかや。 卅七△人と驢馬のの事 △ある人、驢馬に荷を負せて行くに、此驢馬やゝもすれば行なづむ事有けり。 この人、「奇怪なり」とて、いたく鞭を負せければ、驢馬申けるは、「かゝる 憂き目にあはんよりは、しかじ、たゞ死なばや」とぞ申ける。かの人なをいた くいましめて追ひやるほどに、行つかれてつゐに命終りぬ。かの人心に思ふや う、「かゝる宿世つたなき物をば、その皮までも打ちいましめて」とて、太鼓に 張りて枹をあてけり。 △其ごとく、人の世にある事も、いさゝかの難艱なればとて、死なんと願ふべ からず。なにしか命の終りを待たず、身を投げなんどする事は、至つて深き罪 科たるべし。これを愼しめ。 卅八△狼とはすとるの事 △ある狩人、狼狩り行けるに、この狼有木蔭に隱れおれり。しかるを、はす とる見つけてけり。それによ(っ)て、この狼はすとるにむかつて申けるは、「我 命を助け給へ」。ひたすら頼む。それははすとりやすくうけごふ。狼心やすく ゐける所に、狩人きたつてはすとりに申けるは、「此邊に狼やきたる」と尋ねけ れば、はすとり目使いにてこれを教へける。かり人、その所をさとらず、はる か奧に行き過たり。その後、狼まかり出て、いづくとも知らず逃げ去りぬ。 △ある時、此狼のはすとりに行きあひけり。はすとり申けるは、「わごぜはい つぞや助けける狼か」といへば、狼答云、「さればとよ、御邊のことはよか んなれど、御邊のまなこは拔き捨てたく侍る」とぞ申ける。 △其ごとく、われも人も、外によき事をする顏なれ共、内心はなはだ惡道なれ ば、かのはすとりにことならず。すみやかに、内心の隔てをなす事なく、一心 不亂に善事をすべし。 卅九△猿と人の事 △昔、正直なる人と虚言をのみいふ人とありけり。此二人、猿のある所に行き けり。しかるに、ある木のもとに、猿ども數多竝み居て、中に秀で、をの++ 敬し猿あり。かのうそ人、猿のそばに近づきて、例のうそを申けるは、「是に 氣高く見えさせ給ふは、ましら王にて渡せ給ふか。その外面々見えさせ給ふは、 月卿雲客にわたらせ給ふか。あないみじきありさま」とぞ讚めける。ましら この由を聞きて、「憎き人の讚めやうかな。是こそ眞の帝王にておはしませ」 とて、引出物などしける。 △しかるを、かの正直なる者思ふやう、「これはうそをいふにだに引出物出し たりければ、眞をいはんになにしかは得ざらん」とて、かの猿の邊に行て申け るは、「面々の中に、年たけ齡をとろえて、首の剥げたるもあり、さかんにし てよく物まねするべくもあり」なんどぞ、ありのまゝに申ければ、ましら大き に怒つて、猿どもいくらもむさぶりかかつて、つゐに掻き殺しぬ。 △そのごとく、人の世にある事も、こびへつらふ物はいみじく榮へ、すなをな る物はかへつて害を受くる事あり。この儀をさとつて、すなをなる上にまかせ て、悔ゆる事なかれ。 四十△師子王と驢馬の事 △ある時、驢馬、獅子王に行あひ、「いかに獅子王、我山に來り給へ。威勢のほ どを見せ參らせん」といふ。師子王おかしと思へども、さらぬ體にてともなひ 行く。山のかたはらにおゐて、驢馬おびたゝしく走りめぐりければ、その音に おそれて、狐狸ぞなどいふ物、こゝかしこより逃げ去りぬ。驢馬獅子王に申け るは、「あれ見給へや、獅子王。かほどめでたき威勢にて侍る」と誇りければ、 師子王怒つて云、「奇怪なり、驢馬。我はこれ師子王也。汝らがごとく下臈の 身として、尾篭を振舞ふ事狼藉なり」といましめられて、まかり退く。 △その下輩の身として、人とあらそふ事なかれ。やゝもすれば、我身のほどを かへりみずして、人とあらそふ。果てには恥辱を受くるもの也。ゆるかせに思 ふ事なかれ。 伊曾保物語中終 伊曾保物語下 第一△蟻と蝉の事 △去程に、春過夏たけ、秋も深くて、冬のころにもなりしかば、日のうら++ なる時、蟻穴より這ひ出、餌食を乾しなどす。蝉きたつて蟻と申は、「あない みじの蟻殿や。かゝる冬ざれまでも、さやうにゆたかに餌食を持たせ給ふもの かな。われにすこしの餌食をたび給へ」と申ければ、蟻答云、「御邊は、春 秋の營みにはなに事をかし給ひけるぞ」といへば、蝉答云、「夏秋身の營み とては、木末にこたふばかりなり。その音曲に取り亂し、ひまなきまゝにくら し候」といへば、蟻申けるは、「今とてもなど歌ひ給はぬぞ。謠長じてはつゐ に舞とこそは承はれ。いやしき餌食をもとめて、何にかはし給ふべき」とて、 穴に入ぬ。 △そのごとく、人の世にある事も、我力におよばんほどは、たしかに世の事を も營むべし。ゆたかなる時つゞまやかにせざる人は、貧しうして後、悔ゆる物 なり。さかんなる時學せざれば、老て後悔ゆるものなり。醉ひのうちに亂れぬ れば、醒めての後悔る物なり。返々も是を思へ。 二△狼といのしゝの事 △さるほどに、いのしゝ、子共あまた竝み居ける中に、ことにちいさきいのし し、我慢おこして、「總の司となるべし」と思ひて、齒を食ひしばり、目を怒 らし、尾を振つてとびめぐれども、傍輩ら一向是を用いず。かのいのしゝ氣を 碎ひて、「所詮かやうのやつばらに與せんよりは、他人に敬はればや」と思ひ て、羊どもの竝み居たる中に行て、前のごとく振舞ひければ、羊勢におそれ て逃げ隱れぬ。さてこそ此いのしゝ本座を達して居ける所に、狼一疋馳せ來り けり。「あはや」とは思へ共、「われはこれ主なれば、かれもさだめてをそれな ん」とて、さらぬ體にてゐける所を、狼とびかゝり、耳をくわへて山中に到り ぬ。羊もつて合力せず。おめき叫び行くほどに、かのいのしゝ傍輩、この聲を 聞きつけて、つゐに取り篭め助けにけり。その時こそ、「無益の謀叛しつる物 かな」と、もとのいのしゝらに降參しける。 △そのごとく、人の世にある事も、よしなき慢氣をおこして、人を從へたく思 はば、かへつてわざはひを招くものなり。つゐにはもとのしたしみならでは、 眞の助けになるべからず。 三△狐と庭鳥の事 △ある時、庭鳥苑に出て餌食をもとむる所に、狐、「これを■らはばや」と思 ひ、まづ謀をめぐらして申けるは、「いかに庭島殿、御邊の父御とはしたし く申承候ぬ。この後は御邊とも申承はらめ」といひければ、庭鳥實かな ど思ふ所に、狐申けるは、「さても御邊の父子は、御聲のよかんなるぞ。あは れ一節歌ひ候へかし。聞侍らん」と云。庭鳥讚めあげられて、すでに歌はんと して目を塞ぎ、頚をさし伸べける所を、しやかしとくわへて走るほどに、庭鳥 の鳴聲を聞きつけて、主おつかけて、「わが庭鳥ぞ」と叫びければ、狐をたばか りけるは、「いかに狐殿、あのいやしき物の分として、我庭鳥と申候に、御邊 の庭鳥にてこそあれと返答し給へ」といひければ、狐げにもとや思ひけん、そ の庭鳥をさし放し、跡を見返るひまに、庭鳥すでに木にのぼれば、狐大きに仰 天して、空しく山へぞ歸りける。 △其ごとく、人がものをいへと教ゆればとて、思案もせず、あはてて物を云べ からず。かの狐が庭鳥を取り損ひけるも、思案なげに物をいひけるゆへにぞ。 四△龍と人の事 △ある河のほとりを、馬に乘りて通る人ありけり。其かたはらに、龍といふも の、水に離れて迷惑するありけり。此龍今の人を見て申けるは、「われ今水に 離れてせんかたなし。あはれみを垂れ給ひ、その馬に乘せて水ある所へ着けさ せ給はば、その返報として金錢を奉らん」といふ。かの人誠と心得て、馬に乘 せて水上へ送る。そこにて、「約束の金錢をくれよ」といへば、龍怒つて云、 「なんの金錢をか參らすべき。我を馬に括り付けて痛め給ふだにあるに、金錢 とは何事ぞ」といどみあらそふ所に、狐馳せ來(っ)て、「さても龍殿は、なに事 をあらそひ玉ふぞ」といふに、龍右のおもむきをなんいひければ、狐申けるは、 「われこの公事を決すべし。さきに括り付けたるやうは、なにとかしつるぞ」 といふに、龍申けるは、「かくのごとし」とて、又馬に乘るほどに、孤人に申 けるは、「いか程か締め付らるぞ」といふ程に、「これ程」とて締めければ、龍 の云、「いまだそのくらいなし。したたかに締められける」といへば、「これ程 か」とて、いやましに締め付けて、人に申けるは、「かゝる無理無法なるいた づら者をば、もとの所へやれ」とておつ立たり。人げにもとよろこびて、本の 畠におろせり。其時、龍いくたび悔やめども、甲斐なくしてうせにけり。 △そのごとく、人の恩をかうむりて、その恩を報ぜんのみ、かへつて人に仇を なせば、天罸たちまちあたるものなり。これをさとれ。 五△馬と狼の事 △ある馬山中を通りけるに、狼行きむかつて、すでに此馬を■らはんとす。馬 計事に申けるは、「此所におゐて我を餌食となし給はば、後代の聞え惡しか りなんず。猶山深く召つれ給へ。なにと成共計らひ給へ」と申ければ、狼げに もと同心す。その時、馬、繩を我腹につけて狼の頚に括り付て、「何國へなり共 つれさせ給へ」と申ければ、「此山は案内知らず。汝道びけ」と云ければ、馬 申けるは、「これは里人行道にてはなし。奧山への直道」と申。かれも是も歩 み近づく程に、手づめになりて、狼、たばかられんとや思ひけん、うしろへゑ いやつとしさりければ、馬は前へぞ引つかけける。さしもに猛き狼も、大の馬 には強く引かれぬ、せんかたなげにぞ行たりける。主この由を見つけて、まづ 狼にいたく棒をぞあたへける。そばより楚忽人走り出て、刀を拔ひて斬らんと す。狼のふよかりけん、その身を外れて繩を切られ、ほう++と逃げてぞ歸り ける。 △そのごとく、我敵と思はん者のいふ事をば、よく思案して從ふべし。あはて て同心せば、かの狼がわざはひに同じかるべし。 六△狼と弧の事 △ある河の邊に、孤魚を食ひける折節、狼上に臨んで歩みきたれり。孤に申や う、「其魚をすこしあたへよ。餌食になしてん」と云ければ、孤申けるは、「あ なおそれ多し。わがわけを奉るべしや。篭を一つ持ちきたらせ給へ。魚を取り て參らせん」と云。狼かしこに驅け廻つて、篭を取りてぞ來りける。孤教へけ るやうは、「この篭を尾につけて、河のまん中を泳がせ給へ。跡より魚を追ひ 入れん」といふ。狼、篭を括り付けて、河を下りに泳ぎける。孤あとより石を 取り入ければ、次第に重くて、一足も引かれず。狼孤に申けるは、「魚の入 たるか、ことの外に重くなりて、一足も引かれず」といふ。孤申けるは、「さ ん候。ことの外に魚の入て見え候ほどに、わが力にては引あげがたく候へば、 けだものを雇ひてこそ參らめ」とて、陸にあがりぬ。孤あたりの人々に申侍 は、「かのあたりの羊を■らいたる狼をこそ、たゞ今河中にて魚を盜み候」と 申ければ、われさきにと走り出で、さん※※に打擲しける。そばより楚忽者走 り出て、刀を拔ひてこれを斬るに、なにとかしたりけん、尾をふつとうち切つ て、その身は山へぞ逃げ入ける。 △折しも、師子王違例の事ありけるは、「御氣色大事に見えさせ玉ふ。我この 程諸國をめぐりて、承および候ひぬ。孤の生き皮を御膚に付けさせ給はば、 やがて御平愈あるべし」と申。孤此事を傳へ聞きて、「憎い狼が訴訟かな」と 思ひながら、召しに應じて、師子王の御前に、僞りごとにをのれが身を泥にま ろびして出來たり。師子王、この由を見るよりも、「近ふ參れ。申べき子細あ り。近きほど、汝を一の人ともさだむべき」など、めでたふ申ければ、孤察し て答ける。「あまりあはてさはひで參じけるとて、道にてまろび候ほどに、も つての外に裝束のけがらはしく候。かへつて御違例の障りともなりなんや」と いひて、かさねて申けるは、「我このほど人に習ひ候に、か樣の御違例には、 尾のなき狼の四つ足とつらの皮を殘し、生き皮を剥ぎて召させ給ひ候へば、た やすく平愈すと傳へて候。たゞし、尾のなき狼はあるべうも候はず」と申けれ ば、獅子王、「是こそこゝにあれ」とかの狼を待つ所に、なに心なく參候ひけ る。則師子王引き寄せて、いひしごとくに皮を剥ひで、命計を助けにけり。 △其後、ある山の岨に、件の孤ながめ居ける折節、又狼もそこを通る。孤申け るは、「これを通らせ給ふは、たれ人にてわたらせ給ふぞ。か程暑き炎天に、 頭巾を被き單皮をはき、決拾をさひて見え給ふは、もし僻目にてもや候らん。 五體を見れば、あかはだかにて、■ぞ蜂ぞ蝿ぞ蟻なんど云もの、すきまなく取 り付きたり。たゞし、着る物のかたにてばし侍るか。よく++見候へば、いつ ぞや師子王によしなき訴訟し給ふ狼なり」とてあざけりける。 △其ごとく、みだりに人を讒奏すれば、人又我を讒奏する。春來る時は、冬又 隱れぬ。夏過ぬれば、秋風立ぬ。ひとりなにものか世に誇るべきや。 七△狼夢物語の事 △ある時、狼、夢に高き位に住して、飽くまで食すと見たりける明日、狼山を 出る時、道邊にいのしゝの腸あり。「すはやめでたし。早餌食のありけるよ」 とよろこびさかへけるが、「いや++これは腹の毒なり。よき餌食こそは食わ め」とて、そこを過ぎて行ぬ。ある山の岨に、子をつれたる馬ありけり。狼此 由を見て、「是こそよき餌食なれ。食わばや」と心得て、馬にむかつて申ける は、「汝が子をばわが餌食となすべし。心得よ」といひければ、馬答へて云 △「ともかくも仰にこそは從はめ」とてゐたりけるが、馬狼に申けるは、「承 候へば、外境の上手と申。われ此ほど足に株を踏み立てて候へば、おそれなが ら御目にかけたし」と申。「やすき事」といふ程に、馬片足をもたげて、「これ を見給へ」と云ければ、狼うちあふのひて見ける所を、岸より下に踏みおとし、 わが子をつれて歸りけり。 △狼、これをば事ともせず、「たゞ今こそしけんする共、又こそ」と思ひ、か しこに驅けめぐるほどに、野邊に野牛二疋ゐたり。狼これを見て、「是こそ」と 思ひ、野牛にむかつて申けるは、「汝がうち一疋、わが餌食にすべし」と申け れば、野牛、「謹(つ)しんで承。ともかくもにて侍るなり。こゝに申べき子細 あり。久しくあらそふことの侍れば、御裁判をもつて後何共計らはせ給へか し」と申ければ、狼、「なに事ぞ」と問ふ。野牛答云、「此野をふたりあらそ ひ候。但給ふべき人なきによ(っ)て、勝負をつけがたく候。しからずは、われ ら二疋、向かひより御そばに走りきたり候べし。とく走り着きたらん物に其理 を付させ給へ」と云。「とく++」と申ければ、野牛、向かひより左右に走り かゝり、角にて狼の太腹を掻き切つて、その身は山にぞ入にける。狼疵をかう むりて、「こはしあはせわろき事哉」と、鼻息鳴らしてそこを過ぬ。 △又、河のほとりに家猪親子あそびゐける所を、「是こそ」と思ひ、家猪にむ かつて申けるは、「汝が子を餌食とすべし。心得よ」と申ければ、家猪心得て 云、「ともかうも御計らひにまかせ侍るべし。たゞし、我子はいまだ幼少に候 へば、戒縁を授けず候。見申せば、御出家の御身なり。御結縁に戒を授け給へ かし」と望ければ、讚めあげられて、「さらば」といふ。橋の上にのぼりて、 「こゝにきたれ」と申けるを、家猪我子をつれて行さまにつと寄りて、橋より 下に突きおとし、我身は家にぞ歸りける。狼、浮きぬ沈みぬ流されて、やう ++と這ひあがり、「あら夢見惡や。」 八△鳩と蟻の事 △ある河のほとりに、蟻あそぶ事有けり。俄に水かさまさりきて、かの蟻をさ そひ流る。浮きぬ沈みぬする所に、鳩木末より是を見て、「あはれなるありさ まかな」と、木末をちと食ひ切つて河の中におとしければ、蟻これに乘つて渚 にあがりぬ。かゝりける所に、有人、竿のさきにとりもちを付て、かの鳩をさ さんとす。蟻心に思ふやう、「たゞ今の恩を送らふ物を」と思ひ、かの人の足 にしゝかと食ひつきければ、おびへあがつて、竿をかしこに投げ捨てけり。其 ものの色や知る。しかるに、鳩是をさとりて、いづく共なく飛び去りぬ。 △そのごとく、人の恩を受けたらん者は、いかさまにもその報ひをせばやと思 ふ心ざしを持つべし。 九△狼と犬の事 △有はすとる、羊の警固に犬を持ちけれど、餌食をすなほにあたへざれば、痩 せをとろへてぞありける。狼この由を見て、「御邊はなにとて痩せ給ふぞ。我 に羊を一疋たべ。かの羊を盜み取りて逃げん時、跡よりおつかけ、まろび給へ。 この事見給ふならば、御邊に餌食を給べし」といへば、げにもと同心す。案の ごとく、狼羊をくわへて逃げ去時、犬あとよりおつかけ、まろびたはれて歸り けり。はすとる怒つて云、「何とて羊を取られけるぞ」といひければ、犬答 云、「われ此程餌食なくして、さん※※に疲勞つかまつりて候。そのゆへに羊 を取られて候」といへば、「げにも」とて、それよりして餌食をあたへぬ。 △又狼來て、「わが謀いさゝかたがふべからず。今一疋羊を給れ。このたび もおつかけ給へ。われにいささか疵を付させ給へ。しかれども、深手ばし負せ 給ふな」と堅く契約して、羊をくわへて逃ぐる所を、つとおつかけ、かの狼を すこし食い破りて歸りぬ。主人是を見て、快しとて、彌餌食をあたへてすく やかにす。 △又狼來て、いま一つ所望す。犬申けるは、「このほど主人より飽くまで餌食 をあたへられ、五體もすくやかになり候へば、えこそ參らすまじき」と云放し ければ、「なにをがな」と望みけるほどに、犬教へて云、「わが主人の篭にさま ※※の餌食有。行きて用い」と云ければ、「さらば」とて篭に行、まづ酒壷を 見て、思ひのまゝにこれを飮む。飮み醉て後、こゝかしこたゝずみありく程に、 はすとりの歌ふを聞きて、「かれきたなげなる者さへ歌ふに、我又歌はであら んや」とて、大聲あげておめくほどに、里人聞きつけて、「あはや、狼のきた るは」とて、弓胡●にて馳せ集まる。是によ(っ)て、狼終にほろぼされぬ。 △其ごとく、召し使ふ者に扶持を加へざれば、その主の物を費やすと見えたり。 十△狐と狼の事 △ある孤、子を儲けけるに、狼をおそれて名付親とさだむ。狼承て、その名 をばけまつと付けたり。狼申けるは、「其子を我そばにおいて學文させよ。恩 愛のあまり、みだりに惡狂ひさすな」といへば、狐げにもと思ひ、狼に預けぬ。 △狼、此ばけまつをつれて、ある山の嶽にあがり、わが身はまどろみ臥したり。 「けだもの通らば起せよ」と云つけたり。さるによ(っ)て、家猪その邊を通る程 に、ばけまつ狼を起して是を教ゆ。狼申けるは、「いさとよ、あの家猪は、毛 もたゞ強くして、口をそこなふ物也。これをば取るまじき」といふ。又、牛を 野飼ひに放すほどに、ばけまつ教へければ、狼申けるは、「是もはすとる犬な ど云物多し。取るまじ」といふ。又、■驛の有けるを教へければ、「これこそ」 とて、走りかゝつて、頚をくわへて我本にきたり、子のばけまつもともに食い てんげり。 △其後、ばけまついとまを請ひければ、狼申けるは、「いまだ汝は學文も達 せず。今しばらく」とてとゞめけれ共、「いな」とてまかり歸る。母狐これを 見て、「なにとて早く歸るぞ」と云ければ、「學文をばよく窮めてこそ候へ。そ の手なみを見せ奉らん」とて、山野に出づ。狐、家猪を見て、「これを取れか し」と教へければ、「あれは毛たゞ強き物にて、口の毒なり」とて取らず。牛 を教へければ、「はすとる犬など云ものあり」とて取らず。■驛を教へければ、 ばけまつ申けるは、「あなうれし。これこそ」とて、狼のしたるごとく、頚に とびかゝりければ、結句馬に■らゐ殺さる。母悲しむ事かぎりなし。 △そのごとく、いさゝかの事を師匠に學びて、いまだ師匠もゆるさぬに、達し たると思ふべからず。この狐も、年月を經て、狼のしわざを習はば、かゝる聊 爾なるわざはせじとぞ。 十一△野牛と狼の事 △ある人、あまたの羊を買い取り、其後羊の警固に猛き犬をぞ買ひ添へける。 これによ(っ)て、狼すこしも此羊を犯さず。しかるに、かの犬俄に死にけり。は すとる愁へて云、「この犬死して後は、羊さだめて狼に取られなんず。いかゞ はせん」と歎きければ、野牛進み出て申けるは、「この事あながちに悲しみ給 ふべからず。其ゆへは、我角をおとし、かの犬の皮を着せて、羊を警固させ給 へ。さだめて狼おそれなんや」と申ければ、はすとる、げにもとてそのごとく しけり。これによ(っ)て、狼、犬かと心得て、羊のそばに近づく事なし。 △然所に、狼、もつての外飢ゑにつかれて、その死せん事をもかへり見ず、つ と寄つて羊をくわへて逃ぐる所を、かの野牛おつかけたり。狼、あまりにおそ れて、いばらの中へ逃げ入ければ、野牛續ゐておつかけたり。何とかしたりけ る、犬の皮をいばらに引かけて、もとの野牛にぞあらはれける。狼此由を見て、 「こは不思議なるありさまかな。犬かと思へば、野牛にてあんめるぞや」とて 立返り、野牛を召し篭め、「汝なにのゆへにわれを追ふぞ」といひければ、野 牛ことばなふして、「御邊の驅足の程をこゝろみんとのために、たはぶれにこ そ」と陳じければ、狼怒つて申やう、「たはぶれも事にこそよれ、いばらの中 へおつこうで、手足をかやうにそこなふ事、なにのたはぶれぞや。所詮その返 報に、御邊を食ひ殺し奉るべし」といひてほろぼしぬ。 △其ごとく、きたなき者の身として、賢しき人をたぶらかさんとする事、蟷 が斧をもつて隆車に向かふがごとし。うつけたる者は、うつけて通るが、一藝ぞ や。賢だてこそうとましけれ。 十二△鷲と烏の事 △ある鷲、餌食のために羊の子を掴み取つて■らふ事ありけり。烏これを見て、 「あなうらやまし。いづれも鳥の身として、なにかはかやうにせざるべき」と 我慢おこし、「我も」とて、野牛のあるを見て掴みかゝりぬ。それ野牛の毛は、 縮みて深きもの也。かるがゆへに、かへつてをのれが臑をまとひてばためく所 を、主人走り寄つて烏を取りて、「奇怪なり。いましめて命を絶つべけれども」 とて、羽を切つてぞ放しける。ある人、かの烏にむかつて、「汝は何者ぞ」と 問へば、烏答云、「きのふは鷲、けふは烏なり」といへり。 △そのごとく、我身のほどを知らずして、人の威勢をうらやむ者は、鷲のまね をする烏たるべし。 十三△師子王と驢馬の事 △有驢馬病しける所に、獅子王來てその脈を取りこゝろむ。驢馬これをおそる る事かぎりなし。師子王懇のあまりに、その身をあそここゝを撫で廻して、 「いづくか痛きぞ」と問へば、驢馬謹(つ)しんで云獅子王の御手の當り候所 は、今までかゆき所も痛く候」と、震い+ ぞ申ける。 △そのごとく、人の思はくをも知らず、懇だてこそうたてけれ。大切をつくす といふとも、つねに馴れたる人の事なり。知らぬ人にあまりに禮をするも、か へつて狼藉とぞ見えける。 十四△野牛と狐の事 △ある時、野牛と狐と、渇に望て、井桁のうちにおち入て水を飮み終つて後、 あがらんとするによしなき狐申けるは、「ふたりながら、この井桁の中にて死 なんもはかなき事なければ、謀をめぐらして、いざやあがらん」とぞいひける。 野牛、「もつとも」と同心す。狐申けるは、「まづ御邊せいを伸べ給へ。其せ なかにのぼりて上にあがり、御邊の手を取りて上へ引き上げ奉らん」といふ。 野牛、「げにも」とてせいを伸べける所を、狐そのあたまを踏まへて上にあが り、笑つて云、「さても+ 御邊はおろかなる人かな。その鬚ほど智惠を持ち 給はば、われいかゞせん。なにとしてかは御邊を引き上げ奉らんや。さらば。」 とて歸りぬ。野牛、空しく井のもとに日を送りて、つゐに、はかなくなりにけ り。 △其ごとく、我も人も難儀にあはん事は、まづわが難儀を遁れて後、人の難を も除くべし。わが身地獄に落ちて、他人樂しみを受くればとて、わが合力にな るべきや。これを思へ。 十五△ある人佛を祈る事 △ある人、一つの佛像を安置して、つねに名利福祐を祈る。日に添ひて貧しく いやしくなれども、さらにその利生ある事なし。これによ(っ)て、かの人怒つて、 佛像を取(っ)て打ち碎く所に、その佛のみぐしの中に金數百兩有けり。その時、 かの人佛を祈つて云、「さても此佛をろかなる佛かな。われつねに香花燈明を 備へ、恭敬禮拜する時は、此金をあたへずして、其身をほろぼす時福をさだめ けるよ」と笑ひよろこびけり。 △そのごとく、惡に極まりたる者、その自然を待ち、善に立返る事なし。おさ へて、佛を割るがごとく、惡を善に飜す樣にすべし。 十六△鼠と猫の事 △ある猫、家のかたはらにかゞみゐて、日々に鼠を取りけり。鼠さしつどいて 申けるは、「何とやらん、この程は、我親類一族も行がた知らずなり侍るぞ。 たれかその行衞を知り給ふ」といふ。こゝに年たけたる鼠進み出て申けるは、 「こと高し。しづまれとよ。それは、この程、例の猫といふいたづら者、此う ちに來て、餌食になし侍るぞや。かまひて油斷すな」などと申ければ、をの をの僉議評定して、「しかるにおゐては、今日よりして各天井に計住むべ し」といふ法度をさだめり。猫、この由を聞きて、いかんともせんかたなさに、 「たばからばや」と思ひて、死したる體をあらはして、四つ足を踏み伸べ、久 しくはたらかずして居ける所を、鼠ひそかに此事を見て、上より猫に申けるは、 「いかに猫、そらだまりなしそ。汝が皮を剥がれ、文匣の蓋になるとも、下に さがるまじきぞ」とひければ、猫是非におよばず起きあがりぬ。 △そのごとく、一度人を懲らす人は、いつも惡人ぞと人これをうとんず。たゞ 人は、をろかにして、他人に拔かれたるにしくはなし。かまへてかゝる末の世 に、人を拔かんと思ふ事なかれ。 十七△鼠の談合の事 △ある時、鼠老若男女相集まりて僉議しけるは、「いつもかの猫といふいたづ ら者にほろぼさるゝ時、千たび悔やめども、その益なし。かの猫、聲をたつる か、しからずは足音高くなどせば、かねて用心すべけれども、ひそかに近づき たる程に、由斷して取らるゝのみなり。いかゞはせん」といひければ、故老の 鼠進み出でて申けるは、「詮ずる所、猫の首に鈴を付てをき侍らば、やすく知 なん」といふ。皆々、「もつとも」と同心しける。「然らば、このうちより誰出 てか、猫の首に鈴を付け給はんや」といふに、上臈鼠より下鼠に至るまで、 「我付けん」と云者なし。是によ(っ)て、そのたびの議定事終らで退散しぬ。 △其ごとく、人のけなげだてをいふも、只疊の上の廣言也。戰場にむかへば、 つねに兵といふ物も震ひわなゝくとぞ見えける。しからずは、なんぞすみやか に敵國をほろぼさざる。腰拔けのゐばからひ、たゝみ大鼓に手拍子とも、これ らの事をや申侍べき。 十八△男二女を持つ事 △有男、二人妻を持ちけり。ひとりは年たけて、一人は若し。ある時、此男、 老たる女のもとに行時、その女申けるは、「我年たけ齡おとろへて、若男に 語らふなどと人のあざけるべきも恥づかしければ、御邊の鬢鬚の黒きを拔きて、 しらがばかりを殘すべし」といひて、たちまち鬢鬚の黒を拔ひて、白きを殘せ り。この男、「あなう」と思へど、恩愛にほだされて、痛きをもかへりみず拔 かれにけり。 △又、ある時、若き女のもとに行けるに、此女申けるは、「われさかんなる者 の身として、御邊のやうに白髮とならせ給ふ人を妻と語らひけるに、「世に男 の誰もなきか」なんどと人の笑はんも恥づかしければ、御邊の鬢鬚の白きをみ な拔かん」と云て、これをこと※※く拔き捨つる。されば、この男、あなたに 候へば拔かれ、こなたにては拔かれて、あげくには、鬢鬚なふてぞゐたりける。 △そのごとく、君子たらん者、故なき淫亂にけがれなば、たちまちかゝる恥を 受けべし。しかのみならず、二人の機嫌を計らうは、苦しみつねに深き物なり。 かるがゆへにことわざに云、「ふたりの君に仕へがたし」とや。 十九△■■の事 △ある■■、あまた子を持ちけるなり。其子をのれが癖に横走りする所を、母 これを見て、諌めて云、「汝ら何によりてか横さまには歩みけるぞ」と申けれ ば、子共謹(つ)しんで承り、「一人の癖にてもなし。われら兄弟、皆形のごと し。然らば、母上ありき給へ。それを學び奉らん」といひければ、「さらば」 とてさきにありきけるを見れば、我横走りにすこしもたがはず。子ども笑ひて 申けるは、「われら横ありき候か、母上のあるかせ給ふは、縱ありきか、そ ばありきか」と笑ひければ、ことばなふてぞゐたりける。 △そのごとく、わが身の癖をばかへり見ず、人のあやまちをば云もの也。若さ やうに人の笑はん時は、退ひて人の是非を見るべきにや。 二十△孔雀と鶴の事 △有時、鶴と孔雀と淳熟してあそびけるに、孔雀わが身を讚めて申けるは、「世 中にわがつばさに似たるはあらじ。繪に書くともおよびがたし。光は玉にもま さりつべし」などと誇りければ、鶴答云、「御邊の自慢、もつともそきせぬ 事にて候。空を翔ける物の中に、御邊にならびて果報めでたきものは候まじ。 但、御身に缺けたる事二つ候。一つには、御足本きたなげなるは、錦を着て足 に泥を付けたるがごとし。二つには、鳥といつぱ、高く飛ぶをもつて其徳とす。 御邊は飛ぶといへども、遠く行かず。是を思へば、つばさは鳥かして、その身 はけだものにてあん成ぞ。すこしき徳に誇つて、大なる損をばわきまへずや」 とぞ恥を示しける。それよりして、孔雀、わづかに飛びあがるといへども、此 事を思ふ時は、つばさ弱りて勢なし。 △そのごとく、人としてわが譽をさゝぐる時は、人の憎みをかうむりて、果て にはあやまりをいひ出さるゝ物なりけれ。我慢の人たりといへども、道理をも つてその身を諌めば、用いず顏をするといふ共、心にはげにもと思ひて、いさ さかも謙る心有べし。 廿一△人を嫉むは身を嫉むと云事 △ある御門、二人の人を召出し給ふ事ありけり。一人は欲心深き物なり。いま 一人は、人を嫉む心深き者なり。御門二人の物に仰けるは、「汝ら、我らにい かなる事をも望み申せ。後に望まん物は、前の望みに、一倍をあたへん」との給 へば、欲心なる者は、「なに事にてもあれ、一倍取らん」と思ふによ(っ)て、初 めに請ひ奉らず。今一人の者は、なに事にてもあれ、人を猜む者なるによ(っ)て、 「我にまさりてかれに取らせんも嫉まし」とや思ひけん、是も初に請い奉らず。 我さきせよ、人さきにせよといどみあらそふほどに、時刻移りければ、「とく とく」と輪言ならせ給ふ程に、かの侫人思ふやう、「こゝなるやつめが、あま りに欲心深き事の嫉ましければ、かれに仇を望まん」とて、進み出でて申ける は、「しからば、わが片方のまなこを拔きたく侍る」と奏しければ、「やすき所 望」とて片目を拔かれ、そのごとく、侫人と云者は、人の榮ふる事を見ては、 悲しむ顏にて、内心にはよろこぶものなり。されぱ、かの物、おれが片目を拔 かるゝといへども、かれが兩眼を拔かんがため、まづ苦しみを堪忍せんとする にや。此侫人を上覽あつて、御門これをあはれみ給ひ、今一人はつゝがもなく てぞまかり歸る。人に押し懸けんと思ふは、まづわが身の苦しみと見えたり。 「血を含みて人に噴けば、まづその口けがるゝ」とこそ申傅へけれ。 廿二△蛙と牛の事 △ある河のほとりに、牛一疋こゝかしこへ餌食をもとめありき侍しに、蛙 これを見て心に思ふやう、「わが身をふくらしなば、必ずもやあの牛のせいほ どなりなん」と思ひて、きつと伸びあがり、身の皮をふくらして、子どもにむ かつて、「今は此牛のせいほどなりけるや」と尋ねければ、子どもあざ笑ひて 云、「いまだ其位なし。憚りながら、御邊は牛に似たり給はず。正しく蕪のな りにこそ見え侍りけれ。御皮の縮みたる所侍る程に、いますこしふくれさせ給 はば、あの牛のせいになり給ひなん」と申ければ、蛙答て申さく、「それこそ いとやすき事なれ」といひて、力およびゑいやつと身をふくらしければ、思ひ の外に皮俄に破れて、腸出て空しくなりにけり。 △そのごとく、およばざる才智位を望む人は、望む事を得ず、終にをのれが思 ひ故に、かへつて我身をほろぼす事有也。 廿三△わらんべと盜人の事 △ある井のそばに、童子一人)ゐたりしが、あなたこなたをながめける間に、盜 人一人走り來て、このわらんべを見て心に思ふやう、「あなうれし。この者の 衣裳を剥ぎ取らばや」と思ひて近付侍る程に、盜人の惡念をさとつて、いと悲 しき氣色をあらはして、泣く++ゐたりしが、盜人是を見て、何事共知らず、 よのつねの悲しびにはあらず、いとふ敷覺えて、さし寄りて、「いかなる事を 悲しむ」といへば、わらんべ云やう、「誠には、なにをか祕し申さん、心に憂き 事あり。たゞ今黄金の釣瓶をもつて水を汲まんとする所に、俄に繩が切れて、 井どにおち入ぬ。千たび尋ねもとむれどもせんかたなし。いかにしてか主人の 前にて申べきや」と云ければ、盜人是を聞きて、おもてにはあはれに悲しきふ りをあらはして、慰めて云、「いとやすき事哉。我底へ入て引き上ぐべければ、 汝いたく歎くべからず」。わらんべこれを聞きて、うれしくて涙を拭ひて頼み にけり。 △その時、盜人、着る物を脱ぎておき、井どの中におりて、こゝかしこ見尋ぬ るひまに、わらんべこの着る物を取つて、いづちともなく逃げ去りぬ。盜人、 やゝ久しく釣瓶を尋けれ共、これにあはず。かゝるほどに上にあがりしかば、 おきたる着る物もわらんべもうせて見え侍らず。その時、われとわが身に怒つ て、ひとりごとをいふやう、「誠に道理の上よりこれを天道計らひ給ふ。其故 は、人の物を盜まんとする者は、かへつて盜まるゝ物なり」といひて、あかは だかにて歸りにけり。 △そのごとく、我人も前後始終を糺さずして、みだりに人をたばからんとせ ざれ。たとひ相手にいやしき者なりとも、理を枉げんとせば、その悔ゐ有べし。 なに事も、致さぬさきに、まづきたるべき損得を考ゆべき事、もつとも道理に かなふべし。 廿四△修行者の事 △ある修行者、行き暮れて、わづかなるあやしのしづの屋に、一夜宿を借りけ る。主じ情深き者にて、結縁にとて貸しける。ころは冬ざれの霜夜なれば、手 足こゞへてかゞまりければ、わが息を吹かけてあたゝめけり。やゝあつて後、 熱き飯を食ふとて、息をもつて吹きさましければ、主じ此由を見て、「あやし き法師のしわざかな。つめたき物をば熱き息をいだしてあたゝめ、熱き物はひ やゝかなる息出してさまし侍るぞや。いかさまにもたゞ人のしわざとも見えず。 天魔の現じきたれるや」とをろかにおそれて、曉がたにおよびて追ひ出しぬ。 △そのごとく、至つて、心つたなき物は、わが身に具足したることをだにもわき まへず、やゝもすれば惑ひがちなり。これほどの事をだにわきまへぬやからは、 能事を見てはかへつて惡しゝとや思ふべき。かねてこれを心得よ。これは、う ち聞けば、をろかなるやうなれども、人の世にあつて、道に迷へる事、かの主 じが、人の息の熱きとぬるきと、わきまへかねたるにことならざるものなり。 廿五△庭鳥金の卵を産む事 △ある人庭鳥を飼いけるに、日々に金のまろかしをかい子に産む事有。主これ を見て、よろこぶ事かぎりなし。しかりといへども、日に一つ産む事を堪へか ねて、「二つも三つも續けさまに産ませばや」とて、その鳥を打ちさいなめど も、其驗もなく、日々に一つより外は産まず。主心に思ひけるやうは、「いか さまにも此鳥の腹には、大なるこがねや侍るべき」とて、その鳥の腹を割く。 かやうにして、頂より足のつまさきまで見れども、別のこがねはなし。その時 主後悔して、「もとのまゝにておかましものを」とぞ申ける。 △そのごとく、人の欲心に耽る事は、かの主が鳥の腹を割けるにことならず。 日々にすこしの儲けあれば、その一命を過ぐる物なれども、積みかさねたく思 ふによつて、つゐに飽き足る事なふて、あまつさへに寶をおとして、其身をも ほろぼすもの也。 廿六△猿と犬との事 △ある女猿、一度に二つ子を産みけり。されば、我胎内より同子を産みながら、 一つをば深く愛し、一つをばをろそかにす。かの憎まれ子、いかんともせんか たなふて月日を送れり。わが愛する子をば前に抱き、憎む子をせなかにおけり。 △ある時、うしろより猛き犬來る事あり。此猿あはてさはひで逃ぐるほどに、 抱く子をかたわきに挾みて走るほどに、すみやかに行く事なし。しきりにかの 犬近付ければ、まづ命を助からんと、片手にてわき挾みたる子を捨てて逃げ延 びけり。かるがゆへに、つねに憎みて、せなかにおける憎まれ子は、つゝがも なく取り付ききたれり。かの寵愛せし子は、犬に食ひ殺されぬ。いくたび悔や めども甲斐なきによつて、つゐにかの憎みつる子をおほせたてて、前の子のご とくに寵愛せり。 △そのごとく、人としても、今までした敷思ふ者にうとんじ、をろそかなる者 に眤ぶも、たゞ此猿のたとへにことならず。是によ(っ)て是を思へば、かれはよ し、これは惡しと品を擇ぶべからず。たれもひとしく思ふならば、人又われを 思ふべき事疑ひなし。 廿七△土器慢氣をおこす事 △ある土器を作りて、いまだ燒かざる前に乾しけり。此土器思ふやう、「さて もわが身は果報めでたき物かな。あるひは田夫野人の踏みものたりし土なれど も、かゝるめでたき折節に生れあひて、人に愛せらるゝことのうれしさよ」と 慢じゐける所に、夕立、かの土器のそばにきたつて申けるは、「御邊は何人に ておはせしぞ」と問ひければ、土器答云、「われはこれ帝王の盃也。いや しき物のすみかにゐたる事なし」と申ければ、夕立申けるは、「御邊はもとを 忘れたる人なり。今さやうにいみじく誇り給ふとも、一雨あたまにかゝるなら ば、たちまちもとの土となつて、厠垣壁に塗られなんず。人もなげに慢じ給ふ 物かな」といひ捨てて、俄に夕立、かみなりさはひで、かの土器を降りつぶし ければ、本の土とぞなりたりける。 △其ごとく、人の世にありて、世路に誇るといへども、たちまち土器の雨に碎 くるがごとく、不定の雨にさそはれて、野邊の土とぞ成にける。我身よく++ 觀ずれば、かの土器にことならず。恩愛のしたしきいもせの中も、思へば根本 土なりけり。かくけがらはしき土をのみ愛して、當來の勤めをせぬ人は、無常 の夕立に打たれん時、千たび悔ゆるとも甲斐あるまじひ。かねて此事をよく案 ぜよ。 廿八△鳩と狐の事 △ある時、うへ木に鳩巣をくふことありけり。しかるを、狐その下にあつて、 鳩に申けるは、「御邊は何とてあぶなき所に子を育て給ふや。この所におかせ 給へかし。雨風の障りもなし、穴にこそおくべきけれ」と云ければ、をろかな る者にて、誠かと心得て、その子を陸地に産みけり。しかるを、狐すみやかに 餌食になしぬ。其時、かの鳩をどろひて、木の上に巣をかけけり。然るを、隣 の鳩教へけるは、「さても御邊はつたなき人なり。今より以後、狐さやうに申 さば、「汝この所へあがれ。あがる事かなはずは、まつたくわが子を果たすべ からず」とのたまへ」といへば、「げにも」とていひければ、狐申けるは、「今 よりして、御邊の上にさはがする事あるまじ。但、頼み申べき事あり。その異 見をば、いづれの人より受けさせ給ふぞ」と申ければ、鳩つたなふして、しか じかの鳥と答ふ。 △ある時、かの鳩に教へける鳥、下におりて餌食を食みける所に、狐近づきて 云、「そも++御邊、世にならびなきめでたき鳥なり。尋申たき事有。其故 は、塒に宿り給ふ前後左右より烈しき風吹時は、いづくにおもてを穩させ給ふ や」と申ければ、鳥答云、「左より風吹く時は、右のつばさにかへりをさし、 右より風吹く時は、左のつばさにかへりをさし候。前より風吹く時は、うしろ にかへりをさし候。うしろより風吹く時は、前にかへりをさし候」と申。狐 申けるは、「あつぱれその事自由にし給ふにおゐては、誠に鳥の中の王たるべ し。たゞし、虚言や」と申ければ、かの鳥、「さらばしわざを見せん」とて、 左右に頚をめぐらし、うしろをきつと見る時に、狐走りかゝつて■らい殺しぬ。 △そのごとく、日々人に教化をなす程ならば、まづをのれが身をおさめよ。我 身の事をばさしおきて、人の教化をせん事は、ゆめ++あるべからず。 廿九△出家とゑのこの事 △ある人、ゑのこ一疋なつけ育て、是を愛しけるが、年比ありて、なにとかし たりけん、かのえのこ俄に死する事ありけり。主じ、これを歎き悲しみて、心 に思ふやう、「かゝるいとけなきえのこの死骸は、山野に捨てんよりは、とて もの事に寺のかたはらにうづまばや」と思ひて、日暮に臨んで、人に忍びて、 是を取りつゝ堂のほとりにうづみける。 △やゝあつて、かの寺の僧これを傳へ聞きて、「これは何物のしわざぞや。かゝ る狼藉、前代未聞ためしなし」といひければ、かの主じをよびて、すでにあや 敷いましめられ侍りける。主じ、さらに返答におよばず、赤面してゐたりしが、 遁るべきかたなくて、此出家の重欲心をさとつて申けるは、「御邊の仰せらる る所、もつとも道理至極なり。然ども、御存知なきにや侍らん。此えのこの臨 終、さも有難くいみじき心ざしあり。それをいかにと申に、後世を弔はれんそ のために、持ちたる百貫の料足を、貴僧に奉るべしといひおき侍る」とありけ れば、僧これを聞ひて、思ひの外に勇む氣色にていふやう、「さても+ かゝ るありがたき心ざしはたゞ事にあらず。我をろかなる者の身として、ゆめ++ 是を知らずといましめ侍るなり。御邊は歎き給ふ事なかれ。これほどの心ざし を持ちたらんは、たとひ畜類なりといふとも、必極樂へ生れん事、いさゝか も疑ひ玉ふ事あらじ。われもろともにかの跡を懇に弔ふべし」とて、此ゑのこ の心ざしを、奇特なりとて貴まれける。 △そのごとく、欲に耽る物は、かの出家にことならず。人あつて引物をさゝれ ければ、寶に目をくらして、理を非に枉ぐる事是多し。かるが故に、「欲深け れば、戒を破り、罪を作り、身をほろぼす物也」とぞ見えけり。これを思へ。 三十△人の心のさだまらぬ事 △ある翁、市に出て馬を賣らんと思ひ、親子つれてぞ出たりける。馬をさきに 立てて、親子跡に苦しげに歩むほどに、道行人これを見て、「あなおかしの翁 のしわざや。馬を持ちては乘らんがため也。馬をさきに立てて、主はあとに歩 む事は、餓鬼の目に水の見えぬといふも此事にや」といひて通りければ、翁、 げにもとや思ひけん、「若き者なれば、くたびれやする」とて、わが子を乘せ て、我はあとにぞつきにける。 △又人これを見て、「是なる人を見れば、さかん成物は馬に乘りて、翁はかち より行く」とて笑ければ、又子ををろして翁乘りぬ。又申けるは、「これなる 人を見れば、親子と見えけるが、あとなる子はもつての外くたびれたるありさ まなり。かゝるたくましき馬に乘りながら、親子一つに乘りもせで、くたびれ けるはおかしさよ」といひければ、げにもとて、わが子を尻馬に乘せけり。 △かくて行ほどに、馬やうやくくたびれければ、又人の申けるは、「是なる馬 を見れば、ふたり乘りけるによ(っ)て、ことの外くたびれたり。乘りて行かんよ りは、四つ足を一つに結ひ集め、二人して荷ふてこそよかんめれ」といひけれ ば、げにもとて、親子して荷ふ。又人の申けるは、「重き馬を荷はんよりは、 皮を剥ゐで輕々と持つて賣れかし」といへば、げにもとて、皮を剥がせて、肩 にかけて行程に、道すがら蝿共取り付ゐて目口もあかず。市の人々是を笑ひ ければ、翁腹立て、皮を捨ててぞ歸りける。 △其ごとく、一度かなたこなたと移る者は、翁がしわざにことならず。心輕き 者は、つねにしづかなる事なしと見えたり。輕々しく人のことを信じて、みだ りに移る事なかれ。但、よき道には、いくたびも移りてあやまりなし。事ごと によければとて、胡亂に見ゆる事なかれ。たしかに愼しめ。 卅一△鳥人に教化をする事 △ある人、片山のほとりにおゐて、小鳥をさし取る事あり。これを殺さんとす るに、かの鳥支へて申けるは、「いかに御邊、我程の小鳥を殺させ給へばとて、 いかばかりの事か候べきや。助け給はば、三つの事を教へ奉らん」といふ。 「さらばいへ」とて、その命を助く。かの鳥申けるは、「第一には、あるまじ き事をあるべしと思ふ事なかれ。第二には、もとめがたき事をもとめたきと思 ふ事なかれ。第三には、去つて還らざる事を悔やむ事なかれ。此三つをよく保 たば、あやまり有べからず」と云を聞ひて、此鳥を放しぬ。 △その時、鳥、高き木末に飛びあがり、「さても御邊はをろかなる人かな。わ が腹にならびき玉を持てり。これを御邊取り給はば、世にならびなく榮へ給 ふべき物を」と笑ひければ、かの人千たび後悔して、二たびかの鳥を取らばや とねらふほどに、かの鳥又申けるは、「いかに御邊、御身にまさりたるつたな き人は候まじ。そのゆへは、只今御邊に教へける事をば、何とか聞き給ふや。 第一、あるまじき事をあるべしと思ふ事なかれとは、まづわが腹に玉ありとい ふは、あるべき事やいなや。第二には、もとめがたき事をもとめたきと思ふ事 なかれとは、我を二たび取ることなかるべからず。第三には、去つて還らぬ事 を悔やむ事なかれとは、我を一たび放つもの、かなはぬ物故ねらふ事、去つて 還らぬを悔やむにあらずや」とぞ恥ぢしめにける。 △其ごとく、人つねにこの三つに惑へるものなり。よき教へ目の前にありとい へども、これを見聞ながら、保つ者ひとりもなし。あながち鳥の教へたるにも 有べからず。人はけだものにも劣ると云事を知しめんがためとかや。 卅二△鶴と狐の事 △ある田地に、鶴餌食をもとめてゐたりしに、古老の狐かれを見て、「たばか らばや」と思ひて、そばに近付て云、「いかに鶴殿、御邊は何事をか尋給へる。 若乏しく侍らば、わが、宅所へきたらせよ。珍しき物あたへん」と、いと睦まし く語らひければ、鶴得たり賢しとよろこびて同心す。狐、急ぎ走り歸つて、粥 のやうなる食物を淺き金鉢に入て、鶴にむかつていふやう、「御邊は固き物を きらひ給ふなれば、わざと粥をこそ」とてさゝげければ、鶴件の長きはしにて 食はん+ とすれど、かなはざれば、狐これを見て、「御邊は不食に見えたり。 かゝる珍物を空しく捨てんよりは、我に給はれ」とて、みなをのれが取り■ら いて、「奇怪成」とあざければ、鶴はなはだ無念に思ひて、「いかさまにも此 返報をせばや」と思ひて歸りしが、やゝほど經て、鶴件の狐にあひていふやう、 「我只今珍しき食物を儲けたり。來りて食し給へかし」とすゝめければ、狐、 「すはや先度の返報か」とて、鶴の宅所に到りけり。その時、鶴、口の細き入 物に匂よき食い物を入て、狐の前におき侍りければ、狐是を見るよりも好まし く思ひて、入れ物のまはりをかなたこなたへめぐりけれ共、かなはざるを、鶴、 「おかしのさまや」と見て申けるは、「さても御邊はをろかなる人かな。只今 飯の時分なるに、いかで舞ひ踊られけるぞ。食ゐ果たしてこそは舞はんずれ。 いで食ゐやうを教えん」とて、件のくちばしをさし伸べて、とく++食ゐつく し侍れば、狐面目失ひて立去りぬ。 △其ごとくに、みだりに人をあなどらば、人又をのれをあなどるべし。人を懇 にせば、人又われをあはれむものなり。これによつて、いかほども人にはあな づらるゝとも、われ人をあなどる事なかれ。たとひをろかにする共、謙りて從 はんにはしかじと見えける也。 卅三△三人よき中の事 △ある人、三人の知音を持ちけり。一人をば我身よりも大切に思ふ人なり。今 一人は、我とひとしく思ふ也。いま一人は、その次なり。此三人とつねにとも なふ事年久し。ある時、その身に難儀出來る時、此知音のもとに行て、助成を かうむらんとす。まづ、「我難儀を助け給へ」と申ければ、「せんかたなし」と て、いさゝかも助けず。我とひとしく思ふ人のもとに行て、「わが難儀を助け 給へ」といへば、「わが身もまぎらはしき事あれば、えこそ助け奉るまじけれ。 糺し手の門外までは御伴をこそ申べけれ」と計也。又、其次に思ひけるは知音 のもとに行て申■けるは、「われつねに申ぜずして、今更わが身に悲しき事の ありとて申事はいかばかりなれども、われ今大事の難儀あり。助け給へかし」 と申ければ、かの知音申けるは、「仰のごとく、つねにしたしくはし給はね共、 さすが知り侍りたる人なれば、只し手の御前にて方人とこそなり侍らめ」とい ひて出ぬ。 △そのごとく、わが身の難儀とは臨終の事なり。我身より大切に思ひ過したる 友とは、財寶の事なり。我身とひとしく思ふ友とは、妻子眷屬の事なり。その 次に思ふ友とは、わがなすよきやうなり。然らば、命終らん時、わが財寶に助 けんといはば、いかでかは助くべき。かへつて仇とこそ見えられたれ。妻子眷 屬を頼めばとて、いかでかは助かるべき。かへつて、これをもつて臨終の障り とぞ見えける。此知音、「糺し手の門外まで」といひしは、墓所まで送る事な り。いさゝかのよきやうの友とこそ、まことに糺し手の御前にて方人とならん 事あきらかなり。その時に臨んでは、「われ存生にありし時、ひとりの方人を 若おかまし物を」と、悔やむべき事疑ひなし。 卅四△出家と盜人の事 △ある法師、道を行ける所に、盜人一人行きむかつて、かの僧を頼みけるは、 「見奉れば、やんごとなき御出家也。われならびなき惡人なれば、願はくは、 御祈りをもつてわが惡心を飜し、善人となり候やうに祈誓し給へかし」と申け れば、「それこそ我身にいとやすき事なれ」と領掌せられるぬ。かの盜人も返++ 頼みて、そこを去りぬ。 △其後はるかに程經て、かの僧と盜人行きあひけり。盜人、僧の袖を控へて、 怒つて申けるは、「われ御邊を頼むといへども、その甲斐なし。祈誓し給はず や」と申ければ、僧答云、「我其日より片時のいとまもなく、御邊の事をこ そ祈り候へ」とのたまへば、盜人申けるは、「おことは出家の身として、虚言を のたまふ物かな。その日より惡念のみこそおこり候へ」と申ければ、僧の謀 に、「俄に喉かはきてせんかたなし」とのたまへば、盜人申けるは、「これに 井どの侍るぞや。我上より繩を付て、その底へ入奉るべし。飽くまで水飮み給 ひて、あがりたくおぼしめし候はば、引き上げ奉らん」と契約して、件の井ど へおし入けり。かの僧、水を飮んで、「上給ヘ」とのたまふ時、盜人力を出し てえいやと引けども、いさゝかもあがらず。いかなればとて、さしうつぶして 見れば、何しかはあがるべき、かの僧、そばなる石にしがみつきておる程に、 盜人怒つて申けるは、「さても御邊はをろかなる人かな。その儀にては、いか が祈祷も驗有べきや。其石放し給へ。やすく引き上奉らん」と云。僧、盜人に 申けるは、「さればこそ、われ御邊の祈念を致すも、此ごとく候ぞよ。いかに 祈りをなすといへ共、まづ御身の惡念の石を離れ給はず候程に、鐵の繩にて引 上る程の祈りをすればとて、兼の繩は切るゝ共、御邊のごとく強き惡念は、善 人に成がたふ候」と申されければ、盜人うちうなづゐて、かの僧を引上奉り、 足本にひれ臥て、「げにもかな」とて、それより元結切り、則僧の弟子とな りて、やんごとなき善人とぞなりにけり。此經を見ん人は、たしかに是を思へ。 ゆるかせにする事なかれ。 伊曾保物語下終 本稿は、 国文学研究資料館編「日本古典文学本文データベース」所収のデータを基に 一部改変して成したものである。